第6話 予言と代闘士

 世界の命運を左右するという予言。それは賢人の首によって語られ、刹那のうちに各国の守護神である七神へ届けられる。

 七神はあらゆる可能性を模索し、各々で予測できる限りの結末を導き出す。そして自国の民からその予言を阻止できるであろう人物を選定する。

 神託を受けた者は『代闘士』となり、任務期間中、予言の究明と成立の阻止に尽力する。

 予言発動の日には、太陽の娘がそれまでの代闘士達の記録から神々の序列を定める。これは絶対のものとして、異を唱えることは例え神であっても許されない。

 こうした予言にまつわるありとあらゆる争いの発端、動向、結末は、全てそれぞれの代闘士に委ねられる。神々は己の影たる戦士が予言を調伏すること、そしてその過程で発生する闘争を七国の範囲で収まる規模に止めることを絶対のものとしている。

 この代理戦争は、二度と世界の終末を招かないための、七神達の血の掟によるものである。


「遥か昔、世界は一度神々の闘争によって崩落しました。焼き尽くされた大地に生き残った神々が集い、優れた知識を持つ賢人の助言を受けながら再興されたのがこの七国です」


 エウリヤナが差し出したのは一冊の書物だった。豊かな天上での暮らし、様々な神族との交流、不思議な生き物や魔法の道具。そして、些細な事柄に端を発した戦争からの破滅、不毛の地の再建までが描かれている。


「神々は世界の崩壊を経て、自分達の力がいかに強大かを改めて認識し、同時に多くの犠牲を嘆きました。親兄弟はもちろん、草一本すら焼失した地獄を目の当たりにし、彼らは誓ったといいます。曰く、自分達が争えば世界は何度でも滅びてしまう、最悪の日を繰り返してはならないと」


 そこで七神は協定を結ぶ。我々の間で何か雌雄を決しなければならない時、勝敗は下界の者達の結果に委ねる、と。彼らは、人間達の諍いなど神同士のぶつかり合いに比べれば取るに足らない規模だと知っていた。実際に、神託を受けた者達による対立や協議は何度も行われている。


「賢人の首が予言を発したのは七国が形になり始めた頃だといいます。当初はあまり重視されていなかったそうなのですが、予言は数百年ごとに発現し、阻止できず成立した内容によっては、それこそ国の滅亡に匹敵するものもあったようです。そのため、予言は世界を破壊した神々への罰だともいわれています」

「賢人の首?」

「崩壊前の天上で、何者にも勝る優れた知識を持っていた人物です。彼はとある事情で首だけになりますが、魔術的処置を施されていたおかげか戦争を生き延びました。七神は予言のもたらす影響を受け、今では彼の語る言葉を絶対視しています。予言を紐解いて成立を阻止することこそが、自分達の罪に対する償いだと」

「罪……」

「世界を破壊するほどの戦争を引き起こしたことですね。神々は下界の祈りと魔力がなければ存在することはできない。けれども破滅が全てを滅ぼしかけ、神といえど死は確かにあり、万能ではないことを改めて実感したのでしょう。予言自体も、以前は数百年単位だったものが今では数十年に一度発されることもあって、七神はかなり気を揉んでいるそうです」


 以前からの取り決めもあり、代闘士のシステムが完成したのはこの時である。


「神同士で勝敗は決められない、しかし予言には対処しなければならない。そこで『代闘士』なる者を任命し、その者を通して自身、ひいては世界の救済を行うのです」

「どうしても予言を阻止できなかった場合は?」

「それこそ、予言の結果が世界崩壊規模でないことを祈るだけでしょう。あるいは序列を二の次にして、自分の代闘士に一時の力を与えるかですが……まず選ばれない方法です」


 この序列こそが、予言の内容如何に関わらず七神間の競争を促す原因だった。太陽の娘が下す判定により、次の予言発動までのその国の情勢が左右されるのである。

 序列は最上位の一位に始まり、自国への豊富な鉱石類や自然、魔物の減少や弱体化、自身には溢れるほどの魔力や幸運等の祝福が与えられる。対して七位に堕ちてしまうと、不幸の極致ともいえる国難が次から次へと降り積もる。

 ただし、序列はあくまで代闘士による活動記録が元になる。例えば「一番強い奴を作って任せよう」と神の力を注がれでもした場合、その代闘士は種族の値を超えた能力を持つとみなされ、名代としての資格を失う。神の一部を取り込めば、それはもはや下界の住人の定義に当てはまらないからだ。代闘士の不在は致命的なハンデであり、代理戦争からの脱落は序列を容易く入れ替える。


「現在、序列一位からバルドラル神、ヴォルトアンテピオス神、マドラム神、モハリス・オハム神、ルーヴィナ神、ヘファネス神、そして──」

「ユフレ神、ですね」

「はい。ユフレ神はここ数百年序列七位におり、今代も最下位のままならばユニアは保たないといわれています。あなたもご存じだと思いますが、不作や魔物の増殖・凶暴化は特に不安視されている。今では彼に祈りを捧げる者もわずかでしょう」


 神に祈れど不安は解消せず、そうであれば祈る意味はない。未来の幸福を夢見るよりも今日を生きることの方が大切だからだ。長い不況に晒され続けた結果、ユニアの国民は祈りを忘れ、信仰の薄れたユフレは力を失い続けている。


「だから彼は異世界の存在に賭けた。代闘士として選出されるのは守護国の民、あるいは。こちらのフヨウさんに魔術の才はありませんでしたが、同じ顔と名前を持つあなたの魂にはそれがあったのです」

「同一、人物……」

「なぜ同じ人間が複数存在するのか。諸説ありますが、この世界ではと、そう考えられています。現にあなたやミコのフヨウさんは魔術師として、そしてあなたの身体にいるフヨウさんの魂にも何かしらの才覚が宿っているのだと思います」

「フヨウさんの才能、私のいたところで重宝されるものだといいんですが……そうしたら、全然知らないところでも少しは生きやすくなりますよね……?」

「おっしゃる通りです。私もそう願っています」


 ユフレは残存する力をかき集め、その大半を使い果たして芙蓉を召喚した。世界の狭間を超えれば肉体は滅び、また器から離れた魂はひどく不安定な存在となる。記憶を保持し、自我を失わず、その精神に一筋の傷すらつけないよう緻密な術を組み上げ、かくして魂の交換は滞りなく行われた。ドッペルゲンガーがもう一人いたことには気づかずに。もしくは気づけないほどに衰弱していたのか、術者以外には知る術もない。


「途方もない神の力を使うからこそ、召喚された者は非常に強力だといわれ、ユフレ神は過去にも異世界の存在を代闘士にしたことがあります。残念ながらその代闘士は召喚後間もなく命を落とし、今は眷属となっていますが」

「眷属?」

「従者、一族、使者等を意味する、神に属する存在です。代闘士として任命される際、魂が神のものとなることはお話しましたね? そのために死後、代闘士は自動的に神の眷属となります」

「それはつまり、途中で死んでも──」


 任期途中であろうと眷属化し、元の世界に帰ることはできなくなる。


「芙蓉さん、あなたが成し遂げなければならないことはただ一つ。予言の究明と阻止を通してユニアの復興に尽力し、裁定の場においてユフレ神の序列を回復すること。願いが聞き届けられるのは序列一位の神が擁する代闘士のみです。あなたが元の世界に戻るための方法は、現状それだけなのです────」



       ◆ ◆ ◆



『一対の翼を千切り 双眸が顕現すれば

 三つの分かたれた魂が 四裔に降り立ち

 五百重に猛る黄金は 六骸を貫いて

 来たる七日目に かみは嗤うだろう』


 今代の予言は、一度聞いただけで脳裏に刻み込まれた。これも代闘士の役割を果たすための一種の暗示のようなものなのだろう。


(どうせなら『フヨウ』さんの記憶が残っていてほしかった)


 教会を覆っていた結界が取り払われていくのを感じながら、芙蓉はぼんやりとそう思った。

 扉の外はすっかり暗くなっていた。エウリヤナが申し訳なさそうに芙蓉の眦に触れると、見るも無残に腫れていた目はあっという間に治まり、広くなった視界に彼女はぱちぱちと瞬きする。


「ごめんなさい、随分拘束してしまいましたね。フリウス卿、芙蓉さんを送って差し上げてください」

「拝命いたしました」


 深く艶やかな声の騎士が一歩進み出て、厚みのある長駆を折って一礼する。アクアマリンの如き瞳と明るいミルクティーベージュの髪を持つ、豪奢な印象を与える美丈夫だった。

 その隣では、先程教会への同行を促した騎士が穏やかに微笑んでいる。


「彼はフリウス・ランカスター卿、ユフレ神殿騎士団の一人です。そして隣が、彼の妹のフレミオ卿。魔術学院までの道中、国内のあなたの護衛は彼らが担います」

「──!」

「出立は、急ですが明朝です。今晩荷物をまとめておいてください」


 芙蓉は何か言いたげに口を開いたが、結局断念して頭を下げた。足早に階段を下りていく背にフリウスが大股で歩み寄る。


「お待ちください、暗いので足元が危険です」

「いえ、大丈夫です、慣れています」

「フヨウ様、お手を……」

「大丈夫ですッ!」


 芙蓉は村の中を全速力で駆けた。あれだけ泣いたのに懲りずにこみ上げてくる嗚咽を振り切るように。追いかけてくる金属の足音は、次第に自分の忙しない呼吸にかき消されていった。

 足を止めないまま、芙蓉は見慣れた家の前に佇む人影へ飛び込んだ。


「……おかえりなさい」

「ごめんなさい、遅くなりました……」


 細い腕に抱き留められ、丁寧に髪を梳かれると、芙蓉の気持ちはいっぺんに落ち着いてしまった。ぐずぐずと鼻を鳴らす上娘に苦笑し、母はそっと家の中へ押しやる。

 ふと、遠目に深々と拝礼する淡いクリーム色を見かけ、ジニアは会釈して目を伏せた。


「……さて! お腹空いたでしょう? もらったチーズでサラダとラザニア作ってみたの。あなたが帰ってきたら食べようって、エリカも待ってるのよ」

「ジニアさん」

「そうだ、角のモルおばあちゃんが明日顔を出してほしいって。あなたが直した屋根のお礼をしてくれるそうよ」

「ジニアさん、私……!」

「──行くの?」


 振り返ったジニアは泣いていた。見てはいけないものを見た気がして、心臓が縛り上げられたように苦しくなる。


「魔術学院どころか神殿にも勤められるなんて、奇跡みたいなことだって神父様がおっしゃるの。村の皆も自慢だって」

「……はい」

「あなたの努力は一番近くで見てきた。だから笑って送り出してあげなきゃって、思ってたつもりだったの」

「は、い……」

「でも……」


 芙蓉の手を取り、ジニアは声を震わせて叫んだ。


「私、あなたと二度も離れたくない……っ!!」


 白くなった指先が芙蓉の手に食い込む。痛いほど握られたそれに、ジニアの切り裂かれた心を思った。

 娘の形をした何かをようやく受け入れられるようになったかと思いきや、今度はいつ帰れるかもわからないところへ連れていかれてしまうのだ。彼女にとっては文字通り、二度娘を失うことになる。


(本当なら泣かせずに済んだ、『フヨウ』さんだったなら。彼女の性格も癖も知らない頓珍漢な私がここにいるから、だからこの人はこんなに苦しんでる)


 どんな思いで飲み込んだのだろう。赤の他人のように振舞う娘は、得体が知れなくて恐ろしかっただろうに。エリカも違和感を感じていたはずなのに、面と向かって指摘されたことはない。彼女達の優しさのおかげで自分は見知らぬ世界でも過ごせていたのだと、芙蓉は今更ながらに強く自覚した。

 だから、これからは自分が頑張る番だ。芙蓉は力を入れて口角を持ち上げ、ジニアの手を握り返した。


「ごめんなさい、たくさん面倒を見てもらったのに恩返しもできなくて、本当にごめんなさい。でも私、学院に行ってたくさん勉強して、ちゃんと卒業して魔術師になります。それで、そうしたら」


 ひくつく喉に蓋をして、はらはらと涙を零すジニアの目を覗き込む。


「……きっと、全部元通りになります」


 そうすれば二度と悲しませることもないだろう。白昼夢のようなものだったと、思い出話の一つになるかもしれない。それでいいはずなのに、どうしてか芙蓉は、未来のここにいる『フヨウ』がひどく羨ましかった。

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