第14話 紅の冠②

「っあいつらだ! コカトリスが来たッ!」


 その言葉に一番早く反応したのはルシュだった。短剣を引き抜き、獣人三兄弟から目を逸らさず芙蓉に言付ける。


「俺が行きます。村の人達を誘導してくるので、フヨウさんもここにいてください」

「わ、わかりました、気をつけて!」


 頷いたルシュが外へ飛び出す。せめてもの気持ちで見送る背後から、呆れたように鼻が鳴らされた。


「ハッ、アイツ一人じゃ突かれてハチの巣がオチだろ」

「ルシュくんは強いですよ。ゴブリンだってあっという間に倒してくれたんですから」

「ゴブリンだァ? おいおい、あんなのガキでも仕留められるじゃねェか」

「私は倒せません! 情けないことに!」

「胸張って言うことかよ……」


 まだコカトリスの姿は見えないが、村人達は怯えた様子で逃げてくる。張った結界なんてとっくに破られているから時間の問題だろう。芙蓉はドーマクとカサレスに介抱を頼み、村内に向かって声を張り上げた。


「こっちです! 屋内に避難してください!」


 わらわらと走ってくる村人のうち、一人が必死に腕を押さえている。はっとした芙蓉は段差を駆け下り、半ば強引に宿屋へ押し込んだ。


「大丈夫ですか? 怪我ですか?」

「うう、あい、あいつら、ほねまでっ」

「……大丈夫、治りますよ。なるべく傷口を見ないようにしてくださいね。大丈夫、大丈夫……」


 強張った真っ赤な手をどかすと、ついばまれた肉の間から白いものが覗いていた。ぐうっと胃が収縮する。芙蓉は慎重に鼻から息を吐き、目を瞑って手をかざした。

 そんな彼女を尻目に、ロッドウォルフは悠々と壁に背を預けた。


「今日は一段と数が多い」

「すげえ殺気立ってたぞ」

「ルシュさん大丈夫かな」


 囁き合う村人達の声。身を寄せ合う人々の周囲に恐怖と不安と焦燥が溢れていく。空間いっぱいの気配が、切れかけの魔力と相まって芙蓉の指先を痙攣させる。


「だ、大丈夫か? すごい汗だぞ」

「ご、めんなさい、お水、もらえますか……」


 床に大粒の水滴が落ちたのを、芙蓉は焦点の合わない視界でやっと認識した。頭の中がかき回されたようにくらくらする。骨が隠れる程度には治療できたが、魔力が底を尽きそうだ。息も絶え絶えといった彼女に急いでコップが差し出される。

 芙蓉はもつれる口をぶつけるようにして水を仰ぎ、腰回りのポーチから小瓶とハンカチを取り出した。瓶の中身をたっぷり含ませると、水分の滴るハンカチを患部にぺちゃっと貼りつける。


「ぐおおおおお痛でえええええ」

「すみません我慢してください……っ! そのうち塞がっていくと思うので!」


 エウリヤナのお助け豆知識その二、薬草チンキによる湿布薬である。アルコールに浸した薬草液を薄めて使用するもので、軟膏より即効性が高い。ただしすぐに乾いてしまうため、交換の手間がかかるのが難点だが。

 窓やドアを施錠していたドーマクが室内に呼びかける。


「全員いるか? 外に残っとるのは──」

「ア゛──」


 歪な鳴き声に村人達の肩が一斉に跳ねた。一人残らず押し黙り、そろそろと同じ方向へ目を向ける。


「ア゛ッ、ア゛ッ、ア゛ッ」

「ゲッ、ケケッ」


 カリ、カリ、カリ。入り口の扉が小さく引っかかれる音に、そこにいる『何か』の存在を否応なしに自覚させられる。芙蓉の首筋に冷たい汗が伝った。


(ルシュくんは?)


 ルシュはこの魔物を食い止めに行ったはずだ。それがここにいるということは、彼の身に何かあったということだろうか。

 ふらりと立ち上がった芙蓉がロッドウォルフの前を横切る。彼女が入り口付近に近づいた刹那、槍のような嘴が扉を貫通した。


「ア゛ァアッ、ア゛ッ」

「ギィ──ッ」

「あ、あ、穴がっ」

「このままじゃ入ってきちまう!」


 背後の悲鳴がどこか遠くに聞こえた。こじ開けられた穴の向こうから感情のない眼が見下ろしている。芙蓉はひたりと視線を合わせ、ゆっくりと右手を持ち上げた。


「おい──」


 ロッドウォルフの呼びかけは再び嘴が穿った轟音と、そして──コカトリスの呻きにかき消された。

 芙蓉の右手の先で、突き出した嘴がじたばたと暴れている。それ以上進めないのは、根元を圧迫して固められているせいだった。ロッドウォルフは目を疑った。扉の穴が

 別の場所にもう一本の槍が突き立てられる。芙蓉が目尻を吊り上げると、それは同様に刺さったまま動かなくなった。扉の脇に置かれていた低木が彼女の魔力操作に呼応し、成長してコカトリスの攻撃を止めていた。

 なんて悪趣味な玄関飾りだ。ニヤリと口角を上げたロッドウォルフを芙蓉が振り返る。


「ルシュくんが危ないかもしれない。一緒に行ってくれませんか」


 すぐ近くに限界が見えていた。喘ぐように酸素を取り込む芙蓉をのっそりと影が覆う。


「そんな回りくどいことが必要か? オレ達と契約するなら、今ここでコカトリスどもを狩ってやってもいい」

「…………」

「タダ働きはごめんだぜ。オマエに何が払える?」


 三匹の獣が涎を垂らしている。コカトリスよりもいっそう恐ろしく、気を抜けば丸飲みされそうなほどの重圧。けれど、彼らが魔物と明確に異なるのは言葉が通じるからだ。そして強引ではあれど、最後の決断は相手に委ね、契約の体を為そうとしている。

 芙蓉はゴクリと唾を飲み下し、三兄弟を真っ直ぐに見つめた。


「護衛の件はすみません。でも今回の対価として一つ、後日必ずお礼をします」

「後日だァ? 寝言は寝て言えよ、魔術師。バックレようったってそうはいかねェぞ」

「いいえ、必ず。お約束します」


 未来が視えているのかと思うほど確信めいた提案に、ロッドウォルフは大袈裟な高笑いをした。


「言っとくが、オマエのニオイは覚えたからな。神殿の人間だろうと関係ねェ。逃げたりしたら地の果てまで追いかけてやる」

「はい。ありがとうございます」

「……フン」


 安堵した表情で掌を差し出す芙蓉にロッドウォルフは背を向ける。その手はウェスティンに取られ、芙蓉は彼の肩に担ぎ上げられた。何が起こったのかと言わんばかりの百面相が面白くて、ルーインは尻尾をバタバタ振った。

 分厚い宿屋の扉はロッドウォルフのひと蹴りで破壊された。下敷きになったコカトリスの頭部目がけ、槌のような足が振り下ろされる。

 あっという間に二匹片づけられたことを察知し、村内を我が物顔で闊歩していた同族達が敵意を示した。迎え撃つように狼達は舌なめずりする。

 蹂躙の始まりだった。



       ◆ ◆ ◆



「ア゛──ッ! ア゛──ッ!」


 真っ黒な吐瀉物が降り注ぐ。ルシュは目まぐるしく体躯を捻り、距離を取って着地した。振り向きざまに幼体の首を薙ぐと、眼前の巨体が地団駄を踏んだ。

 息つく間もなく別の幼体が襲いかかってくる。成長途中で肉も骨も脆いが、如何せん数が多い。既にルシュの周りは足の踏み場もないほど死骸が転がっていた。

 このうち何匹か逃してしまった自分が腹立たしい。追いかけようにも、幼体達の親──コカトリスの成体が邪魔をする。垂れ下がるほどの鶏冠に竜の両翼と胴、丸々太った大蛇の尾。子供達を引き連れて現れたこの魔物は、両目を損傷していて石化能力は使えないものの、瞬時に草木を枯らすほどの猛毒を撒き散らしてくる。

 芙蓉や村人達は無事だろうか。どうか見つからず、屋内で身を守れていますように。そう願いながら、また一つ頭を落とした。


「アオ゛ッ、エ゛ッ」


 コカトリスの成体が喉を詰まらせたように咳き込んだ。腹部がボコボコと蠢き、大きな塊が食道を這い上がっていく。毒だ。今までにないほど大量の毒を吐こうとしている。ルシュは幼体の残骸を短剣から振り払い、強く地を蹴った。

 これ以上環境に影響を及ぼせば地続きの村にも支障が出る。芙蓉が懸命に土を回復させて、新しい芽がたくさん生えたというのに。四方から飛びかかってくる幼体を薙ぎ払い、標的に肉迫しようとした──その時だった。


「オラァッ!!」


 銀と青の影が成体の足元をかすめた。何かが砕ける音がして、巨躯がぐらりと傾く。次いで別の影が竜の片翼を引き千切った。


「ギィィイイイイイ」


 不協和音が木霊する。地響きと共に沈んだコカトリスを、更なる暴虐が容赦なく追い詰めていく。「え?」と瞬きを繰り返すルシュの後方から、最後の幼体を片手で握り潰す三つ目の影が現れた。その肩にはなぜか自身の雇い主が乗っている。


「ルシュくん!」

「フヨウさん!?」


 ウェスティンは芙蓉を下ろすと、「オレの分がないぞ、兄さん」とぼやいて駆け出した。彼の言う通り、コカトリスはもはや虫の息だ。「オッマエ羽に穴開けやがったな!?」「ゴメーン手元狂ったー」「これじゃ買い叩かれんじゃねェかよ。もう片方は傷つけんなよ」「あいよー」軽快にやり取りを続けながら、生きたまま魔物が解体されていく。

 ルシュはまだ状況が飲み込めないまま、瞳をまん丸にして芙蓉を見た。


「フヨウさん、どうしてここに……」

「すみません、ルシュくんが心配で……ロッドさん達に無理言ってついてきてもらったんです。あ、村の方のコカトリスは駆除してもらったので大丈夫ですよ!」

「そう、ですか。怪我はないですか?」

「私は大丈夫です。ルシュくんは……ああ、擦り傷が……すみません、魔力も薬もすっからかんなので戻ったら治しますね」

「俺は寝れば治りますよ」


 そこでようやく落ち着いたのか、ルシュは長い息を吐き出した。フードから爪先まで魔物の血液や肉片まみれだ。いっぱい頑張ってくれたんだな、と頬が緩む。

 死体が散乱する中でのほほんと会話する二人に、ロッドウォルフが鋭く舌を打つ。


「おい、手伝えよ」

「アッすみません! これ運んだらいいですか?」

「オマエじゃねェよフラフラしやがって非力がァ! そこの半端野郎だよ!」

「何ですって? 今何て言いました? 名前はルシュくんだとお伝えしたはずですが!」

「あーうっせーうっせー!」


 芙蓉とロッドウォルフの言い合いは止むことなく、それは村人達がやって来るまで長く続いた。



       ◆ ◆ ◆



 コカトリス達の簡易な解体作業や村の修理、怪我人の治療を終え、悪夢のような長い夜は明けた。皆一様に隈を作ってはいるが、あの途方もない疲労感に塗れた面影はない。誰もが晴れ晴れと芙蓉達に礼を述べた。


「何から何までありがとうございました、皆さん。これでもうビクビクしなくて済みまさ」

「ああ、本当にな」

「助かったよ」

「ありがとうございましたー!」

「こちらこそ、どうもお世話になりました。ご飯すごくおいしかったです」


 何度も頭を下げ合う芙蓉達を余所に、獣人三兄弟はさっさと歩き出す。その手が何も持っていないことに気づいたドーマクが慌てて呼び止めた。


「お、お三方っ! これお忘れじゃねえですか?」


 指差されたのは、村の一角に積まれた大量のコカトリスだ。そこには切り分けられた鶏冠、翼、嘴、羽毛、尾等が山を成している。

 ロッドウォルフ達はそれらに見向きもせず、まるで無関心とばかりに嘆息した。


「そんなモンいらねェよ。なんだ? オレ達にゴミ捨てまでしろってか?」

「魔石は結構もらったからさー。あとは好きにしちゃって」

「ギルドに売ればそれなりになると思う」

「オマエら余計なこと言うんじゃねェ。……フン、こんなクソ鳥よりもっと金のなる木がいるからな」


 シルバーグレーの瞳が光り、きょとんとしている芙蓉を射抜いた。


「えっ、私?」

「オマエ以外に誰がいるんだ、神殿関係者サンよォ? おまけに魔術師なら入れ食い状態じゃねェか。オマエ一人放置すりゃ、あっちこっちから魔物どもがわんさか集まってくるぜ。コイツがいい例だ」


 言って、ロッドウォルフはコカトリスの成体を顎でしゃくる。だが芙蓉には心当たりがなかった。


「魔術師なら……? どういう意味ですか?」

「……マジで言ってるわけじゃねェよな?」

「いえ、マジで言ってます」


 芙蓉の顔は大真面目だ。ロッドウォルフは大袈裟にため息を吐くと、がしがし頭を掻いた。


「魔術師は身体ン中に魔力を蓄えてんだろ」

「はい」

「魔物は魔石を持つ。魔石は魔力が固まってできる。つまり魔力の塊みてェなオマエを取り込めば魔物化するし、魔物ならさらに強くなる。チマチマ魔力溜まりを探すより、ぼけっと歩いてるオマエを喰った方が早いってことだ」

「なるほどォ! だから『入れ食い』なんですね!」

「ンなことも知らねェでウロウロしてるなんざ、箱入りもいいとこだろ……」


 呆れた半目にギクリとした。今まで何を尋ねてもルシュが丁寧に答えてくれていたため、質問そのものが不自然だった可能性を考えたことがなかったのだ。


「──ま、オマエが箱入りなら箱入りでこっちは助かるがなァ。ニンゲン様のお礼とやら、楽しみにしてるぜ?」


 脅すように鼻先を突きつけ、ロッドウォルフ達は去っていった。ルーインとウェスティンに手を振り返していると、ルシュが「手伝ってもらえると思わなかった」とポツリ呟く。


「いや本当に! 言ってみるもんですねえ」

「フヨウさんがすごいんですよ。最初から獣人と目を合わせられる人は少ないのに」

「……一旦話自体は聞いてくれそうだなって、ちょこちょこ思ってはいたんです。途中からルーインさんとウェスティンさんも参加してくれてかなり話しやすくなったので、思いきって。というか正直あの時はいっぱいいっぱいだったというか……」


 ルシュが危険かもしれないと感じてしまった芙蓉に選択肢はなかった。そしてそれは間違っていなかった。三兄弟の力は圧倒的で、目撃情報のなかったコカトリスの成体も生きながら捌いたほどだ。芙蓉だけで向かっていたら最悪の展開になっていたかもしれない。

 それに、彼らの目的や要求は冒険者ギルドに所属する者ならば至極当然のことなのだ。主にロッドウォルフの態度で誤解されがちではあるけれど。


「話してみたら何てことなかったとしても、私も最初はやっぱり戸惑うことはあったから、もしかしたらあの人達も人間の中で苦労してるんじゃないのかなって少し思いました。あ、もちろん、だからってルシュくんに突っかかっていいわけじゃないですけど……」

「はい。それはもう……けっこう平気になりました。俺もたぶん、身構え過ぎてたところはあったと思います。どうせまた絡まれるんだろうなって、そういう態度が出ていたのかもしれないです」


 何をせずとも、目線を合わせるだけ、近づくだけで怯えられるのは半獣人だけではない。思えば、獣人の方があからさまな態度を示されてきたことだろう。彼らの手足や体長等の身体的特徴を隠す術はほとんどないため、半獣人よりも目立ちやすく、その牙や爪は暴力の象徴だと勘違いされやすい。

 今のルシュにはほんの少しだけ、ロッドウォルフ達に対する気持ちのゆとりができていた。俯瞰的視点を得られたのは、彼らとの間に芙蓉が現れてくれたおかげだ。


「ありがとうございます、フヨウさん。俺のことを、毎回あの人達に言い返してくれて」

「いやいやいやそんなそんな、私が勝手にやってることなのでそんな、へへへへ」


 へっちゃらな風を装っていたのに、芙蓉の口角は堪えきれずに緩みまくった。耳から首まで真っ赤にする様を見たルシュはフードの内側でひっそり微笑む。獣人だろうと半獣人だろうと人間だろうと、彼女の前では等しく皆一つの存在なのだ。人種の違いや優劣にこだわることこそが滑稽であるかのように。

 不思議な人だな、と目を細める。世間のことを何も知らないようでいて、本質的なことを知っている。かけてくれる言葉は温かく、いつもルシュを気遣っている。


「お二方、ちゃんとお礼もできなくて申し訳ないです。せめて次の宿屋まで送りまさ」

「えっ、いいんですか!? ありがとうございます助かります! ルシュくん! 送ってくださるそうです!」


 ──彼女に会えてよかった。振り返って満面の笑みを浮かべる芙蓉につられ、ルシュはしばらくぶりに声を出して笑った。

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