第13話 紅の冠①
「ダンピール?」
「はい。一瞬牙が見えたのと、あの目の色、それと夜なのに俺達を襲わなかったところ……おそらく間違いないと思います」
「だからルシュくん、あの人と私の間に入ってくれたんですね」
「最初は吸血鬼かと思ったので」
一夜明け、二人は昨夜見た灯りのある酒場兼宿屋『黒色のガラス瓶』に到着していた。その名の通り、ボトルが描かれた看板が印象的な、旅人や冒険者の拠り所である。
ルシュが神妙な顔つきで果実水を一口含み、続ける。
「ダンピールは吸血鬼と人間の混血で、外見は吸血鬼と似ていますが、ほとんど血を吸わなくても生きていけるといわれています」
夜行性、深紅の瞳、長命種、類稀なる美貌、圧倒的な戦闘力。吸血鬼と多くの共通項を有しながらも、混ざり合った血によって、最大の特徴である吸血衝動に呑まれないのがダンピールである。また、彼らは相手からの吸血にも耐性を持つため、悪鬼に対する唯一のハンターとして世界中の吸血鬼を駆逐して回っている。
その一人が、芙蓉にハンカチをくれたマントの人物だという。
「あの人すごかったですよね。片手で獣人ぶん投げてましたもん」
「はい。獣人の力でも振りほどけないとなると、相当強い人だと思います」
「とりあえず吸血鬼じゃなくてよかった~」
この世界には吸血鬼までいるらしい。こうなればもう、恐竜やエイリアンが来ても驚かない自信がある。
脱力する二人の元へ、ジュウジュウ音を立てるプレートが運ばれてくる。
「へい、お二人さん。お待ちどう」
「ありがとうございます!」
長髪の店主が置いたのは、オーブンで焼き上げられた巨大な白身魚丸々一尾に仔牛と季節野菜の煮込み、そしてキャラメル色のバターケーキだ。出来立ての温かい湯気と芳醇な香りが食欲を直撃する。
すいすい切り分けられていく魚は店主に任せ、ルシュは煮込みを、芙蓉はバターケーキを各々の皿に盛る。食器同士が擦れ合う硬質な音が響く中、店主が「ちょっと相談なんだが」と持ちかけた。
「今日泊まるところは決まってるか?」
「まだなんです。時間もあるので、馬車が来たら次の宿屋に行こうかと」
「そうか……」
ルシュは首を傾げた。店主の考え込むような視線が彼の腰元のバングル──ギルド所属の証に注がれていたからだ。
「いやな、最近近くの村でコカトリスの幼体が暴れてるらしくてさ。一度に何匹も来やがるし、あまりに頻繁で家やら畑やらがしっちゃかめっちゃかなんだと」
「コカトリス?」
「鶏が魔物化したものです。身体は鶏なんですけど、そこにドラゴンの翼と蛇の尻尾が生えてます」
「つ、つよそう……」
「コカトリス本体はそうですね。毒や石化能力があるので。ただ、幼体というとそこまで危険なわけでは──」
「ない? いけるか? 楽勝っ?」
ふっくらと身の詰まった魚の皿ごと顔を近づけられ、ルシュが小さくのけぞる。店主は返事を待たず、裏口近くに立っていた男に両腕で丸印を作った。
「いやー、ギルドに依頼する手間が省けて助かったなあ! 報酬は討伐するまでの宿代とメシ代チャラってことで、よろしくな!」
バシッと背をはたかれたルシュは目を白黒させた。確かに自分はギルド員だが、今は契約の真っ最中だ。護衛ついでの魔物退治ならまだしも、別件を改めて引き受けるには雇い主の意向や許可が必要だろう。そう思って芙蓉を窺うと、彼女は注文した以上の料理に囲まれ、ニコニコした店主の嫁からスプーンを口に突っ込まれていた。
あ、これ断れないやつ。
◆ ◆ ◆
店にいた男は、コカトリスが現れるという村の住人だった。不作と魔物の襲撃を嘆き、街道沿いを通る駅馬車にギルドへの言付けを頼みに来たところだったそうだ。
「だんだん数が増えてきとったんで、本当に助かりまさ。作物は育たねえわ魔物は来るわで、村中頭抱えてたもんで。さ、着きました」
街道から続く小道を過ぎ、男の馬車が村の前で停車した。音に反応した村人達がわっと集まってくる。
「ドーマクさん、おかえり!」
「今日はまだあいつら来てないよ」
「この人達がギルドの人?」
「ああ、ああ、紹介するから待ってくれな。こっちっからフヨウ殿とルシュ殿。コカトリスを駆除してくれるってんで、わざわざ寄り道してくれたんだ。お邪魔しねぇように」
馬車から降りた芙蓉とルシュは揃って一礼した。村人達は土気色の顔で「ようこそ」「来てくれてありがとう」と口々に二人を労う。
「宿まで案内するわね」
「ありがとうございます」
ドーマクの妻であるカサレスが先導する。芙蓉はその後に続きながら、村内をぐるりと見渡した。
ハイマの村に似た石造りの建物がぽつぽつ点在する中央に、大きな畑と果樹があった。ただし、面積の割に使用部分はほんの一角だ。それ以外の土は不自然に掘り返され、千切れた葉や根が散らばっている。周囲の柵も縄が解けていたり傾いていたりと、急拵えなのが見て取れた。
芙蓉は断って畑を覗き込んだ。萎れた茎、穴の開いた果実、色のない葉。いつかの記憶が脳裏に過ぎる。
(形を保つのが精一杯、って感じの作物だ……)
しゃがみ込んでまじまじと観察する芙蓉に、カサレスが恥ずかしそうに苦笑する。
「あはは、ちゃんと育たなくて嫌になっちゃうわ……」
「お気持ちわかります、私のところもそうでした。……あの、もしよければなんですが」
芙蓉は立ち上がり、革袋から一粒の種を取り出した。カシューナッツ型のそれをカサレスが視界に収めたのを確認し、眉間にぎゅっと皺を寄せて魔力を込める。土も水もないのにみるみる成長していく植物に、カサレスはいつの間にか顎が外れそうなほど口を開けていた。
やがて、芙蓉の手に大輪の橙の花が生まれた。
「あらー立派なカレンデュラ! あなた魔術師なの?」
「魔術、には足りない魔力操作です。これと同じことを家の畑でもやりました」
この村の畑へ適用した場合のおおよその効果を説明すると、藁にも縋るといった体でカサレスや村人達は芙蓉に群がった。彼らの髪や肌には艶がない。日々の食い扶持にも苦労しているだろうことがわかり、胸が締めつけられた。
(あの大神官も褒めてくれたんだから。こういう時に使わないでどうする!)
だらりと垂れた汗を拭い、芙蓉は袖を捲って気合を入れた。
◆ ◆ ◆
畑に魔力を流し、新しく植えた種は鮮やかな緑の芽を見せた。しかし、残念ながら元々あった作物を元気にすることはできなかった。一度生命活動が止まってしまうと蘇生は非常に難しい。己の力量が足りないのはもちろんだが、神ですら死からは逃れられないのだから、たとえ魔術が発達したとしても万能ではないのかもしれない。
その後も可能な限り続けたが、村の周囲に簡易的な結界を施したせいもあり、芙蓉の魔力は一旦枯渇してしまった。それでも以前に比べれば一歩も動けないということもない。確かな手応えを感じながら、ルシュと宿屋で夕食を取った。
提供されたのは素朴な食事だった。歯応えのある麦の丸パンにジャガイモとタマネギの炒め物、豆のクリームスープ。けれど、しっかり染み込んだ味やとろけるような舌触りが、手間暇と心が尽くされていることを教えてくれた。
空腹と魔力が満たされた芙蓉は次に、村人達への治療を開始した。
「どうでしょう。痛みはありますか?」
「いや……痛く、ない……痛くない! わははっ、すげえや!」
ぐるぐる腕を回す男は、つい先程までコカトリスに抉られた傷に呻いていた。彼を始めとする村の男達は、魔物の襲撃に何度も立ち向かってきたという。しかし相手は増える一方で、粗末な食事や不定期な来襲のストレスで力が出ないこともあり、不安でいっぱいだったと芙蓉は打ち明けられた。
列の最後の一人には、裂けた脛にありったけの魔力を流した。
「よいしょ、と。あとはお風呂に入ったらこれを塗ってもらえれば! また明日具合を確認させていただきますね」
「ああ……ありがとうございます……」
渡したのは薬草の浸出油とミツロウで作った軟膏だ。即効性はないものの、魔力切れや魔力を温存したい時に代用できるほどの効果がある。短い道中、エウリヤナが詰め込んでくれた知識の一つだった。
何度も礼を述べる村人を見送り、芙蓉は首元の服で煽ぐ。本日二度目の魔力切れだ。さすがに疲労が隠せなくなってきたところへ、マグを携えたルシュがやってくる。
「どうぞ。カサレスさんからです」
「ありがとうございます!」
奥の調理場でカサレスが手を振っている。芙蓉は会釈を返し、ルビー色のお茶に口をつけた。すっきりとした酸味にじわりと疲労が解けていく。
「お疲れ様です。ルシュくんの方、どうでした?」
「直せるものは直してきました。あとは木を切って、資材の調達を少し」
「ああ、ちょくちょく歓声が聞こえてたの、それだったんですね。すごい喜んでくれてましたねえ」
「そう、ですね……はい」
コカトリスにより、村ではあちらこちらに被害が出ている。身軽で力持ちなルシュは屋根や外壁を修理し、一度に村人三人分もの荷を運んだ。信じられない光景に、慢性的な疲労で作業が上手く進まなかった村人達は諸手を挙げて彼に感謝した。
あまりに手放しで喜ばれ、久しぶりの感情に戸惑ってしまったことも目の前の彼女はわかっているのだろう。優しい表情に気恥ずかしくなって、ルシュはフードを深く被り直した。
「……コカトリスの幼体のことなんですが、少し周りを見てきました」
「ありがとうございます。どこから来てるかとか、わかったり……?」
「大体の方角くらいは。羽根が落ちていれば辿れたかもしれないですが、この辺りのは全部回収されていたので難しいかなと」
「あちゃー……ちなみに回収した羽根って何かに使えるんですか?」
「ペン、アクセサリー、あとは枕の中に入れたりします。魔物の羽根は丈夫なので、武具にもつけられますね」
「あ、そっかそっか、少しでも足しにしないといけないですもんね」
せめて金銭に替えられれば、束の間であっても生活を続けられる。こんな状況なのだ、使えるものは何でも使うべきだろう。
それに、ルシュが村から離れられないのは芙蓉がいるからだ。あくまで雇い主の安全を第一としているため、深追いしては護衛の意味がなくなってしまう。芙蓉も芙蓉で、単独でコカトリスを撃退できる気なんて到底しなかった。
(私がもっと強かったら、少しくらい離れても平気だったら、ルシュくんならパパッと解決できちゃうことなんだろうな……)
火の獣達に襲われた時も、言われるがままに走ることしかできなかった。その上危うく『フヨウ』の身体を損なうところだった。今できることは毎日の積み重ねで、焦っても仕方ないとわかってはいても、魔術師として完成できるのは一体いつになるのだろうか。
ゆらゆら揺れるマグの中身を見つめていると、何やら屋外の騒がしい声が聞こえてきた。ルシュが立ち上がったと同時に勢いよく扉が開け放たれる。
「────あァ?」
「うっ」
思わず漏れた心の内に驚き、慌てて口を塞ぐ。マグを置いたルシュが素早く芙蓉の前に立った。
銀と青の見事な毛並みを揺らし、例の狼獣人達が牙を剥く。
「……ここにいたのか。オマエら、よくもやってくれたなァ……?」
牙を剥き出した壮絶な笑顔に背筋がざわめく。先頭の兄が瞬く間に距離を詰め、ぬっと二人を見下ろした。
「アイツはなんだ。オマエらの連れか?」
「あ、アイツ?」
「オレをぶん投げやがったマント野郎だよ!」
「いえ……わからないです。こっちも初めて会ったので……」
「ほーォ? 初めて会ったヤツがテメェの味方するってか、半端野郎?
またしてもルシュを見下す発言に、芙蓉の脳内でゴングが鳴った。
「……半端野郎じゃありません、ルシュくんです。訂正してください」
「フヨウさん、俺は大丈夫です」
「おっと、ニンゲン様はお怒りか? 悪かったなァ。教養がないもんで、すぐアンタらの機嫌を損ねちまう。ハハッ、躾でもするか?」
芙蓉の顔色が変わった。それを見た狼獣人の眦が訝しげに吊り上がる。
「躾なんて……そんなこと、お互いに必要ないでしょう。あなた方もルシュくんも私も、対等な一個人同士です」
悲しそうに震える声色に、ルシュや狼獣人達が瞠目する。イヴァの食堂でまざまざと見せつけられたものが蘇り、芙蓉は口端に力を入れて引き結んだ。
「私はただ、何もしてないルシュくんに突っかかったりするのをやめてほしいだけです。そんなことされて嬉しい人は誰もいない。どうしてもと言うなら……」
「な、んだよ」
「……わ、私が相手になります……?」
「なんで疑問形?」
「いや、戦えって言われたら困るなって」
「じゃあニンゲン様は何ができるんだ?」
「魔力操作ならちょっとは……あ、私の名前、芙蓉です」
「オレはルーイン!」
「オレ、ウェスティン」
「ルーインさんとウェスティンさんですね。よろしくお願いします。それと……」
水を向けられた兄が苦虫を嚙み潰したように唸る。その両脇から弟達が顔を出し、「兄ちゃんはロッドウォルフだよ」「長いからロッドでいい」と口々に告げた。
「ッオマエら勝手に──」
「ドーマクさん大変だッ!」
宿屋の入り口がけたたましく破られる。飛び込んできた村人が、真っ青な顔で背後を指差した。
「っあいつらだ! コカトリスが来たッ!」
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