第12話 だから大丈夫

 意気揚々と出立した芙蓉だが、早速新しい護衛との価値観のずれに直面することとなった。

 先刻、二人は腹ごしらえと今後の道程の確認のため、街で評判の食堂へ足を踏み入れた。鴨のコンフィやインゲン豆と煮込んだ肉料理が有名な店だという。芙蓉はわくわくしながらメニューを互いの間に広げ──そこにルシュの姿がないことに気がついた。

 どこに行ったのかと周囲の席を見回すと、背後からルシュが「決まりましたか? 呼びますね」と店員に合図したのである。そのまま後ろ手を組んで立ち、待てど暮らせどいっこうに芙蓉と同じテーブルにつこうとしない。わけがわからず、なぜ座らないのか問うた芙蓉に、彼は事もなげに言った。


「? 俺は身分が低いので、雇い主と同じ席にはつけません」


 あんぐりと口を開けた芙蓉にルシュは首を傾げる。やってきた店員に謝って一旦お引き取り願い、芙蓉は慌てて少年を向かいに座らせた。そうして、半ば無理矢理メニューを見せたのである。

 そこからもまたひと悶着があった。ルシュは自分が好き嫌いを述べる立場にないと告げ、合図が出るまで食べないものだと言い、終いには「やっぱり邪魔になったら言ってください。外で待ちます」と腰を浮かせた。しきりに芙蓉の反応を窺い、身体に刻まれた習慣と異なる現実に戸惑っているようだった。


(こんなの、まるで……)


 躾けられたペットみたいだ。あるいは、人間への接し方を組み込まれた機械にも似ている。

 イヴァのギルドマスターによれば、ルシュの傭兵としての経験はここ一年ほどで、それも最後の護衛任務から半年以上が経過している。その後から魔物退治の依頼ばかりこなすようになったそうなので、何かがあっただろうことは想像に難くない。

 芙蓉は、手元の鴨肉を凝視しながら口に運ぶルシュをちらりと見た。


(向かい合っても喋っていても、あんまり目線が合わないな……緊張、ともちょっと違う気がする……みたいな……)


 キトンブルーの瞳をきちんと確認できたのは片手で数えるほどだ。透き通った虹彩を芙蓉はとても美しいと思うのに、ルシュの目はいつも申し訳なさそうに伏せられている。


(仮にこの世界の雇用関係に身分の差があったとしても、一個人の振る舞いや考え方にまで口を出す権利はないはず。ましてこんな、仕事の縁が切れた後にも響くほど制限するなんて以ての外だ)


 本来は自由であるはずの行動や思想がいつか、ルシュ自身の当たり前になるといい。芙蓉はやけくそ気味につけ合わせのジャガイモを頬張り、歯痒い気持ちと一緒に飲み下した。



       ◆ ◆ ◆



 大神官達とは都市ネレイを目標にしていた芙蓉だが、彼らと別れたため、より早く直線的にレイドラを目指すことにした。魔獣車は大抵の都市であれば設置されているので、必ずしもネレイを経由する必要がなくなったのである。


「十七歳!?」


 イヴァの駅馬車乗り場にて。ルシュに車上へと引き上げられながら、芙蓉は素っ頓狂な声を出した。


「ルシュくん、十七歳でお家出て一人で働いて生計まで立ててるんですか……? す、すごい、偉い……!」

「いや、そんな……」

「だって、自分一人しかいないなら何でも自主的に挑戦しなきゃお仕事にありつけないじゃないですか。それを乗り越えて今があるってことは、それだけ実力があるってことですよ。いやー、本当にすごいなあ。私が十七歳の頃なんて、ぼけーっとしながら朝ご飯食べて今日の昼ご飯なんだろうって考えて、またぼけーっとしながら昼ご飯食べて今日の晩ご飯なんだろうって感じでしたからね」

「ふっ」


 後ろから小さく吹き出す音が聞こえた。芙蓉とルシュの前に既に乗車していた、頭から全身にマントを被った人物だ。顔は見えないがツボに入ったらしく、芙蓉は顔を赤くして頭を掻いた。

 定刻になり、御者が鞭を鳴らした。馬の蹄と錆びついた車輪がゆっくりと滑り出していく。

 駅馬車は現代の電車のようなものだ。都市や街の内部あるいは門近くに常駐し、発車時刻と定められた区間に従って往復する。多くが街道脇の宿屋を中継しており、これを乗り継いでいけばまず迷うことはないだろうと芙蓉は教わっている。

 お約束ともいうべき揺れはままあるが、のどかな景色とそよ風が心地いい。黙して堪能していると、前触れなく馬車が斜めに傾いた。次いで腹底に響くような振動に身体が浮き、着地と同時に眼前に巨大なブーツが現れた。


「──よォ」


 おそるおそる顔を上げると、真っ黒な狼がズラリと並んだ歯を剥き出していた。ギルドでルシュに絡んでいた獣人だ。逆光のせいとわかっていても、芙蓉の心臓がぎゅっと縮こまる。


「おい! 馬がびっくりするからやめてくれ」

「そりゃァ悪かった。まあこんなのより走った方が早ェんだが……オマエはそうじゃねェみてェだからな、半端野郎」


 御者の怒鳴り声をのらくらと躱し、三匹の狼獣人達はどっかりと車内に陣取った。ルシュが険しい目つきで芙蓉の前に位置取る。その様子を歯牙にもかけず、リーダー格と思しき狼獣人は芙蓉に鼻先を向けた。


「オマエ、神殿関係者だってな?」

「……それが、なにか」

「さぞかし金払いがいいんだろうよ。なのに大金をゴブリンにやっちまうようなマネ、もったいねェと思ってな」


 狼獣人はルシュを一瞥し、鼻で笑った。


半獣人コイツより獣人オレ達の方が強い。護衛なら引き受けてやるから、半端野郎との契約は破棄しろ」


 芙蓉はむっとして目を剥いた。ルシュとは反対に、彼らはどこまでも上から目線だ。


「いえ、ご心配には及びません。契約は継続します」

「おいおい、オレはオマエを心配して言ってるんだぜ。ニンゲン様はご存じないかもしれねェが、獣人のでき損ないが半獣人なんだよ。コイツは全てにおいてオレ達に劣ってる」

「ですから、ご心配には及びませんと申し上げました。あなた方が強いのは素晴らしいことだと思いますが、私が彼に依頼したのは『強いから』だけではないので、契約破棄の理由にはなりません」


 狼獣人の瞳が獰猛に収縮した。視界の端でルシュが短剣に手をかけたことに気づき、芙蓉は身体の内側に猛烈な汗をかきながらも、努めて冷静にその目を見つめる。逸らした瞬間に飛びかかられそうな気配が確かにあり、しかし怯えを面に出してしまえば負けだと思った。

 膠着状態の中を、交代要員の御者が呆れた顔で割って入った。


「いい加減にしろ、他の客に迷惑だ。交渉なら降りてから存分にやってくれよ」


 御者の手が二人の間を遮る。刹那、邪魔だとばかりに狼獣人に振り払われた彼は、勢いよく馬車から投げ出された。


「っと、止めてください! 人が落ちました!」

「チッ……鍛え方が足りねェんだろ──グゥッ!?」


 振り返った芙蓉は呆気にとられた。

 狼獣人が、巨体が浮くほどに持ち上げられている。その首に指を食い込ませているのは、この場に乗り合わせた最後の客──あのマントの人物だった。


「兄ちゃん!」

「兄さん!」


 驚愕する獣人達を余所に、マントの人物は軽く踏み込んで狼獣人を。彼は遠吠えのような雄叫びを上げて矢のように空を飛んでいき、木の群集の中へかき消える。馬車から飛び降りた弟二人がその後を追って駆けていった。

 芙蓉は動けなかった。とんでもない膂力と、光沢を放つブラウスやそれに包まれた腕の細さが釣り合わない。そのマントの下にいるのは、果たして──。


「すまない、騒がせた。僕はここまでで構わない」


 マントの人物は滑らかに囁き、荷物を回収して馬車の淵に立つ。ほんのわずか振り向いたマントの裾から、爛々と輝く深紅の眼を芙蓉は見た。彼は高らかに跳躍すると、狼獣人達の反対方向に消えていった。


「イッ……デェエ~……」


 後方から呻き声が聞こえ、芙蓉は我に返った。ルシュが街道から御者を運んできたらしい。顔や腕に擦り傷を負い、恨めしそうに呻いている。

 芙蓉は彼の傍に膝をついて手をかざした。痛みを無視できるほどの軽傷ではないが、重い怪我はしていないようだった。これならおそらく自分でも治せるだろう。


「うおっ!? えっ!?」

「すみません、少しじっとしてくださいね……」


 光る芙蓉の掌と塞がっていく己の傷口を見比べ、御者は何度も瞬きした。信じられないという視線を受け流し、芙蓉は汗みずくになりながら治癒を施していく。


「……あんた、半獣人なのか」


 不意に、もう一人の御者が呟いた。


「なんで言わなかった」

「……すみません」

「はあ……なんかこう、獣人の臭いとか、遠くからでもわからないのか? 気づいたらすぐ降りるとかさ……あいつらと乗り合わせないでくれよ……」

「──お言葉ですが」


 意図せず冷めた声が出る。ぐつ、と脳が煮えた感覚がした。


「彼は何もしていません。後から乗り込んで絡んできたのはあちらです。確かにお騒がせしたのは申し訳ないですが──」

「お嬢さん」


 遮った御者は、あたかも聞き分けのない子供を諭すように言った。


「半獣人を連れ歩くってのは、そういうことだよ」


 どこか哀れみめいた表情。絶句する芙蓉の横でルシュが俯く。


(どうしてそんなことが言えるのか。ルシュくんが何をしたというのか。ルシュくんから仕掛けたことなんてないのに、なぜ彼ばかりが責められるのか)


 全身の血が沸騰する。ルシュとは出会ったばかりだというのに、その不遇な扱いを目の当たりにすると、半身が削がれた心地さえした。

 芙蓉はか細く深呼吸し、魔力の放出を止めた。


「……具合はどうですか」

「え、あ、……治ってる、な」

「ではここで降ります。ご迷惑おかけしました。ルシュくん、行きましょう」


 既に夕日が沈みかける中、二人は街道沿いを歩き出す。

 盗み見た芙蓉の横顔は固い。口角が引きつるほどの「耐えかねる」といった様相に、ルシュは力なく拳を握った。



       ◆ ◆ ◆



「今からでも、イヴァに戻った方がいいと思います」


 鍋をかき回していたお玉を止める。ルシュは芙蓉の反応を窺うことなく、仕留めた鳥の足を機械的に断った。

 あの後、馬車を降りた二人は懸命に街道脇を歩いた。しかし、遠目に見えていた宿屋の灯りまではとうとう辿り着けず、今夜は野宿である。

 芙蓉は自身にできる最大限の結界を張り、魔力で育てた野菜をスープにした。諸々切って叩きつけたことが効いたのか、昼間のくさくさした気分は幾分か晴れていたが、ルシュはそうではなかったらしい。


「半獣人だってことが知られれば、これからもずっとこういうことがあります。そういうものなんです。俺はもう慣れたので大丈夫ですけど……今日みたいに馬車にすら乗っていられないようじゃ、フヨウさんも迷惑でしょう」


 ルシュは眉間に皺を寄せ、ナイフの柄に力を込めた。

 ほとんど本気だった。芙蓉は優しくて気遣い屋だが、それもきっと今のうちだけだろう。この先どこへ行っても今日と同じことがあれば、庇うどころか愛想を尽かされかねない。ルシュはもう十分だった。半獣人でもいいと言ってくれたこと、向かい合って食事を取ってくれたこと、獣人や人間に真正面から言い返してくれたこと。自分のために良くしてくれた人がいたことを思い出せば、これからも現実と戦い続けられる。


「ギルドマスターなら他の人を紹介してくれます。いちいち面倒な半獣人なんかじゃなくて、ちゃんとした──」

「大丈夫ですよ」


 赤子を寝かしつけるような、柔らかな声音だった。思わず顔を上げたルシュに芙蓉は微笑む。


「実は、ギルドマスターには何組か紹介してもらった上で、改めてルシュくんに依頼したんです。だから、大丈夫です。ルシュくんが理不尽なことを言われるなら、私は何度だって言い返します。最初に私を助けてくれたように、私もルシュくんの敵と戦います」


 「まあ全然強くないんですけどね……」と遠い目で自虐を挟み、ジャガイモとタマネギの入った別の鍋をルシュの前に置く。


「つまり何が言いたいかというと、全部承知の上ということです! なので大丈夫ですよ、ルシュくん。明日からも元気にいきましょう」


 とびきりの顔で芙蓉が笑う。ルシュは太陽の如き眩さに目を細め──その隣に佇む黒い影を捉えてギクリとした。


「幸せな話だ。さっきも思ったが、お前達は仲が良いのだな」

「っえ!? あ、え、昼間の!? マントの方ですか!?」


 焚火がちらちらと影を照らし、ぼんやりと人の造形を浮かび上がらせる。見覚えのある深紅の双眸に芙蓉は確信して、感激に木べらを放り出した。


「その節はありがとうございました! おかげ様で助かり……ヒエッ、血っ!?」


 マント男の頬には黒い液体がべったりと塗られており、それは火の下で濁った赤色に変わった。咄嗟にハンカチを差し出した芙蓉の前に、疾風の速さで残像が滑り込む。

 ルシュが極限まで瞠目し、短剣を抜いていた。


「なるほど、勘違いさせてしまったな。僕の血じゃないから気がつかなかった」


 しかし構えられた切っ先に一切動じることなく、男は汚れたハンカチを懐に仕舞い込んだ。


「血の臭いで魔物が寄ってくるといけないから、これはありがたくいただいておこう。代わりに僕のを置いていく。あ、ちゃんと未使用だぞ」


 「ではな」と男は闇に溶けて消えた。残されたのは艶やかなシルクのハンカチと、呆然と立ち竦む芙蓉とルシュだけ。


「び……っくりしましたね……?」

「はい……とりあえず危険な人じゃなさそうでよかったです……」


 二人は状況が飲み込めないまま顔を見合わせ──そのうちどちらからともなく、くすりと笑みを零した。


「ご飯、作りましょうか」

「はい」


 ニコニコと鼻歌でも歌い出しそうな芙蓉が軽快にトマトを刻んでいく。そんな彼女を眺めていたルシュは、もも肉と野菜を炒めていた手をふと止めて、誓うようにそっと告げた。


「俺、もっと強くなります」


 今はまだ、正面切って言い返せるほどの度胸はないけれど。腕っぷしが獣人に劣るのも本当のことだけれど。それでもいつか、信じてくれる人に誇れる自分になりたいと思ったのだ。

 真っ向からかち合ったキトンブルーに嬉しくなって、芙蓉は大きく頷いた。


「はい! 私も見習って頑張ります!」


 この日、二人で初めて作ったチキンのトマト煮込みは特別な味がした。思い出話の一つとして、事あるごとにそう語られるようになるのは、少し先の未来の話である。

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