第41話 友達④

 上空から迫り来る一振りの矛。固く尖りきった根は、命を屠る武器そのものだった。

 それは寸分違わずトリムを穿つ──はずが、なぜか直前でピタリと静止していた。


「……危ないなあ」


 根を止めたのは揺らめく水球だった。きらきらと湖面のように輝く流動性を有しながらも、不思議と一つの塊となって留まっている。その中に囚われた凶器は幾度も身を捩っていたが、先端は一向に魔石しんぞうへ達しない。

 ならばと第二陣が死角から忍び寄る。視野の外から割って入った別の根は、完全に対象の意表を突いていた。にも関わらず、それらの全てはまたしても水球によって封じられてしまった。


「よかった……ぼくも、戦えるんですね」


 少年と青年の狭間のような声音。しみじみとそう口にした彼の肉体の損傷が修復されていく。傷痕が消え、滑らかな皮膚が魔石を体内に仕舞い込む。


「ぼくとエンリルに力をくれてありがとう」


 立ち上がった人影──トリムがにこりと笑った。彼はルシュの記憶そのままの姿で、しかしどこか堂々と、誇れる何かを得たように仁王立ちしている。晴れ晴れとした顔を向ける少年に、ルシュはぽかんと口を開けた。


「トリム……?」

「うん! フヨウさんがくれた魔石で死なずに済んだんだ、ってうわあフヨウさん! ぼくの魔力分けますね!」


 血の気の失せた芙蓉に慌て、トリムはその手を握った。そうして病人に粥を与えるよう、ゆっくりと魔力変換を促す。同時に水の刃を飛ばしてルシュの首から鞭を切り離した。


「ルシュくん、まだ動ける?」


 ルシュは抉られた首筋が元通りになっていることに気がついた。それだけでなく、穴の開いた肩も徐々に塞がっている。

 魔人となったトリムの回復魔術。芙蓉が四苦八苦している魔術を目覚めたばかりの少年が使いこなしているのは、その身に宿す魔石のおかげだった。


樹木の魔物あいつは周りから魔力を吸い取って成長してるから、止めるには魔力を蓄えてる魔石を壊すしかないんだ。たぶんそれはあの真ん中の幹の中にあると思う」


 トリムが指差したのは口のように裂けた本体の部分だ。そこから発される魔力の濃度が一際濃いという。


「次に狙われるのはきっとぼくの魔力だから、全部吸い取られる前に壊しきろう。ぼくが攻撃を止めるからその隙にお願いできる?」

「わかった、俺が行くよ。フヨウさんを頼む」

「任せて。エンリル、こっちに」


 呼び寄せた相棒は息苦しそうだった。トリムは体毛を掻き上げて強張りを解してやりながら、魔力を少しずつ譲渡する。


「……少し回復した? ぼくも頑張るから、何とか踏ん張れる?」

「グル」


 視線を合わせ、額をエンリルのそれに押し当てる。両親を失った時、視力を奪われた時──何度人生に絶望しても、それでも生きていくために行われてきた、彼らの秘密の儀式だった。


「──ぼく達の命の恩人だ。必ず二人を守り抜こう」

「ウオンッ!」


 力強い誓いに高らかな呼応が響く。その様子を聞きつけた魔物が不愉快そうに体躯を震わせた。一度潰したはずなのに、尚も奮い立つ彼らに再び攻撃が繰り出される。

 ──瞬間、背後からの衝撃に悲鳴のようなものが零れた。


「オオ……オォオ……!」


 今までとは何か違う感覚だった。魔物がもがき、がむしゃらに鞭を振り回すも、突き出た先は風を切るような音と共に千切れて飛んでいく。

 地に降り立ったルシュの手には、銀の短剣と一つの魔道具──魔力を帯びる不思議な剣があった。ぞわり、魔物に一抹の恐怖が過ぎる。


「ヨォ……ウ……!」


 その恐ろしいものを近づけるな。明確な拒絶の意志を持って幹の腕が振るわれるが、それはルシュを薙ぎ払う前に鋭い一閃に撃ち抜かれた。トリムの指先から放たれた高圧の水の弾丸である。

 ボロッと砕けた箇所をすかさず竜巻が破壊する。魔物が振り向けば、巨大な狼に似た犬が牙を剥いて唸っていた。


「オオオッ」


 またしても衝撃。魔物は今度こそはっきりと自覚した。魔剣を通じて流れ込む異様なまでの魔力濃度。傷口から浸食したほんのわずかな量でも、相手を喰い潰すような重圧感を孕んでいる。

 早く体内から出し切らねば。そう思うのに、四方八方から襲い来る風と水の攻撃魔術を受け止めるのが精一杯だ。


「ルシュくん! そこっ!」


 捌き損ねたトリム達の攻撃に体躯を削られ、一番太い中央の幹──魔物の本体の一部に穴が開く。トリムとエンリルが群がる鞭を跳ね退け、ルシュが地を蹴った。

 猫の如きしなやかな動作で身体を滑り込ませる。穴の中は空洞で、暗い底にぼんやりと明滅するものが見えた。あれが魔石か。落ちていくルシュは魔剣を振り被り、内壁に思いきり突き立てる。


「ボオォオオォォオオオッ」


 断末魔が轟く。木の皮──人間でいうところの皮膚を重力に従って断ち割られているのだ。加えて、強い魔力が己の存在を塗り潰していくような生理的嫌悪。想像を絶する苦痛が魔物から思考を奪った。

 指揮系統は崩れた。内側を這いずり回るネズミを始末する、ただそのことだけに支配された魔力が矛先を変える。


「!」


 ルシュの耳朶にかすかな空気の振動が届いた。見上げれば、数多の長い鞭が凄まじい速度で追ってきている。

 ここにきて初めてあらわになった純然たる殺意。剥き出しの魔物の本性を迎え撃とうと構えた刹那、それらは何かに押し出されたように壁に叩きつけられた。新たな痛みに魔物が叫ぶ。

 鞭を縫い留めていたのは木の槍だった。魔剣が残した傷から生えたそれが、鞭を貫通して反対側の壁に突き刺さったのである。

 さながら目打ちされたウナギのように鞭はビクビクと痙攣している。そのことが何を表しているか、ルシュには如実に理解できて、ふっと頬が緩んだ。


「……ありがとうございます、フヨウさん」


 魔剣を引き抜き、ルシュは軽やかに壁を蹴った。くるりと体勢を変え、両腕を振り上げて──。


「はあっ!」


 閃く切っ先が光の源を穿った。



       ◆ ◆ ◆



「はあ……はあ……」


 肩で息をしながら芙蓉は膝をついた。服の裏まで汗がびっしょりだ。分けてもらった魔力もすっかりなくなり、力が抜けて立っていられない。


(でも、動かなくなった)


 自身に鞭を逆流させていた魔物は、最後に遠吠えのような声を上げたきり、完全に沈黙している。上手くいったのだろうかと、芙蓉は護衛の少年を案じる。


「大丈夫ですかっ!?」

「グル……」

「トリムくん……エンリルくん……」


 ふらついたところを支えられる。視界に映る、色の変わった右目と怪我一つない肢体。今更ながら途方もないことをしでかしたのかもしれないと、芙蓉の表情がくしゃりと歪む。


「……ごめんなさい……でも、生きててくれてよかった……っ」


 絞り出した心が思わず涙声になった。罪悪感か、安心感か。芙蓉はどちらも抱く自分の感情を上手く整理できなかった。

 そんな彼女に、トリムはそっと微笑む。


「……ありがとうございます、フヨウさん。ぼくもエンリルも、後悔なんて全然ありません。できるだけ長く、お父さんとお母さんの分まで、ずっと一緒に生きていたかったから」


 だから、叶えられそうでよかった。そう告げたトリムを、その家族のエンリルを、魔石は形をなくさない限り生かすだろう。そのことを彼らが受け入れてくれるならこれ以上ない救いだ。そうやってグズグズ鼻を鳴らす芙蓉には年上の威厳なんて欠片もなくて、少年達には可笑しかった。


「あ……」


 パキン、と乾いた音。振り返れば、空から木々の破片が次々に降ってくる。力なく呻き、一斉にひび割れた魔物から木の皮や枝が剥がれ落ちて、大地に積もっていく。


「ルシュくん、やってくれたんだ……」


 芙蓉は天を仰いで呟いた。ひらひらと舞い散る葉が、掌に触れた途端粉々になって風に吹かれていく。魔石を砕かれたのだろう、生命力のない様がすぐ近くにある死期を訴えていた。

 強敵だった。だがこれでもう近辺に危険はない。安堵に胸を撫で下ろした芙蓉──そこへ、朽ちる傍から搔き集めるように継ぎ接ぎしながら、一本の幹が降りていく。


「……ヨ……ウ……」


 ひしゃげた声色の消え入りそうな囁き。切望するような、どこか必死の訴えにも聞こえたそれに、芙蓉の目が釘付けになる。


「ヨ……ウ」


 眼前の枯れかけた幹が鳴く。音が似ているだけなのに、なぜか目が離せない。

 ゆるゆると魔物の魔力が尽きていく。その影響で表皮を削られる度、幹が内部から盛り上がり続ける。誰が見ても死はすぐそこまで来ているとわかるのに、どうしても抗おうとしているようだった。

 いつの間にかトリムとエンリル、そして戻ってきたルシュも警戒態勢を解いていた。延命するように再生を繰り返していた幹は、そのうち一つの形に変化し始め──。


「フヨ、ウ」


 ──その場にいる全員の呼吸が止まった。幹の先端から上半身を生やしていたのは、カラカラに干からびた小さな人型の生物──つい先日出会ったばかりの水の妖精だった。

 これまでのミイラ化した魔物達と同様に、彼女の身体からは水分という水分が取り上げられ、閉じた瞼すら萎んでいた。大きな瞳も、サクランボ色の唇も、まろい頬も、何もかもが嘘みたいに跡形もない。頭がぐらぐらして、は、は、と息遣いが忙しなくなる。芙蓉は掠れた声音で何度も問うた。


「み、水の、妖精さん……? なん、で、こんな……どうして──」


 彼女は爪楊枝みたいに痩せた腕を懸命に伸ばしている。その首には銀に光る輪が嵌まっていた。摩耗した総身とは真逆の、一片の曇りもない煌めき。

 一瞬、芙蓉は首輪みたいだと感じた。反射的に触れようとしたところへ、ごおっと強風が吹きつける。


「あ──あああ待って、待って!」


 妖精の腕が攫われた。それは咄嗟に庇った芙蓉の掌にぶつかり、粉々になった。そうこうしているうちに小さな身体はどんどん千切れ、樹木の魔物と同じように崩れていく。


「……まって……」


 やがて全ては消え去った。あれほど愛と生命力に満ち溢れていた彼女は呆気ないほど脆かった。まるで最初からそんなもの、存在しなかったとでもいうように。



       ◆ ◆ ◆



 なくならなかったのは指輪、そして妖精のいたところに落ちていた一粒の種だった。彼女の体内にあっても塵にはならず、光沢すら失わないまま、それは育つ前の状態から不気味なほど変化がなかった。

 不可解なのは指輪もだ。樹木の魔物の本体内部にあったのに傷一つない。見た目は銀の輪そのもので、柔らかい性質であるはずのこの金属があの戦闘に耐えられたことが腑に落ちなかった。

 そんな多少の違和感が共通し、芙蓉達は神官に相談することにした。妖精の形見には違いないが、もしかすると魔具の一種かもしれないのだ。彼女の突然変異の件もあり、念には念を入れて手紙を出した。


「難しいかもしれないけど、なるべく良い結果だといいですね」

「そうだね……もうこれ以上悪くならないといいな……」


 ぎこちない笑顔を貼りつければ、エンリルが鼻先で慰めるように芙蓉の頬を突いた。

 魔的生物となったトリムとエンリルは、自分達をあの騒動で死んだことにすると言った。このままアイルズを離れ、別の場所で生きていくそうだ。本来のものと大きく変わった生態がこの先何を引き起こすかわからず、その際集落の人々に迷惑をかけたくないという。

 それを聞いた芙蓉は魔人の少女ニシェルを思い出して気落ちした。故郷での彼女への迫害のようなことが、今後トリム達にも降りかかる恐れがあるのだ。その時、自身を後悔するのではないかと。

 しかし、当のトリムはあっけらかんと言い放った。


「ぼく、楽しみがたくさんあります! 今の自分に何ができるか知りたいし、色んなところにも行ってみたい。何より、エンリルと同じだけ生きられるようになったことが一番嬉しいです!」

「トリムくん……」

「だから、本当に気にしないでください。むしろお二人は命の恩人なんですから、何かあればいつでも呼んでくださいね!」


 破顔する少年にあの頃の面影はなかった。ポーション一つ満足に手を伸ばせなかった彼は、清濁を併せ呑みつつも、未来への希望に目を輝かせている。

 魔石はトリムに自信と、そして保証を与えたらしい。何よりの願いであった「家族と離れないこと」が叶い、彼らは至上の喜びを感じていた。

 ならば、魔的生物だからといって道を踏み外すことはないだろう。芙蓉はそこでようやく安心し、心の底から新しい門出を祝福することができたのだった。

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