第11話 ちぐはぐ人間と半端野郎
「さあ、着いた。ここがイヴァのギルドだ。裏からで悪いな。職員以外は男ばっかりだから目立っちまう」
「大丈夫です、お気になさらず。失礼します……」
扉をくぐった芙蓉はゆっくりと室内を見渡す。
手前には依頼者用受付と受注者用受付、素材買取窓口、売店等が一体となった横に長いカウンターがあった。それらの向こうは各種依頼が貼り出されている大きな掲示板や応接スペース、書物や資料が隙間なく詰まった棚が設置されている。木の床や木製のテーブルセットが置かれた、全体的に温かみのある内装だった。
冒険者ギルドとは、世界各国に跨る国際的な人材派遣機関である。探索や護衛、魔物討伐等の依頼を受注し、登録している冒険者にそれらを斡旋することで経営されている。また、討伐された魔物や希少な素材等の買取も行っており、日夜様々な人種が入り乱れる場所だ。
そのため、冒険者ギルドと聞けば多少の荒れた雰囲気も漂っていると思われたが、芙蓉は清潔で落ち着いた印象を受けた。依頼の発注に訪れる一般人や日々冒険者を相手にする職員のため、極力配慮しているらしい。
ギルドマスターがカウンターの内側に入り、分厚い資料の束を手にして戻ってくる。
「こいつらがイヴァ近辺で活動してるギルド員だ。奥からグェリ、すこーしだけ人相は悪いが明るいヤツで魔物相手にゃ引けはとらん。真ん中がジョーネとマケール、二人ともあんまり喋らんが……まあ悪いヤツらじゃないし、腕も確かだ。それからこっちは『ガンベレット』、ここらじゃ一番強い。剣士、弓使い、槍使い、盾持ちの四人パーティだ。昨日の任務で昇級も決まってる」
並べられた羊皮紙を手に取ってはみるものの、何を基準に判断すればいいのか芙蓉にはさっぱりだった。ギルドマスターが推薦するというこの三組は、全員が護衛の任務を受注できるB級であり、ひとまずの要件は満たしている。定石ならばガンベレットに依頼すべきなのだろう。しかし、常に多くの人間に囲まれた移動はこの上なく目立つに違いない。また、力量以上に性格等の相性も無視できない。
硬直する彼女を見かね、ギルドマスターは焦ったように提案した。
「そうだ、顔合わせしてみるか? 長い旅だ、人となりのわからんヤツじゃ不安だろう」
「あああ! 是非っ!」
「はは、すまんすまん、そうだよな。なるべく性格の合うヤツにしないとな」
ギルドマスターはウンウン頷いて、まとめた資料を職員の一人に手渡した。近日中に彼らへ招集依頼をかけてくれるという。
「これだけ報酬もらえるんじゃ断るヤツはまずいないから、じっくり選ぶといい。……まあ、例外はあったがな」
「…………」
例外──件の人物を思い出し、互いに黙り込む。
それはつい先刻、エウリヤナの前でのこと。芙蓉の護衛を打診されたルシュは、フードを取り払ってこう進言した。
『俺にはできません』
彼の頭にあったのは、暗い銀色にも見えるグレーの髪と、そこから控えめに生えた一対の獣の耳だった。
(おお、耳が生えてる! 目尻もしゅっとしてるから猫みたい。なんていうか、見れば見るほどロシアンブルーに似てる人だなあ)
ぱちくりと目を瞬かせる芙蓉は、エウリヤナとギルドマスターの反応に気がつかなかった。
『……お前、半獣人だったのか』
『黙っていてすみません。……見た通りなので、俺がもし護衛になれても、何かの拍子に知られたら面倒なことがたくさんあります。悪目立ちしたら護衛の意味がないでしょう。なので、依頼は引き受けられません。失礼します』
ルシュはフードで耳を隠し直し、昏い表情のまま部屋を出て行った。芙蓉が我に返った時には、本人はとっくに姿を消していて、エウリヤナとギルドマスターが揃って肩を竦めていたのである。
そうした経緯があり、新たな護衛を依頼すべく、芙蓉はギルドマスターに連れられてイヴァのギルドへやってきているというわけだ。
「あ……ルシュ、くん」
「ああ、討伐隊の報酬取りに来いって言っといたんだった」
受付のカウンターにすっかり見慣れたフードの少年が来ていた。職員と会話を交わしている様子からは、『半獣人』だという彼が人間とどう違うのか、芙蓉にはまるでわからなかった。
「……半獣人というのは、半分獣人半分人間ってことでしょうか?」
「そうそう。獣人と人間が番って生まれた種族だな。身体は人間なんだが、中身は獣人の方の能力を受け継いでることが多い」
「それってそんなにまずいことなんでしょうか。言葉は通じるし、すごく丁寧に対応してもらったし、耳があるだけで普通の人と変わらないような気がしますが……」
「まあそうだな、ああいう風に隠してりゃそう変わらない。ルシュがここに来てそんなに経ってないが、まさか半獣人だとは思わなかったな。でも、アイツ自体はすごくいいヤツだよ。B級の中でもずば抜けて強いしな。オレからしてみりゃ、昨日みたいな緊急の依頼も任せられてかなり助かってる」
意図せず拗ねたような口調になった芙蓉に、ギルドマスターは苦笑する。
「アイツの言う悪目立ちってのは、半獣人全体が獣人に目の敵にされてるってことだな」
「目の敵?」
「ああ。獣人からすりゃ、どっちつかずの半端者に見えるらしい。獣人っぽくしてるくせに理性的でノリが悪いからいけ好かないんだと。人間側もそうだな。獣人ほどじゃないにしろ力は強いし、見た目は人間なのに耳やら尻尾やらが生えてるのは何なんだ、おかしいじゃないかってな」
話を聞くにつれて、もやもやとした感情が胸の内に広がっていくのがわかった。到底納得できそうにない忌避のされ方が悲しくて寂しい。もしも本来の『フヨウ』ではない自分が『フヨウ』らしさを理由に遠ざけられていたら、ルシュのようにきちんと立って生きていくことはきっとできまい。突き飛ばされてうずくまったまま、永遠に身体を丸めてじっとしているだろう。
「獣人からは煙たがられるし、人間からは遠巻きにされる。……ああ、ルシュがB級で止まってんのもそのせいだな。並のB級よりよっぽど強いのに何でかと思ってたんだが……アイツに依頼するヤツがいないんだ」
「…………」
「正直、難しい話だ。人間じゃないヤツってのは、発注する側から依頼の受注を制限されることもある。人間に化ける魔物もいるから、最初から正体を知ってれば安心するっていうのもわからなくはないが……ギルド所属ってことである程度身元は保証されていても、個人の心情まではどうにもならん。一度噂が立っちまえば……そうか、それであちこち転々としてたんだな」
「さっき自分からフードを取ったのは……」
「大神官の御前だからな。事前に言わないと騙してると受け取られかねないと思ったんだろう」
ギルドマスターが顎を撫でて呟く。
やるせない話だ。暴かれるのを恐れながら、息を潜めて彷徨い続けるのが宿命ならば、ルシュの安息は一体どこにあるのだろう。
(「騙してる」だなんて。生まれは誰にも選べないのに。隠さなきゃいけないことでもないのに)
自身ではどうにもならないことまで責められるのは、ひどく打ちのめされることだと芙蓉は知っている。
(私も「これじゃない」って、「もういい」って言われたから。でも……)
そこで立ち直れたのは、ジニアやエリカ、エウリヤナ達がそんな自分を受け入れてくれたからだ。『フヨウ』ではなくても帰りを待っている、できる限りの協力に尽力する、と。誰も芙蓉を否定しなかったから、ユフレの言葉で傷ついた心はすっかり癒えたのだ。
(ルシュくんにもそう言ってくれる人がいたら、面倒とか悪目立ちとか、考えなくてよくなるんじゃないかな。そういう人が現れてくれたらいいな……)
芙蓉にとってルシュは命の恩人だ。それが彼の仕事だったとしても、かけてくれた言葉や気遣いを忘れないと誓う。依頼を断られてしまったのでもう会うことはないだろうが、ルシュが堂々と太陽の下を歩けるようにと願わずにはいられなかった。
不意に、しんみりしていたギルドマスターが顔を上げた。
「噂をすりゃあ……あれが獣人だ」
入り口から銀と青の体毛を揺らして闊歩してきたのは、三人の大柄な狼顔だった。人間と同じ二足歩行だが、顔つきは狼そのもので、ギルド内の誰よりも背が高いことも相まって威圧感が凄まじい。昔、学校内に突然野良犬が迷い込んできたあの瞬間の緊張感が芙蓉にぶり返した。
先頭にいた狼獣人はカウンターに近づくと、そうするのが当然だとでもいうように──ルシュのフードを勢いよく剥いだ。
「よォ、半端野郎。オマエにこなせる依頼はねェよ。それともママのおつかいか?」
後ろにいた獣人二人がどっと笑い出す。ルシュは黙ってフードを被り直そうとしたが、毛むくじゃらの手が掴んで離さない。芙蓉とギルドマスターの頬に汗がたらりと伝った。
「か……絡まれてますよね……!?」
「絡まれてるな……」
ギルドマスターはさっと辺りを見回したが、運悪く女性職員しかいなかった。彼女達もその場から動けず、息を飲んだまま成り行きを見守っている。目の前の獣人が暴れる素振りを見せれば、すぐに離脱できるようにするために。
内心舌打ちしつつ、ギルドマスターは芙蓉に目配せしようとした。獣人一人でも人間には荷が重いのに、よりによって彼らは三兄弟なのだ。獣人特有の剛力が三倍になる前に裏口から逃げてもらおう──と思った矢先、芙蓉は既に隣にいなかった。
「どけよ。半端モンのくせにオレの前に出しゃばるな」
「…………」
「耳がねェのか? ああ、そういやテメェの耳はお飾りだったなァ。見ろよこのチンケなヤツ。これに何の意味が──」
「──あの!」
シン、と空気が静まる。ギルドマスターは頭を抱えて呻いた。
(あああああやってしまった……!! でも見てるのしんどかったし、狼の人しつこそうだったし……!!)
一方の芙蓉も言い訳のような発狂は胸に止め、腹に力を入れて表情を保つ。
いつの間にか近くにいた記憶に新しい姿に、ルシュは驚いて瞠目した。怪訝な顔で見下ろす狼獣人を視界から追いやって、彼女はルシュだけを食い入るように見つめている。
「先程は名乗らず失礼しました。芙蓉と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、はい……よろしくお願いします……?」
「すみません、自分でもしつこいとは思うのですが……例の件、やっぱり諦めきれなくてお声がけしてしまいました」
自嘲気味に芙蓉は頬を掻く。視力の良いルシュの瞳が、その肩の絶え間ない震えを捉えた。
「──私、ルシュくんに護衛をお願いしたいです」
彼女は理解しているのだと、あの大神官のような凛と強い視線がルシュに悟らせる。一触即発の気配も、加虐性を増すばかりの獣人の言動も、そんな彼らに無防備に背中を晒すことも、彼女は全て把握した上で勇気を振り絞って割り込んできたのだと。
そしてその行動の理由が、他ならぬルシュのためであることも。
「ギルドマスターから、あなたがとても強いと伺いました。私も今朝助けてもらってそう思います。一瞬でしたもんね、ザクーッスパーッて! なので、一緒に来ていただけたらこんなに心強いことはないなって」
故郷の家族以外の他人、それも人間に心からの関心と賛辞を向けられたのはいつ以来だろう。黒い記憶がどろりと頭をもたげる。獣人には道端の石を蹴るかの如く日常的に馬鹿にされ、人間には腫れ物を触るかの如く距離を置かれ──中でもあの男は、人間と違うことを恥じるようルシュを繰り返し詰ったというのに。
壊れ続けてきた矜持の欠片が今、一つひとつそっと拾われていくような心持ちがして、ルシュはただただ芙蓉を見つめ返すことしかできなかった。
「それと、ルシュくんは私の命の恩人なので、恩返しさせていただけないかと! 大神官がおっしゃったように、この依頼の成果があなたの今後につながるなら是非使っていただきたいんです。私もルシュくんのこと、たくさん宣伝しますので!」
胸が詰まって上手く呼吸ができない。ルシュは喉をひくつかせて懸命に唾を飲み込んだ。
──かつて、こんなにも自分を望んでくれた存在があっただろうか。
「私と四六時中一緒にはなってしまいますが、ルシュくんがそれでもよければ……二ヶ月ほどお時間いただけないでしょうか!」
芙蓉の声が静寂な空間に反響する。戸惑うルシュは言わずもがな、狼獣人ですら信じられないものを見る目つきだった。
「……俺の話を聞いたのなら、半獣人だってことも知ってますよね。力加減が上手くいかなくて、あなたを傷つけるかもしれない」
「えっ、全然大丈夫でしたよ! 今朝木から降ろしてもらった時とか、別にどこも怪我してないですし……もし怪我したとしても治せばいいかなと。そうすれば魔術の訓練にもなりますし!」
「っ、俺が近くにいるとあなたまで色々言われますよ……!」
「大丈夫です。というか、色々言ってくる方が悪いと思います」
「あァ?」
凄んだ狼獣人の前に冷や汗をかいたギルドマスターが滑り込む。彼も自分も、獣人を前にすると少なからず身が竦んだままなのに、眼前の彼女はもはや震えていたことすら忘れているようだった。誰でもないルシュからの、ルシュだけの返答を待っている。
「おれ、は……」
思わず頭にやった手に獣の耳が触れた。フードは既に取り払われており、ルシュの悉くは白日の下に晒されている。己の生態も事情も知った上で、それでも尚、助力を請われているということが夢のようだった。
そんな夢から覚めたくなくて、ルシュは────。
◆ ◆ ◆
「そうですか。では出発できそうですね」
「はい!」
エウリヤナは微笑んで視線を移動させる。満面の笑顔で返事をする芙蓉の隣には、彼女と変わらない背丈の少年が恥ずかしそうに目線を落としていた。
その肩越しに、包帯まみれの男女が恨めしそうな顔を覗かせる。
「ルシュ殿……フヨウ様をどうかよろしくお願いします……」
「本来なら我々がお供させていただくはずでしたがこのナリですので……何卒……」
「わ、わかりました」
「お二人ともお願いですから安静に……」
幽鬼じみた形相の兄妹がルシュを覗き込む中、エウリヤナがこっそり芙蓉を手招きする。
差し出されたのはユフレの紋章を模った金のアミュレットだった。中央に嵌まるピジョン・ブラッドが鮮やかな輝きを放っている。
「この宝石に私の使い魔が宿っています。手紙やある程度の物なら運ぶことができるので、落ち着いた頃に状況を知らせてください」
「わかりました。綺麗な色……ありがとうございます」
手間取る芙蓉に代わり、エウリヤナが首飾りをつけてやる。すると、一瞬煌めいた宝石からリスに似たものが這い出してきた。半透明のそれは大神官の魔力から生み出されたという。
興奮に頬を上気させる芙蓉の手を取り、エウリヤナはアルカイックスマイルを浮かべて囁いた。
「無事にレイドラに着けますように。ユニアを出る頃までには完治させますから、あなたを見送らせてください」
「はい、お大事になさってください。私も怪我に気をつけて行ってきます」
二人は笑い、しばらく手を握り合っていたが──やがて、名残惜しげにそれは離れた。フリウスとフレミオに囲まれていたルシュに声をかけ、芙蓉は荷物を持って歩き出す。エウリヤナは瞬きを止めて、その小さな背中を惜しむように目に焼きつけた。
波乱と苦楽、そしてひとさじの希望に満ちた花と獣の物語はこの日、かすかな産声を上げたのだった。
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