第32話 追憶/展望

 重々しい足音が広大なブドウ畑を規則正しく駆ける。秋晴れの光に照らされる、一面に敷き詰められた黄金色。さわさわとそれらの擦れ合う音が風に乗って運ばれてくる。眩いほどの絶景に芙蓉は目を細めた。

 途端、ガクッと視界が揺れる。牽引する魔獣が気紛れに障害物を飛び越えたらしい。振り返って謝る御者に首を振った。


「大丈夫ですか?」

「はい、何ともないですよ。さすが、魔獣となると元気ですね」


 芙蓉は笑いながら前方を見た。かれこれ二時間、先頭で走り続けているのは二頭の魔物──グラシュティンである。

 グラシュティンは半牛半馬のような生物で、白っぽいクリーム色の体毛とS字に湾曲した大きな黄角を持つ。草食で人を襲わない上、一日で百キロメートル以上の距離を移動することができ、速度も並の馬の二倍近くを叩き出すという魔獣車用の代表的な魔物である。

 驚異的な馬力に加え、水陸両生でもあるので水深の浅い川程度なら難なく渡れるらしい。ルシュからそれを聞かされた芙蓉は目を輝かせる。


「前から思ってたんですけど、ルシュくんって物知りですよね」

「俺のも受け売りです。教えてくれた人が博識だったので」


 ルシュはほんの少し誇らしげに話し始めた。

 それは数年前のこと。ルシュが暮らしていた半獣人の共同体に、その人物は不意に現れたという。全身をフードやマントで覆い隠していた彼から半獣人の気配がしたため、幼いルシュはあまり警戒心を持たず、その冒険譚に夢中になった。

 伝説の幻獣やドラゴン、不思議な魔術や魔道具、多種多様な種族や魔物。彼は止むことのない風が巻き起こる大地や雪と氷に包まれた極寒の島、湧き出る火の海を渡り、世界を股にかけてそれらを目の当たりにした。故郷から一歩も外に出たことがなく、ここで生きていくのだと思っていたルシュは、ギルド所属の傭兵という彼の生き方を羨んだ。過酷だと聞いた半獣人への扱いよりも壮大な旅への好奇心が勝ったのだ。

 彼はルシュに戦い方を指南してくれた。一番の得物である短剣を始め、長剣や槍、弓やクロスボウ等の様々な武具、そして徒手での格闘術。獣人に迫る戦闘力を有しながらも、日々狩猟くらいにしか利用されていなかった半獣人の能力がみるみる開花していくのが爽快だった。

 数ヶ月の間、ルシュは暇さえあれば共同体の外れの森にいる彼の元へ通った。顔を合わせない日はなく、これからもそうして過ごし、いつか彼と旅に出たいと強く願っていた矢先のことだった。

 いつものように訪れたルシュを迎えたのは、一本の短剣と一通の手紙。別れは突然だった。


「これがその剣です」


 ルシュが腰元から鞘ごと引き抜いたのは、サイクロプス戦で活躍したあの短剣だった。祭剣のような神秘さを煌めかせながらも、その実、把握し難い特性を秘めているそれ。

 落ち着いて相対してみれば、鞘越しでも剣全体に魔力が行き渡っていることを感知できる。突拍子もない懐かしさを感じた訳もそこにあった。



 ただし、腑に落ちない点があった。内包されている魔力の大元は芙蓉のそれだが、その濃度は桁違いに濃く、また著しく純度も高い。血の滲むような鍛錬を積んだ、例えばエウリヤナ級の高位魔術師のものと遜色ないくらいだ。今の自分には到底発揮できない力がなぜかその短剣に宿っている。

 芙蓉は思考をかみ砕きながら、たどたどしく見解を告げた。


「フェリアは傷口から私の魔力を感じるって言ってましたけど……確かにこの剣から私の魔力を感じます。たぶん、この刃を通じてサイクロプスに魔力が移ったんだと。でもすごく強い力で、今の私じゃこんな澄んでいる魔力、扱えるはずないんですよね……前の持ち主の方から何か説明はありましたか?」

「俺も詳しいことは聞いてないんです。この前使って初めて知ったくらいで、まさかそんな効果があるとは」

「そうですか……どうして私の魔力があるんだろう……市販の普通の剣って、魔力を溜めるとか纏わせたままにしとくとか、そういうことはできないですよね?」

「はい。こっちは小さい頃父親にもらったものですが、何の変哲もない、ただの鉄だと思います」


 ルシュは相棒を抜いて陽の光にかざした。彼の言う通り、銀色の短剣からはそういった雰囲気は感じ取れない。


「じゃあやっぱりこの剣が特殊なんだ……」

「もしかしたら、魔道具の一種なのかもしれません」

「魔道具?」

「はい。魔石を埋め込んだりして作る、魔術を発動させたり魔力を増幅させたりする道具のことです。魔術師の杖とか、ギルドにある鑑定鏡とか。用途を決めて作られることが多いので効果に融通が利きづらいですが、魔具と違って暴走はほとんどありません」

「あれ? 魔道具と魔具があるんですか?」

「魔道具は主に人間が作りますが、魔具は神や魔的生物が作るものだといわれています。魔を導く道具、つまり良いもの良くないもの区別なく引き寄せたり影響を与えたりするので、威力は絶大ですが必ずしも安全な効果ばかりではないんです。……この剣を持っていてもそういう目に遭ったことがないので、おそらく誰かが作った魔道具かと」

「確かに。神秘的ではあるけど悪いような感じはしないですもんね」


 頷いたルシュがゆっくりと鞘を外し、芙蓉にも見えるよう刃先に彫られた模様を指差す。


「例えばですけど、この剣には魔力を貯蔵できる能力があって、自動的に周囲の魔力を取り込み続けるとか。フヨウさんの魔力が入ってるのは一番近くにいるからで」

「あ、それしっくりきますね。あと、よっぽど強い魔石か腕が良い人が作ったからっていうのもあるかもしれないです。取り込んだ魔力の質を高める、みたいな。でないと、今の私の魔力よりすごいものになってる説明がつかないような……」

「あり得ますね。どちらにせよ、今のままだと様子見で少しずつ把握していくしかなさそうです。どこかで詳しい人に視てもらえればいいんですが」


 刀身を丁重に仕舞い、ルシュは握りをそっと撫でる。遠い日々に想いを馳せるように、その手つきは至極優しい。


「……手紙には、自分の代わりにある人を捜して、傍で守ってほしいとだけ書いてあったんです。この剣を持っていれば引き合わせてくれるからと」


 芙蓉は一瞬言葉を詰まらせた。不自然に生まれた沈黙を破ろうと、咄嗟に持ち上げた口角がひくつく。


「な、るほど……ルシュくんは人捜しのために傭兵になったんですね。ちなみに当てはあるんでしょうか……?」

「それが全然で。特徴は少しだけ書かれてましたが、今のところ当てはまる人はいませんでした」


 ズキ、と軋んだ胸の奥。芙蓉は貼りつけた笑顔の下でぶんぶん頭を振った。


(いやいやいや、バカか私、そんな都合のいいことあるわけないでしょ……ルシュくんとは偶然会っただけ、たまたま鉢合わせただけ。旅が楽しいからなんて、自惚れもいいところだ!)


 勘違い。錯覚。思い上がり。この歳で全くもって恥ずかしい。ここは異世界、現代の映画や漫画みたいな展開があるわけがない。

 それにもう国境都市が近い。このまま行けばルシュとはあと数週間でお別れなのだ。その時が来たら、彼が目的を果たせるよう解放しなければならない。


(思い出せ、忘れるな)


 契約ありきの関係で、互いに目指す先は違う。「ずっと一緒に」なんてありえない夢なのだと。



       ◆ ◆ ◆



 その後、昼まで走り通したグラシュティンを休ませるため、魔獣車は街道沿いの宿屋『バラ窓』に停車した。

 昼食は鴨の砂肝サラダ、タコとトマトのミートソースタルト、そしてマッシュポテトをトム・フレッシュ・チーズで練り上げた地元の名物料理だった。他の客が次々に名産品のワインを開ける中、仕事中の御者と酒に弱い芙蓉は顔を見合わせて断念した。


「ご飯おいしかった~。それにしてもチーズの弾力すごかったですね。こう、ぐおんぐおんって」

「飴細工みたいでしたね」

「それです、それ! おもしろかったなあ」


 腹ごなしに散歩に出た芙蓉とルシュは、宿屋裏手に繋がれていたグラシュティンを見つけた。腹が膨れて動きの鈍い御者が、ふうふう言いながら餌と水をやっている。

 もさもさと草を食む動作が愛らしい。両手を広げても届かないほど立派な体躯なのに、そこだけが小動物みたいだ。長い睫毛とつぶらな瞳に見惚れた芙蓉は、御者に申し出て世話を代わらせてもらえることになった。

 グラシュティンの餌は普通の牛馬同様に牧草や乾草が主で、おやつとしてニンジンやリンゴをあげてもいいそうだ。ちなみに、餌に魔力が含まれていればいるほど疲労の回復や成長が早くなる。

 芙蓉はポーチからニンジンの種を取り出し、魔力で成熟させたものをやることにした。


「おやつだよー、ここだよここ……ぎゃっ! 一瞬口の中に手入っちゃった……びっくりした……」

「っはは」


 慌てて引き抜いた手は唾液塗れだった。生温かくぬるぬるとした肉の塊に絡め取られたような、生々しい感触がまざまざと残っている。一気に腰の引けた芙蓉に少年が柔らかい声で笑った。

 それでも興味は尽きないのか、彼女はおっかなびっくりニンジンを差し出す。ルシュはその隣にしゃがみ込んだ。


「珍しいですか? 草食の魔物」

「はい、すごく! 魔物自体、私のいたところではほとんど見かけなかったので」


 今思えば、ハイマ周辺は警備がしっかりしていたのだろう。一度だけ魔物の徘徊情報が通達された夜、ジニアとエリカは芙蓉を毛布で囲んでくれた。ろうそくの火を眺めながらウトウトしてしまい、気がつけば朝が来て、何事もなかったと安堵したことを覚えている。

 草食の魔物といえど、少しぶつかっただけで怪我をする恐れもある。調教されている方が珍しいから、どんなものであれ野生は見かけないのが一番安全なのだ。


「でも、調教されてて大人しいなら逆にたくさん見てみたいなって。確か、魔獣車用の魔物って場所によって違うんでしたよね?」

「そうですね、魔物の生息地が違うので……この辺りだと主流はグラシュティン、鹿の魔物のアクリス、あとはすごく大きい一角兎アルミラージ六本脚の狼コルンムーメが使われてるところもあるみたいです」

「うわー全部もふもふしてそう! 見たいなあ……」

「もふもふが好きなんですか?」

「大好きです! 犬とか猫とか触ると癒されるんですよね~。ああ、この子達も最高のもふもふ……」


 グラシュティンのビロードの絨毯みたいな毛並みにうっとりする芙蓉。その横顔を見つめながら、彼女の趣味嗜好を自分から尋ねたのは初めてだな、とルシュはひっそり思った。

 犬や猫、もふもふが好きなら、これはお気に召すだろうか。気苦労の多い雇い主の助けに少しでもなればと、ルシュはフードに指をかけ──。


「餌やり、ありがとうございました。そろそろ出発しますね」

「いえいえ! こちらこそ楽しかったです。ルシュくん、行きましょう」

「っ、はい」


 御者の呼びかけに芙蓉が立ち上がる。肩を跳ねさせたルシュは、フードを思いきり引っ張って深く被り直した。身体中を駆け巡る激しい心音には気づかない振りをした。



       ◆ ◆ ◆



 芙蓉達の乗ってきた魔獣車は、実のところ、まだ完成されたものではなかった。グラシュティン自体は調教済みだが、何度も試運転を繰り返し、行路や体力配分を学習させる途中の段階である。慣れないうちは速度を一定に保つのが難しかったり、体調や機嫌に左右されたりといったトラブルに見舞われる可能性が高いので、公に運用するには細かな調整が必須なのだ。

 また、現代でいえば電車と新幹線、駅馬車に比べて魔獣車は高価だが人気が高く、通常は定員いっぱいで発車するもの。たった二人ですぐに出発できたのは、カティアのサインと試乗への協力を芙蓉達が了承したためだった。


「よし、いっぱい食ったな。頼むぞ」


 御者が何度かグラシュティンの引き締まった横っ腹を叩き、御者台に乗り込む。応えるように威勢よく鼻を鳴らし、前足で地面を蹴る仕草はさながら闘牛のようだった。

 芙蓉とルシュも続いて乗車し、腰を下ろしたその時だった。


「おうい! そこの魔獣車!」


 街道の反対側で、一人の男が焦ったように手を振っている。遠目にもわかるくらい擦り切れた袖口から、ほつれた糸がぷらぷら揺れていた。

 男は息を切らせて駆け寄ってくると、「乗せてくれ」と御者に拳を押しつけた。


「近くのヴェフルまでだ。金ならある」

「いや、無理ですよ。こいつらはまだ訓練中で正式な運用じゃ──」

「そう言わずに頼むよ。オレは怪我したっていい。村にいる妻がおかしくなっちまったんだ、今すぐ帰りたい」


 日に焼けた顔を悲痛に歪めて訴える男は、全身を小刻みに震わせていた。

 彼はブドウ畑に出稼ぎに来ているらしい。つい先刻、村から知らせを受け、通りがかる馬車を今か今かと待っていたそうだ。

 寄越された御者の途方に暮れた視線に、二人は一も二もなく首肯する。


「ありがとう! すまない、世話になる」


 鋭くしなる鞭の音が響き渡った。

 太い車輪が回転し始める。何の気なしに景色を見渡していた芙蓉の視界に、ふと細い人影がちらついた。


「──! や──そ──、──ね!!」


 憎々しげに表情をひしゃげた若い女だった。男が最初に声をかけてきた位置から何か叫んでいる。


「あの、何かおっしゃってますよ。お知り合いでは?」

「ああ……いいんだ、聞き流してくれ。大したことじゃない」


 男は疲れたようにそう言うと、俯いて喋らなくなった。頭を抱えた左手の薬指には銀色の指輪が光っている。

 女はまだ喚いていたが、走り出した魔獣車は止まらず、あっという間に小さな粒になってしまった。


(よかったのかな……奥さんのことで頭いっぱいなんだろうけど……)


 地獄から這い上がってきたような憎悪を湛えた様子、そして最後に一際轟いた「卑怯者」という絶叫。妙な胸騒ぎがして、芙蓉はぎゅっと身体を丸めた。

 その心情を表すかのように、向かう先の空は暗い灰色に染まっていた。

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