第3話 魔術師のかけら①
「おねいちゃーん! おーきーてー」
反射的に飛び起きた。しかし目の周りが鉛のように重く、芙蓉は両手で瞼を必死に押し上げながら、しわがれた声で返事をした。
「ぉ、ケホ、起きましたっ」
「おきてるぅ! なんでー?」
質問した側なのに驚きながら、エリカが小走りでベッド脇に駆け寄る。
どうやら『フヨウ』は非常に寝汚いらしい。自分が満足するまでは絶対に起きまいとベッドにしがみつく程で、毎朝苦労してエリカやジニアが起こしていたという。
芙蓉は「そろそろちゃんとしないとなと思って」と誤魔化し、鏡を覗き込んだ。予想通り、目元が盛大に腫れている。何か冷やすものをもらえるだろうか。ぼんやり考えながらエリカと手をつなぎ、彼女に力いっぱい撫で繰り回されて疲弊した様子のベンについていく。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで……あ、すみません、手伝います」
「じゃあ、このお皿持って行ってもらえるかしら」
「エリカもー!」
「ならエリカはフォークとスプーン持てる? 落とさないように気をつけてね」
芙蓉は、朝食の準備をするジニアをこっそり盗み見た。案の定、同じように瞼が重たそうだ。それでも彼女は昨日と変わらず、よく笑い、気丈に振舞っている。
「……冷やすもの、いる?」
皿に目玉焼きを滑らせながら、ジニアは小声で芙蓉に問うた。さすが、母親の目は鋭い。芙蓉は心の中で苦笑した。彼女が我慢しているのに、どうして自分だけがさらけ出せようか。
「……いえ、すぐ治ると思うので大丈夫です。ありがとうございます」
「そう。さ、朝ご飯にしましょう。いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす!」
メニューは目玉焼きと添え物の生野菜、丸パン、ベーコンと野菜のスープ、そして果実水だ。
芙蓉はまず、胃を目覚めさせるようにスープを一口含んだ。前日と同じものだが、一晩経ったせいか具材が汁を吸っていて、スープというより野菜煮込みのようだ。舌触りはとろりとしていて、少々食べ過ぎを引きずっている胃に優しい。
パンはどう食べよう。昨日のつけ合わせは全部おいしかったので、また端から一口ずつ塗ってみてもいいだろうか。
ふと隣を見ると、エリカが素手でパンを割り、中に目玉焼きやレタスを詰め込んでいた。
「……おいしそうだね」
「えへー! まねしていいよ!」
「ありがとう」
許可が下りたので、芙蓉もパンの中央をこじ開けた。もっちり小麦パンと目玉焼き、そして生野菜の即席サンドイッチである。ただしプチトマトを入れるのは難しいため、ひょいと口に放り込み、次いで首を捻った。
「……、……?」
「昨日のと味が違うでしょう」
ジニアの指摘に素直に頷く。
聞けば、この国──ユニアでは、年々収穫される作物が痩せ細ったり、著しく味が落ちているという。昨日の夕食の材料は誕生日ということで奮発して取り寄せたが、普段は庭や近隣の村で採れる、小さくて萎びた野菜や果物で辛抱せざるを得ない。また、一部の作物からは家畜の餌も作られるため、卵や乳、さらに肉自体にも影響が及んでいるらしい。
「晴れも雨もちゃんと来るのに、どうしてかきちんと育たないの。土の質が変わったんじゃないかって言われてるけど、本当のところはどうだか。おかしいのは食べ物だけじゃないのよ」
「と、言うと?」
「魔物がかなり増えているの」
芙蓉の心臓がドクンと音を立てた。
「マモノ……」
「ああ、魔物っていうのはね、動物や植物なんかが大気中の魔力を取り込み過ぎて変異したものなの。身体の中に魔力の塊があって、それが昨日見た『魔石』のこと。あれを使えば、魔術師になるにはちょっぴり才能が足りなくても一時的に魔術を使えるようになるわ」
「魔術、ですか」
「ええ。あなた、その魔術師になりたがってたのよ。貯金して、字を勉強して、いつか魔術学院に行くんだって」
いたずらっぽく笑うジニアに、曖昧に笑い返してパンの欠片を飲み下す。
(魔術……魔法ってことなのかな……漫画とかゲームとかでよく見る……ここはそういうのが当たり前のところなんだ)
今の話を聞く限り、魔術師になるには才能が必要のようだ。それを目指すということは、多少なりとも『フヨウ』にその片鱗が見られたということだろうか。
しかし、ジニアは首を横に振った。
「私も夢なら応援しなくちゃと思って、神父様に聞きに行ったの。魔術師になるにはどうしたらいいですかって。そうしたらね、『示現性』とか『行使力』がないとだめなんですって」
神父の受け売りだというジニアの話はこうだ。
ここでは大気中に魔力が遍在しており、人々の体内には空気と一緒にそれが取り込まれている。しかし、魔力が身体を流れているからといって誰もが魔術師になりえるわけではない。才能の有無を分けるのが魔力貯蔵器官である経路を保持しているか、そして示現性及び行使力の素質があるか否かである。
示現性とは、規模や発生地点等のイメージ情報を正確に練り上げ、魔術として発現させる性質。一方、行使力とは、具現化したイメージ情報を忠実に生み出すべく、必要な量の魔力を体内から供給するよう指示を出す力。この時魔力が不足していれば、新たに大気中から取り込むのも行使力の役割となる。
魔術を成立させるためには全て不可欠な要素だ。これらをわずかでも持ち合わせていれば、特別な訓練を受けずとも、最初から草一本程度なら思い通りにできる。焼いたり濡らしたり千切ったり、その結果は適性のある属性に左右されるという。
逆説的にいえば、草一本すら操れなければ魔術の素質はないということ。
「努力ではどうにもならないことの、最たるものが魔術師だったの。あなたは何度も神父様の前でやってみせたけど、上手くいかなくて、とても落ち込んで……でも、貯金も勉強も続けると言ったわ。何かのきっかけで素質が生まれる人もごくまれにいるんですって。後で、よかったら自分の部屋を探してみて。私はどこにあるかわからないけど、時々何か書いてたから」
淡くレモンの香る果実水を仰ぎ、ジニアが席を立つ。エリカとベンもいつの間にかいなくなっていた。芙蓉は慌ててパンをスープで流し込み、噎せながら後を追いかけた。
◆ ◆ ◆
家族はおろか自分のことすら満足に説明できないため、芙蓉は『フヨウ』が勤めていた隣村の店での仕事をしばらく休むことになった。
(完全に穀潰しだ……)
ジニアは仕方ないと励ましてくれた。しかし、どう考えても一番迷惑を被っているのは彼女である。今までバリバリ働いていた『フヨウ』が突然失踪し、代わりに何もできない芙蓉が現れたのだ。その心情は計り知れない。
(か、家事を……ここでの家事を早く覚えないと……っ! 生活の仕方と畑の世話を早くできるようにして、なんとかお店に復帰しないと……!!)
ジニアは村内での内職や店番、時には都市部との交渉等、あちらこちらで頼りにされているキャリアウーマンだった。性格も明るく社交的かつ誠実でとても優しい。その上家事までそつなくこなし、料理の腕は一流ときている。
そんな母の背を見て育ったのだろう、『フヨウ』もまた外交的で活発な性質だったようだ。芙蓉が一歩外へ出ると、待ち構えていたように村人達から取り囲まれ、口々に怪我の具合や記憶がないことを心配された。「大丈夫デス」「オ気遣イアリガトウゴザイマス」と壊れたように繰り返し、彼らが納得して去った後には、もみくちゃにされた芙蓉と寄越された大量の見舞が積み重なっていた。
「おねいちゃん、だいじょうぶ?」
「クゥン」
「大丈夫デス……オ気遣イアリガトウゴザイマス……」
エリカとベンが見舞品をかき分け、人酔いした芙蓉を救出する。
一日振りの屋外は綺麗に晴れた天気だった。空は果てしなく青く、雲は目の覚めるような白。真夏とはいえ日本のうだるような暑さはなく、湿度が低く乾燥している。
芙蓉はエリカに連れられ、家の裏手の畑を訪れた。彼女に倣って服の袖をしっかり捲り、居住まいを正す。
「まずは、きょうのおひるとよるのぶんをとります!」
「はい、先生」
「ニンジンいがいで!」
「はい、先生。ニンジン以外ですね。ニンジンはまだ育っていないのでしょうか」
「エリ……せんせいが! にがてだからです!」
籠を手渡され、芙蓉は畑全体を見回した。ここから見えるだけでもトマト、キュウリ、ナス、トウモロコシ等が生っている。土に隠れているのはジャガイモやカボチャ、たくさんの鉢にはハーブ類。そして少し離れたところの木々からはモモやブドウが採れると教わり、芙蓉は思わず籠を抱き締めた。コンクリートジャングル育ちの彼女は、正反対ともいえる自然環境に一瞬で魅了されていた。
逸る気持ちを抑え、いそいそと手近な作物の前に腰を下ろす。テレビで見たことのある葉の形だった。
(これ、ジャガイモかな。食べてるとすぐお腹いっぱいになっちゃうけど、好きだな)
うきうきと葉をかき分けた手が止まる。
根元に近づくにつれ、葉柄がまだらに黄色く変色していた。慎重に土を掘り起こすと、指先程度の大きさの実が、それも数える程しか姿を現さなかった。
芙蓉は目を細めて立ち上がる。色を失った葉、小さな可食部、茎に這う黒い筋。注視してみれば、ジニアの言う通り、植えられている様々な種類のどれもが生気に欠ける様子だった。
畑自体はきちんと区画整理され、雑草等も始末されている。時々風に乗って運ばれてくる臭いからして、おそらく肥料も使われているのだろう。手入れ不足や暑過ぎない天候が原因の可能性は低い。これが悩みどころかと、芙蓉は顔をしかめた。
「おねいちゃん、とれたー?」
エリカが作物を踏まないよう大股でやって来る。その後ろに、トマトやナスの詰まった籠を咥えたベンが続いていた。芙蓉は重かろうとそれを受け取り、妹の髪に絡んだヘタの切れ端を摘まんでやった。
籠の中の野菜はやはり、素人目にもわかるほど艶がない。特にナスは形が歪で、三日月のように弧を描いてしまっている。
「やっぱり……元気がないね」
「エリカ、おみずあげてるよ? おかあさんとひりょうつくったし、ざっそうもぬいてるよ」
「あ、ごめんねごめんね、エリカちゃんのせいじゃなくてね。うーん……どうにかなるかなあ……」
世話になっている身なので恩返しに解決できればよかったが、あいにく芙蓉は食べ物の育て方がわからなかった。電化製品の見当たらないこの村で、インターネットの検索機能はおろか、そもそもパソコンがあるとすら思えなかった。
「あとねえ、『おいしくなーれ』ってやってるよ!」
「へへへ、かわいいねぇ。そっかー、こんな感じかな? 『おいしくなーれ』、……なんちゃってウワッ!?」
戯れに真似しただけのつもりだった。ところが突如として目の前のナスが光り出し、芙蓉はのけぞってひっくり返った。籠が宙を舞い、光るナスは空を泳ぎ、姉は妹に抱きつき、番犬が二人の前に躍り出る。
クッションのようにふかふかの地面に着地しても尚、ナスは発光し続けた。芙蓉達は固唾を飲んで成り行きを見守る。しかし、途中である違和感に気がついた。
「大きくなってる……!?」
弱まっていく光とは裏腹に、ナスは周囲に散乱する野菜の一回り以上膨らんでいく。芙蓉はその光景に強烈な既視感を覚えた。目の眩むような輝き、進行する治癒。
(魔石と同じ……!)
光の収束を見届け、たっぷり五秒待ってから、芙蓉はおずおずとナスに近づいた。ちょいと指で突いて転がし、再びの発光がないことを確かめ、そっと黒紫の塊を持ち上げる。
腕に伝わるずっしりとした感覚。重い。つまり身がしっかり詰まっているということだ。くすんでいた色合いも、飴を塗ったかのように重厚な艶を取り戻している。三日月形には変化がないが、一皮剥けば健康で瑞々しい可食部が現れるだろうことが手に取るようにわかった。
「わああ、おっきーい!」
横から覗き込んだエリカが興奮して叫ぶ。彼女にナスを渡し、芙蓉は落ちている別の野菜を拾い上げた。
今度は心の中で「おいしくなーれ」と念じてみる。すると、またしても光がきらめく。期待に胸が震え、呼吸が速くなった。
(どういうことかさっぱりわからないけど、でも……もしかしたら、役に立てるかもしれない──!)
美しく照り映えるトマトを掲げ、芙蓉は勝利の雄叫びを高らかに上げた。
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