第28話 怪物たち④
ずん、と世界が震動した。
腹の底に重低音がびりびりと響く。衝撃に全身が勝手に浮いて、着地した時には全員の目がそれに向いていた。
「いきてるおとこは~~つまみでもいやだっていったろお~~~」
「あああああ! ああああああああ!」
ずん、と大地が揺れる。掻き分けられた森の木がくの字に曲がる。
ずん、と大地が揺れる。ねっとりと野太い声に悲鳴が混じる。
ずん、と大地が揺れる。扁平で爪の尖った、人間一人分くらいの巨大な足が現れた。
「かたいのにもぞもぞしてえ~~たべにくいんだよ~~~」
月明かりに照らされたのは、そびえる一本角とぎょろりとした単眼だった。ごつごつとした皮膚は、尖った耳の先まで土と炎を混ぜ合わせたような色をしている。突き出した下顎からは鋭利な牙が生えており、そこに泣き叫ぶ男が挟まっていた。
その姿は火山そのものだといわれる巨人の魔物──サイクロプスである。
「ひう、ううう、たすけてえ、たすげべっ」
「うう~ん、やっぱりかたいなあ~~~」
磨り潰される骨の音が木霊する。スタニクは青い顔で必死に唾を飲み下した。視界が滲んで喉がつかえた。
集落の面々は彼よりもっと蒼白な顔色で武器を取り落とした。
「あ……ああ……」
「も、申し訳ありません、すぐ、すぐに用意します、ので」
「んあ~~? それなんかいめだあ~~~? いいかげんがまんのげんかい──お?」
一つ目が機敏に収縮した。サイクロプスは指についたジェスの血を舐め取りながら、嬉しそうに引き笑いを零す。
「えへっ、えへっ、おんながいっぱいいるじゃねえか~~~まりょくももってるなあ~~~」
山なりに弧を描いた眼に、ざあっと鳥肌が立つ。呼吸の浅い芙蓉の前にカティアが立ち、更にその前でルシュとスタニクが剣を抜いた。
「フヨウさんをお願いします」
一歩進み出たルシュに銀の短剣を渡され、カティアが力強く頷く。彼の手には芙蓉が初めて目にする刃が握られていた。
──それは完全なる左右対称の美しい短剣だった。花弁のように優雅な曲線を持つ剣身は厳かな輝きを放ち、刃先にぐるりと彫られた記号に似た文字を浮かび上がらせている。握りの部分や柄頭には複雑な紋様が精緻に施されており、一見すると儀礼用の祭剣を思わせる優美さである。
(綺麗な剣……でも何でだろう、どこかで見たような懐かしい感じがする……)
流れるような所作で短剣が構えられる。一瞬、刃全体がわずかに発光した。
「えへえ、えへっへえ、きょうはおどりぐいだあ~~~!」
サイクロプスが合図のように大きく踏み込むと、一際揺さぶられた森の奥からけたたましく喚く無数のハーピーが湧き出てきた。ルシュも同時に矢の如く走り出す。
一人と大群が衝突する──かと思いきや、ハーピー達はなぜかピタリと動きを止めた。
「クルル……」
「……ギ……」
共通してか細い鳴き声を発しながら、迫り来るルシュを凝視している。中には翼を前面に押し出し、後退しようとするものまでいる。まるで天敵にでも遭ったような仕草だ。
それもそのはず、この辺り一帯のハーピーのネットワーク上では「とある少年と少女には手を出すべからず」との御触書が出回っているのだ。同族を散々殺されてきた魔物達の恐怖は今や頂点に達している。長年自分達を支配してきた巨人を一時でも上回るほどに。
「おお~~い、なあにやってんだよお~~~おんなもってこいよ~~~」
一羽のハーピーがむんずと掴まれた。振りかぶられた豪速の球が瞬く間に飛んで行き、ルシュの眼前で真っ二つに裂ける。
勢いを殺さずに地を蹴ったルシュは、ハーピー達を足場にサイクロプスの目の前に躍り出た。少年の全長は巨人の顔ほどもない。けれど、その剣は果敢にも標的へ向かっていく。
死角から巨大な腕が一振りされる。ルシュは宙で反転し、素早くそこを駆け上った。目にも止まらぬ速さだった。右から左から、何度はたいても仕留められない。サイクロプスが掌を自身に打ちつける度、発砲したような爆音が響き渡った。
その間、短剣は火山色の肌に絶え間なく傷を残した。ただしどれも表面を撫でるような浅いものだ。硬く分厚い皮膚を持つサイクロプスには何の支障もなく、当然脅威ではない。
所詮、羽音がうるさいだけの虫。巨人はニチャリとした笑みを浮かべた。
「っポォウ!」
「!」
サイクロプスの口から何かが飛び出した。咄嗟に避けたルシュに影が差す。
「ルシュくんッ!!」
巨大な平手は今度こそルシュを捉え、地面に叩き落した。まともに当たった。轟音と共に突っ込んだ少年の姿は土煙で見えない。
「でへへぇ、あだっだ~あだっだぞ~~~!」
サイクロプスが舌足らずな口調で飛び跳ねる。開けられた大口からは歯が一本欠けていた。
「むしたいじ♪ むしたいじ♪」
「ぐ……!」
「うおっ!?」
「ちっ!」
ハーピーが次から次へと剛腕に投げられる。芙蓉達は盾や剣で応戦するが、如何せん数が多い。ルシュが消えたことに気づいたハーピー達も再び襲いかかってくる。
──そこへ、やにわに突風が吹き荒れた。
「はしゃいじゃってまあ。もう一度躾け直してやろうかしら?」
暴風が唸りを上げる。それは見る間に竜巻となり、巻き込んだハーピー達を切り裂いた。軽快なフィンガースナップ一つであっさり消滅した嵐の跡には、一人の少女が不敵に笑っていた。
「フェリア!」
「元気そうね。今度はもう片方が見当たらないけど」
フェリアドールが片眉を上げると、瓦礫が音を立てて持ち上がった。フードが脱げて顔面血塗れだが、足取りはしっかりしたルシュが合流する。頬を拭ったその手には空の小瓶があった。
「おっ、おっ、おんなあ! またふえたあ~~~!」
「……何よあれ。面倒そうなのがいるわね」
「はい、かなり皮が硬いです。狙うならあの一つ目か体内か……」
「あんたは
「う、うん?」
耳打ちされた作戦に芙蓉は瞠目した。その眉がわかりやすく不安そうに下がる。ありありと心情を訴えてくる表情だがしかし、彼女は首を縦に振った。
一行は配置に着き、先頭のフェリアドールが凝縮された風の種を掲げた。
「私が露払いするわ。そこの二人はクソ鳥の対処お願い」
「お嬢さん、相変わらず舌好調っすね」
「何だか雰囲気が違う気がするが……わかった、任せてくれ」
「いくわよ!」
フェリアドールから弾丸のような球体の塊が複数撃ち出された。空を裂き、真正面からサイクロプスにぶち当たるも、特殊な皮膚が全てを弾いて霧散させていく。
「きかねえよお~~~」
蚊を払うかの如く一蹴される風弾。一度散った風はしかし、再生してそれぞれが渦を巻き、小型の竜巻同士が合体して巨人を丸ごと呑み込んだ。周囲の小石や土、葉や小枝を吸収しながら烈風の檻が猛威を振るう。
自身の髪でさえ凶器になり得る風力に、体重の軽いハーピー達は端から煽られている。気を抜けば風船みたいに飛ばされそうで、カティア達も武器を楔にするのが精一杯だった。
「なんだあこれ~~~? すずしいな~~~」
当のサイクロプスは意にも介さない。エヘエヘ笑い転げて風を吸い込んではゲップする。
しばらくそうして遊んでいた巨人はやがて、ぽつりと一言。
「あきたなあ」
──怪腕が、檻を引き裂いた。
かき消えた竜巻にフェリアドールは目を眇める。すぐさま風の弾丸を見舞いながら、ちらと後ろに視線をやった。
「…………っ!」
カティアとスタニクに支えられた芙蓉が砂を掻いていた。指先が痙攣し、固く閉じられた瞼に汗が伝っている。時折呼吸を忘れ、脇から促されて思い出したように激しく背中を上下させた。
それほどまでに彼女は意識を集中させている。雑念を潰しては追い払い、極限まで感覚を研ぎ澄ませ、辿っているのは──。
「もうはらがげんかいだ、ぞ、おっ!?」
カッと芙蓉が目を見開く。突然ぎこちなくなったサイクロプスの挙動に、フェリアドールは満足げに指を鳴らした。
「上出来!」
ヒュウ、と風の吹き抜ける音。それは磔にされたように突っ立つ巨人の耳にも届いた。
音はだんだん大きくなる。いうことを聞かない巨躯に翻弄される中、サイクロプスは単眼を忙しなく動かしてその軌道を追った。
──ひゅるひゅる、ひゅるひゅる。この不吉な音は何だ。何が来る。
不意に黒点が見え隠れした。焦燥に乾いた眼球がやっとそれを捕捉した頃には、煌めく短剣が水晶体を貫いていた。
「ごっ、おおおお!?」
途端に景色が陰る。ぞぶりと異物の埋まる感触がより生々しく感じられ、巨人はたまらず発狂した。上からも下からも外からも中からも、めりめり断ち割られていく吐き気のするような心地の悪さといったらない。視力のなくなった今、自分の身体がどうなっているのかわからなかった。
その時だった。
「かっ……」
コツ、と何かが体内の魔石をノックする。心臓ごと竦み上がったサイクロプスは、縮こまった舌を必死に突き出した。
「な、で……なんで、だあ……」
急所である。本来なら己の誇る火山そのもののような皮膚に守られて、何人にも晒される恐れのない場所だった。それがなぜ触れられているのか。触れているのは誰なのか。
「あ……あ……」
冷や汗が全身を流れる。じたばたと暴れてみたが、関節という関節が曲がらない。ただの棒と化した腕では抵抗もままならず、サイクロプスは断罪の合図を静かに聞いた。
「…………」
ルシュが刀身を引き抜く。内側から押し出されたように破けた腹の隙間を潜った短剣により、魔石とそれを包んでいた心臓は砕け、巨人は膝立ちのまま物言わぬ骸となった。
異様な死に様だった。サイクロプスの総身につけられた傷痕から覗く針のように尖った石、歪に成長した樹木、傷口を凝り固める砂の塊。それらには全て芙蓉の魔力が宿っていた。
『原理はわからないけど、ルシュのあの短剣は普通じゃない。なぜか傷口にあんたの魔力があるの』
フェリアドールの作戦はこうだった。まず前提として、サイクロプスの皮膚は非常に硬質で耐性があり、並の攻撃では歯が立たない。剣はおろか、彼女の風魔術すらあまり効果的ではなかった。
ただし、魔力から生まれた妖精はその流れや気配を読むことに長けていた。フェリアドールが到着した時、既に巨人は芙蓉の魔力を至るところに纏った状態だったのだ。
『いい? 要はあんたよ、フヨウ。外がだめなら内から攻撃する。あんたは向こうにある自分の魔力を使ってデカブツの動きを止めること』
『ど、どうやって……? 私、大したことできな──』
『落ち着きなさい、やることはいつもと同じよ。材料なら私が運んであげるわ』
あんたはまだ魔力から作ることはできないからね。そう言ってフェリアドールは片目を瞑った。
(あの竜巻で石や砂がたくさん相手の体内に入り込んだ。それが傷口を通ったから私の魔力でコーティングされて……)
芙蓉はサイクロプスの体内で石を槍に、枝を樹木に変え、砂で血液の通り道を塞いだ。理論的には普段の盾や野菜を生み出すのと同じことだ。結果、巨人の筋肉は槍で固定され、樹木が臓器から養分を吸い取り、血管には砂が詰まって身体中を巡った。
とはいえ、それが数えきれないほどとなれば話は別である。とにかく無我夢中だったせいか、まだ重心が覚束ない。
「ヤツを倒したぞ! 彼らはすごいな! なあスタニク!」
「っだ、から前閉めろっつの! 痴女かアンタ!」
カティアに抱えられているため、彼女の興奮した体温が暖かかった。単なる魔力切れでも程度は今までの比ではない。眩暈が止まず、末端まで冷え冷えとして、身体から骨が根こそぎ抜けてしまったみたいにふわふわする。
そんな芙蓉の額に幼い手がそっと置かれた。
「……フェリア……」
「よくやったわ。そのままじっとしてて。魔力分けてあげる」
「ありがと……でも、私、いいから……ルシュくんの手当て、してもらえる……? 頭、打ってるかも……」
もつれそうな口で何とか告げた。ポーションは使ってもらえたようだが、完治したかは危うい。あの時は切羽詰まっていて様子を伺うことができず、それだけが芙蓉の心に引っかかっていた。
「……いいえ、俺は平気です」
すぐ傍でルシュの声がした。のろのろと首を伸ばすと、彼は何だか落ち込んでいるような苦しんでいるような、あまり晴れやかでない面持ちだった。目下の敵は倒せたのになぜだろう。
「ポーションのおかげで治りました」
「そ、ですか……よかった……」
それでもそう返されてしまえば、芙蓉は黙って受け取るしかなかった。
(……ルシュくん、今日はずっとこんな顔してる……そんなに責任感じることないのにな……)
ただただ不可抗力の連続だっただけだ。真面目で職務に忠実な彼のことだから、そのどれもを自分のせいだと背負い込んでしまうのだろう。
(そんなことないよ、大丈夫だよ……)
そう否定したかったけれど、最早限界だった。勝手に瞼が下りて、引き寄せられるように深い眠りへ堕ちていく。
意識を失った芙蓉の顔を鮮やかな朝焼けが照らす。いつの間にか、長い夜が明けていた。
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