第15話 対価の魔女①

 コカトリスを成敗し、フイエの村を後にした芙蓉とルシュは、次の宿屋『女傑の旗』の裏庭で駅馬車を待っていた。


「それが基剤ですか?」

「そうなんです。チンキは湿布、こっちの浸出油は軟膏とかクリームになります」


 芙蓉はルシュに二つの小瓶を見せた。左にはアルコール、右には植物油が入っており、それぞれに細かく刻まれた薬草が漬け込まれている。

 宿屋裏手のハーブ畑に魔力を注ぐ代わりに、自由に使っていいと許可を得たのは昼食を終えてからだ。芙蓉はいくつか薬草やハーブを採取し、先の依頼で使いきった薬を補充している。

 ルシュは短剣を磨きつつ、並べられた基剤をしげしげと観察した。


「こっちのオレンジ色のは何ですか?」

「これは薬草とハチミツで作ったポーション回復薬です。本当は薬草だけで作れるんですが、とてつもなく苦いので……」


 エウリヤナに有無を言わさず突っ込まれたポーションの味を思い出し、ぶるりと身震いする。薬草そのものが舌をしまえなくなるほどの苦みなのだ。ひしゃげた芙蓉の顔に笑いを堪えながら教えてくれたのが、薬草の成分をハチミツに溶出するこの方法である。

 手順は簡単。ハチミツの中に薬草を浸し、湯せんにかけるだけ。ハチミツが温まったら火を止め、そのまま冷まして出来上がりだ。後は基剤として、水で割れば口当たりの良いポーションとなる。

 苦々しい顔つきの芙蓉に「確かに」とルシュは頷いた。冒険者ギルドや雑貨屋で売られている水薬の味は、ギルド員ならよく知っている。


「ハチミツが入ってるなら飲みやすそうですね」

「はい、ほんのり甘くてシロップみたいなんですよ。よかったらいくつか持っててください」


 大衆品の如く無造作に差し出された小瓶達に、ルシュは呆気にとられた。魔力操作技術の向上も兼ねて魔力で成長させた材料を使用しているため、彼女が作る薬は市販のものより効果が高い。店に卸せばそれなりの収入になり得るほどに。

 そんな代物を頓着なく渡され、まごつくルシュに芙蓉は微笑む。


「ルシュくんが怪我しても普通の人より治るのが早いって知ってますけど、痛いのは少しでもない方がいいかなって」

「……ありがとうございます。大事に飲みます」

「どういたしまして。あ、飲む時は気にせずぐいっといっちゃってくださいね! またいつでも作りますから!」


 ルシュは苦笑した。自分が彼女を知っていくように、彼女も自分の性格に気づき始めている。

 そろそろ馬車が来るからと、芙蓉はアルコールと植物油の壺を抱えて宿屋に返しにいった。ルシュが小瓶を布に包んでそうっと仕舞っていると、席を外したはずの彼女がひょっこり顔を出す。その目はきらきらと輝いていた。


「ルシュくん! この方が今日泊めてくださるみたいです!」



       ◆ ◆ ◆



「泊めていただけて助かります。ありがとうございます」

「『女傑の旗あそこ』はいっつも人気だからねえ。女将が気っ風のいい人でしょ? みーんな何日も泊まり込んじゃうから空いてる方が珍しいんだよ。時間も時間だったから、つい声をかけちまった」


 腰の曲がった糸目の老人が柔らかな口調で語る。街道から少し離れたフフという場所の住人だという彼は、自身の村に誘ってくれた心優しい人物だ。昼も大分過ぎており、今から移動すれば野宿になってしまうだろうという心配が芙蓉には嬉しく、二つ返事でついてきている。


「女将に聞いたよ。アンタ、魔術師なんだってね」

「あはは、全然そんな、大したものじゃないんです。ちょっとした魔力操作ぐらいで、魔術だなんてとてもとても」

「それでも立派なもんだよ。わたしなんかぜーんぜん、これっぽっちも使えやしないんだ。歳だけ喰って、情けないったらありゃしない」


 舌を突き出しておどけた顔がおかしくて、芙蓉はアハアハ声を上げた。


「じゃあ……アンタは魔術師見習いさんかな」

「ウフフ、そうですね」

「見習いさん、ちょっと頼まれてくれるかい? それを聞いてくれるんなら宿代はいらない。食事も出すよ」

「? 何でしょう?」


 老人が歩みを止めて振り返った。


「──うちの村にはね、魔女がいるんだ」


 ごお、と突風が唸る。芙蓉は思わず立ち止まった。顔に打ちつける髪の隙間から、じっとりと値踏みするような眼が見える。


「そいつはとんでもない奴でね。村中から学校の入学費用だ学費だなんだって金を集めておきながら、いざ帰ってきてもわたしらに何も返さないんだ。もちろん貸した金もだよ。何かを頼もうにも、全部対価とやらがないと魔術が使えないんだってさ。そんなことないよなあ?」


 返事を待たず、老人は再び歩き出した。芙蓉とルシュはちらりと目配せし、その後についていく。


「対価なんてけしからんよ。こっちにだって余裕はないし、出し惜しみするんじゃないって何度も言ってるんだけどね。村の人間なら村のために貢献すべきでしょう。それをあの女……恩着せがましい奴め…………」


 強く吹きつける風の合間に、ブツブツと怨嗟のように呟く声が聞こえる。口角が泡立ち、唾液が零れても彼は止まらない。不気味な光景に背筋が凍てついた。

 不意にこちらを向いた老人が、打って変わって朗らかに笑う。


「頼みっていうのは、魔女のことなんだよ。対価なしで村のために魔術を使えって説得してほしくてね」

「わ……私が、でしょうか」

「おんなじ魔術師の言うことなら聞くでしょうよ。見習いさんは対価なんて要求しないだろ? だったらあの女がおかしいってことだ。『お前は間違ってる! 村のために尽くせー!』って言ってきてほしいんだよ」


 理解が追いつかないうちに、いつの間にか村に着いていた。老人は「今からわたしらもちょうど行くところだから、魔女の家に案内するよ」と村内に入っていく。彼の帰村に気づいた数人が駆け寄り、何やら言葉を交わした後、芙蓉とルシュに向かってにこやかに手を振った。


「俺は魔術のことはよくわかりませんが……対価がないと発動しないものもあるんでしょうか」

「私もよくわからないです……大神官からはそういう魔術があるとは特に聞いてませんが、現にこうしてあるみたいですし……というか、ええ……? 私が説得……? 向こうの方が先輩だあ……!」


 頭を抱える芙蓉を宥めつつ、ルシュは視線の気配を数えた。店の奥から、家の中から、耕している畑から。隠そうともしない不躾な双眸が村中から向けられている。探られているのだろうか。老人の愛想や先程の挨拶の割には閉鎖的な雰囲気だった。

 そこへ老人が帰ってきた。両手に薄汚れた大きな袋を持ち、恰幅の良い中年の女を伴っている。


「ほら、行くよ見習いさん!」


 老人は中身の詰まった荷物を物ともせず、ずんずん進んでいく。芙蓉が気乗りしない面持ちで後ろに続くと、隣り合った女が人好きのする笑みを浮かべた。


「魔術師なんですって? 心強いわあ。こちらは弟さん?」

「護衛です。どこも魔物が多いので」

「まあまあ、小さいのに偉いのねえ」


 ルシュが女と芙蓉の間に音もなく割って入った。らしくない振る舞いにたじろぐ芙蓉に、キトンブルーの瞳が合図する。

 ──女の手にはずんぐりした棍棒が握られていた。

 ドキッと鼓動が跳ねる。魔女と呼ばれている人物相手だから、護身用だろうか。黒っぽいシミのようなものがついているのは気のせいだろうか。老人の方からも言葉にするのもためらうほどの臭いが漂ってきて、芙蓉はもはや半泣きだった。


「魔女の家はね、ここからちょっと歩いた森にあるの」


 女が棍棒で村の先にある木々を指す。日中なのに随分と薄暗い森だ。鬱蒼としていて、中の景色が全く見えない。

 ルシュにぴったりとくっついて村へ足を踏み入れた芙蓉は、ある違和感に気がついた。


(結界……?)


 薄いベールを潜った感覚。エウリヤナのそれとは濃度も圧も異なるが、確かに魔力の壁があった。けれど、芙蓉にもわかるくらいおぼろげで頼りない。術者が未熟か、あるいは──相当弱っているか。

 ひやりと冷たい空気の満ちる木立を抜けると、一行は開けた地に出た。正面には一軒の建物がある。その全貌を把握して、芙蓉は言葉を失った。


(これが、家……?)


 平屋と称するにも烏滸がましいほど小さな小屋だった。全体を苔と何重にも絡み合った蔦が覆い、剥がれた屋根すら塞いでいる。村の家々にあった煙突や窓はなく、およそ家の機能を備えていないことが見て取れる。

 もっと悲惨なのはその周囲だ。麻袋がうず高く積み上げられ、一部は破れて中身が露出している。そこから覗く真っ黒な何かと群がる大量の虫。袋の下にはさらに野菜の屑や布の切れ端、割れた壺等が散らばっている。

 不快な羽音に全身が総毛立った。まるで物置だ。否、産廃場といっても過言ではないかもしれない。


「────おうい、魔女ッ!」


 老人の厳しい声が響き渡った。人が変わったような声色に、芙蓉の心臓が激しく脈打つ。

 一時の静寂を経て、小屋の扉がゆっくりと開いた。病的なほど白く、骨と見紛う細い指が戸口を這う。やがて腰元まである漆黒の髪を揺らし、闇色の一枚着に身を包んだ影のような女が俯き加減に現れた。

 これ見よがしに鼻を鳴らし、老人は両手の麻袋を持ち上げる。


「今日の対価だ。いつもより多く持ってきてやったんだから、早く結界を張れ! この間みたく魔物を入れやがったら承知しねえぞッ」

「……あ……ありがとうございます……すみません……」


 白い塊が宙を舞う。それは魔女のすぐ脇の壁に叩きつけられ、反動で結び目が解けた。べちゃりと粘着質な音を立てて滑り落ちたもの目がけ、旋回していた虫が我先にとひしめき合う。

 縮こまる魔女の頭上から女が棍棒を打ち鳴らした。


「服はまだつくろえないの!? 対価を寄越せって言ったのはアンタでしょうに! こっちはちゃんと払ってるんだからさっさとしなさいよ!」

「……はい……すみません……明日までには必ず……」


 鋭い舌打ちが森に木霊する。老人と女はその後も聞くに堪えない罵詈雑言を並べ立てた。どんどん小さくなっていく魔女が消えてしまいそうな気がして、芙蓉は遠慮がちに声をかける。


「あの……そこまで言わなくても……」

「──ああ! そうだそうだ、見習いさんがいたんだったね! 後は任せよう」

「そうね、魔術師同士だものね。お願いね?」


 瞬時に切り替わった表情にうすら寒くなる。あっさり踵を返した二人が森を去っていくと、途端に鳥鳴き一つ聞こえない静寂が訪れた。

 魔女はぶるぶると震えながら首を垂れている。芙蓉は細心の注意を払い、そっと声を届けた。


「あの、こんにちは。初めまして、芙蓉といいます。こちらは私の護衛についてくれているルシュくんです」


 ルシュと揃って会釈すると、薄い肩がわずかに反応した。


「実は、私も少しだけ魔力を操作するんです。ここの方にあなたが魔術を使われると伺ったので、勉強のために是非お話を聞かせていただきたくて。もしよろしければ、少しだけお時間をいただけないでしょうか……?」

「…………」


 芙蓉は彼女の挙動を窺いつつ、慎重に返事を待った。


「…………よ」

「あ、ごめんなさい、もう一度──」

「あの人達の言った通りよ……私は対価をもらわなければ魔術を使わない……話すことは何もないわ…………」


 そう言い残すと、とうとう一度も顔を上げず、魔女は小屋の中に消えてしまった。



       ◆ ◆ ◆



 やはり監視の傾向があったのか、村に戻った芙蓉とルシュはすぐさま村人達に取り囲まれた。口々に話しかけられるのをルシュが制し、芙蓉はあの老人に村を案内してほしいと頼む。


「特に魔術が使われているものを見せていただきたいんです」

「そりゃあ構わないけど……魔女の方はどうだったんだい?」

「後でお話します」


 芙蓉の態度はいささか強硬だった。先程までの印象と異なる姿に、老人は少々戸惑いながらも先導する。

 魔女の魔術は主に畑と結界に使われていた。ぞろぞろとついてくる村人に目もくれず、芙蓉は膝をついて土に手をかざす。


「たくさん育ってますね……全部魔女さんでしょうか?」

「うちにいる魔術師はあの女だけだね。畑も結界も、対価を払ってやらせてる」

「それは毎日?」

「ああ、そうだよ。これっぽっちでもすーぐへばるんだからだらしない。見習いさんだってこれくらい朝飯前だろう?」

「いえ、私にはできません。一日で終わらないでしょうし、両方どころか畑か結界のどちらかで力尽きます」


 ぴしゃりと跳ね返され、老人を始めとする村人達は面食らった。芙蓉は構わず続ける。


「それと、対価のことなんですが。あれは生ゴミのようなものに見えましたが、違いますか?」

「それは、その……あいつがグダグダ理由をつけて魔術を使わないから……」

「……私だったら、ゴミを投げられたら悲しいです。ましてや顔見知りの人達からそんな風に扱われたら傷つくし、きっと魔術も上手く使えなくなってしまいます。皆さんはどうでしょうか。ゴミを渡す相手のために頑張ろうと思えますか」

「元はといえばあの女が悪いだろ」


 口ごもる老人の後方から男達が進み出た。先頭は胡乱げな目つきの年若い青年で、老人の孫だという。彼に勢いづけられたのか、同調する声が方々から上がる。


「俺達から金を巻き上げておきながら、いざ戻ってきたら『対価がなければ魔術を使えない』なんて」

「そんな馬鹿な話があるかい。それとも何か? アンタはワシらが魔女に搾取されたままでいろってか?」

「最初に喧嘩を売ったのはあっちよ。なんでこっちが責められなきゃならないの」


 さながら鶏小屋のような姦しさだ。秩序なくそれぞれが好き勝手に話すので、芙蓉はその度にどうどうと鎮めなければならなかった。


「そもそもなぜ対価が必要か、理由はご存じですか?」

「なんかごちゃごちゃ言ってたけど、意味がわからなかったわよ。専門的なことばっかり言って誤魔化そうとしてるんでしょ」


 女の一人が忌々しそうに吐き捨てた。ウンウン頷く周りから察するに、魔女を取り巻く環境は思ったよりも厳しいと見るべきだろう。魔術とは何か、どういったことができるのか。そういった前提が受け入れられないほど、村人達の魔術に対する期待や万能感が凝り固まっている。このままでは彼らの負の感情が魔女に積み重なっていくだけだ。


「この件に関して、彼女にも事情を伺ってきます。対価がなければ魔術が発動できないのは本当のことなのか、もしそうであれば、そうなった経緯も含めて」

「アンタがあの女と結託したらどうする!」

「そうよ! 魔術師同士、庇い合うかもしれないでしょう!」

「──ではこちらを」


 芙蓉は服の中に手を突っ込んで、首回りに帯びたアミュレットを掲げた。


「ユフレ神殿所属の神官見習いとして、神の名の下に公平な立場を誓います」


 途端、一切の喧騒が止んだ。誰も彼もが目を剥いて、食い入るようにユフレの紋章を見つめている。芙蓉は場違いにも母国で有名なテレビドラマシリーズを思い出してしまった。この紋所が目に入らぬか!


「知っておいていただきたいのは、魔術は体力と精神力に非常に負荷がかかるということです。双方が万全でないときちんとした効果は発揮できません。それと、魔術が万能ではないこともご承知おきください。魔術師に衣服がつくろえたら、今いる縫製職人はいらなくなってしまうでしょう」


 棍棒女が目を伏せる。少しは心に届いただろうか、と芙蓉は思う。一か八かだったが、どうやら己の立場の使い所は誤っていなかったらしい。


「取り急ぎ皆さんの意見は頂戴しました。彼女にもお話を伺った後で改めてお伝えさせてください。おっしゃっていた説得はできなかったので、今夜の宿は結構です。森の前の場所だけお借りしますね」


 反応が来る前に、芙蓉とルシュはさっさとその場を離脱した。調停役に名乗りを上げてしまった手前、今後の一挙一動は特につぶさに見張られるだろう。あらかじめ居場所を開示しておけば少なくとも余計な警戒はされるまい。それに何だか疲れてしまって、とにかく鶏小屋から距離を置きたかった。少し前までデスクワークばかりだった身で慣れないことはするものじゃない。

 一方、その場に取り残された村人達の間では密やかな囁きが交わされていた。「おい……神官だったのかよ」「まさか、あんな若いのが……?」「大神官だって若い女性よ……まさか身内だったりして……」「まずいよ……アンタとか言っちまった……」ざわざわとした漣のような混乱の中、強い眼光が二人の後ろ姿をじっと眺めていた。

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