第2話「後輩は大変だよね」
(これまでのあらすじ)
私立伊之泉杜学園の理事室前に設置されている黄金の女神像『アテナの真心』が、ある日突然、まばゆい光と共に謎の祝福のメッセージを発するという事件が起きた。ひょんなことから犯人だと疑われてしまった
その後、事件の手掛かりを求めて落語研究部を訪れた牟児津と瓜生田は、部長の
もはや事件からは逃げられないと諦めた牟児津は、共に灯油から話を聞いた、新聞部員の
〜〜〜〜〜〜
灯油からひととおりの話を聞いた牟児津たちは、昼休みが終わる前に教室に戻るため、落語研究部の部室を後にした。道中、羽村が口を開く。
「牟児津様、今回は共同捜査を御提案したいのですが、お受け頂けますでしょうか」
「共同捜査?」
「はい。この度の事件、猫探しの時とは訳が違います。まずは何よりも情報収集が必要と存じます。双方バラバラに手掛かりを集めるより、協力して情報共有や連携を図るのが得策ではないでしょうか。私たちには信頼のおける情報源もございます」
「ほおーぅ!その信頼のおける情報源って、新聞部の私や学園中に渡るムジツ先輩の人脈に比肩するんでしょうかねえ!?」
「ぐえ」
羽村の提案に真っ先に反応したのは益子だった。握手を求めようとした羽村と牟児津の間に割って入り、にこやかに、しかし敵意剥き出しの言い方で羽村を牽制する。
「なんだよあんた!邪魔してくんなよ!」
「落ち着いてくださいムジツ先輩。共同捜査と言えば聞こえはいいですが、これは私たちに圧倒的に不利な提案なんですよ」
「そうなの?なんで?」
「情報共有なんて言いますけどね、ムジツ先輩には既に信頼のおける情報源がたくさんあるんですよ!私だっていますし、その気になれば川路先輩に情報提供をお願いすることもできます!
片や、この人が言う情報源なんて本当に信用できるか分からないじゃないですか!よしんば情報源として真っ当なものであったとしても、私たちがそこを頼る意味はないんです!
いいですか?要するにこれは、協力の体をとった一方的な情報の搾取なんですよ!まったく質が悪いですね〜!ムジツ先輩の脇の甘さにつけ込んで甘い汁を啜ろうとするなんて甘い考え、本人はともかく、瓜生田さんと私には通用しませんよ!」
「そんな甘ったるいことを言われるなんて心外です。私は打算などなく、ただ純粋にご協力を申し出ただけですのに。なにより牟児津様がお望みの早期解決に向けても最適なご提案かと存じますが」
びしっ、と音がしそうなほど勢いよく、益子は羽村を指さした。益子の言う通り、確かにその協力体制は牟児津にとってメリットが少ないようにも感じる。灯油の話を聞いていた際の反応を見ても、探偵同好会は『赤い宝石』のことを知らないと考えていい。一方的に有力な手掛かりを与えるだけになってしまえば、家逗に出し抜かれる可能性を増やすだけだ。
益子の指摘は正しく、完璧だった。牟児津は探偵同好会との競争意識に燃えている、という前提の齟齬さえなければ。
「騙されちゃいけませんよムジツ先輩!この人は学園最多発行部数を誇るうちの学園新聞を信用しない
「いいよ。協力しよう」
「まだ私しゃべってます!!」
怒涛の勢いで捲し立てる益子を一刀両断し、牟児津はあっさり羽村と握手を交わした。牟児津にしてみれば、早く終わるなら誰が事件を解決させようと構わないのだ。むしろ家逗の手柄になった方が、自分が目立たなくなるので助かる。
ということで、羽村の真意など関係なく、ましてや益子の羽村に対するヘイトなど心底どうでもよく、牟児津はただ事件を早く終わらせることだけを目的に、探偵同好会と手を組むことを選んだ。
「ダメだよ益子さん。ムジツさんは功名心とかない人なんだから、もっと実益で訴えないと」
「ないにも程があります!ちょっとくらい揺れてもいいでしょうに!」
「とはいえ、今は手掛かりが少なすぎる。最終的に私が勝利することには違いないが、まずは共同捜査ということで手を貸してやろうではないか」
「ん〜〜〜!私たちの方が圧倒的に有利なはずだったのに、なぜか上から言われてますよ!悔しい!」
「あんたはこの件を独占スクープしたいだけだろ。どっちが解決したっていいじゃん」
「なに言ってんですか!私はムジツ先輩のファンなんですから贔屓するのは当たり前じゃないですか!」
そこまで真っ直ぐファンだと言われると、さすがの牟児津も面映くなる。それが本心なのか煽ているのかはさておき、益子が探偵同好会と——正確には羽村と——距離を置きたがっているのは本当らしい。当の羽村は特に意識していないようなので、一方的に敵意を抱いているだけのようだ。
「共同捜査するなら分担を決めないとだね。まずは情報収集だけど、探偵同好会の情報源って?」
「風紀委員に知り合いがおりますので、そちらを当たってみようと思います。ホームズの古い友人ですので、信頼が置けます」
「風紀委員?じゃあ、私たちは風紀委員に話聞きに行かなくていいってことか!やった!ナイス羽村ちゃん!」
「私の友人なんだから私を褒めろ!いや敵に褒められても嬉しくないからいい!あ、今は敵じゃなかった!」
「騒がしい人ですね、まったく」
そこから瓜生田と羽村による話し合いの結果、探偵同好会は風紀委員のツテをたどって捜査状況や現時点で分かっていることの聞き込みを、牟児津たちは会計委員会やその他関係者へ女神像についての聞き込みを担当することになった。牟児津たちの分量が多いのは、人手や人脈の差によるものである。
また、今日一日は双方とも聞き込みによる情報収集に集中し、最後に集まって情報共有をした後にその時点で分かることを整理。明日以降の捜査につなげるという計画だ。もはや数日掛かりが前提となっているが、関係者が多いことや事件の全容が見えないことから、長引くことを予想して一旦のスケジュールとした。家逗の“探偵としての勘”も長くなるだろうと言っているらしい。
「では、今回は健闘を祈るぞ。牟児津真白。精々駆け回ることだな!はっはっは!」
「この人、協力関係だって分かってないんじゃないの」
〜〜〜〜〜〜
「さてワトソン君!早速、風紀委員室に乗り込もうではないか!」
「待ってくださいホームズ。乗り込むのはさすがに迷惑です。そもそも私たちは宛てがあるだけで、本当にそこで手掛かりを得られるかどうかは分からないんですよ」
「なあに、彼女らに頼めば、きっとまた有力な手掛かりを教えてくれるはずだ!」
放課後が訪れ、羽村はチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出し、家逗のいる教室に向かった。準備万端で待ち構えていた家逗は、意気揚々で羽村を先導する。牟児津が苦手とする風紀委員に宛てがあるため、まずは風紀委員室で捜査状況についての聞き込みをするつもりだ。期待を高めるだけ高めて外れたときに落胆することがないよう、羽村が気持ち程度の予防線を張る。家逗はそんなことも気にせず、廊下の真ん中を大股で歩いていった。
風紀委員室の重厚な扉を前にしても、家逗は全く臆さない。牟児津であればその雰囲気だけで萎縮していたはずだ。その自信たっぷりの態度だけは一級品である。家逗は扉を強く叩いた。
「い、今開けます〜!」
家逗の呼びかけにすぐ応じて、漆塗りの扉はゆっくりと開いた。奥から現れたのは、おかっぱ頭にくりくりとした丸い目、赤らんだ幼い顔の風紀委員だった。牟児津のクラスメイトである、葛飾こまりだ。
「はいはい。どうされました?」
「私だ。グレグスン君かレストレード君はいるかね?」
「は……?グ?えっと、どちら様ですか?」
「なにっ」
「すみません。私たちは探偵同好会の者です。3年生の
「はあ。おふたりならおりますけど、何の御用でしょう」
「例の事件について、私が少々助言をしてあげようと思ってね。詳しい話を聞きに来た」
「こちらの言うことはお気になさらないでください。おふたりに少々……お話ししたいことがありまして」
「ええ……?」
「難しいことはない。ホームズが来た、と言えば分かるだろう」
葛飾は、要領を得ない家逗の言葉と理路整然としながらもはっきりしない羽村の態度に、なにやら嫌な予感がした。ちょうど以前、牟児津と瓜生田が事件に関する重要な手掛かりを掠め取りに来たときのような、厄介な感じだ。
このまま応対していても埒が開かないと思い、一度引っ込んで件の2人に、言われたことをそのまま伝えてみる。
「あのう、
「うげ、シアロじゃん。ウチはいないって言っといて」
「げえ、シアロかよ。アタシもいないことにして」
「そ、そんなあ。こまります〜!」
頼った先輩二人に揃って居留守を使われ、葛飾の眉尻が限界まで下がった。あの話が通じそうにない厄介な人の相手をしなければならないのか、と一瞬で心の底からうんざりした。が、葛飾や二人が思う以上に、家逗は厄介な客だった。
「グレグスン君にレストレード君いないのか!?なんだいるじゃないか!私が来たらすぐに出て来なさい!」
「わわわっ!ちょ、ちょっと!勝手に入ってこないでください!こまります〜!」
「困ることはないぞ。私は彼女たちに用があるだけなんだ。さあそう遠慮せずに、話を聞かせなさい」
「わ〜!ちょ、ちょっと待って!分かった分かった!行くよ!行くから椅子引っ張んなって!」
「うちの会長がお騒がせしてすみません……もうすぐ済みますので」
「済んだらいいって話じゃないですよ!」
無遠慮に委員室内へと乗り込んできた家逗は、真っ直ぐ二人の席に近付いていき、キャスター付きの椅子ごと部屋の外に連れ出そうとした。
ネイルの手入れをしていた
つけまつ毛を貼り付けようとしていた
二人とも突然の襲撃にもかかわらず迅速に対処し、ため息を吐きつつも家逗に従って部屋から出て行くことにした。
「では二人を少々借りるよ。諸君、邪魔したね」
「本当ですよ」
家逗は二人を風紀委員室の外へ連れ出した。二人は、全く気乗りしないという態度を隠そうともせず、その後ろをどなどなついて行った。最後に羽村が深々とお辞儀して扉を閉め、嵐が通過した後のように散らかった二人のデスクの周りを、葛飾たち残った委員が片付ける羽目になった。
空き教室は部室を持たない部会が使用していたので、家逗たちは少し足を伸ばして探偵同好会の部室にやって来た。部室を構えて間もないせいで中は物が少なく、4人分の椅子さえやっと用意できたという有様だった。しかし呉薬と鳥堂にとっては、家逗が探偵同好会を発足したばかりの頃から念願だった部室ということもあり、興味を惹かれずにはいられなかった。
「マジで部室もらったんだ……ヤバ」
「よかったねシアロ。あんた1年のときからずっと、部室ほしい部室ほしいって言ってたもんね」
「ほんとそれ。羽村ちゃんが入ってくれたときも言ったけど、もっと感謝しなきゃだよ」
「うるさいな。感謝なら毎日している。そんなことより、事件の話を聞かせたまえ」
「お二人ともどうぞ。購買のお茶ですが」
「ありがと〜羽村ちゃん」
しげしげと部屋の中を見て回る二人に、家逗は待ちきれないという態度で席を勧める。羽村は購買で買って来たペットボトルのお茶を二人の席に置き、それとなく席に座るよう誘導した。二人とも、渋い顔をして席に着いた。
「聞かせたまえって、シアロが聞きたいんでしょ。別に私たちは知らせる必要ないもん」
「そうそう。それに関係ない人に情報漏らしたりしたら、川路にめっちゃ怒られるし」
「川路君など怖いものか!そう言えばさっき私の応対をした彼女は新人か?どうも私のことを知らなかったらしい。何度も捜査に協力しているこの私を知らないとは、君たちはきちんと内部で情報共有できているのかね?」
「葛飾ちゃんは去年からずっといたよ。あんたのことはわざわざ教える必要なかったから教えてないだけだし。そもそもあんた協力って言っていっつも引っ掻き回すじゃん」
「なっ……!グレグスン君もレストレード君も、事件が早く解決するならそれに越したことはないだろう!」
「あとそのあだ名さあ、ウチらだけのときはいいけど、みんなの前で呼ばれるとはずいからやめてくんね?」
「羽村ちゃんだって、シアロのことホームズって呼ばされてかわいそうじゃん」
「いえ、私はこれが楽しいので」
事件に関する話を聞くどころか、まさかの同級生から説教を食らう事態になってしまった。思いがけない展開かと思いきや、羽村はある程度こうなることを想定していた。突然委員室まで押しかけて引っ張り出した上に自分都合の話ばかりすれば、誰だって怒るに決まっている。
羽村が高等部に進級するより前、家逗は1年生の頃から風紀委員会にちょっかいをかけていた。同級生の風紀委員とは皆、腐れ縁の仲だった。その頃から学園の名探偵としてひとり活動していた家逗は、呉薬と鳥堂を特に気に入り、何かに付けてやれ面白い事件の話はないか、やれ捜査に協力してやろうと声をかけていたのだった。そんな関係も3年目に突入し、呉薬と鳥堂にとっては家逗に対する心配もあって、つい言葉が厳しくなってしまう。
それを受け入れるだけの余裕など、家逗にはないのに。
「うぅ……そ、そこまで言わなくても……」
「え゛っ」
「は?な、泣いてる……?」
「泣゛い゛て゛な゛い゛!゛!゛」
「泣いてるよ!全部の文字に濁点ついてる声してるもん!」
「わ、私はただ……良かれと思って協力しているのに……!あだ名だって……カッコいいと思って……親しみを込めて呼んでるのに……!」
「あーあ、泣いちゃいました。こうなるとホームズは面倒ですよ」
「羽村ちゃん落ち着きすぎじゃない?自分とこの先輩がこんななってたら普通もっと焦ると思うけど」
「ホームズはこういう人じゃないですか」
「まあそうだけど」
「うわああああん!!ひどいやひどいやあああん!!」
小さい体から大きな声を出し、とめどなく涙を流して子供のように喚く。それでいて全く平常心でいる羽村も異常だ。この家逗を宥められるのは自分たちしかいない。呉薬も鳥堂もそう感じさせられた。
「あ〜、ご、ごめんごめん。言いすぎた言いすぎた。ちょっとこう……ほら、ウチら1年のころから友達だから、シアロが見栄張って部室が手に入ったって言ったのかなとか、色々……心配しちゃって、つい。ね?トリ」
「うん、そう!シアロってちょっと頑張りすぎるところとかあるから、無理させちゃいけないなって!でもそこがシアロのいいところだから!大事にしてこ!ね?」
「うぐぅ……ズだ……」
「え?」
「私は、ホームズだ……。ホームズと、呼んでほしい……」
「……ホ、ホームズだね。うん、ホームズだよあんた」
「おふたりとも必死ですね」
駄々をこねる同級生を宥めるという、どちらが恥ずかしいのか分からないことをさせられて、呉薬も鳥堂も顔を真っ赤にしつつ、家逗の言いなりになった。隣で見ている羽村にしてみれば面白い同級生トリオである。
これもまた子供のようにぱったり泣き止んだ家逗は、改めて事件の捜査状況について二人に質問した。もうこれ以上振り回されたくない二人は、さっさと話せることを話して解放してもらうことを選択した。黙っておけば、川路にバレることもない。
「えっとじゃあ……まず、事件の詳細からだけど、概要は今朝の集会で会長さんが話したとおりだよ。理事室前の女神像が、今朝から妙なメッセージを出してるってことだけ。それ以外に害はないし、他に関連する事件なんかもない」
「取りあえず風紀委員としては、事件に関して知ってる人を探すために所持品検査を始めたって感じだね。あと、この件は会計委員会と連携して捜査してるよ」
「なぜ会計委員会が?」
「あの女神像、卒業生からの寄贈品なんだって。その辺の取扱いは会計委員会がやってるから、そのせいじゃない?盗まれたとか壊されたとかならともかく、ワケわかんないメッセージが出たってんだから、会計委員会も調べることがあるんだろうって。川路が言ってた」
改めて聞いても妙な事件である。いったい誰が何の目的で、女神像をそんな状態にしたのだろうか。
家逗は質問を続ける。
「ふむ。では例の女神像について分かっていることは?」
「なんも」
「なんも?」
「そう、なんも」
「なんもというと」
「なんもはなんもだよ。ゼロってこと」
「どういうことだ。君たちは風紀委員だろう?女神像は今回の事件の中心だ。それについて、何ひとつ分かっていないとはどういう了見だ」
「分かってないっていうか、教えてくれないんだって。会計委員会が」
「詳しくお話しいただいてもよろしいですか?」
呉薬と鳥堂はお互いの顔を見合わせて、どう言おうかと目だけで打ち合わせた。が、どうもこうも、言い方はひとつしかない。鳥堂が口を開いた。
「なんか今回、上同士で揉めてるっぽいんだよね。会計委員長の磯手は、詳しい調査は会計委員会がやるから、風紀委員は情報収集に徹しろって言ってるらしい。んで川路は、風紀委員会は会計委員会の手下じゃないって怒ってるみたいで」
「ふんっ、くだらないプライドを持つからそういうことになるんだ。俗物たちめ」
「あんたが言うな」
「どうして会計委員会は、そんなに女神像の情報を出し惜しみするのでしょう?寄贈品ならある程度の情報は持っているはずですから、知らないということはないと思いますが」
「でもねえ……それもちょっと怪しいよ」
「とおっしゃいますと?」
話を聞けば聞くほど濃くなっていくきな臭さに、羽村は興味をそそられずにはいられなかった。一方の家逗は、ややこしい人間関係のあれこれを理解する気がおきず、既に半分ほど集中が削がれていた。もはや呉薬と鳥堂は噂話を話す勢いで、聞かれてないことまでどんどん話してしまいたくなっており、家逗に代わって羽村がそれに耳を傾けていた。
「変なメッセージが表示されてるのは女神像の台座の方なんだよね。で、その台座も寄贈品なんだってさ。あの女神像は、台座もガラスケースも南京錠も含めてひとつの寄贈品なの」
「ほうほう」
「ってなるとだよ。台座に謎のメッセージが表示されたのは、もともと台座に備わってた機能なんじゃないかってことになるじゃん?」
「確かにそうですね。さすがに、誰にも気付かれないうちに、元から無い設備を新しく取り付けるのは不可能かと」
「じゃあその機能があることがいつ分かったかっていうと、事件が起きた時なわけ。つまり、会計委員会は寄贈品のことを十分に調べられてなかったってことになるわけ!」
「1個そんなことがあると、他の寄贈品や学園の備品についても会計委員会はちゃんと管理できてるのかって疑問が出てくるの。それって単純にすごい仕事増えることになるし、何よりこれは磯手の落ち度って話になるよね」
「お二人とも楽しそうですね。お話は理解できます」
「だから磯手は、会計委員会がそんな見落としをしてたって事実を有耶無耶にするために、あとそのフラストレーションの捌け口に、風紀委員に当たってるんじゃないかって話だよ」
「話のスケールが急激に萎んだような……磯手様の八つ当たりの件はお気の毒ですが、私としては女神像のお話をもっと詳しく聞きたいのですが」
「全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる、シャーロキアンなら肝に銘じておくべき言葉だよ、ワトソン君」
「今が使いどきではないという点を除けばまさにその通りです、ホームズ」
「羽村ちゃんって家逗にめっちゃ甘いよね」
呉薬と鳥堂の話に覚えていた違和感の正体が、単なる磯手のプライドの問題に帰する。それは可能性として考えられるものの、羽村にはあまりに受け入れ難い、言ってしまえばみみっちい話だった。あくまで2人が知っている事実から導いた仮説に過ぎないが、今ある事実だけで考えれば尤もらしくも思えた。
「女神像のことを知りたきゃ会計委員会に聞きに行くしかないよ。アタシらが知ってんのは、とにかく風紀委員会はほとんど何も知らされてないってこと。川路でさえアタシらに全部は話してないと思うよ」
「そんなこと、分かるものなのですか?」
「分かるよ。だって今朝やってた所持品検査だって、基準ガバガバだもん」
「そうだ!あの所持品検査のことがずっと気になっていたんだ!君たちは何を探していたんだ?」
「まじで聞いてよ!検査の基準めっちゃガバいんだよ!?」
もはやほとんど2人の愚痴になっていたが、家逗と羽村にとってはそれも情報にはなるので真剣に聞く。
「“手のひらに収まるサイズで、赤くて、丸いもの”。これが所持品検査の摘発対象なの!ガバすぎん!?」
「手のひらに収まるサイズで……赤くて、丸い?」
「なんそれって感じじゃない?せめて物の名前で言えっての。スーパーボールとかヘアゴムの飾りとか塩瀬庵の和菓子とか、なんでも当てはまるじゃんこんなの」
「和菓子は流石にいきすぎだけどさ、ひどくない?」
「……」
馬鹿馬鹿しい、と一笑に付す2人だが、家逗と羽村にとっては馬鹿馬鹿しい話とは思えなかった。確かにその条件に当てはまるものは数多くありそうだが、事件に関係するもので2人は、手のひらに収まるサイズで赤くて丸いものを知っている。これは、偶然の一致ではないだろう。
「なるほど……うむ。有用な手掛かりが得られた。でかしたぞグレグスン君!レストレード君!」
「ん。なんか色々話したらスッキリしたわ。鬱憤溜まってたんだね、ウチら」
「ふたりが真剣に聞くからつい話し過ぎちゃった。あ、ちなみに今回のこと、川路には内緒にしといてね。怒られたくないから」
「もちろんです」
家逗にしてみれば思い通り、羽村にしてみれば殊の外、2人からは大いに情報を得られた。牟児津たちがどんな風に聞き込みをしてくるか分からないが、少なくとも引け目を感じる必要はなさそうだ。羽村はひとまず胸を撫で下ろした。
「お忙しいところ、貴重なお話ありがとうございました」
「うん。羽村ちゃん、シアロをしっかり見ててあげてね。何かやらかしそうになったらいつでも呼んで」
「シアロの呼び出しはウザいけど、羽村ちゃんだったらすぐ駆けつけるから」
「ありがとうございます。そうします」
「なんだその扱いの差は!私だってやるときはしっかりやるんだからな!この事件でだって驚かせてやるぞ!」
「期待しないで待ってるわ〜」
出されたお茶のペットボトルをちゃっかり持って、2人は風紀委員室に戻るため部室を出た。部室の扉が閉まると、家逗と羽村は部費で買った巨大な壁掛けホワイトボードの前に立って、得た手掛かりを精査し始めた。本当は雰囲気重視でコルクボードを家逗が羽村にねだったのだが、実用性から羽村が独断でホワイトボードに変更して購入したものだ。マグネットを買う予算がないので、家逗が初等部生の頃に使っていたマグネット入りの算数セットを代わりに使っている。
「ふふふ……!やはりあの2人を当たってよかった。彼女たちはいつも私に新しい手掛かりと素晴らしい気付きを与えてくれる」
「本物のホームズにとってのグレグスン警部とレストレード警部よりも評価していますね。おふたりにとっても光栄なことでしょう」
「それにこれだけの手掛かりがあれば、胸を張って灯油君に捜査報告ができるというものだ!牟児津真白の驚く顔が目に浮かぶようだ!うん!気分が良い!」
「よかったですね、ホームズ」
走り書きとは思えない羽村の整った字の手書きメモと、高校生が描いたとは思えない家逗の稚拙なイラストのメモがホワイトボードに並ぶ。女神像に関する事実、会計委員会と風紀委員会の軋轢、そして疑惑。それらをまとめたボードを羽村がスマートフォンで写真に収め、ひとまずこの日の情報収集はひと段落した。
牟児津たちと約束した時間までは、まだ余裕がある。このペースなら、情報収集にもう1ヶ所回れそうだ。
「せっかくだから本物の女神像を見に行こう!手掛かりは現場に落ちているものだぞ!」
「しかし今は会計委員会による立入規制が敷かれているはずです。あまり目立った行動をするのは、今後の捜査に差し障りが出るかと」
「構わん。解決に手を貸してやろうというのだから、ありがたがられこそすれ疎まれる筋合いはない」
「向こうにしてみれば大いにあると思いますが……」
「さあ行くぞワトソン君!」
コスプレ用の軽いステッキを持って、家逗は楽しそうに部室を飛び出した。羽村は、会計委員会に怒られたとき用の言い訳を頭の中で練りながらその後に続いた。
家逗が怒られて半べそをかくまで、5分を切っていた。
〜〜〜〜〜〜
「うへぇ〜〜〜ん!」
家逗が半べそをかかされる数分前、牟児津は一足先に全べそをかかされていた。牟児津たちは事件の渦中にある女神像を一目確かめようと、合流して真っ先に現場に向かっていたのだった。
案の定、会計委員会による立入規制が敷かれていたところ、牟児津は遠巻きに眺めてざっくりした雰囲気を掴もうとしていた。が、益子は無遠慮かつ不躾にその規制を突破しようと試みたため、見張りに立っていた会計委員を怒らせた。その流れでなぜか牟児津と瓜生田も巻き込まれ、3人揃ってどやされる羽目になったのだった。
「なんで私が怒られなきゃならないんだよ〜〜〜!もうやだ〜〜〜!」
「益子さん、もうちょっと丁寧に取材してよ。私たち関係ないのに怒られちゃったよ」
「いやあ〜すみません。よく見てみるとあの女神像、なかなか面白い形してるなあと思いまして。なにぶん、私が高等部に来る前からあるものですから、敢えて取材することもなくてですね」
「分かるよ。あんな金ピカなのに、最初から当たり前みたいに置いてあると、なんか風景の一部になっちゃって流しちゃうみたいな」
「年上が泣いてんだからどっちかは見ろ!」
「ムジツさんが人に泣かされるなんてしょっちゅうだから」
「ムジツ先輩は泣き顔がキメ顔みたいなところありますから」
「こいつら……!」
見張りに追い払われながらも、益子はちゃっかりスマートフォンで女神像の周囲を写真に収めていた。変わらず表示されている祝福のメッセージ。ガラスケースの中で紫の座布団の上に鎮座する四角い女神像。ガラスケースと台座をつなぐ南京錠は壁との隙間に挟まっている。どうやらガラスケースは取り外せるようだが、鍵がないとどうにもならない。
物は試しと思ってきてみたが、結果、苦い思い出を刻むだけで終わってしまった。
「さて、どこを捜査に行きましょうかね」
「そもそもあの女神像って誰のものなの?」
「学園のものだから、会計委員会が管理してるはずだよ。今朝も磯手先輩が事件に関わってるって話をしてたし」
「ん?お二人とも、磯手先輩とお話なさったんですか?それも今朝?」
「……後で話すよ、そのことは」
「なるほど。まあその辺りも磯手先輩に
「あっ!ちょっと益子ちゃん!」
聞くことも聞かず、益子はテンションに突き動かされるまま会計委員室に走って行った。まだそこに行くとも決めていないのだが、牟児津と瓜生田は仕方なくその後を追って歩いていく。と思いきや、すぐに益子は打ち拉がれたようなしわくちゃ顔になって戻ってきた。
「留守でした……」
「忙しいなあ」
「見張りの方に聞けば、どこに行ったか分かりませんかね?」
「やだよ、さっきの今で。めちゃくちゃ怒られたのに」
「私もちょっと……。あの方と相性悪いみたいで。瓜生田さん、お願いできますか?」
「しょうがないなあ。私だって怒られたんだから、期待しないでよね」
牟児津と益子はここぞとばかりに瓜生田を頼った。3人の中では一番交渉ごとに長けていて、かつ背も高いのでナメられにくいのが瓜生田の強みだ。2人が陰ながら見守る中、瓜生田は見張りに立っている委員に声をかけた。
「すみません。ちょっとお伺いしたことが」
「さっきの今でなんだ!よく質問なんかできるなお前!」
「えへへ。あのですね、私たち、磯手先輩にお聞きしたいことがあるんですけど、どちらに行かれたかご存知ありません?」
「な、なに!?磯手委員長!?お前本当に図太い神経してるな!委員長級の生徒にそう簡単に会えると思うな!ましてや質問なんて、身の程を弁えろ!」
「そうですか……あ、でも委員長の行き先とか、いま何をされてるかさえ分かればいいんです。ダメですか?」
「教えてたまるか。教師や風紀委員ならともかく、得体の知れないお前たちに教えることなんてない」
「そうですか……あ、じゃああの、会計委員の方がどこにいらっしゃるかとかでもいいんです。さっき委員室にお邪魔したらお留守だったので」
「ん?普通の委員?」
「磯手先輩にお会いするなんて無理言ってすみません。とにかく、会計委員会の方にお聞きしたいことがあって」
「そ、そうなのか?う〜ん……まあ、委員長には会わせられないが、普通の委員のいる場所なら」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
白々しいとさえ思える瓜生田の交渉術は、しかし見事にうまくいったようだった。無事に他の会計委員の居場所を聞き出すことに成功した。そして得意げな顔で帰ってきて、力強くブイサインした。
「どんなもんだ」
「お見事です瓜生田さん。譲歩のふりをして本来の目的を達成する常套手段ですね」
「えへへ。意外と上手くいくもんだね」
「うりゅがどんどん悪い知識を身につけていく……ダメだようりゅ!
「ムジツさん。人を指差さない」
「ぬぐぅ」
注意したつもりが注意し返されてしまった。何かと上手くいかないもやもやを抱えたまま、瓜生田が聞き出した会計委員らのいる場所に、牟児津は移動することにした。
〜〜〜〜〜〜
会計委員らが仕事をしているのは、講堂の地下にある大倉庫だった。広大な敷地を持つこの学園は、その運営に必要な備品や購入した物品を整理して保管しておくために、専用の倉庫を設けている。限られた敷地の中で広い場所を用意するのに、全校生徒を収容できる面積を有する講堂の地下は打ってつけだった。
本来、地下の大倉庫に入るときは生徒会に申請して承認を得たうえで警備室から鍵を借り、かつ教師の随行がなければならない。しかしいま、鍵は会計委員会が借りている。中で作業をしているため入口につながる階段は開放されていた。委員会活動の特例として、教師の随行も不要だ。当然、牟児津たちが勝手に入るのは校則違反になる。
「私、初めて入るよ。こんなところ」
「私も。普通に学園生活を送ってたらまず入らないところだよ」
「学園祭の準備期間になると出入りが激しくなりますね。今日みたいなことはかなり珍しいです。今のうちに潜り込んで色々調べちゃいましょう」
「いっつも思うんだけど、こういう捜査とかしようとするとルールとか守ってらんないんだよなあ」
「ひどい気付きだね」
階段は校舎のものと同じだが、壁の材質や照明の明るさ、何よりそこに満ちている空気が違う。非日常的な雰囲気を感じ取って、牟児津はぞわぞわ、瓜生田はハラハラ、益子はワクワクしていた。会計委員総出で仕事をしているためか入口は見張りもおらず、牟児津たちはすんなり中に入ることができた。
大倉庫の空気はひんやりと冷たく、少し埃っぽい。コンクリートでできた窓のない空間で、普段人が立ち入らない場所なら、だいたい同じような空気を感じるだろう。広いだけあって音がよく響き、天井から降り注ぐ照明の灯りは校舎で使われているものより力強い。
大倉庫は講堂と同じかそれ以上の面積を有していて、天井は瓜生田がめいっぱい背伸びして手を伸ばしてもその3分の1に満たないほど高い。とてつもない大容積の空間だが、それでも3人は広いとは感じなかった。おそらく、入ってすぐ目の前から部屋の奥深くまで、金網で仕切られた独房のような空間と、その間にあるすれ違うのも苦労する狭い通路で埋め尽くされていたからだ。しかも独房の中には物がこれでもかと詰め込まれていて、通路にはバインダーを持って何かを数える会計委員たちがぎゅうぎゅうにひしめいていた。
「うわ〜……でっけ」
「すごいね。これ全部が学園の備品なんだ」
「天井高いですね〜!あの上に地面があるとすると、ここって地下何階なんでしょう!?」
初めて入る大倉庫に、ビビっていた牟児津でさえ興奮が隠しきれない。金網の向こうにある備品は、古い机や椅子、長テーブル、持ち運び用の黒板にグラウンドで使うラインマーカー、テニスのネットなど多岐にわたる。これらを全て会計委員が、人の目と手で数えて管理しているというのだから大変だ。普通の生徒は知らない学園の裏側を覗いたような気分になって、ちょっとだけわくわくする。
が、そのわくわくも、長くは続かなかった。
「ちょ、ちょっと!誰ですかあなたたち!」
倉庫中に響く声で、牟児津たちは思いっきり注意された。アニメのキャラクターから聞こえてくるような、キャミキャミした可愛らしい声だ。
ずかずか近付いてくるジャージ姿の生徒の胸にネームプレートが光る。“1年Dクラス
「今ここは会計委員以外立ち入り禁止ですよ!入口にAバリ(※A型バリケードの略)があったでしょ!」
「え?そんなのなかったよ?」
「ウソです!ちゃんと私がこれ立てといたんですから!ほらこれ!この文字を読んでください!」
「関係者以外立入禁止」
「でしょ!?意味わかりますよね!?だったらどうして……ど〜〜〜してAバリがここにあるのかな〜〜〜!?」
「立て忘れてたんだねえ」
「……い、いや!今からでも!今からでもあなたたちを追い出して入口に置いておけば最初からあったのと同じです!」
「うわあ、雑な帳尻合わせだ。会計委員がそういうことしていいの?」
「あなたたちは怒った委員長の怖さを知らないからそんなこと言えるんです!いいから出て行ってください!私のために!」
朝治はひとしきりドタバタ騒いだ後、虎柄のバリケードで牟児津たちを倉庫の外に押し出そうとした。汚れたバリケードが制服に付くのを嫌って、3人ともがみるみる階段の方へ押し返されていく。
「ちょ、ちょっと待ってください!私たちはお話を伺いに来ただけです!磯手先輩はいらっしゃらないんですか!?」
「えっ!?い、委員長!?ど、どこ!?」
「いや探してるのは私たちなんだけど」
「よ、よくもだましたアアア!!」
「騙してないから落ち着いてって。磯手さんいないの?」
「委員長は理事とのお話に行かれました!お忙しいんですから、わざわざこんなところまでいらっしゃいません!いらっしゃらないよね?」
「来てほしくなさそう。理事って、学園理事?なんでそんな人に」
「私が知る必要のないことを知るのは無駄ですから、教えられてません!」
「なんか息苦しそうな委員会ですねえ」
どうやらまだ朝治は落ち着ききっていないらしく、益子の質問にも頓珍漢な答えを返す。看板でぐいぐい押し込んで来たかと思えば、肘を明後日の方に向けて腕時計を覗き込み、さらに汗を飛ばした。
「ああもう!こんなことしてる場合じゃないのに!時間までに仕事を終わらせないと先輩に怒られる!」
「怒られてばっかりなんだね」
「同情するなら出てってください!私は急ぐので仕事に戻りますが、入ってきちゃダメですからね!絶対ですからね!」
「フってます?」
「フってません!言いましたからね!」
階段まで牟児津たちを押し返し、目の前にバリケードをどんと立てた。慌てて仕事に戻ったせいで、牟児津たちを排除することも立て看板を立て直しに行くことも中途半端に終わってしまっていることに気付いていない。普段から磯手や他の先輩に仕事の雑さを怒られているのだろうなあ、と牟児津は同情まじりの視線でその背中を見送った。
「取り付く島もないよ。どうする?」
「どうって、帰る理由がありますか?障害はありませんよ」
「目の前に看板があるでしょ。入っちゃダメだって」
「ダメと言われてすごすご引き下がるようなら探偵も探偵助手も番記者もやってませんよ!それに仕事の邪魔さえしなければ文句はないでしょう!」
「わあ身軽」
益子は階段を少し昇ってから、ひょいとバリケードを飛び越えた。瓜生田はそんなことをしたら絶対に怪我をすると分かっていたので、スカートをたくし上げて跨いだ。牟児津はそのどちらもできないので、反対側から瓜生田に抱えてもらってバリケードを越えた。
「さて。磯手先輩がいないんなら、せめて女神像の基本的なことくらいは教えてもらいたいよね」
「さっきの朝治さんに聞きに行きましょう。他の方のところに行ったら、私たちの侵入を許したことがバレて迷惑がかかりますから!」
「人の迷惑を気にする奴はここで帰るんだよ」
さらに朝治を怒らせそうだが、この広い倉庫ではどこに何人の人間がいるか分からない。手っ取り早く人を見つけるには、朝治の後を追うのが最も確実だ。牟児津たちは金網の隙間に消えた朝治の後を追った。
バリケードに書かれた文字は、誰もいない階段に向かって虚しく警告を発し続けていた。
〜〜〜〜〜〜
「椅子が……10脚ここにあって、11、12、13、14、15、16、17……」
「すみません。今何時でしょう?」
「えっと、16時です。17、18、19……」
「ところで朝治さんはおいくつですか?」
「16歳です。17、18、……あれ?数が合わない……えっと、15、16、17……」
「4×4は?」
「16、17、……ってちょっと!なんであなたたちがいるんですか!邪魔しないでください!」
「さっそく邪魔してんじゃんか!話聞き出す気あんのかアンタ!」
「ほぶしっ!」
真面目に椅子を数えていた朝治の後ろから、益子が茶々を入れて混乱させる。邪魔さえしなければ、という話でバリケードを越えてきたのに、初っ端から思いっきり邪魔をしている。朝治と牟児津に頭を前後からしばかれて、益子はくぐもった声を漏らした。
「出て行ってくださいって私言いましたけど!?え、言いましたよね?Aバリ……置きました、よね?」
「警告ガン無視し過ぎて不安にならせてんじゃん!ごめんごめん!ちゃんと言ってたしバリケードも置いてたよ。心配しなくても大丈夫だから」
「よかったあ……いやよかないですよ!だったらなんで入って来てるんですか!?頭おかしいんですか!?」
「ごめんなさい朝治さん。私たち、ひとつ知りたいことがあるだけなんです。教えてもらったらすぐに帰りますから」
「なんなんですかもう……勘弁してくださいよ。ただでさえ私、仕事が遅くていつも怒られてるのに……」
益子の暴挙のせいで、朝治はすっかり頭を抱えてしまった。さすがにこうなると3人とも無理やり倉庫内に入ってきたことに後ろめたさを感じ、さっさと退散しなくてはならないと感じ始めた。とはいえ3人も洒落や遊びで情報収集をしているわけではない。せめて最低限の目的だけは果たしてから出ていくつもりだった。
「今朝、藤井先輩からお話があった女神像のことを教えてほしいんです。簡単なことでもいいので」
「アレですか?アレは……卒業生からの寄贈品ですよ」
「あのへんてこりんな金ピカ像が?うちの卒業生らはどんなセンスしてんだ……」
「いえ、確か個人からのものです」
「え、個人の?」
「はい。寄贈品のリストの寄贈元のところに個人名が載っていました。同窓会からじゃないんだなあ、って思ったので印象に残ってます」
「その人の名前とかって覚えてます?」
「えっと……確か、カタカナでエルネって名前だったと思います」
「珍しい名前だなあ。最近の人っぽいね」
「はい。3、4期前の卒業生でした」
「ってことは、世代的には大学部生か卒業したばっかりの人か……そんな人があんな金ピカの像を個人で寄贈するって、おかしくない?」
「おかしいとは思いますけど、私たちにそれを詮索する理由はありませんから。さ、もういいでしょう。私は仕事をするんですから、もう構わないでください」
観念した朝治からは、思いがけない角度からの情報が次々に出てきた。女神像の正体は分からないものの、それが卒業生からの寄贈品であり、寄贈主の名前とおおよその年齢も分かった。そう遠くない世代なら、牟児津たちにはある程度追跡するツテがある。
朝治にはすげなく背中を向けられたが、思った以上の手掛かりを得ることはできた。この手掛かりを元にさらに手広く情報を集められそうだ。牟児津たちは朝治に深く感謝して、ようやく倉庫を出ていくことにした。戻るついでに、階段下に立てかけられたバリケードを外の入口前まで持ち上げてやった。
〜〜〜〜〜〜
瓜生田はメッセージアプリを閉じた。あまり期待し過ぎないようにしていたのだが、やはり心のどこかでは大いに期待していたのかも知れない。
「お姉ちゃん、分からないって」
「しょうがないよ。世代的にはりこねえと被らないし」
「オカ研から
「内部進学してたら本人に会えるかも知れないしね。そっちは一旦、
会計委員の朝治から得た手掛かりを元に、牟児津たちはエルネという卒業生について情報を集め始めた。3〜4年前の卒業生では牟児津たちと直接の関わりはないが、同じく卒業生である瓜生田の姉の
とはいえ李子の方は早々に可能性が潰え、虚須もまた完全に同世代ではないだけにどちらかと言えば望み薄である。そうなれば、結局は自分たちの足で稼ぐしかない。
「せめてその人が所属してた部活とかが分かればなあ。昔の生徒名簿とか卒業文集とかさ」
「その辺りを管轄してるのは学生生活委員ですね。同窓会もです。田中先輩に直談判でもしに行きますか?」
「あんたどんだけ肝座ってんだよ!絶対断られるし絶対いやだわ!」
「じゃあ、理事室前まで戻ってみる?もしかしたら磯手先輩がいらっしゃるかも知れないよ」
「え〜……またあの見張りの人に怒られるからヤダよ」
「あれもヤダこれもヤダって、ムジツ先輩はそういう消極的なところがいけません!安楽椅子探偵というのも魅力的ですが、あれは出不精だから引きこもってるわけじゃなくて、並大抵の事件では出るまでもないという卓越した頭脳を表すスタイルのひとつでして——」
「何言ってっか分かんないけど、取りあえず的外れなこと言ってるのだけは分かる」
「あっ、じゃあさ」
無駄な講釈を垂れる益子はさておき、瓜生田が提案する。
「ちょっと可能性は低いけど、図書室に行けば、もしかしたらエルネさんのことが分かるかも知れないよ」
「へ?どういうことですか?」
「その人、本でも出してるの?」
「まあまあ。それは行ってのお楽しみ。どうする?行く?」
「行こう!理事とか田中さんに突撃するより100倍マシだ!」
瓜生田の提案で、牟児津たちの次の行き先は図書室に決まった。瓜生田が何を考えてそれを提案したかは分からないが、図書委員である瓜生田なら何かしらの宛てがあるのだろう。3人はそこからまっすぐ図書室に向かった。
学園の図書室の隣には、書架に並べきれない本や、高価で丁重な扱いが必要な本などを所蔵しておくための図書準備室がある。本来は図書委員しか入れない場所だが、委員である瓜生田がこっそり牟児津と益子をそこに招き入れた。
ブラインドで陽が遮られている室内はほこりっぽく、あまり出し入れがされていなさそうな本棚は近くを通るだけで埃が舞う。その中で瓜生田は、ひとつの大きな段ボールに歩み寄った。ひとりではとても運び出せないので、3人で力を合わせて作業用スペース近くまで持ってくる。中を開くと、分厚いアルバムのような本が大量に背表紙を向けていた。
「瓜生田さん、なんですかこれ?」
「これは、学園生が公式大会で打ち立てた記録とか、入賞実績とかを記録した本だよ。ちょうど今朝表彰されてた人たちも、ここに実績と名前が載るんだ。この箱がちょうど3〜4年前の分だから、もしかしたらエルネさんの名前も載ってるかも」
「そうか!そしたらエルネさんが所属していた部活とか、どんな人かが分かるかも知れませんね!」
「そしたらエルネさんがいた部活に話を聞きに行って、んで女神像について聞き込みして……なんか、えらく遠回りしてるような気がするんだけど」
「仕方ないよ。まだ手掛かりが少ないんだから。一歩ずつでも確実に前進する方法をとらないと」
「とほほ……」
「あとエルネさんがどんな人か分からない以上、ここに名前が載ってない可能性もあるからね」
「ほ……」
本は一冊一冊が分厚く、しかもそれが複数の別冊に分かれている。運動部の巻、文化部の巻、同好会の巻1巻、同2巻……その中から、エルネという名前しか分からない人物を探し出すのは途方もない作業に思えた。まるで浜辺の砂から一粒の小豆を探し出すようだ。その上、それら全てが無駄に終わる可能性すらあるのだという。
「これは途方もない作業ですね。やっぱり突撃取材をした方がいいんじゃないですか?」
「私は無茶して怒られるくらいなら暗い部屋で地味な作業してた方がいい」
「内側に直向きですねえ」
それから、3人は黙々と本のページをめくる作業に入った。ほこりっぽくて暗く狭い室内に、ただ紙面を指でなぞる乾いた音と、ページをめくる薄く軽い音、たまに漏れるため息の音だけが、生まれてはすぐに消える。
もともと始める時間が遅かったせいで、探偵同好会との待ち合わせ時間までに調べられた分量は、全体の1割にも満たない。それでも閉校時刻は迫ってくるので、牟児津たちはほどほどで切り上げた。明日もここで調べものか、と思うと益子は気が滅入った。
「やっぱり、ムジツ先輩にこういう地道な捜査は似合いませんよ!これは私や瓜生田さんの仕事ですから、先輩はもっとスマートにですね——」
「いやいや。こういう地道な捜査こそムジツさんに似合うよ。追い込まれて必死に頑張ってるときこそムジツさんは輝くんだから」
「私の解釈で論争すんな」
今日分かったことは、渦中の女神像は、エルネという卒業生からの寄贈品であるということくらいだった。短い捜査時間ではこれくらいで十分だろう。牟児津は自分で自分に甘めの合格点を出した。
〜〜〜〜〜〜
「以上が、今日のところ私たちが調べた結果です。明日も先輩方からの情報を待ちつつ、図書準備室でエルネさんの手掛かりを探るところからです」
「なるほどなあ。ま、名探偵いうてなんでもかんでも簡単に分かったら苦労せんわな。よう調べてくれたね、ありがとう」
探偵同好会と合流し、互いの捜査結果を共有するついでに灯油への捜査報告もするため、一同は再び落研の部室に集合した。他の部員が稽古に励む中、灯油は真剣に瓜生田の話に耳を傾けていた。
あまり進展がなかった牟児津たちと違い、探偵同好会は風紀委員のツテをたどって多くの情報を集めてきた。牟児津たちが集めた情報と重なる点はあるものの、女神像に関して牟児津たちより深い情報を持ってきていたし、磯手が理事と何らかの話をしていることや、赤い宝石に関する手掛かりも得てきていた。ほんの何時間かの間に、探偵同好会は牟児津たちと同じ以上の手掛かりを集めてきたのだ。
「以上が、探偵同好会の調査結果です」
「ご苦労だワトソン君。どうかね?あくまで客観的な評価として、どうやら我々の方が数多くの有益な手掛かりを集めてきたようだ。何か言いたいことはあるかね、牟児津真白」
「いや別に……」
「“お・み・そ・れ・し・ま・し・た”だ!ほら!さん、はい!」
「言わないよ?」
「ええやんええやん。自分ら次の寄席で前説の漫才でもさせたろか?」
「冗談はよせ」
「んなっはっは!よせって!」
「エルネ様のことは確かに調べる必要がありそうです。我々は明日以降さらに聞き込みを続けようと考えていましたが、人員が必要ならお手伝いに参りましょうか」
「おっ!さすが、さっそく私たちの手柄を横取りするチャンスを嗅ぎつけたようですね!そんな見え透いた方便じゃムジツ先輩は騙せてもこの実耶ちゃんは騙せませんよ!」
「これが方便に聞こえるのは、益子様が普段から方便を使われているからでは?」
「ここが捜査本部とは思えないまとまりのなさだなあ」
捜査結果で牟児津にマウントをとる家逗と、その家逗が不意に発した駄洒落で笑い転げる灯油。そしてバチバチに火花を散らす羽村と益子。情報共有はできたが整理がまだできていないし、明日以降の捜査の方針も立てられていない。各々が好き勝手にしている様子を、瓜生田は一歩引いた視点から見て、やれやれとため息を吐いた。
「あの……すみません。うちの姐さんが巻き込んでしまって」
牟児津たちを見守る瓜生田に、部員のひとりが話しかけてきた。昼休みに灯油の隣に並んで座っていた1年生の部員だ。瓜生田はなんとか名前を思い出す。確か、吹逸といったはずだ。
「えっと、吹逸さんで合ってたっけ?」
「はい。江暮屋 吹逸と申します。芸名は灯油姐さんに付けていただきました」
「落研の人はみんな面白い名前だね。お菓子が好きなの?」
「ええ……そのようなところです」
「そっかあ」
「あの。瓜生田さんからみて、どうでしょう。この度の事件。本当に姐さんが犯人なのでしょうか」
「う〜ん、それはまだ分からないなあ。私は少なくとも、何らかの形で事件に関わってはいると思うけどね。もしかしたら巻き込まれただけだったりして」
「それなら……いいんですが」
不安そうな顔をして吹逸はうつむく。自分が慕っている先輩が、もしかしたら事件の犯人になってしまうかも知れないと思うと気が気でないのだろう。瓜生田はその気持ちを察して、励ます意味で軽口を叩いた。
「手のかかる先輩を持つと、後輩は大変だよね」
「……本当に、おっしゃる通りです」
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