第4話「恋は盲目なんて」
翌日、牟児津と葛飾は、蒼海ノアについて調べて分かったことを報告するのと、昨日早々に寝落ちして話を聞けなかった蛍恵から詳しい話を聞くため、広報委員室に向かった。いかがわしい雰囲気のある委員室の扉を、牟児津が軽くノックする。向こう側にその音が聞こえているのかすら怪しいが、それほど待たずに扉は開かれた。現れたのは、ヤジロベエ型の頭をした一ツ木だ。
「あっ、あっ、あんたら……!よ、よく来たな……!?」
「あの、ちょっと昨日までの調査結果のご報告と、蛍恵さんにお話を伺おうかと思いまして……いま、お邪魔でしたか?」
「邪魔っていうか、あン?取りあえず……まァ、じゃあ、入りな」
「?」
いちおう部屋には通されたが、何やら一ツ木の様子がおかしい。牟児津を見るなり困惑の表情を浮かべている。何やら嫌な気配を察知した牟児津はすぐさま回れ右しようとしたが、襟を葛飾に掴まれて部屋の中に引きずられていった。
「ここまで来て帰るなんてダメですよ真白さん」
「ろくでもない予感しかしねぇ〜〜〜!!いやだ〜〜〜!!」
一ツ木に案内されて委員室の中まで入ると、相変わらずこもった空気の嫌な臭いが鼻先に纏わりついてきた。ゾンビのように仕事を続ける委員たちは、入って来た牟児津を一様にじろじろと見つめ、委員長席の前に立った旗日と黄泉は、難しい顔をしている。何があったのか、それを尋ねる必要性を、牟児津は感じていなかった。すっかり人が自分に向ける敵意に敏感になってしまった。自分が疑われていることを肌で感じ取った。
「ど、どうしたんですか皆さん?やっぱりお邪魔でしたか?」
まだ疑念を肌で感じ取る訓練ができていない葛飾が、間抜けにも尋ねた。少しだけ、旗日の口からため息のようなものが漏れた気がする。あのハイテンションな旗日がこうなってしまうとは、よほどのことだろう。
「……話をしよう」
黄泉はあくまで冷静だった。
「は、話、と言いますと?」
「牟児津さん。君のこれまでの活躍は、私たちも聞き及んでいる。広報委員としては、その上で蒼海ノアの捜索を依頼したつもりだ。だから……ただひとつの根拠を持って頭ごなしに責め立てることはしたくないのだが……」
「えっ」
「はっきりさせよう。君が、蒼海ノアの炎上事件の発端なのかどうか」
「えええっ!?え、炎上事件の発端!?」
「はあ……だから入りたくなかったんだ……!またこんなことなるじゃん……」
表情から、空気感から、前置きから、牟児津が察知した嫌な予感は正しかった。あろうことか、牟児津は広報委員会から、蒼海ノアを炎上させた犯人だと思われているらしい。葛飾はそんなことを言われるとは全く予想していなかったので、驚いて大声をあげてしまった。対する牟児津は、あくまで旗日も黄泉も盲目的に牟児津が犯人だと考えないようにしていることに、ありがたみさえ感じていた。今までのパターンなら問答無用で風紀委員に突き出されている。あるいはこの部屋で川路に待ち伏せされていたかも知れない。
「その根拠ってのはいったいなんなんですか?」
「蛍恵」
「はぁい」
黄泉が合図すると、蛍恵は部屋の隅に設置された床置き式スクリーンを持ち上げ、プロジェクターの蓋を開けた。日比が部屋を暗くし、スクリーンの画像が鮮明に浮き上がる。あらかじめこうなることを予測していたかのような準備の良さだ。
映し出されたのは外部SNSの投稿で、写真が添付されたごく普通の投稿だ。
「これは、あるアカウントから投稿されたものだ。投稿は昨夜20時過ぎ。内容は見ての通りだ」
──単語テストめっちゃ低かった(;´Д`)
親にもバレておこづかいピンチ!
甘いもの食べてべんきょうがんばるぞ!──
「まあ、普通の投稿ですね」
「問題は添付されている写真だ。個人情報にあたる部分は投稿者によって隠されているが、頭のシルエットが映り込んでいる」
長い指示棒を使って、黄泉がプレゼンテーションのように写真を解説する。映っているのは牟児津たちも受けた英単語テストのようで、親切なことに伊之泉杜学園のシンボルも点数も、これ見よがしに残されている。氏名欄や持ち物に書いた名前はスタンプで目隠しをしているにもかかわらずだ。
「昨日の話では、英単語テストに苦労していたらしいじゃないか。まさにこの投稿にある内容と一致する。それにこの結んだ髪の形といい髪の色といい、牟児津さんとよく似ているようだが、どうだろう?」
「いやあ、どうっすかねぇ。自分じゃあんまり意識したことないんで……」
「そのアカウントがなんなんですか!それが真白さんのアカウントだったら、どうだっていうんですか!」
「……言わずもがなとは思うが、いちおう説明しよう」
プロジェクターに映した画像が横にスライドして、新しい画像が映し出される。それは、先ほどと同じアカウントによる、写真付きの投稿だった。その文字と画像が、全てを物語っていた。
「この画像は、工総研が運営している学園の裏サイトのスクリーンショットだ。蒼海ノアのヤラセ起用疑惑──彼女について調べたのなら知っているだろう──そのきっかけとなった裏サイトの投稿を、わざわざスクリーンショットを撮って学園外部に漏らした。それがこのアカウントだ」
「えっ……じゃ、じゃあ……!」
「さっきの投稿が牟児津さんのものだと言うことは、この投稿も牟児津さんのものということになる。すなわち、蒼海ノアが学園外で炎上している件についての発端ということになる!」
「ひえええっ!ま、真白さんなんてことを!」
「違うわ!私じゃない!そもそも私はそんなSNSやってないよ!」
「今時そんな時代遅れな人がいるわけないじゃないですか!」
「時代遅れで悪かったな!」
黄泉の説明で、葛飾はすっかり牟児津が炎上事件の発端だと信じ切ってしまっていた。確かに、黄泉の説明にウソや誤りはないのだろう。だとしても、こうも簡単に友人を疑ってしまう騙されやすさに、牟児津は葛飾が心配になってしまった。しかし今は他人の心配をしている場合ではない。
“蒼海ノアは、伊之泉杜学園全体を代表するものであるため、活動においては以下の条件を徹底して遵守すること。”──投稿に添付されている画像は、確かに阿丹部が見せてくれた裏サイトの投稿と一字一句同じだ。そしてもう一枚、最初に表示された投稿についても、広報委員会が牟児津のものだと考えてしまってもおかしくない。しかしだからこその違和感を、牟児津は口にする。
「あの、これは私が疑われてるから言うわけじゃないんですけど……」
「なにかな。反論も弁解も抗議も、きちんと聞くよ」
「はあ……えっと、なんかこれ露骨過ぎません?」
「えっ」
黄泉はもう少し論理的なものを期待していただろうに、牟児津が口にしたのはそんなざっくばらんな感想だった。
「普通、写真撮るときに、こんな影とか髪が見切れてるのなんて撮り直しません?名前は見えないようにしてるのに学園のシンボルが残ってるのもあからさま過ぎるし、なんか、“これは牟児津真白の投稿です!”って言ってるみたいじゃないですか」
「ほう。なら牟児津さんは、これをどう説明する?」
「……私に、炎上事件の責任を押し付けようとしてる。タイミングも考えたら、私に蒼海ノアを突き止められると困る人が邪魔しに来てるっていう感じがしますね」
「ど…………どういう、こと…………かな…………?」
スクリーンに映し出された二つの画像。昨日集めた蒼海ノアに関する情報、中でも不自然なほど厳しい起用条件とそれに端を発する炎上事件。今朝になってその疑惑が牟児津に向いている状況。
牟児津は考える。蒼海ノアの正体はおそらく昨日集めた情報だけで判断できる。目星もついている。問題は炎上事件の発端だ。その正体は──。
「……うん、うん。そうだよな。だから……たぶん」
「ま、真白さん……?」
「副委員長さん」
牟児津が黄泉の顔を真っ直ぐに見る。部屋に入って来たときの緊張はすでに消え失せ、すっかり落ち着いて冷静な思考を取り戻した。真相の気配を捉えたときに切り替わる、牟児津の推理モードだ。その状態に気付いた葛飾は、牟児津の邪魔をしないよう後ろに下がった。牟児津がこの状態のとき、すでに犯人は近くにいるのだ。
「分かりました。蒼海ノアの正体も、炎上事件の発端の正体も」
「なにっ……?」
「分かったって……いま?こんな急に分かるものなの?」
「なんか、ひらめきました」
「ひらめきってオイオイ!ムジッちゃん状況分かってんのか?デマカセ言ってこの場をやり過ごそうって風にしか聞こえねェって!」
「どうする、夜」
「聞きましょう!ムジツちゃんの推理……こんなチャンスないわ!ユーリ!Now is the time(録音開始)!」
「……そう言うと思った」
牟児津の推理モードを察知して、旗日はそれまでの難しい表情を一気に晴れやかに変えた。そして黄泉はレコーダーをセットして、牟児津の話を待つ。既に余裕を失っていた牟児津は、録音が開始されたことは耳に入っていたが認識できず、そのまま反対の耳から垂れ流しになっていた。
「蒼海ノアの正体ですけど、昨日うりゅが……あ、私の幼馴染みが、蒼海ノアとのメールを分析してて気付いたことがあります」
「えっ!?それ取扱注意っつったよな!?なに部外者に見せてんの!?」
「印刷して渡す方が悪いと思います」
「蒼海ノアから送られてきたメールは、どれも送信時刻の秒数が00秒になってました。これは、予約送信機能っていうのを使ったせいだそうです」
「ほう……一ツ木のセキュリティ義務違反は一旦さて置くとして、予約送信というのは?」
「指定した時刻に、作っておいたメールを自動で送る機能です。蒼海ノアはこれを使って、実際にメールを打った時間をあやふやにさせてました」
「んぐぅ……うん?それぇ、あんま意味……なくないっ、ですかぁ……?メールできる……時間ってぇ……みんなぁ、同じです……よぉ」
「そうね。むしろこれは……」
「そう。蒼海ノアは自分の正体を隠すために、送信時刻をバラつかせました。でも逆にそうすることが、自分の正体を絞り込むことになってるんです。メールをそのまま送ったとして、送信時刻から正体を割り出せる可能性があるのは広報委員会──中でも蒼海ノアプロジェクトチームのメンバーだけです」
「えっ……マ、マジ?」
「つまり蒼海ノアは、プロジェクトチームに近しい人──それかチームメンバー本人です」
りん、と空気の張り詰める音がした。その場にいる全員が息を呑む。捜し続けていた蒼海ノアの正体が、自分たちの隣にいる人物かも知れないという可能性。誰も顔を知らないのだから、当然その可能性は以前から存在していた。だが、誰もそれを考えてはいなかった。蒼海ノアが敢えてメールでやり取りする理由を、誰も真剣には考えていなかったのだ。
「マ……ジ、かよ?えっ、だ、だれが……!?」
「蒼海ノアの特徴は、以前聞いたとおりです。甘いもの好きで、体にコンプレックスがあって、不幸体質です」
「そ、それで…………分かる、の…………?」
「コンプレックスがあるかどうか、不幸体質かどうかは分かりません。でも、甘いものが好きな人なら分かります」
目の前に並んだプロジェクトチームの3人に正対し、牟児津は指を持ち上げた。その指が向く先に、蒼海ノアがいる。誰もがその動きを注視していた。
「それは──」
緩く突き出された人さし指で、その正体を指し示した。
「日比さん。あなたです」
「……ひっ!?」
真正面から、牟児津は日比に指を向けた。それを受けた日比は、小さく悲鳴を漏らす。全員の視線が一斉に注がれる。そのほとんどは驚愕の表情を浮かべていた。
「なにっ!?ひ、日比だと……!?」
「あなたは自分の正体を隠して蒼海ノアを演じた。そして自分がその場にいないときにだけメールが届くことで正体がバレることを恐れて、予約送信機能を使った。そうでしょう!」
「ううっ、ああっ…………あ、あのっ…………わたしその、あぅ…………!えっと…………!」
人前で話すことに慣れていないのか、日比はまともに喋れないほど口ごもる。明らかに異常な動揺を見せているが、しかし同時にその有様でストリーマーなどできるのか、その場の誰もが──牟児津でさえ──疑問に思った。
「ちょっ、待てよムジッちゃん!言っちゃなんだけど、マイせんぱいにストリーマーは無理だぜ!?今でさえこれなんだから!」
「だけど、蒼海ノアの手掛かりに当てはまる人は日比さんしかいないよ」
「どうしてマイが蒼海ノアだと思うの?聞かせてちょうだい!」
「……蒼海ノアのヤラセ起用疑惑ですけど、それはこの条件リストの厳しさが原因です」
「あ、ああ……そうだが、それが理由か?」
「この条件を全部クリアできる人って、実質的に広報委員だけですよね。だから蒼海ノアは広報委員の中の誰かだと思ったんです」
「確かにその条件は厳しすぎた。だが私たちは譲歩したぞ。録音によって対応もすると」
「メールによれば、蒼海ノア自身がその必要はないと答えてます。必要ならいつでも最新の音源を提供するとも言ってます。だから結局、この条件を蒼海ノアはそのまま受け入れてるんです」
「それで?だとしても、チームメンバーの中からさらにマイが正体だと言うには根拠が足らないんじゃない?」
「はい。でもこの3人の中で、甘いもの好きなのは日比さんだけです」
「なぜ言い切れる?」
牟児津がそのまま、プロジェクトチームのデスクに視線を移す。他全員の視線も、それにつられてごちゃごちゃと片付かないデスクに移った。
「他の二人は、眠気覚ましにエナジードリンクを飲んでないんです。蛍恵さんはブラックコーヒー、一ツ木さんはカゲキックスです。甘いもの好きなら、甘く味付けされてるエナジードリンクを飲むと思うんですよね」
「たまたまじゃないのか?甘いもの好きと言っても、常に甘いものだけ食べているわけじゃないだろう」
「まだあります。日比さんは、昨日私がここでお団子を食べたとき、それが黒糖団子だって言い当ててました。焼き印以外に見分ける方法なんてないのに、一目でそれが分かったんです。相当な甘いもの好き、それも塩瀬庵のファンじゃないと分からないことです」
「あ、あの…………それ、は…………匂いが、した、から…………黒糖の…………!」
「私は一口で食べました!匂いなんてするはずありません!だいたい匂ったとして、こんな濁った空気でいっぱいのくっさい部屋で和菓子の繊細な匂いが分かるわけないでしょう!しかも日比さんは鼻までマスクしてるじゃないですか!」
「ひいっ!ご、ごめんなさい!」
「どこで声荒げてんだよ」
大声を出した牟児津に怯えて、日比は頭を抱えてしまった。しかし周囲は、牟児津の話に納得していた。本当に日比が蒼海ノアなのか、押し黙った日比の次の発言を全員が待つ。息苦しいほどの沈黙の中、日比が周囲の様子を窺いながら、ゆっくりと顔を上げた。
「…………あ、あの…………ごっ、んぐっ」
緊張してうまくしゃべれない。日比は喉を鳴らして生唾を呑んだ。
「ごめん…………なさい…………えと、か、かぁっ、かく、してて…………」
「隠しててって……えっ、じゃあ……マイ、認めるの?」
「は、はい…………。あの、わ、私…………そ、蒼海ノア…………してます…………!」
衝撃的な告白であった。広報委員全員が、まさか本当に日比が蒼海ノアの正体だとは思っていなかった。牟児津の話を聞き、納得し、本人の反応を見てもまだ、あまりに差がありすぎる二人の姿が重ならずに信じ切れていなかった。
「あ、あの…………わ、私…………人前だと、その…………無理、ですけど、ああうっ、えと…………カ、カメラとか、ひとり、でなら…………なんとか…………」
「本当に……そうなのか?いや、牟児津さんの推理は、納得できるんだが……あまりに違い過ぎて……」
「ワタシは信じるわ」
「い、委員長……ほ、本気ですかぁ……?」
いち早く、旗日はその事実を受け入れた。
「マイが勇気を出して告白してくれたんだもの。信じる以外に何もできないでしょ」
「あっ…………ありがとう…………ご、ざいます…………」
「でもどうして正体を隠していたの?マイはワタシたちのこと、信じられなかった?」
「そっ、そんなこと!ない…………あの、ただ…………は、はずかしくて…………。それ、に…………ノ、ノアちゃんと私じゃ…………キャラ、違いすぎて…………言ったら、あう、その…………げ、幻滅、される…………かな、って…………」
「幻滅なんてしないわよ!むしろステキよ!私たちの知ってるマイと、ノアを演じてるカワイイマイ!そのギャップ!そういうのワタシ好きよ!」
「そ、そう言って…………もら、えるなら…………よかった…………です」
旗日が率先して日比を受け入れたことで、他の委員たちも徐々にその事実を現実のこととして理解し始めた。それは意外な事実ではあったが、難色を示す者はいない。少なくとも日比は、これまで蒼海ノアとして活動して広報委員会に多大な貢献をしてきた。委員としての仕事に加えて、家では蒼海ノアとして音声ファイルを作成する仕事をしていたのだ。責め立てる者などいない。
「マジっすか……キャラもっすけど、声とか全然違うから気付かなかった」
「声は…………あの、ソフトとか、で…………調整した、ら、なんとでも…………」
「ううん……正直、収録風景にものすごく興味がある。見たい」
「ああう、ご、ごめん…………人がいると…………ちょっと…………」
「大丈夫!音声は聞いてるから、マイが楽しんでやってたのは伝わってるわ!それぞれがベストパフォーマンスを発揮できるやり方が一番なんだから、気にしないでちょうだい!」
「は、はい…………」
日比は耳まで真っ赤になって、うつむきブランケットの端を握ってもじもじしている。牟児津に全て暴かれてしまったとはいえ、秘密を打ち明けるのに相当な覚悟を要したはずだ。周囲に温かく受け入れられて、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
が、その落ち着きを一言で破壊するのが、旗日という人間だった。
「で、どうして辞めるなんて言い出したの?」
「うくっ…………!?あうぅ、そ、それは…………!」
「蒼海ノアをやるのは楽しかったのよね?これからもたくさん楽しい企画を用意してるのに、どうして辞めちゃうの?ワタシはマイに、これからもノアを続けてほしいの!」
「あ、で、でも…………わ、私、じゃあ…………めい、わく…………だから…………!」
「迷惑なんてしてないわ!」
「ち、違うん、です…………!そのぉ…………炎上、してて…………!私の…………声とか…………しゃべり、方…………変、だから…………」
日比は責任を感じていた。蒼海ノアとして活動を始めて間もなく、ネット上では賛否両論が噴き出した。学園が新しい挑戦をすることに肯定的な意見もあれば、教育機関としての在り方を問う否定的な意見もあった。表立って活動する以上、評価がついて回るのは仕方がない。その点は日比も覚悟していたし受け入れていた。
しかしヤラセ起用疑惑が発覚すると、蒼海ノアへの否定意見が多くを占めるようになってきた。中でも日比は、声やしゃべり方、演技の仕方に関する否定意見が目に付くようになってしまい、徐々に自信を失くしていた。
加えて、ヤラセ起用疑惑に端を発する学園や広報委員への中傷コメントを見て、日比はますます落ち込んでいった。自分への攻撃はまだ耐えられるが、学園への攻撃は耐え難いほど苦しかった。それに責任を感じた日比は、遂に自ら蒼海ノアから身を引くことで事態を収拾しようと考えたのだった。
「わ、私は…………学園が、す、好き…………!私の、せいで…………学園まで、ひどい、こと…………言われるの、嫌、だから…………!」
「そんな!あれは日比先輩のせいじゃないです!あんなの気にしちゃいけません!」
「でも…………!」
「そうよ。マイの演技はPerfect(完璧)だわ。マイのことを悪く言う人より、マイの演技を楽しんで、待ってくれてる人の方がたくさんいるのよ」
「ああううっ…………」
「そう簡単な問題でもないだろう」
励まそうとする旗日や葛飾に対し、黄泉は冷静に言った。
「多くは便乗しているだけだろう。だが賛辞も批判も、多少の本音が紛れているものだ。どれが本音か分からない中では必然、敵は大きく見える」
「よ、要するに?」
「気にするなと言っても気になるものだ。炎上しているのは事実なのだから」
「そうです。それに……これは推理とかじゃなくて私の予想なんですけど、蒼海ノアを炎上させた犯人の目的は、声優の降板なんだと思います」
「なにっ?」
「犯人……そ、そうだ!ノアの正体だけじゃなくて、炎上事件の発端も分かったって話だった!忘れてた!」
話の軌道が元に戻った。牟児津が暴くのは蒼海ノアの正体だけではない。学園の裏サイトに条件リストの存在を告発し、その写真を外部SNSに投稿し、蒼海ノアとそのオーディションの炎上を仕掛けた犯人もだ。牟児津は、苦々しい顔をした犯人を見た。
「先に言っておきます。その犯人も、この広報委員会の中にいます」
「んだとォ!?何を根拠に言ってんだ!」
「起用条件リストの写真です」
「んん?」
プロジェクターで投影された投稿画像の前に、牟児津が立つ。その手には、砂野から手に入れた起用条件リストがある。牟児津は写真のリストと手に持ったリストの二つを並べ、全員に示した。
「この投稿にあるリストは、実際に配られたリストじゃないんです。おそらく、オーディションの後、犯人がこの投稿のために印刷したものなんだと思います」
「なんでぇ、そんなことが分かるんですかぁ……?」
牟児津は、手に持ったリストの一点を指した。昨日、瓜生田に見せたときに赤ペンで囲まれた部分だ。
「配られたリストには漢字の間違いがあったんです。でもこの投稿の同じ文章では正しい字に直ってます。印刷してある字を直せるのは、これを作った人、つまり広報委員しかいません」
「あっ!本当だ!」
葛飾は、また自分が何も気付いていなかったことに気付いた。瓜生田が赤ペンを入れた“撤底”の誤字が、写真だと“徹底”に直っている。ペンで上書きしたのではなく、印刷自体が直っているのは、かなり大きな意味を持つ手掛かりだ。
牟児津がそれを指摘すると、広報委員の中から遠慮がちに手が上がった。
「あっ、そ、それなんだが……」
手を挙げたのは、黄泉だった。
「すまない。その字を直したのは私だ」
「えっ……?ふ、ふくいいんちょう……?」
「オーディションの後で誤字に気付いて、広報委員としてあるまじきことだと思ってつい直してしまった……。い、いやしかし、私は誓ってそんな投稿はしていないぞ!」
「はい。副委員長さんじゃありません。だってこの誤字に気付いてたんなら、直したものをわざわざ投稿しません。自分から容疑者を絞り込むだけですから」
犯人が焦りながら歯ぎしりしている。徐々に自分が追い込まれていることを感じ取り、どうするべきか戸惑っている。牟児津の目は決して犯人を逃がさず、さらに追い込んでいく。
「犯人は誤字に気付かなかった。だから直されてることにも気付かずこの写真を投稿して、大きなヒントを残してしまったんです。そしてもう一つの投稿で、犯人が誰か分かります」
「あの、ムジツちゃんのシルエットが写った写真?」
「はい」
もう一枚の投稿が、スクリーンに映し出される。写真に写ったシルエットとスクリーンに落ちた牟児津のシルエットはそっくりだった。そのままコピーしたかのような正確さが、却って不自然さを醸している。
「この投稿は、明らかに私に罪を着せるために作られてます。でも、ひとつだけ決定的に違う場所が……ここです」
牟児津が指さした。投稿した写真に写り込んだ、スタンプで目隠しされていない、英単語テストの点数──3点という数字を。その意味に、葛飾だけが気付いた。
「あっ……」
「この単語テスト、私は3点なんか取ってません。だからこれは──」
「そうですよ!真白さんは卑怯な手を使ってやっと1点取れるような人なのに、3点取って低かったなんてこと言えません!絶対に!」
「……」
葛飾が間の抜けた沈黙を連れて来た。広報委員全員が“マジかこいつ”の感情を視線に乗せて牟児津に向ける。推理で頭がいっぱいとはいえ、その視線を一身に受けた牟児津はさすがに赤面した。そして余計なことを言うなと葛飾を睨みつけ、雑念で推理を忘れる前に話を戻した。
「と、とにかく私はこんな点数取らないんです!だからこれは私のじゃないけど、犯人は私が英語苦手なことを知ってこんな投稿をしたんです!」
「いや苦手ってレベルじゃねェぞムジッちゃん!ノー勉でもそれはねェって!」
「だから犯人は、私が英語苦手なことを知ってる広報委員!!そんなのひとりしかいません!!そうでしょう!!蛍恵さん!!」
「ふぇぅ」
一ツ木の非難を強引に突破しながら、牟児津は犯人の名前を呼んだ。広報委員は信じられないほど成績が悪い牟児津と、信じられないほど意外な犯人の正体に、どちらを見ればいいのか分からず首を左右に振り回していた
「な、なんで私なんですかぁ……?」
「私が英語苦手だってことを話したのは蛍恵さんだけだからだよ」
「いや……だ、だってその場にはぁ……まい先輩もぉ、あさひさんもいたでしょう?」
「日比さんは蒼海ノアだよ。自分で炎上させる意味がない。一ツ木さんはその話をしたときはイヤホンを着けてて、肩を叩かれるまで気付かないくらいだった。私たちの会話を聞くことなんてできないんだよ!」
「あう……あうあう……!」
「そういえば、起用にあたって条件を付けようと言い出したのは蛍恵だったな」
「そ、そうなんですか?」
「興味本位で来られても選ぶのが煩雑になるからと言っていたが……はじめから炎上させるつもりだったのか?」
「そんなぁ……そんなこと、あるわけないじゃないですかぁ……!わ、私はただ……!」
そこから先の言葉を、蛍恵は口に出せなかった。突き刺さるような周囲の視線に、自分の言葉など何の力も持たないと直感的に感じ取った。一ツ木の驚愕の視線、日比の怯えるような視線、黄泉の疑いの視線、そして旗日の悲しそうな視線。助けを求めて目を泳がせるたび、ひとりひとりと目が合うたび、他人の感情が流れ込んでくるようだった。蛍恵はそのまま、へなへなと
「あうぐぅ……ふぐっ……」
牟児津の推理を覆す力はない。言い逃れできる証拠もない。残された謎は何もない。完全な手詰まりに陥って、蛍恵は眠気も覚めた。このまま気絶するように眠って、全て夢になってしまえばいいのに。現実はそう簡単には逃がしてくれなかった。
「ミヤコ……話してちょうだい」
「あう」
旗日が向ける悲しみの感情が何よりも突き刺さる。そんな表情をさせているのが、他でもない自分であることが、蛍恵には最も耐え難いことだった。
「だ、だってぇ……!や、やりたかった、から……!」
「うん?」
「私……私が……!やりたかった、から……!蒼海ノアは私がやりたかったから!!」
蛍恵は力強く言い放った。だがそれは、子犬が吠えるようにか弱くて、子供のわがままのように幼い主張だ。
「旗日委員長が頑張ってデザインしてくれて、期待して、夢中になってるプロジェクトなんですもん!私が声優をやりたかったですよ!そのために無茶苦茶な条件まで作って、なんとか出来レースのオーディションまで開いたのに!」
「な、なに言ってんだみゃーこオイ?自分が何言ってっか分かってンのか?」
「それなのに結局どこの誰かも分かんない人に決まっちゃって!だから降ろすために炎上だってさせたのに!そしたら私が代わりにやれると思ったのに!なんで牟児津さんなんですか!どうして私じゃダメなんですか!」
「え、えっと……?蛍恵さんは、メールの相手が日比先輩だっていうことは……?」
「そんなの分かるわけないじゃないですか。分かってたら代わってくださいって直接言いましたよ」
「ええ……?」
一度決壊したダムは全ての水を吐き出すまで止まらない。蛍恵が抑え込んでいた感情も、牟児津の推理によって壁に穴を開けられ、本人さえ意識しないうちに次から次へと流れ出てくる。
「……そう、そんなにミヤコは、ノアの声優をやりたかったのね」
「はい……」
「それじゃあ次の質問。どうしてそこまでノアの声優にこだわるの?」
「うう、だ、だって……それは……」
旗日の質問に、蛍恵はちらと旗日を見つめ返した。激しい感情の怒涛の後だと、ひどく落ち着いて見えるほどもじもじしている。不気味なほどの緩急だった。
「声優をやったら、委員長にもっと褒めてもらえるじゃないですか……!」
「……………………え?」
「私は委員長に褒めてもらいたいんです……!委員長に頑張ったわねって褒められて、委員長にカワイイわねって抱きしめられて、委員長が淹れてくれたホットミルクを飲んで委員長によしよしされながら委員長の膝枕で寝て委員長の夢を見て目を開いて一番に委員長の顔を見たいんですッ!!私は広報委員会も旗日委員長も大好きですし尊敬してるからッ!!」
なぜか牟児津は口の中が甘ったるくなった。これほど巨大で妄執的な愛情表現は初めて見た。追い詰められた末とはいえ、これほどの感情を真正面から人にぶつけている様に、ひどく精神を揺さぶられた気がした。だが変質的とは思わない。昨日の蛍恵と旗日はだいたい今言ったようなことをしていたから。
当の旗日は、目を丸くして蛍恵を見つめ返していた。
「いつも頑張れば頑張るほど委員長は褒めてくれるのに、最近は蒼海ノアにお熱じゃないですか……ちょっとならいいですけど、スタンドパネル持ち込んだりいつも蒼海ノアの話をしたり……。そんなの、私だって我慢できなくなってついかまってちゃんしたくなったりもしますよ」
蛍恵がしたことはかまってちゃんと言えるレベルのことではないのだが、その認識のずれは旗日への巨大な愛情による盲目さ故だろうか。蒼海ノアの声優をするために蒼海ノアを炎上させるという矛盾した行いも、今の話を聞いた上でならなんとか理解できる。
「結局のところ、蛍恵、お前は……蒼海ノアに嫉妬していたということか?だから、自分が蒼海ノアになって夜の気を引こうとしたのか?」
「ヤですよ副委員長。二次元キャラに嫉妬なんてするわけないじゃないですか。私は、委員としての仕事っぷりをもっともっと評価してほしいだけです」
「なるほど、こりゃ重症だ」
一ツ木たちは一様に嘆息した。蛍恵は自分の感情をはっきり自覚しているわりに、自分の行為についてはその本質や影響を全く考えていない。蒼海ノアにまつわる一連の作為は全て、蒼海ノアに成り代わる、ひいては旗日の目を自分に向けさせるために行われたことだった。世間の蒼海ノアに対する評価やそれに伴う広報委員の仕事への影響、自分に向ける以外の旗日の感情さえも、一切興味の埒外にある。
そんな蛍恵の想いをぶつけられた旗日の表情は真剣だった。昨日見せていた奔放で騒々しい姿は鳴りを潜め、上級生らしい顔つきになっていた。
「恋は盲目なんて、シェイクスピアもよく言ったものね」
「はい?」
「ミヤコ、あなたは恋をしてるのよ」
「恋ってそんな……!私はそんな不潔な感情なんて委員長に対して持ってないですよ……!」
「ええそう、ワタシじゃないわ。ミヤコが恋してるのは、
「……んへぇ?」
旗日は毅然と言い放った。蛍恵の上気した顔が冷える。
「ワタシは、きちんと仕事を頑張った人はきちんと評価しているつもりよ。たとえミヤコがノアの声優をしてなくても、あなたのことはいつも見ていたわ。だからもしミヤコが正しいやり方でノアの声優を勝ち取ろうとすれば、ワタシはきちんと判断した。でも、あなたはそうしなかった。それがワタシは残念なの」
「えっ……?えっ……?」
「人を引きずり落とすやり方で成り代わっても、ワタシはきっとあなたが演じるノアを愛せなかった。あなたが思っているほど、人は単純じゃないの」
「あなたは蒼海ノアになんてなれない。絶対に」
「ひゃ、はふひっ……!」
声にならない声を漏らして、蛍恵はそのまま固まった。旗日の眼差しに凍えたのか、あるいは脳がオーバーヒートしたか、いずれにせよもはや自力では何もできない状態だった。
「コマリちゃん。トシヨを呼んできてくれる?」
「へっ……は、はい!」
ただ黙って見守っていた葛飾は、旗日の求めに応じて委員室を飛び出した。まもなく葛飾は川路を連れてやってきた。旗日から事の顛末を聞くと、川路はパーティションからはみ出ている牟児津の赤い髪を一瞥し、蛍恵を連れて葛飾とともに部屋を出た。
川路がいなくなったことを確認し、牟児津はおそるおそる隠れ場所からまろび出る。
「あ、あのぅ……川路さん、もういないですかね?」
「さっきまでと全然態度違うな!?めっちゃ堂々としてたじゃんか!」
「いやあ、あの……ちょっと、色々あって」
葛飾が飛び出すや否や、牟児津は川路が来ることを察して会議スペースに飛び込んで身を隠したのだった。たった今、正体を隠していた二人の広報委員の全てを暴いた名探偵から、川路に怯える小動物のように一瞬で姿を変え、ほとんどの委員は牟児津が隠れたことに気付いていなかった。
気まずそうに出て来た牟児津に、バツの悪そうな顔をした黄泉が声をかけた。
「牟児津さん……その、なんと言えばいいか……。いや、まずは、ありがとう。依頼を完遂したどころか、内部の問題まで解決してもらって……広報委員会として、本当に感謝する」
「あ、いや別にその、あっ、そうっすかね?はぁ……蛍恵さんのことは、ちょっと気になったから考えただけのことなんで、そんなそんな……」
「まさか、蒼海ノアも炎上を仕掛けた者も広報委員内部の人間だとは……知らなかったとはいえ、こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない」
「あのぅ……わ、私は別に、蛍恵さんをあの鬼に──川路さんに引き渡すまではしなくてもって思ったんすけどね……?」
「そういうわけにはいかないわムジツちゃん。これはケジメよ」
真摯に感謝と謝罪の言葉を述べる黄泉の後ろから、旗日が牟児津に近寄って来た。蛍恵に向けた表情とは違うものの、いまだ真剣な顔をしている。
「ミヤコのしたことは学園内で済む問題じゃない。それにマイもひどく傷ついてるわ。たとえ炎上の件が決着してマイがミヤコを許したとしても、それだけで済む話じゃないの」
「そ、そうなんですか?」
「責任っていうのはそういうものよ」
そういうものなのか、と牟児津はあやふやに納得した。だが旗日は、その場でクビを宣告する権限があるにも関わらず、蛍恵にそうは言わなかった。それは旗日の甘さだろうか。あるいは蛍恵に与えられた最後の猶予だろうか。その真意は牟児津には分からない。ハイテンションなときと真剣なときの二面性を見ると、牟児津には旗日が、底の見えない恐ろしい人物に思えてきた。
「ムジツちゃん。広報委員会のトラブルに巻き込んでしまって本当にごめんなさい。ミヤコを叱った後にこんなこと言うのも恥ずかしいけれど……ワタシ、ちっともみんなのことが見えてなかったわね。ムジツちゃんが挙げた手掛かりは、全部ワタシも知ることができたものなのに」
「はあ。まあ、私は別に、これで解決するならいいですよ」
「あはっ、優しいのね。いつかワタシが個人的にお礼させてもらうわ。けどその前に……ユーリ、約束のもの」
「ああ。牟児津さん。これを」
旗日に促された黄泉が、部屋の奥から手提げ袋を持ってきた。中には、牟児津が楽しみにしていた黄金饅頭が入っている。
「本当ならこれ以上のものを渡したいくらいだが、今はこれしかない。後日また教室まで持って行くから、今はこれを受け取ってくれないか」
旗日といい黄泉といい、牟児津には二人が過剰に感謝し過ぎているような気がしていた。事件を解決したこと以上に、牟児津を巻き込んでしまったことへの申し訳なさや、委員会の責任者としての立場がそうさせているような気がして、牟児津はなんとなく薄ら寒さを感じた。
そして差し出された黄金饅頭にも、食べたいと思う反面、受け取りづらさを覚えた。果たしてこの事件を解決した報酬として、この饅頭を美味しく食べられるのだろうか。牟児津にはそんな気が全くしなかった。
「……いやっ、なんか、いいです」
「んっ?」
「べ、別にこれがいらないとか怒ってるとかいうわけじゃないですよ!?でもなんか……いまは、受け取れる気がしないっていうか……もらっちゃ悪い気がするっていうか……」
「そんなことないわ。約束だもの。受け取って頂戴」
「い、いいです!すんません!あのっ……そう!これ私、自分で買おうと思ってたんです!」
「ちょっ、ムジッちゃん!?おいおい!なんで逃げるんだよ!?」
にじり寄ってくる旗日と黄泉をかわし、牟児津は一目散に委員室の出口に向かう。本当のことを言えば、黄金饅頭は喉から手が出るほど欲しい。しかし、今はそれから逃げなければならない気がした。上手く言語化できないもやもやした気持ちが、黄金饅頭に纏わりついているような気がしてならないのだ。
「やっぱりそういうのは自分の力で買って食べるのが正しいと思うんすよね!っつうわけで私はこれで!あっ、ちゃんとこの件は秘密にしますし、私マジでちっとも怒ったりとかしてないですから!んじゃども!おつかれっした!」
早口で気遣いと労いの捨て台詞を吐き、牟児津は委員室を出てドアを閉めた。金具のはまる音がした瞬間、外のすがすがしい空気が肺の奥の熱をこそぎ取っていった。まるでそのドアが世界を隔てているようだ。
こちらの世界は明るくて、すがすがしくて、嫌なことなど何も起きていないかのように静かだった。今更になって牟児津は、黄金饅頭への名残惜しさがこみ上げてきた。明日、黄泉が新たにお菓子を持ってきたら受け取ってしまうかも知れない。自分の意思の弱さは自分が一番よくわかっている。
「……勉強しよ」
今は、据え膳を拒んだこの覚悟の火を絶やさないようにと、自分自身を奮い立たせた。覚悟を形に変えるため、その足は昨日の続きをたどるように、図書室に向けて進みだした。
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