第3話「うりゅにかかればこんなもんよ」
美術室は沈黙している。誰もが次の言葉を探し、誰かが口を開いてくれることを待っている。その沈黙に重い責任を感じている牟児津と葛飾は、険しい顔で
「こんな感じなんだけど」
少し火照った体を落ち着かせるように深呼吸をした後、砂野は言った。いくつもの彫像や絵画に囲まれたモデル台の上だと、その鏡餅のような体格は妙におさまりが良く見える。
「……めっちゃ……いいよ」
「ッ!?」
無責任な発言をした牟児津に、葛飾が視線で異を唱える。しかし葛飾が見た牟児津の表情は、相当な覚悟を決めたものだった。このおべっかを墓まで持って行く覚悟だ。
時園から蒼海ノアの声優オーディションに関する手掛かりを得た二人は、美術室で部活動に勤しんでいた砂野を訪ねた。かつて蒼海ノアの声優に応募したという砂野に、牟児津が軽い気持ちでどんな風に演じたのかを尋ねたのだ。おもむろにモデル台に上った砂野は、他の部員の目も気にせず、自分の思う蒼海ノアを演じたのだった。その結果、牟児津たちはモアイ像のような表情になっている。
「でしょ?旗日先輩もいいって言ってくれたんだけど、ちょっと条件が合わなくてお断りしちゃった」
「じょ、条件……?」
「色々あったわ。家で録音できる環境があるかとか、広報委員会との打ち合わせに必ず出席することとか。あと早口言葉10個連続噛まずに言えるかとか」
それは遠回しに断られているだけなのでは、と二人とも思って言わなかった。
「あと、学園祭のときは広報委員のブースにずっといることっていうのがね……部活もあるし色々楽しみたいから、そこが約束できなくて」
「それ、学園生のほとんどに断られるのでは?」
「私もそう言ったの。そうしたら、どうしても席を外す場合は声のパターンをいくつか録っておいて、工総研で合成する方法を考えてるって言われたの。でも、こういうのって生だからこその良さがあるじゃない?私、そういうこだわり捨てたくなくて」
「チッ」
「なんで舌打ちしたの!?」
「あっ、ご、ごめん!全然、ヘンな意味じゃないから!シンプルなやつシンプルなやつ!」
「シンプルな舌打ちが一番怖いんだけど!」
牟児津は思わず苛立ちを形にしてしまった。正直、砂野には演技のえの字も語ってほしくない。だが、ようやく掴んだわずかな手掛かりである。これを逃してしまえばまた一から聞き込みのやり直しなので、どうしても砂野の機嫌を損ねることだけは避けなければならない。
「真白さん。これ絶対お断りの意味で言うやつですよ」
「んなこと分かってんの。ちょっとでも手掛かり欲しいんだから、砂野さんをいい気にさせて色々話してもらえばいいじゃん。演技のことも別に敢えて言うことないでしょ」
「あそこまでひどいと自覚させてあげなきゃ可哀想な気もします……」
「そのうち勝手に気付くから私たちが言う必要ないよ」
「こそこそ話されるとすごい心がざわつくんだけど」
「す、すみません……」
「砂野さん、他に提示された条件とかある?」
「色々あったわよ。リストで渡されたから、それ見る?」
「リストにするほどの条件をその場で……!?」
砂野はモデル台を降りて、カバンから紙を取り出した。“蒼海ノアは、伊之泉杜学園全体を代表するものであるため、活動においては以下の条件を撤底して遵守すること。”という始まりで、全部で10個ほどの条件が羅列してある。砂野が言っていた学園祭時の行動制限に始まり、自宅に録音環境があることや公私を問わない類似活動の禁止など、学生の有志活動にしてはいささか厳しすぎるようなものばかりだった。
「これは……まるで労務契約ですね。こんなのクリアできる人いるんですか?」
「いたんでしょ。うん、この条件でやってる人がいるんだよな……すごいな。一緒にオーディション受けた人とか知らない?」
「演劇部の人とか声楽部の人もいたけど、結局みんな条件が合わなかったらしいわよ」
「演劇部も声楽部も……?」
それを聞いて、牟児津はリストが少し重くなったように感じた。砂野の言うことが本当なら、声優としての仕事を全うできる能力がある人物にも、この条件は与えられていたらしい。そうなると、このリストは単に遠まわしな不合格通知ではないのかも知れない。本当にこの条件に合う人物でないと困る事情が、広報委員会にあったのだろうか。
「でも広報委員も無茶言うわよね。まあ今にして思えば、蒼海ノアやらなくてよかったと思ってるし」
「どうして?」
「だっていま蒼海ノアめっちゃ炎上してるじゃない。巻き込まれなくてよかったわ」
「炎上してんの?広報委員じゃそんなこと言ってなかったけど」
「そうなの?まあ自分のとこの看板娘だし、敢えて言うことないでしょ。でも動画のコメント欄とか見てると、結構好き放題言われてるわよ」
「ぜ、全然見てなかった……」
一ツ木に動画を見せてもらったときは、動画の内容ばかりに気を取られていて、コメント欄やその他を気にしている場合ではなかった。砂野が言うには、蒼海ノアの出演当初は、肯定意見も否定意見も様々にあったらしい。次第におおむね受け入れられるようになってきてはいるが、最近は否定意見が多くなっているらしい。
「いるのよね。些細なことをあげつらって粘着する人。暇なのよきっと」
「もしかしたらそれが原因で……」
「ん?なにが?」
「あっ、いいえ!なんでもないです!貴重なお話ありがとうございました!あ、これいただいても?」
「別にいいよ。私はいらないから捨てちゃっていいし」
危うく事件について口を滑らせるところだった。牟児津と葛飾は不審がられないよう取り繕って、さっさと美術室から退散した。得られた手掛かりは、オーディションで配られた声優を担当する上での条件リストだけだ。しかし、それ以上の情報を牟児津たちは手にした。
〜〜〜〜〜〜
カウンターでひとり、瓜生田は葛飾から貰ったメールの束を睨んでいた。印刷されたメールの文章に、赤のボールペンで色々な記号や言葉を書き込んでいく。傍らにはプロファイリングの参考資料にしているのか、いくつかの分厚い本が積み重なっていた。図書室内の巡回から戻ってきた阿丹部は、瓜生田の様子に半ば呆れながら声をかけた。
「めっちゃガチでやってるじゃん……」
「すみません阿丹部先輩。お仕事ほとんど押し付けちゃって」
「別にいいよ。李下ってなんでもできるんだね。この前も、アリスちゃんからちょっとオカルトを教わっただけで、詩の暗号を解いちゃったらしいじゃん」
「先生が良かったんですよ」
阿丹部への気配りも謙遜もしながら、目と手は止まらず動き続けている。聞いた話だと運動はからっきしらしいが、机に座れば瓜生田の器用さと万能さは目を見張るものがある。特にそれが牟児津のためとなれば、他の何を置いても最優先で100%全力を出し切るという。
「何か分かった?」
「……気になる点はありますね」
「あるんだ。すごっ」
「ノアさんから送られてくるメールなんですけど、送信時刻がどれもピッタリ00秒なんです」
「なんそれ。どゆこと」
「メールを送る時間帯はバラバラなので、送信時刻そのものに意味はなさそうです。学園生なら授業や部活でどうしてもメールできない時間帯があるはずですが、敢えてその時間に重ねて送られてるということは、おそらく予約送信機能を使っています」
「ふーん。そーなん」
「メールの送信時刻をバラつかせることで正体がバレないようにしてる……逆に言うと、メールをすぐに送信したら送信時刻で正体がバレるってこと?予約送信はパソコンでもスマホでもできるから……文字を打った時間が分かれば……」
「こわっ」
牟児津と葛飾には期待し過ぎないよう言っていた割に、メールを睨む瓜生田の眼差しは真剣だった。普段の瓜生田は、どんな激務の中でも朗らかに微笑み、のらりくらりと仕事を
「んん……私はあんまり強く言えないけど、頑張るのもほどほどにね。今はいいけど、片付けだけは手伝ってほしいかな」
「ありがとうございます、阿丹部先輩」
おそらく瓜生田は、牟児津のために牟児津の見ていないところでこれくらいの努力は当然にしているのだろう。そうでなければメールの束を受け取ったときに、あんな風に謙遜はできない。
それが何であれ、本来すべきことを投げうってでも全身全霊でやらなければならないことというのは、阿丹部にも多少の覚えがあった。なので図書委員の仕事そっちのけでメールに赤ペンを走らせる瓜生田を止めることはできなかった。
〜〜〜〜〜〜
砂野から話を聞いた後、牟児津と葛飾は中庭で動画を見ていた。広報委員会が制作している、蒼海ノアを起用した学園の紹介動画である。広報委員室で観たときは動画の内容ばかりに気を取られていたが、そのコメント欄やその他SNSでの評判等を調べてみると、おおむね砂野から聞いたとおりのことが書かれていた。
「こりゃひどい。言いたい放題だな」
「いくらバーチャルだからって……あまりに下品です。読んでられません」
「無理して読まなくてもいいよ。だいたい事情が分かったから」
動画のコメント欄は好意的なコメントが多くを占めていた。おそらくネガティブなものや過激なコメントは、システムや広報委員会によって検閲されているのだろう。しかしそれらの手が及ばない外部SNSでは、動画の内容はおろか蒼海ノア自身についても散々な言われようだった。
学園のPRにVストリーマーを起用すること自体に不快感を示すものから、蒼海ノアの容姿や性格についての罵詈雑言、要領を得ない主観的な評価に、声優担当や広報委員に向けた品性を疑う下劣な発言まで、様々だった。真面目にひとつひとつのコメントを読んでしまった葛飾は、真面目にひとつひとつのコメントに憤慨し、その内容に当てられて具合が悪くなってしまった。
「動画を見る限り、こんなことを言われる筋合いなんてないじゃないですか。これじゃあんまりです。言ってはなんですけど、ノアさんが嫌になって降板したくなってもおかしくないですよ」
「うん……っていうか私が代わりにやるのもヤなんだけど……」
「あっ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「いいよ。やんないから。絶対正体を突き止める……でも、それだけじゃ解決しないよねこれ」
「まあ……でも、こういうのって私たちがどうにかできる問題でもないですよ」
「んぐう」
最も激しく誹謗中傷が飛び交っていた時期はすでに過ぎているようだが、それでも今日この日にも新たな中傷コメントは密やかに増えている。結局のところ蒼海ノアはただの的に過ぎず、中傷の文面からは伊之泉杜学園に対する妬みや僻みを感じる。本質はそこなのだ。大きな学園であるが故に、伊之泉杜学園は常にそういった批判の矢面に立たされることも少なくない。だからこそ広報委員会は蒼海ノアを使ったPRでイメージアップを図ったのだが、それが裏目に出てしまっている。
「……でもさ。ちょいちょい出て来てるこれって、砂野さんが言ってたことだよね」
「ええ、たぶん」
多くの投稿は中身のない文字の羅列に見える。しかしいくつかの投稿の中に共通している、“ヤラセ起用”という言葉が、牟児津には引っかかった。
「だいたい何のことかは分かるけど、詳しいことがどこにも書いてないなあ。みんな雰囲気で言ってんじゃないの」
「そうかも知れないですけど……でも、待ってください。もしこれが砂野さんのおっしゃってた起用の条件だとして、それが外部に漏れてるのってどういうことでしょう」
「誰かがその話を外でしたってことだよね……ううん、この手の情報収集が得意なやつを一人知ってるけど……あんまり手を借りたくないんだよなあ」
牟児津の頭に、いつも自分に付きまとう番記者の顔が浮かんだ。一言助けを求めれば、求めた以上の手掛かりを持って駆けつけてくるだろう。その点については信用できる。しかし対価としてまた自分が無理やり目立たせられてしまうのである。蒼海ノアと絡んでの喧伝などされれば、ますます平穏な生活が脅かされてしまう。
牟児津はぶんぶんと頭を振って、浮かんだ顔をかき消した。
「ちょっと自分で調べてみるか。えっと……や、ら、せ、き、よ、うっと」
このくらいの調べ物は自分でやった方がいい。そう考えて、牟児津はスマートフォンでヤラセ起用について検索した。簡単に検索しただけでも、事件の概要や反響についてまとめたページがヒットした。思いの外、あっさり情報が手に入った。
「あれ。こんな簡単なことなの」
「今の時代、スマホがあればなんでも調べられますからね。便利ですけど、それすらやりたくない人たちもいるんですよ」
「持ち腐れてんな〜。まあいいやそんなの。えっと、ヤラセ起用とは……」
解説ページの内容に沿って、二人は少しずつヤラセ起用とその反響についてを知った。どうやらヤラセ起用の炎上は、蒼海ノアのオーディションに参加したというある生徒が、オーディションで渡された起用条件リストの写真をアップした投稿に端を発するらしい。参加前に条件の存在は一切知らされず、またその内容が非常に厳しいことで、オーディション自体が形式的なものではないかと疑う投稿である。生徒の自主性を重んじる伊之泉杜学園において、それを踏みにじるようなオーディションの在り方には当然批判が集中し、さらにそれが蒼海ノアにも飛び火したそうだ。
「でもこれ、情報源が分からないですよ。普通こういうのって、出典なり原因の投稿のリンクなりを付けるものじゃないですか?」
「そうなの?あんま知らないけど……あっ」
葛飾の疑問に対する答えは、すぐに見つかった。そのページの最後の部分、ソース情報がリストアップされたところに注釈が付けてある。その注釈には、はっきり書かれていた。
──発端となった投稿は伊之泉杜学園生専用サイトに投稿されているため、リンクを貼ることはできませんでした──
〜〜〜〜〜〜
「で、戻ってきたのね」
「
「やだよ!目立つ!」
「もったいないですよね。私も学園新聞で取り上げられるような活躍がしたいです」
「ホント、譲りたいくらいだよ」
牟児津と葛飾は、ヤラセ起用事件についてさらに詳しいことを調べるため、図書室に戻ってきた。図書室に事件に関する資料があるわけではなく、炎上の発端となった投稿を確認する術を持っている人物を頼って来たのだ。すなわち、阿丹部である。
「この学園生専用サイトって、例の裏サイトのことだよね!阿丹部さん慣れてるでしょ?探してくんない?」
「まあ、いちおう調べてはみるけど……牟児津さんだってアクセスできるんだから探してみたら?パスワード教えてあげるよ」
「ごめん!でも私が直接こういうのにかかわったら、絶対もっとろくでもないことに巻き込まれる!自信がある!」
「卑屈な自信だなあ。でもそれは私も思います。ただでさえこの有様なんですから、藪蛇にしかなりませんよ」
「苦労してるのね、あなたたち」
牟児津に懇願された阿丹部は、学園の裏サイトにアクセスして該当する投稿を探し始めた。その間、牟児津は瓜生田に、メールから分かったことを教えてもらう。
「ごめんねムジツさん。そんなに大したことは分からなかった。やっぱり見様見真似じゃプロファイリングはできないよ」
「うりゅに運動以外でできないことなんてあんの!?」
「いっぱいあるよ。できることしかできないの」
「できることだけか〜」
「なんて中身のない会話……」
「一個だけ気になったのは、メールの送信時刻だね。全部ぴったり00秒に送信されてる」
「ふえ〜、几帳面な方なんですね」
「そうかも知れませんけど、私はたぶん予約送信機能を使ってるんだと思います。時間になると予め作っておいたメールを自動で送ってくれる機能で、分単位までしか設定できませんから、必ず送信時刻が00秒になるんです」
「そんな機能あんの?」
「やり取りを初めた頃のメールで、一部文字化けしてるところがあるでしょ。こういうのは使われてる文字コードのズレが原因だから、そこからメールの相手が使ってるキャリアを突き止めて、契約プランを調べてみた。どのプランでも予約送信機能は標準搭載されてるから、ノアさんはほぼ確実に予約送信機能を使って送ってるってことが言える」
「めっちゃ調べるじゃん。キャリアの契約プランまで?」
「まあ、いちおうね」
事も無げに瓜生田は言うが、この短い時間に一つでもメールの不自然な点に気付いて、その裏付けをはっきりと言える手掛かりを見つけてくるなど、そう簡単なことではない。牟児津と葛飾は二人がかりであちこち巡った結果、いま阿丹部に手掛かりを見つけてもらうよう頼んでいるところなのだ。葛飾は風紀委員として不甲斐なく思えてくるが、対照的に牟児津は得意げだ。瓜生田の努力を自分のことのように威張っている。
「ま、うりゅにかかればこんなもんよ」
「ご自分の手柄で胸を張ってください。みじめです」
「誰がみじめだ!」
「お二人は、何か見つけたんですか?」
「いちおう、クラスメイトから蒼海ノアのオーディションの話を聞いて、実際にオーディションに参加された方からヤラセ起用の原因になった条件リストを入手しました」
葛飾が、砂野から譲り受けた条件リストを瓜生田に見せた。しばらくリストを見ていた瓜生田は、おもむろに持っていた赤ペンを紙に走らせた。
「えっ?」
「んっ?」
「あっ……。つ、ついさっきまでの勢いで……すみません。気になって赤入れちゃいました」
どうやらしばらく集中していたことで瓜生田も疲れているらしい。自然な流れでリストに修正の赤を入れてしまった。瓜生田の顔も同じくらい赤くなる。
「うりゅがうっかりミスするなんて珍しいね。何が気になったの」
「ちょっと誤字があったからつい……」
「誤字?そんなのあったかなあ」
「これ。“以下の条件を撤底して遵守すること。”って部分。“撤底”じゃなくて、“徹底”が正しい表記だよ」
「細け〜。ニュアンスで分かるでしょ」
「気になっちゃうんだよね、こういうの」
「むしろ気付けなかった私たちのみじめさがいっそう増した気がします……」
牟児津も葛飾も、さらに言えば砂野もこの誤字には気付いていなかった。瓜生田が斜め読みで気付いた誤字を、何度も熟読していた自分が何度もスルーしていたことに、葛飾は非常にショックを受けた。
「そう落ち込まないでください、葛飾先輩」
「うう……」
「牟児津さん。見つけたよ。ヤラセ起用の発端になったスレと書き込み」
「おおっ!ありがとう!さっすが阿丹部さん!」
葛飾が瓜生田との能力の差に打ちひしがれている間に、阿丹部が問題の投稿を見つけた。牟児津はすぐに阿丹部のそばに駆け寄って、スマートフォンを見せてもらう。そんな牟児津の背中を見て葛飾は、人の力を頼ることができる牟児津を羨ましく感じた。
葛飾は、人の力を頼るのが苦手だった。人を頼り、宛てにし、任せて、手間と時間をとり、迷惑をかけてしまうことを恐れていた。人に迷惑をかけてしまうくらいなら、自分が人一倍頑張って解決できればいいという考えになってしまう。しかし葛飾には、人に頼らない分を補うだけの能力もない。だから風紀委員でも活躍できず、うだつが上がらないままなのだ。
今日の放課後の短い時間で、それを痛いほどに感じていた。
「こまりちゃん?なにしてんの?」
「へっ……あ、いえなんでもないです」
「裏サイト見ないの?」
「み、見ます!」
ぐるぐると落ち込んでいく思考を、牟児津のあっけらかんとした声でぶった切られた。ついマイナス思考になってしまうのも自分のよくないところだと自覚している。今はその暗い考えを振り切って、クラスメイトであり友達である牟児津の助けられるよう一生懸命になるしかない。
葛飾は牟児津と一緒に阿丹部のスマートフォンを覗き込んだ。件のスレッドは、『蒼海ノアについて語るスレpart5』というタイトルで、かなりの数の書き込みがあったようだ。既に書き込み数が上限に達し、新たな書き込みができなくなっている。
「ヤラセ起用の告発はこの書き込み。ご丁寧に写真付きで投稿してるよ」
阿丹部の言うとおり、起用条件の全体が映るように撮影された写真とともに、オーディションで初めて条件が言い渡されたこと、そしてオーディション自体の正当性について疑問を投げかける投稿だった。投稿そのものは当然の感情として理解できるが、それ以降の書き込みの盛り上がり方や、それが外部ネットに波及していく流れには、牟児津と葛飾は恐怖すら覚えた。あまりに速く、あまりに過激で、あまりに感情的だった。
「ひえ〜……めちゃくちゃ炎上してる。こっわ」
「実際のところ、ノアさんがヤラセで起用されたのか、条件も込みで合格したのかは分かんないわ。でも世間的にはヤラセで確定してるみたいな言われ方ね」
「ねえ阿丹部さん。この画面ってスクショしてもらえない?」
「えっ。スクショってできるのかな……」
「そんなことしなくても、私がアクセスしていつでも見せてあげるよ」
「ううん。うりゅにこんなワケわからんサイトにアクセスしてほしくない。ウイルスとかあったらやだもん」
「……ま、やってみるけど。そこまで警戒しなきゃいけないサイトでもないわよ。工総研のセキュリティはちゃんとしてるんだから」
「そのコーソーケンってのもいまいち信用できん!なんか怪しい響きがする!」
「考えすぎだと思うけどなあ」
ともかく牟児津は、蒼海ノアのヤラセ起用疑惑の情報源にたどり着いた。阿丹部からスクリーンショットの画像を受け取ったところで、図書室の閉館時刻が迫ってきていることに気付いた。もうじき下校時間である。
「いつの間にかずいぶん時間が経ってたのね。今日はここまでにしたら?」
「うん……まあ、ちょうどキリもいいし」
「明日また、広報委員会を訪ねてみましょう。今日の成果を報告しておいた方がいいですし、蛍恵さんのお話も聞きたいです。瓜生田さん。メール見ていただいてありがとうございました」
「大したことはできませんでしたけど。あ、これお返ししますね」
「助かりました」
川路に追いかけ回されたのがはるか昔に感じられる。あれから旗日のテンションに付き合わされ、組織として危険な状態の広報委員に重責を担わされ、いろいろあっていくつかの手掛かりを手に入れた。牟児津は確かな手応えを感じていた。おそらく蒼海ノアの正体を突き止める手掛かりは、すでに集まっている。
しかし、まだ分からないことがある。もうひとり、突き止めなければならない人物がいるはずだ。その正体が、今の牟児津にはまだ分からなかった。
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