第2話「小説の真似事ですよ」


 牟児津と葛飾は蒼海ノアの情報を集めるため、広報委員に聞き込みすることにした。旗日が出てくるとややこしくなるので、代わりに黄泉が委員に協力を呼び掛けてくれるらしい。二人は黄泉と一緒に会議用スペースを出て、デスクで作業をしている委員らの前に立つ。まだほとんどの委員は気付いていない。黄泉が手を叩いた。


 「はい全体周知〜!前見る!」


 その声に合わせて、それぞれ作業していた委員たちが手を止めて黄泉の方に体を向けた。旗日の号令とは違う、委員会らしい整然とした動きだ。ただひとりだけ、その号令に気付かず作業を続けている委員がいる。慌てた様子で、隣に座った委員が肩を叩いて耳を指さす。どうやらイヤホンを付けていたらしい。


 「えっ!!!?なに!!!?ああっ!!!すませんすません!!!」

 「うっせ!!」

 「ああ、うっかりしてた!んはは!」


 チューニングの甘い弦を弾いたような声が委員室に響く。大声で笑いながら、その委員は改めて黄泉に体を向けた。


 「こちら、牟児津真白さんと、風紀委員の葛飾こまりさんだ。蒼海ノアの捜索に協力してくれることになった。今週末までに見つからなければ牟児津さんに代役もお願いする。手掛かりを求められたら協力するように!」


 やはり旗日とは違う、端的かつ明快な説明と指示だ。それを聞いた委員たちの返事も、ゾンビとは思えないほど明瞭だった。そして黄泉がもう一度手を叩くと、全員すぐさま仕事に戻った。


 「号令出す人が変わるだけでこんなに違うのか……」

 「広報委員ってよく分かりませんね……」

 「蒼海ノアに関する仕事を担当しているのは向こうの3人だ。その他のことも協力は惜しまないが、まずはあの3人から話を聞いてくれ」

 「何から何まで分かりやすい。なんでこの人が委員長じゃないんだ」


 今まで関わったどんな生徒よりも協力的な黄泉の姿に、牟児津は感動した。そもそも事件に巻き込まれたくないのだが、せめて黄泉のような人間がどんな場所にもいてくれれば話が早いのに、と思った。

 二人は言われたとおり、蒼海ノアプロジェクトチームの3人を訪ねた。まずは、えんじ色のベレー帽を被った生徒に話しかけた。マッシュルームカットが大きく横に膨らんだような髪型をしている。眼鏡がずれてなぜ落ちないのか不思議な位置にあり、明るいブラウンのカーディガンの袖が余っていて指先しか見えない。だらしなく垂れたまぶたが半分覆った目には不健康そうなができていて、光が宿っていない。


 「あのぅ、すみません。ちょっとお話を伺ってもよろしいでしょうか……?」

 「……ふげっ?はっ、あ、ああ……はい……?なん、でしょう?」

 「だ、大丈夫ですか?」

 「はい……ぐぅ……えっ?ああ……大丈夫ですよぉ」

 「大丈夫じゃなさそう……」


 うつらうつらと船を漕ぎながら、要領を得ない返事をしてくる。どうやら尋常でないほど眠たいようだ。こんな状態で話が聞けるのか不安になってくる。不健康な笑顔を浮かべられると胸がひどく痛む。早く楽にしてあげなければいけないような気がした。


 「あ、あの、こちら蒼海ノアプロジェクトチームで合ってますか?お話聞かせていただきたいんですけど」

 「ああ……そちら、牟児津さんですね。学園新聞で……特しゅぶぅ……うぐっ、ふん……特集、されてましたねえ……」

 「へっ?し、知ってんの?」

 「こおほおいーん……んむむ、にゃっ、ああ。こ、広報委員としてぇ……有名な人はみぃんな、チェックして、ます……。なんか……写しぃん、より、ぼやけて……る……?」

 「寝ぼけてんだそりゃ」

 「あ、私……蛍恵ほたえ みやこ、です。2年……生です……ふがっ、よ、よろしく……」

 「よろしくお願いします……」


 夢うつつで自己紹介をされたのは初めてだった。蛍恵はこの状態にもかかわらずパソコン上にいくつかのウインドウを開き、メールを打ったり外部SNSをチェックしたり、動画編集らしいことまでしている。よく見れば、デスクの上は大量のブラックコーヒーの空き缶が並んでおり、頬にはマウスパッドの跡がある。牟児津も葛飾も、細部に気付けば気付くほど引いていく。


 「よ、よくその状態でお仕事できますね」

 「はあ……まだ、まだですよ……旗日委員長は……もっと頑張ってます、から……」

 「すごいなあ。よくあの人のためにそこまで頑張る気になるわ」

 「真白さんなんて、旗日先輩のときどき話す英語も分からないのに」

 「わかっ──らないけど……!」

 「委員長は、帰国子女だから……口癖なんですよ。英語が。ステキです……よね……」

 「真白さん、旗日先輩に英語教わったらどうです?次の単語テストは合格できるかも知れませんよ」

 「あれに頼るくらいなら自分でやるわ!」


 その単語テストを頑張る必要はもうないのだ。蒼海ノアを見つけさえすれば、牟児津は平穏な日常と黄金饅頭の両方を手に入れることができる。そうなれば小遣いの返上など些細な問題だ。


 「あ〜……すやぁ……はっ、ふあ、えっと……プロジェクトチームのみんな……を、紹介……しますね……。あさひさ〜ん、まいせんぱ〜い」


 蛍恵が、デスクを挟んで反対側にいる二人に声をかけた。しかし、声が届いていないのか、どちらも微動だにしない。よく見ると、ひとりは先ほど大声を出したイヤホンの生徒で、もうひとりはちらちらと目だけをこちらに向けて様子を窺っている。見るからに癖が強そうで、牟児津と葛飾は既に声をかけることに気怠さを感じていた。


 「まい先輩?あさひさんのイヤホン取ってあげてくださいよぉ」

 「あっ…………ご、ごめん…………ね…………」


 蛍恵に指示されて、気の弱そうな声を出した生徒は隣に座るイヤホンの生徒の肩を叩いた。


 「どわっ!!?」

 「わあっ!?」

 「えっ?あ、な、なに?ああ、イヤホンか!んはは!またやっちった!ごめんごめん!」


 イヤホンの生徒は、肩を叩かれると同時に衝撃波が生じるほどの大声を出した。葛飾はそれをモロに受けてひっくり返り、牟児津はよろめいた。どうやら先ほどの蛍恵の呼びかけは、本当に聞こえていなかったらしい。


 「紹介しますねぇ。あの……ふぅ、大声出してる方が……2年生でぇ、記事の編集……担当の、一ツ木ひとつぎ あさひさん……。でぇ、マスクの方が……3年生でぇ、撮影担当……日比ひび 真衣まい先輩です……ふがあ」


 一ツ木は細く長いツインテールを伸ばし、その先に球状の髪飾りをつけている。スカートにもかかわらず椅子の上で胡坐をかき、ワイシャツを雑にまくってるせいで袖が潰れている。デスクの上は眠気覚ましのサワーグミやガムの包みで特に汚れている。全体的にガサツでだらしない印象を受けた。

 日比は口から鼻までを大きなマスクで覆い、そのうえ前髪が長いため顔のほとんどが隠れてしまっていた。高身長の割に背中が曲がっていて自信なさげに見える。ほとんど見えていない目を明後日の方向に向けているので、よっぽど人が苦手なのだろう。肩からかけたブランケットの端を握っている。デスクの上にはエナジードリンクの空き缶が転がっているが、まだ片付いている方だ。

 チームとして機能しているのか不安になる面子だった。


 「……大丈夫ですか?」

 「なにがですかぁ?」

 「ああいえ、すみません。なんでもないです」


 それは余計な心配であり、大きなお世話だ。たとえ大丈夫でなくても葛飾には何もしてやれない。


 「蒼海ノアについて聞きたいんだっけか?具体的に何が知りたいわけ?」

 「何がっていうか、まず蒼海ノアがどんな人かも分かんないんだけど……」

 「…………じゃ、あ…………動画…………観たら…………?」

 「そっすね!あたしのパソコンで観っか!デュアルモニターだから片っぽ貸すよ!」

 「ふわぁ……私、仕事にもどりまぁすねぇ」

 「あの、余計なお世話かも知れないですけど、蛍恵さん寝た方がいいですよ。ひどいくまです」

 「えへへ……そうですよねぇ……。でもなんかぁ……きもち、よくてぇ……。ずっと寝てないと……あたま、ふわ〜ってしてきてぇ……んふふふふ……!」

 「やばいって!寝かさないと死ぬって!」

 「ほ、ほた、蛍恵さん…………何徹、中…………?」

 「べぇ」

 「ほらもう!存在しない数字言ってんじゃん!」

 「ヨルせんぱーい。みゃーこがまた限界でーす」

 「OK!ほーらミヤコ!あたたかいミルクよ!こっちおいで!」

 「ミルク……ミルク……」


 一ツ木が旗日を呼ぶと、会議スペースからマグカップを持った旗日が飛び出してきた。本当にホットミルクを用意しているようで、ほんのり甘いミルクの香りにつられて、蛍恵はよろよろと旗日の方に歩いて行った。旗日はそのまま蛍恵を部屋の隅にあるソファまで誘導し、ミルクを飲ませた後、優しく横たわらせた。たちまち寝息を立て始めた蛍恵の頭をそっと撫でる。


 「おおよしよし、ミヤコはがんばりやさんでカワイイわね。白いおひげも付けちゃって、ふふっ」

 「私らはなにを見せられてんだ」

 「ほ…………蛍恵さん…………が、がんばり、すぎ…………な、子…………だから…………」

 「家でも広報委員の仕事してるらしいぞ。ヨルせんぱいに褒められるためっつってた。ようやるわ」

 「で、でも…………しあわせ、そう…………。委員長が…………ね、ねか、しつけて…………くれるから…………」

 「将来ヤバいのに捕まる素質あるな」

 「早く動画観ましょうよ」

 「んっしゃ。じゃああたしにバトンタッチだ。こっち来な」


 葛飾が急かすと、一ツ木が二人に手招きした。動画投稿サイトにアクセスして学園の名前で検索すると、すぐに様々な動画が出てきた。広報委員会以外にも動画投稿で活動している部などがあるようだが、検索結果の上位は全て蒼海ノアが占めていた。学園の広告塔というのは本当のようで、初等部から大学部まで学園を様々な角度から紹介している。牟児津は胃がギリリと痛んだ。リアルな規模感を知ると余計にプレッシャーになる。


 「一番人気はやっぱ学園内のスポットを紹介する動画だなあ。内容が分かりやすくて外部から興味を持たれやすい。特に初等部にガキ入れようとしてる親がよく観んだわ!大学部の学食と購買のおすすめメニュー紹介とか、高等部の部活動紹介もまた再生数増えてんね!」

 「入学試験の過去問解説とか委員会活動の紹介……結構マジメな内容もあるんですね」

 「職員公募に卒業生インタビュー……校歌斉唱?観たいか?」

 「歌ってみた動画ってのァ鉄板だから取りあえずやっとくんだ。まァ初めはこんなとこだわな。いきなり流行曲歌ったってその辺の有象無象に埋もれるだけだし」

 「ひ、一ツ木…………さん…………もう、ちょっと…………お、ぎょうぎ、よくして…………」


 いつの間にか、一ツ木はスカートの中に手を突っ込んで股ぐらを掻いていた。口の悪さといい行儀云々以前の問題である。日比に注意されても、一ツ木は笑うだけで直す素振りも見せない。日比が不甲斐ないのか、一ツ木の素行が悪すぎるのか、葛飾には判断がつかなかった。

 ほとんどの動画は学園に焦点を当てたもので、蒼海ノア自身にスポットを当てた動画は少ない。ほぼ唯一と言っていい蒼海ノアメインの動画は、最初に投稿された自己紹介動画だった。一ツ木がそれを再生する。



 ──画面の前のみなさーん、初めまして!私立伊之泉杜学園公式チャンネルへようこそ!──



 電子音が印象的なテクノポップミュージックをBGMに、学園の風景写真を背景に映して、近未来風のエフェクトや効果音を付けながら、蒼海ノアが笑顔で自己紹介する。Vストリーマーと聞いて牟児津がイメージしたような、飛んだり跳ねたり叫んだり踊ったりする激しさはない。あくまで公式チャンネルのアンバサダーという姿勢を崩さない、淑やかかつ愛想の良い性格だった。


 「すげ……これ、本当に声以外の全部、工総研が創ったの?」

 「そだよ。すごいっしょ。工総研も色々頑張ってくれてんだ。演劇部とかアニ研とかも協力してくれてるし」

 「本当に色んな部が関わってるんですね」

 「知れば知るほど胃が痛くなってくる……」

 「なんで…………黒糖団子、たべ、てるの…………?」

 「声優の方との連絡の記録はありますか?」

 「あるよ。けどここに表示されてる学内メアドはダミーだ。学籍番号がデタラメだし、検索しても該当生徒はいない」

 「そこまでして正体を隠すなんて……何か事情があるんですかね?」

 「ほ、ほか、の…………Vスト、リーマーも…………同、じような感じ、だよ…………?あと…………い、い、委員長…………に、バレたく、ないとか…………あるかも…………」

 「た、確かに……あの愛情表現を生身で受けるのはキツイですね……」

 「とりまこれまでのメール全部出力して渡すわ。けどこれクッソ内部情報だから取扱注意な」

 「セキュリティがザル過ぎる」


 内部情報と言いつつ一ツ木は、旗日はおろか黄泉にすら確認を取らず、蒼海ノアとのメールの記録を全てプリントアウトした。これまで少なくない数の動画を制作しているため、印刷した紙の束はかなりの量になってしまった。これを持って行動するのは骨が折れる。


 「まァ、あたしはムジッちゃんがノアやってもいいと思うけどね。実際、声似てるし」

 「冗談じゃない!私は目立ちたくないの!」

 「で、でもいまの、蒼海ノアも…………だ、だれが、やってるか…………分かんない、し…………」

 「私はもう広報委員にバレてるんですよ」

 「なんでそんな目立ちたくないわけ?有名になりゃチヤホヤされるし、学園外に名前が知られりゃモテるかもよ」

 「そういうのマジで興味ないの。静かに平和に、美味しいお菓子食べてゆっくりできるのが幸せなんだ、私は」

 「ふーん、悟ってんねェ」


 一ツ木がずけずけと尋ねるので気付いたが、葛飾は、牟児津がここまで目立つことを嫌う理由を知らなかった。今も、ただ目立つことに興味がないという理由で済ませようとしている。それは一ツ木が言ったことを否定しているだけで、牟児津が穏やかに暮らしたい理由にはなっていない。それが意図したことなのか、たまたまなのか、葛飾には判断がつきかねた。


 「他になんか手掛かりとかないの?直接やり取りしてるんなら、外には出てない情報とか持ってんでしょ」

 「ん〜、マイせんぱいどっすか?」

 「わ、私は…………よく、分かん、ない…………」

 「あたしらメールは見れっけど、実際にやり取りしてんのはみゃーこだからね。いま寝てっから、細かいことはまた明日にしてくんない?」

 「今日はもう起きられないんですか?」

 「あのくま見て叩き起こせんの?こまっちゃんけっこー鬼畜だね」

 「あ、いやそんなつもりじゃ……」

 「んはは!どっちみち今日はまともにしゃべれねーよ!明日になったらマシになってるハズだから!」

 「授業時間どうしてたんだ」


 そう言う一ツ木も隣にいる日比も、顔色が良いとは言えない。この委員会にいる生徒は、旗日も含めて働き過ぎなのだ。日比によればそれは蒼海ノアが突然降板を宣言したことも影響しているそうだが、元々そういう組織の体質なのだろう。いっそこれをきっかけに、一週間活動を停止してみたらマシになるんじゃないかと思うほど、問題だらけの委員会だった。


 「真白さん、また明日来ましょう」

 「はあ……しゃーないか」


 ソファですやすやと寝息を立てる蛍恵を起こすのも忍びなく、今日のところは簡単な手掛かりを手に入れたところで引き下がった。



 〜〜〜〜〜〜



 「ということがありまして」

 「そっかあ。それでムジツさんがこんな前衛的な顔に」

 「う゛り゛ゅ゛う゛〜゛〜゛〜゛!゛!゛な゛ん゛ど゛が゛じ゛で゛ぇ゛〜゛〜゛〜゛!゛!゛」

 「そんなにしがみついても、私のお腹にふしぎなポッケはないよ」


 広報委員室を出た二人は、瓜生田を頼るため図書室に直行した。瓜生田は二人より一学年下の後輩だが、牟児津が困ったとき大いに力になってくれる、頼れる後輩である。今は図書委員会の仕事があるため、図書準備室内で二人から事情を聴いているところだ。


 「また厄介なことに巻き込まれちゃったねムジツさん。よく飽きないね」

 「こちとら好きで巻き込まれてんじゃねえや!!」

 「ちょっと牟児津さん、隣が図書室なんだから静かにしてよ」

 「あ、ご、ごめんなさい……」


 瓜生田に全力でつっこむと、図書準備室で仕事をしていた阿丹部あにべ 沙兎さとに注意されてしまった。阿丹部は瓜生田と同じ図書委員で、牟児津たちと同じ2年生である。つい先日、所属するオカルト研究部(現オカルト研究同好会)を中心に起きた事件で、牟児津に大きく助けられたところだった。


 「大変そうだけど、なんかあったの?」

 「実はムジツさんが、広報委員から蒼海ノアの声優をやってほしいって頼まれてまして」

 「蒼海ノア……ああ、あのVストリーマーね。大変ねえいろいろ巻き込まれて」

 「ホントだよ。だいたい私には向いてないんだって」

 「確かに牟児津さんとはキャラ違い過ぎるか……」

 「そこじゃないよ?」

 「元の声優担当の人の手掛かりはありますか?」

 「広報委員会で過去のメールの記録を頂いてきました。後は広報委員の副委員長から伺った蒼海ノアの特徴くらいです。これがまた真白さんとよく似てまして」

 「いや似てないってば」

 「甘いもの好きで、自分の体にコンプレックスがあって、周りを巻き込む不幸体質だそうです」

 「おお〜、確かにムジツさんっぽいけどちょっと違いますね」

 「ほーれ見ろ!うりゅは私のことよく分かってんだ。よしうりゅ!言ったれ言ったれ!」

 「ムジツさんの巻き込まれ体質で不幸になるのはムジツさんだけです。周りはむしろ助けられるくらいですから、そこだけ違います」

 「そこじゃない!コンプレックスなんかないから!」

 「え、ないの?」

 「そのリアクションもういいわ!」


 散々つっこみまくった牟児津は、そのまま瓜生田の膝の上でぐったりしてしまった。瓜生田には十分伝わっているが、他の二人にはいまいち牟児津の必死さが理解されていないようだ。


 「ムジツさんを助けるのはやぶさかじゃないけど、委員会の仕事があるからなあ。今日はヘルプで来られる人もいないし」

 「そしたら、これ取扱注意って言われてるんですけど、瓜生田さんにお渡ししてもいいですか」

 「えっ、私なんかが持っちゃっていいんですか?」

 「きっと、瓜生田さんの方が私たちより有効に活用できると思うので」

 「そうそう!なんかこういう何気ないメールから犯人を絞るやつあるじゃん!リングファイルみたいなやつ!」

 「プロファイリング?」

 「そうそれ!やってやって!」

 「手品みたいに言うなあ。いちおうやってみるけど、あんまり期待しないでね」

 「やれることはやれるんだ……李下ってどこでそういうスキル身に着けんの」

 「やだなあ。小説の真似事ですよ」


 へらへらと笑いつつ、瓜生田は葛飾から受け取った紙の束を数え、でたらめになっていた順番を揃えてクリップで仕分けた。話をしながら片手間にそんなことをやってのけるので、その場にいる3人とも、瓜生田なら本当にプロファイリングできてしまいそうな気になってきた。


 「蒼海ノアの声を当ててる人──長いからノアさんって呼ぼうか、ノアさんについて何かわかったら連絡するね」



 〜〜〜〜〜〜



 ノアさんについて瓜生田がプロファイリングをしている間、牟児津と葛飾は情報を足で稼ぐことにした。


 「結局、私たちにはこういう方法しかないんですよ。面倒くさそうな顔しないでください」

 「でも、どこをどう調べたらいいか分かんないし」

 「だから足を動かすんじゃないですか。地道な努力を足掛かりにして事件の手掛かりを見つけるんです」

 「無駄なんじゃないかってことが気掛かりだよ」


 とにかく蒼海ノアについて聞き込みをしていくしかないと、二人は自分たちのクラスに戻った。ほとんどの生徒は部活動や委員会活動に出てしまっている。残っているのは数名だった。葛飾はそのうち、教室の掃除をしていた時園ときぞの あおいに声をかけた。


 「時園さん。少しお時間いいですか」

 「え……なに?また何か厄介事に巻き込まれたの?」

 「よく分かりましたね」

 「牟児津さんの顔を見れば分かるわよ。もう2回見たから」


 振り返った葛飾は、この世のあらゆる理不尽を憎むような牟児津の顔を見た。こうも厄介事が次から次へと舞い込んでくれば、そんな顔になるのも仕方ない。ただ幸いなことに、このクラスにいるほぼ全員が、牟児津は厄介事に巻き込まれやすいということを理解していた。


 「分かることしか話してあげられないわよ」

 「それでも構いません!むしろ、分かることだけ教えてほしいんです!」

 「いや葛飾さん、必死過ぎて怖いから。落ち着いてよ」

 「あっ、ご、ごめんなさい……。あの、蒼海ノアについて、知ってることを教えていただきたいんです」

 「ノア?ああ、動画のアレね」


 どうやら時園は名前を聞いただけで、広報動画に出演しているキャラクターだと理解したらしい。牟児津と葛飾が知らなかっただけで、やはりそれなりの知名度はあるようだ。


 「知ってることと言っても、普通にうちの学園の宣伝キャラクターっていうだけじゃないの?」

 「なんというか、こう……もっとパーソナルな部分とか、個人情報とかは」

 「ええ……設定ってこと?それなら広報委員会に聞けばいいんじゃないの?」

 「設定とかじゃないんですけどあの……」


 巻き込まれた事件についての言及を避けようと慎重になるあまり、葛飾の質問は要領を得ない。しびれを切らした牟児津が交代する。


 「時園さん、蒼海ノアの声ってうちの生徒がやってるって知ってる?」

 「ああ、そうね。校内で募集してたし、学生生活委員も応募の呼びかけに動員されたから覚えてる」

 「誰がやってるかとか知らない?」

 「そこまでは知らないわね。それこそ広報委員に聞けばいいじゃない」

 「うーん、正論だ」

 「あ、でも」


 時園が、何かを思い出して手を叩いた。


 「確か応募数が振るわなくて、それなのに応募者にオーディションしたっていう強気な決め方だったって話は聞いたわ」

 「そうだったんですか?」

 「いちおう学園外部に向けたものだし、面白半分で応募してきたような人とか、能力と熱意のバランスが合わない人とか、そういうのはお断りしようってことだったんでしょ。当然といえば当然だけど……ちょっと敬遠されちゃってたわね」

 「こだわりですかね。旗日先輩の」

 「そう。旗日先輩のテンションと企画について行けるっていうのも応募条件だったから、余計に少なかった」


 それが最も大きな障害になっていたのだと、牟児津と葛飾はなんとなく察した。ともかく、蒼海ノアの声優に応募した生徒は相当少ないようだ。


 「応募した人って知らない?」

 「ひとりうちのクラスにもいるわよ。最終的に辞退したらしいけど」

 「えっ!?だ、だれですか!?」

 「ん〜……ま、いいか。本人も普通に言ってたし」


 時園は、いちおう教室にいる他の生徒に聞こえないように少し声をひそめて、二人のその名前を告げた。



 〜〜〜〜〜〜



 「んがっふっ!……へあ?あれ。私、寝ちゃってましたあ……?」

 「おう!おはようみゃーこ!」


 広報委員室のソファで、蛍恵は目を覚ました。牟児津たちの前で自己紹介もそこそこに寝入ってから、1時間ほど熟睡した後の覚醒だった。未だ睡眠不足の頭はぼんやりと靄がかかったように思考がはっきりせず、脳の中心がズキズキと痛む。一ツ木の無遠慮な大声が脳の髄まで響いた。


 「ごめんなさぁい」

 「蛍恵。お前は働き過ぎだ。ちゃんと自分を労ることも良い仕事のためには必要だぞ」

 「えぇ〜、でもいっぱい働くのはいいことだと思いますよ〜?旗日委員長は毎朝一番に来て毎日最後までバリバリやってるじゃないですか〜」

 「お前は夜じゃない。無理をしても体を壊すだけだ」

 「ぶぅ……旗日いいんちょ〜、ふくいんちょ〜がいじめます〜」

 「大丈夫ミヤコ!?ユーリ!ミヤコは頑張り屋さんの良い子なんだから怒っちゃダメよ!あ、分かった!きっと嫉妬してるのね!ミヤコがワタシによしよしされるのが羨ましいんだわ!もう!素直じゃないんだから!こっちいらっしゃい!まとめてよしよししてあげる!」


 黄泉は眉間をおさえた。蛍恵は旗日に憧れを抱いている。それはいい。しかしその憧れが強すぎるあまり、旗日のためと無理をするきらいがある。もともとそれほど器用ではなく、人より体力があるわけでもないのは、不健康そうな目の周りのくまを見れば明らかだ。それでも旗日について行こうとすることは、決して蛍恵のためにならないと感じていた。それもこれも、旗日が蛍恵を特に褒めちぎって甘やかすことに問題がある。広報委員会は旗日がいてこそ成り立つが、同じく旗日がいるために機能不全を起こしている。


 「購買に猿ぐつわはあったかな」

 「何する気よ!?」

 「濡れタオルが…………か、代わりになる…………けど…………」

 「そういや結束バンドも余ってたっけなァ」

 「着々と!!ごめんごめん!静かにする静かにする!もう、みんな怖いわねミヤコ……。ワタシ、委員長として尊敬されてないのかしら……」

 「ふわぁ、私は委員長のこと尊敬してますし、よしよしもされたいですよ〜」

 「あーもうカワイイわねミヤコは!よしよしよしよし!!」

 「アイマスクと耳栓も準備しておけ」

 「ひぇーっ!」

 「ところでぇ、さっきの方たちはどこ行っちゃったんですかぁ?」


 拘束具を持った一ツ木に追い詰められる旗日を尻目に、蛍恵は寝る前までいた牟児津と葛飾の行方を気にする。何か大事なことを聞いたような、そんな気がしていた。


 「あの二人なら、蒼海ノアの正体を捜しに出た」

 「どっか行かれたんですねえ」

 「見つからなければ牟児津さんが二代目を務めるから、牟児津さんの声を今の声に似せるための作業が増える。今の蛍恵にさらにタスクを増やすのは心苦しいが……」

 「はぁ……そうなんですねぇ……じゃあ、見つかるとぉ、いいですねぇ。ぐぅ……」


 自分で自分が何を言っているのかはっきりしない。なんだかまだ寝惚けているようだ。上手く考えがまとまらない。蛍恵は、もうひと眠りしてから考えることにした。


 「蛍恵さん…………相当です、ね…………」

 「身を粉にすることを美徳と思っているやつが上に行くと下は苦労する。蛍恵が後輩を持つ前に、今の働き方を変えなければ……」

 「せ、責任重大…………」

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