第4話「やるしかないではないか!」


 出遅れた探偵同好会の2人と牟児津は、似安と富綴、そして大村が立ち止まっているところを見つけた。3人は大きな木の根元に集まっており、一様に上を見上げている。


「どうしたんだ君たち!」

「むっ、なんですかあなたたち……おお!牟児津先輩ではありませんか!まだ帰ってなかったんですか。こちらの方々は?お知り合いですか?」

「はあ、はあ……!お、大村さん……!ひぃ、あの、猫……!」

「瓜生田さんがいないとは珍しいこともあるものですね。また何かに巻き込まれたんです?」

「聞いて話を……」

「コール!降りて来て!コール!」

「へ」


 疲れ果てたところに全力ダッシュを強いられ、牟児津は既に疲労の限界を迎えていた。そこに、似安の叫ぶような声が聞こえてくる。まさかと思い木の上を見ると、やや薄暗い中でも判別できる、白と黒のぶち模様の猫が枝の先で丸まっていた。体にあるハートマークの模様がよく分かる。

 木の枝は建物の2階か、それよりもう少し高い。どう考えても手が届く高さではないし、大村の掃除機のノズルも届かない。


「そうだ先輩!あの猫めが糞害の犯人でした!現場を押さえ、ここで会ったが百年目とばかりに追いかけ回していたら、あそこまで逃げてしまったんです!牟児津先輩!学園美化活動に協力すると思って、なんとかとっ捕まえてください!」

「私ゃ消防団か!できるか!先生か誰か呼んできてよ!」

「お願いします牟児津先輩!あのままでは怪我をしてしまいます!なんとかコールを助けてください!」

「い、いやだから私には無理だって。木登りなんてできないし、あんな高いところ……」


 ようやく見つけたコールは、手の届かない高さで立ち往生していた。身軽な猫とはいえ、あの高さから落ちて万が一のことがあるかと思うと、似安の心配も尤もだ。だが牟児津にはどうすることもできない。高所の猫を捕らえるのは、推理で犯人を突き止めるのとはわけが違う。

 そうしている間にも陽は傾き、世界は夜へと向かっていく。困り果てた牟児津たちを背に、少女は一歩踏み出した。


「これを持っていろワトソン君!」

「えっ……!?ホ、ホームズ!?何をする気ですか!」

「でりゃあああっ!!」


 鹿撃帽とインバネスコートを羽村に預け、ワイシャツにサスペンダー姿になった家逗が、木の幹にしがみついた。そのまま勢いに任せ、よじよじと木を登っていく。体が小さいため登るスピードは速くないが、その分軽いので一定のリズムを崩さず少しずつ登っていける。


「ホームズ!危険です!降りてきてください!」

「家逗さんやめときなって!いま先生呼んでくるから!落ちたらケガするよ!」

「くっ……!ううっ……!ハッ……!ハッハッハ!ハッハッハッハ!」

「な〜んで笑ってんですかあ?」


 ついにおかしくなったか、と牟児津たちは不安がる。しかし、家逗は強気な表情を牟児津たちに向けて応えた。


「どうやら決闘は私の勝ちのようだな!牟児津真白!言っただろう!どちらが先に勝負だと!私の失態を詳らかにして得意げになっていたようだが、結局それでは依頼を全うしたことにはならん!これが本物の探偵というものだ!よおく見ておけ!」

「まだそんなこと言ってんのかアンタ!マジでケガする前に降りて来いって!」

「お待ちください、牟児津様」

「えっ!?は、羽村さん……!?」


 どう見てもただの強がりだった。この期に及んで決闘の勝ち負けなど、牟児津にとってはどうでもいいことだ。だが、少なくとも家逗にとってはそうではなかった。


「そもそも……!そう、そもそもだ!これは私が受けた依頼じゃないか!猫を探して欲しいと依頼され、任せておきなさいと請け負ったんだ!話を聞いて現場を捜査し、推理の末に犯人を突き止めた!

 しかし蓋を開けてみればどうだ!推理はヘッポコ!捜査は不十分!挙句の果てに事件の犯人は私自身ときた!何が決闘……何が名探偵だ……!私ひとりが周りに迷惑をかけてばかりじゃないか!似安君と富綴君の期待を裏切り、牟児津真白と瓜生田君を巻き込み、生物部に迷惑をかけ、ワトソン君の手を煩わせてばかりだ!

 それでもようやく……ようやく目の前にコール君が現れたんだ!ようやく、私が活躍できるときが訪れたんだ!」


 木にしがみつき、足を滑らせて少しずり落ち、なんとか持ちこたえてさらに登る。服が木に引っかかってほつれ、必死にしがみついた手はぼろぼろになる。それでも家逗は登ることを止めない。


「たとえ彼を捕まえることができたとしても、それで私のしたことが許されるわけじゃない!ただ自分の失態の後始末をしているだけだ!先輩として、探偵として、君たちに見せられる背中なんてありやしない!

 でも……!でもそれすらできないのでは……!自分のしたことの責任も取らせてもらえないようでは……あまりにも情けないじゃないか!あまりにも惨めじゃないか!」

「そりゃそうかも知れないけど……!でもそんな無茶までしなくても……!」

「この事件が真に解決するそのときに、私は名探偵だと胸を張って言いたい!私が解決したのだと笑いたい!そのためには無茶のひとつやふたつしないと私は私を許せない!ならば声が震えるほど怖かろうと!涙で目の前もろくに見えずとも!手と足が限界まで痛もうと!やるしかないではないか!」


 牟児津たちは固唾を呑んで見守る。叫びながら、涙をこぼしながら登っていく家逗から、目を離すことができなかった。上級生として、探偵として、家逗が必死になっている姿を、無視することも邪魔することもできなかった。

 そしてやっと、家逗はコールのいる枝まで登り切った。太い枝にまたがると、家逗は改めてその高さを実感した。下から見上げるより上から見下ろす方が、はるかに恐怖感が増す。


「ううっ……!コ、コール君!今から助けに行く!そこでじっとしていなさい!」

「うわあっ……!マジでえ……!?」


 家逗は、枝の先で丸まっているコールに呼び掛けた。コールは枝の先から動かない。枝にまたがったまま、少しずつ家逗は前に出る。太い枝は家逗ひとりが乗ったところでびくともしない。だがバランスを崩してしまえば家逗は真っ逆さまだろう。下が土とはいえ、下手をすれば大怪我は免れない。家逗は自分自身に言い聞かせる。


「だ、大丈夫だ……!大丈夫……!これだけ太い樹なら風にも強い!私は軽いから大丈夫だ!ううっ」


 進むほどに、両足で感じる枝の太さは明確に変化していく。中ごろまで進むと、幹の近くでは感じなかった些細な枝の揺れすらも敏感に感じ取れてしまう。枝が小さく上下に振れるたびに、体全体が押上げられては落ちる感覚がする。高さと揺れの相乗効果で恐怖は数倍に膨らむ。まだしっかりと太い枝も、根元に比べるとか細く心許ないものに感じる。そして時間が経つほどに鮮明になる、転落の想像。これ以上先へ進むべきではないと本能が拒絶する。


「んぐぐっ……!ふぅーーーっ!!くおおおっ!!」


 自分を奮い立たせるため、家逗は大声を出す。少しずつ、しかし着実に、家逗は枝の先端に近付いていく。もはやいつ落ちてもおかしくないほど、家逗は疲弊しきっていた。もはや似安は見ていられず目を伏せてしまっている。大村は大慌てで教師を呼びに行った。富綴は青ざめた顔で耳を塞いで俯いている。牟児津と羽村だけが、家逗が前に進む姿を見ていた。もう少し、手を伸ばせばあと数センチでコールに届くところまで、家逗はやって来た。


「コール君、こっちに来なさい……!大丈夫だ……!」


 恐怖を堪え、可能な限り優しい声色で、家逗はコールに呼び掛けた。

 しかしコールは応じない。それどころか激しく家逗を拒絶し、爪を剥いてその手を叩いた。


「っく!」

「あっ!ホ、ホームズ!」

「ええっ!?めちゃくちゃ気性荒いじゃんあの子!」

「いいえ……おそらく、ホームズだからです。ホームズは、特別動物に懐かれないのです」

「じゃあ相性最悪じゃん!もっと早く言ってよ!」

「ホームズの熱い想いに胸を打たれて……失念していました……」

「ヤバいヤバいヤバい!泣いてる場合じゃないから羽村さん!ハンカチしまって!」


 もう既に手が届くところまで近付いている。それなのに、家逗の体質が災いしコールは全く近付こうとしない。もどかしい気持ちは焦りになり、判断力を鈍らせる。このまま枝の上で睨みあっていても、先に家逗の体力が尽きて落ちてしまうだけだ。

 それならいっそ……と家逗の脳細胞が喚き立てる。大量の興奮剤と脳内麻薬が分泌され、理性と判断力を犠牲にして不安と恐怖を掻き消す。心臓が激しく鳴り響き呼吸が荒くなる。湧き出す全能感と多幸感。もはや家逗には、救出成功の運命しかなかった。体が自由になる。

 誰かが気付く間もなく、家逗は枝から跳ね上がり、コールに飛びかかった。


「あ──」


 スローモーションのように流れる時間。コールは突然のことに動けず、家逗の両手がその体を掴む。激しい達成感と幸福感が手のひらから脳の奥、そして全身に伝わる。体が地面へ落ちていくことすらも忘れるほどの高揚。家逗はただ、捕まえたコールをしっかり抱きしめていた。


「だああああああああっ!!!」


 一瞬の判断ミスが取り返しのつかない事態を招く。逆に、一瞬の適切な判断が取り返しのつかない事態を防ぐこともある。今の牟児津は後者だった。家逗とコールの落下地点に、考えもなく飛び込んだ。小さいとはいえ、落ちてくる人間と猫1匹を受け止められるのか。受け身を取って衝撃を逃がせるか。そもそも飛び込んだところで間に合うのか。そんなことは一切思考の埒外にあった。ただ、飛び出さなければいけないと感じた瞬間、行動は既に終わっていた。自分の背中を突き飛ばしたようだ。


「ダバらしゃゴろふげひげッ!!」


 落ちてきた家逗と飛び込んだ牟児津。2人はひとかたまりになりながら勢いのまま転がり、近くの樹に衝突して動きを止めた。牟児津は思いきり後頭部を打ち、視界に星が瞬いた。すぐさま羽村たちが駆け寄る。


「ホ!ホームズ!牟児津様!大丈夫ですか!ど、どど、どなたか保健委員を!富綴様!」

「は、はい!」

「コール!コールは!?」


 ずたぼろになった牟児津と家逗を見て、羽村は顔面蒼白になる。すぐさま富綴に指示して保健委員に連絡を取り、2人の安否を確かめるため近寄る。


「う〜〜〜ん…………ふがっ、あえ、わ、私…………何を……?」

「いたたたたたたたたっ!!痛い痛い痛い!!っぷあ!!」

「ぎゃあっ!いてえ!!?」


 牟児津が我に返るのと、家逗の悲鳴が聞こえるのはほぼ同時だった。何かが2人の体の間で暴れ、周囲を引っ掻き回しながら外に飛び出した。すかさず似安がそれを受け止める。コールだ。


「コール!ああっ!コール!」

「コール?と、ということは……ホームズ……!」

「くっ……ふっ、ハハ……!い、いらい……たっ、せい……だ……!」

「ホームズ……!」


 顔をひっかき傷だらけにした家逗が微笑んだ。強い恐怖が消えきらず半分は引きつり、傷だらけで力ない、今にも消えそうな笑顔だ。だが羽村には、いつもの尊大な張りぼての笑顔よりもまぶしい笑顔に感じられた。羽村は涙で顔を濡らしながら、優しく家逗を抱きしめた。


「……ぐへえ」


 その隣で、牟児津は本当に力尽きて気を失った。

 同じころ、瓜生田は階段の上り下りで疲れ果て、昇降口前で真っ白に燃え尽きていた。



 〜〜〜〜〜〜



 事件を解決した後の探偵同好会の部室は、キャリーケージがなくなったことで一層寂しく感じられた。そんな質素な部室で、ホームズこと家逗詩愛呂は怒っていた。机にはその日の学園新聞が広げられており、一面で『愛の猫誘拐事件』が取り扱われていた。大きく掲載された写真には、戻って来たコールを抱きしめる似安の笑顔が写っていた。その奥に、顔が判別できない程度にピントがぼかされた牟児津と、家逗を抱きしめる羽村の後ろ姿があった。


「許せん!これではまるで牟児津真白が事件を解決したような書き方じゃないか!」


 見出しの後に続く記事には、こう続いていた。



 ──────


 『名探偵』が学園で起きた事件をまたも解決へと導いた。昨日の昼休み、似安氏(1−C、猫同好会会長)の愛猫コール君が忽然と姿を消す事件が発覚した。我らが名探偵──牟児津氏は、その事件に隠された複雑怪奇な謎を華麗に暴き、その真相を解明したのだ。現場に記者が駆け付けたとき、牟児津氏は己を顧みない勇敢な行動のため気を失っており、その後ただちに保健委員に搬送されたため、残念ながら取材することはできなかった。保健委員関係者によると、牟児津氏はその日の閉校までには意識を取り戻し、無事帰路に就いたとのことだ。以降は現場に居合わせた数名の生徒が、当時の状況を振り返り、その鮮やかな推理劇の様子を語った証言を元に記述するものである。


 ──────



「仕方ありません。学園新聞はどこよりも早く牟児津様に注目していましたし、番記者までつけるほど牟児津様寄りのメディアですから。ホームズのことも書いてありますよ」


 羽村は水筒の蓋に注いだ紅茶を家逗に差し出し、学園新聞の隅を指さした。長々と書かれた牟児津を称賛する記事に比べて、たった2行きりの少ない言葉で、こう書いてあった。



 ──────


 なお、本事件の解決には探偵同好会が大きく助力しているということが、取材の結果判明した。 『名探偵』にライバル出現となるか。今後に期待する。 (益子ますこ 実耶みや


 ──────



「誰がライバルだ!!ついでみたいな書き方をするな!!というか取材の結果判明したじゃなくて直接取材に来い!!なに人伝に聞いて済ませてるんだ!!あと猫を連れ戻したのは私なんだから助力じゃなくてメインに書くべきだろ!!」

「こればかりは私に言われても。これを書いた記者の方に言ってください」

「くそぉ〜〜〜!こっちは顔中ひっかき傷だらけにまでなったというのにぃ〜〜〜!」

「むしろ木から落ちた時点では無事だったことが驚きです。頑丈な体に産んでくださったご両親に感謝してください」

「その日にした!」

「受け止めてくださった牟児津様にもですよ」

「ぐぬぬ……ひ、ひとつ“借り”としておく……!」


 それが今の家逗にできる最大限の譲歩だった。牟児津の無謀な飛び込みがなければ、家逗は頭から地面に突っ込んでいて、おそらく無事では済まなかった。その点については心から感謝しているが、素直にそれを口にするのは、学園新聞の扱いを踏まえると悔しすぎて不可能だった。


「そんなに悔しがらなくてもいいじゃないですか。念願の学園新聞デビューですし、写真にも写っていますよ」

「足だけじゃないか!こんなのではデビューしたと言えん!ノーカン!ノーカン!」

「自分に厳しい姿勢は素晴らしいと思います」


 家逗は満足していないが、探偵同好会の名前が学園新聞に、それも注目度の高い牟児津関連の記事に掲載されたのは、今後の活動で多少なりとも有利に働くだろうことを、羽村は感じていた。その意味でも、今回の事件では牟児津に借りを作りっぱなしだ。このまま上手く家逗の手綱を握って牟児津と協力するよう仕向ければ、探偵同好会の名前をさらに知らしめることができる、と羽村は密かに企んでいた。それは、家逗の悲願を叶えるために必要なステップだ。そのためなら羽村は、あらゆる手を尽くすつもりだった。

 そんな秘めたる思いを紅茶とともに飲み下し、羽村は学園新聞を読み始めた。家逗は紅茶をぐいと飲み干し、今日も牟児津への激しい対抗意識を燃え上がらせるのだった。


「この借りはいつか返してやる!待っていろよ牟児津真白ォ!!」

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