第3話「あんたのせいだろ!」


「うぅん……」


 牟児津は悩んでいた。上野から得た最後の手掛かりは、頭の中にある推理に説得力を持たせている。おそらくこれで間違いないだろう。しかし、これでは事件を解決できない。そもそも牟児津たちがすべきなのは、こんなことではないはずだ。この段階になってようやく、牟児津はそのことに気付いた。


「やい牟児津真白!いい加減にしろ!私との決闘を無視する気か!」

「おかえりなさいませ、牟児津様。推理の方はいかがでしょうか」

「いやあ、まあ、うん……」

「なんだ。当てが外れて途方に暮れているのか?ハッハッハ!やはり名探偵と名乗っていても口だけだな!引っ込みがつかなくなって決闘を受けたものの、ろくな言い訳も思い浮かばず困り果てたのだろう!初めから素直に罪を認めて、学園の名探偵の座を私に譲り渡せばそんなことには──!」

「うっさいなあもう!猫が逃げたのはあんたのせいだろ!」

「……はあ?」


 耳元で激しくまくし立てる家逗に、牟児津は思わず怒鳴った。途端に家逗の言葉が止まり、息が漏れるような戸惑いだけが返って来た。牟児津はとっさに口を塞いだがもう遅い。


「あっ。いや……違くて、違くないけど、それは重要じゃないっていうか……」

「ムジツさん、どういうこと?」

「猫が逃げた……誘拐ではないということですか?それがホームズのせいとは?」

「何を言い出すかと思えば、苦し紛れにも程がある!なぜ私に責任があるなどと言われなければいけないのだ!」

「くうっ……!あ、あの、家逗さんと羽村さん。怒らないで……あと泣かないで聞いてよ?」

「えっ。なにその確認。こわっ」


 今はそんな場合ではないが、もはやこれを引っ込めるわけにはいかなくなった。猫同好会の2人も、驚きと期待の眼差しを向けている。もはや牟児津は自分の推理を披露する他なくなった。披露したところで、事件解決には一歩も進展しないというのに。


「改めて言いますけど、コール君は誘拐されたんじゃない。これはただの脱走だよ。んで、コール君が脱走する原因を作ったのは、家逗さんだ」

「なにをぅ!」

「落ち着いて、ホームズ。決闘である以上、牟児津様の推理も最後まで聞くべきです」

「むん」


 早速怒って飛びかかろうとした家逗を、羽村が押さえて座らせた。牟児津は続ける。


「まずこれが脱走事件だと思った理由。家逗さんが集めた手掛かりのとおり、現場の芝生には足跡が付いてなかった。もし誘拐犯がいたなら、生物部の部室側から手を伸ばしたりしてコール君を連れ去ったことになる。でも、それなら普通ケージごと持って行くはずでしょ。わざわざ剥き出しの猫を連れて歩く方が目立つし、何より運びづらい」

「それはそうですね。我々もそこは疑問でした」

「そんなもの、事件の発覚を遅らせるためだろう!コール君だけを連れ去れば、見た目にはケージが2つ並んでいて変化がない。事件発覚が遅れればそれだけコール君を隠す時間の余裕が生まれる!」

「でもそれだったらケージを破かないでしょ。猫が出るには小さいと思ったけど、さすがに見た目で破れてることは分かるよ。というかそもそも、中にいる猫を出すだけなら普通にケージの入り口を開ければいい。側面の網目を破く理由なんて、犯人にはないんだよ」

「おお!確かに言われればそうですね!」

「仮にコール君を連れ去った誘拐犯なんてものがいたとしても、その人の行動はいちいち意味不明すぎる。芝生に足跡を付けない慎重さはあるのに、無意味にケージを破いたりコール君だけを抱えて連れて行ったり……なんというか、一貫性がない」

「じゃあ、いったいなんでそんなことを?」

「だから、初めから誘拐犯なんていないんだよ。これは、偶然破けたケージの隙間からコール君が逃げ出した。ただそれだけの事件だったんだ」


 牟児津は断言した。この事件に犯人などいないと。これは偶然起きた出来事で、そこに誰の悪意も入り込んでなどいないと。それが、牟児津にできるせめてものフォローだ。


「コール君がひとりでにケージの裂け目から外に出て脱走した。だから芝生に誰の足跡もついてないんだ。花が散ってるのは、たぶんコール君のせいだよ。あの花に留まるちょうちょに反応して、引っ掻いたり猫パンチしたり遊んでるうちに散らしちゃったんだと思う」

「そんなバカな!」


 しかし、まさにフォローされるべき犯人である家逗が叫ぶ。


「あのケージは素材こそ柔らかいがしっかりした造りをしているぞ!特別古いものでもないのに、勝手に破けるなんてことがあってたまるか!だいたい、偶然などというものは説明になっていない!それは考えの放棄だ!」

「いや、偶然だよ。確かにケージが全く自然に破けたとは言えない。でも、破くつもりがないのに破いてしまったなら、偶然って言えるんじゃない?」

「お、お前は……何を言っているんだ?」


 牟児津は、置いてあるキャリーケージを拾い、裂け目が全員に見えるように横に倒した。無理やり引き裂いたような形の網目をなぞりながら合わせていく。


「この裂け目、ほとんどの部分は左右の網目がぴったりくっ付くように裂けてるでしょ。無理に破いたとしても、縫い合わせれば元通りになる」

「そりゃあそうでしょう!破くってそういうことですもん!」

「だけど、ここだけはそうじゃない」


 当然だ、という全員の気持ちを富綴が代弁する。しかし、牟児津が指さした箇所を見ると、そんな言葉はもう出てこなくなる。ぴったり合わさっていた網の切れ目が、そこだけはいびつに歪んでいた。繊維が縮み、形が崩れ、いくつかの小さな塊に寄り集まっている。左右をくっつけても元の形に戻らないことは明白だ。


「網目が溶けてるんだよ」

「と、溶けてる……?」

「普通なら破けない網目が破けてるのは、この部分が溶けたことで千切れて、他の部分に力がかかるようになったせいだ。だから、もしこの事件に犯人がいるとするなら、それはここが溶ける原因を作った人だ」

「網目って、これプラスチックだよね?それが溶けるってことは──」

「特殊な薬品か!?」

「火……いや、正確には熱でしょうか」

「そうだね。犯人はこの部分を熱して、ケージの網に穴を作った。もろくなった網をコール君が破いて、そのまま外に逃げ出した。そういうことだよ」


 発想が出来の悪いミステリを抜け出せない家逗を無視して、羽村が正解を返す。家逗は無視されたことを誤魔化すように大声で笑った。


「ハッハッハ!これは傑作だ!ということはだ、牟児津真白!犯人はこの網目をピンポイントに熱してしまい、うっかりコール君の脱走を許してしまったと、お前は言うのか!まるで意図したかのような偶然だな!そんな間抜けいたらぜひ顔を拝んでみたいものだな!」

「ホームズ、もうその辺にしておいた方が」

「いやいやワトソン君!こんな“コッコケコー”な推理は笑ってやらないと可哀想じゃないか!ハッハッハ!」

「牟児津様の推理は“荒唐無稽”ではありません。これ以上は本当に、恥ずかしいので」

「なにを恥ずかしがることがある!」

「牟児津様の推理が正しければ、その間抜けはホームズですので」


 高らかに笑う家逗は、自分が犯人だと指摘されていたことすら忘れてしまったのか、羽村の発言で大いに目を丸くした。驚きのあまり言葉も失ってしまったのか、無言のまま他の面々の顔を見る。瓜生田も気まずそうな苦笑いを浮かべている。既に真相にたどり着いたようだ。


「上野さんに聞いたよ。家逗さんは毎朝ここに来て生物部にあいさつしてるらしいね。そしてそのとき、そこのベンチに座って一休みしてるんだとか」

「い、いや……そんなことは……」

「はい。ホームズは毎朝、学園中を歩いて事件がないか調べるのが日課です。ここはよく日が当たって日向ぼっこに最適なので、ホームズのお気に入りの休憩場所です」

「おいワトソン君!余計なことを言うな!」

「今朝もそうだったんでしょ?そこのベンチに座って日向ぼっこをしていた。当然、今と同じ格好で」

「ま、待て……!いや、そんな……まさか……!」

「今朝、この場所は全てが一直線に並んでたんだ。生物部の部室、芝生、その上にちゃっぱちゃんのケージと、コール君のケージ。さらに東側には家逗さんが座ってるベンチ。そして、そのもっと奥には昇ってたよね──太陽」


 家逗の脳内に、朝の情景がフラッシュバックする。東の空に昇った太陽が降らせる、暖かい朝の日差し。まさに牟児津が示すベンチに座って日向ぼっこをしていた。そのとき、確かに今と同じ格好をしていた。同じ服を着て、同じ帽子を被って、同じ靴を履いて、同じ物を手に持っていた。


「うっ、おおお……!」

「家逗さんが今と同じ格好をしてたんなら、そのときも持ってたはずだよね?そのでっかい虫眼鏡」

「ぐっ……!」

「東から差した太陽光は、ベンチに座ってた家逗さんの虫眼鏡を通過して一箇所に集まる。それが偶然、コール君のケージの上だったんだ」

「うぐぐっ……!うぐぐぐぐうつ……!」

「だから、これは全部偶然なんだ。偶然ここに置かれたケージに、偶然虫眼鏡の焦点が合って、偶然そこからコール君が網を破いて逃げ出した。敢えて、この事件に犯人がいるとするなら……それは家逗さんしかいないんだよ」


 まるで雷に打たれたように、家逗はその場で固まった後、膝から崩れ落ちた。頭は熱を帯びるほどに空転する。先ほどの意趣返しに推理の粗を突いてやろうと。しかし何も思い浮かばない。今朝、自分がここで日向ぼっこをしていたのは事実だ。そのときにケージが置かれていたのも、似安たちの証言を信じれば事実だ。虫眼鏡の焦点がケージに合っていたかは確かめようがないが、ケージの一部が熱で溶けているのは事実だ。否定しようとすればするほど、それが覆しようのない事実であることを突きつけられる。


「おおおっ!ま、まさか探偵が犯人だったなんて……!そしてそれを別の探偵が解き明かすなんて!こんなドラマチックなことがあるんですか!」

「ドラマチック、かな……?」

「だから言ったでしょう、ホームズ。恥ずかしいことになるって」

「くっ……!うううっ……!わああああんっ!!」

「うわっ」


 羽村がそばに寄ると、家逗は大声をあげて泣き出した。あまりに大きな声だったので、牟児津は驚いて耳を塞いだ。羽村は家逗を抱きしめて、自分の制服でその泣き顔を隠す。家逗は何の言い訳も反駁もせず、ただ泣くばかりだった。これまで牟児津が追及した犯人は、程度の差こそあれ、多くはその推理を否定するなどの抵抗を見せてきた。家逗はそれが一切ない代わりに、感情の爆発力が凄まじい。


「ああああんっ!!ごべんだざあああああっ!!」

「子どもの泣き方だよ。可愛い人だねえ」

「見た目が小さいからまだ見られるけど、年上だと思うと結構キツいよ」

「皆様、家逗はこの通り、罪を認めて謝罪しています。私からも皆様に謝罪します。こんな事件を起こしてしまい、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」

「いや、羽村さんが謝ることはないと思うけど」

「保護監督者としての責務です」

「保護監督者なんだ」


 確かに、今の状態は完全に羽村が保護者で家逗が被保護者だ。実際の年齢や会長と副会長の立場などどうでもよくなるくらいに、2人にはそれが似合っていた。本人たちがいいならいいのだろう。敢えて牟児津は突っ込むことをしなかった。

 こうして家逗は自らの犯行、もとい失態を暴かれ、全ての真相は明らかになった。

 が、事件はまだ何も解決していない。


「私から申し上げるのもなんですが、牟児津様、今のお話は事件の解決にはほとんど寄与しないものかと」


 家逗をあやしながら、羽村が核心に触れる。猫同好会からの依頼は、消えた猫を連れ戻すことだ。キャリーケージを破って逃がした犯人を突き止めることも事件解決の一環だったかも知れないが、それだけで解決とはならない。そして、ここからは推理ではどうにもならない領域になる。


「そうなんだよね……誘拐なら犯人がコール君の居場所を知ってるんだけど、これただの脱走だから、いよいよどこにいるかはコール君次第ってことに……」

「そ、そんな!それじゃあコールは……戻って来ないんですか!?」

「そりゃないですよ!せっかく探偵同好会を頼ったのに!なんとか見つけてくださいよ!お願いします!」

「何か、コール君が行きそうな場所の手掛かりとかないの?」

「ちょうちょを追いかけて脱走してしまうくらい好奇心旺盛なので、興味の向くままどこまでもとしか……」

「参ったなあ……あっ」


 困り果てた牟児津に、再びひらめきが訪れる。ガシガシ頭を掻いて下を向くと同時に思い出した。そもそも事件の真相に気付くきっかけもこれだった。牟児津は、瓜生田に言う。


「大村さんを探そう!」

「え?大村さん?」

「大村さん……環境美化委員の大村廻様ですか?」

「うん。家逗さんが飛びかかってくる前に、今日はやけに動物の糞があちこちに落ちてて掃除が大変だって大村さんが話してたんだ。たぶんそれってコール君のことじゃない?」

「あの子ホント……ちゃんと決まった場所でするように言ってるのに……」


 大村との会話を思い出し、牟児津はコールを探す手掛かりをそこに見出した。似安は顔を真っ赤にしながらも、光明が見えたことに希望を持たずにいられない。


「ムジツさん、よく思い出したね」

「うん。さっきベンチのとこで猫の糞ふんじゃって思い出した」

「あっ……そう。猫糞じゃったんだ」

「汚い大喜利すんなって」



 〜〜〜〜〜〜



 日が傾く中、牟児津たちは大村の姿を探した。今日はコールが学園中に撒き散らした糞を掃除するため、閉校時刻ギリギリまで残ると言っていた。しかしそれは同時に、大村があの暴走掃除機で学園中を移動していることにもなる。自分たちより遥かに速いスピードで不規則に移動する大村を探し出すのは困難だった。方々を巡った末に、牟児津は生物部部室前のベンチまで戻って来て、そこへ倒れるように座り込んだ。


「ぜぇ……!ぜぇ……!全然いねえ……!どこ行ったんだあの子……!」


 休憩していた牟児津の元に、猫同好会の2人と探偵同好会の2人も戻って来た。家逗はまたもや目を真っ赤に腫らして鼻をすすり、羽村に手を引かれてなんとかついてきていた。もはや完全に足手まといである。


「どう?見つかった?」

「いいえ。大村様ならどちらにいてもよく目立つと思うのですが」

「どうしよう……だんだん暗くなってきた……!コール……!」


 陽が延びてきたとはいえ閉校時刻頃はまだ暗い。タイムリミットが近付くにつれて視界は明るさを失い、反対に焦りは募っていく。せめて今日のうちに手掛かりを見つけないと、本格的にコールを連れ戻すのは不可能になってくる。しかし、牟児津たちに打てる手立てはない。困り果てて頭を抱えそうになったとき、空から声が降って来た。


「ムジツさーーーん!」


 それは瓜生田の声だ。全員が声のする方を見る。オレンジ色から青色へのグラデーションが美しい空の中、屋上の縁から身を乗り出して手を横に振る瓜生田がいた。


「うりゅだ!どしたのーーー!?」

「大村さんいたよーーー!!」

「マジで!?どこーーー!?屋上ーーー!?」


 牟児津の問いかけに、瓜生田は縦に手を振って応えた。


「下ーーー!!気を付けてーーー!!」

「んぇ?」


 瓜生田の言葉を理解するより先に、牟児津の横を爆音が過ぎ去った。続けざまに突風が顔面を襲う。


「待たんかああああああッ!!!」

「だわあああっ!!?おぼああああっ!!?」

「にゃあああっ!?なんだなんだなんだあああっ!?」

「あ、あれは!バキューム君2ndEエディション!大村様です!」

「コール!」

「えっ」

「いま、コールが大村さんに追いかけられてた!コール!」

「ちょっ、こばん!?待ってよーーー!」

「待って待って待って。色々いっぺんに起こりすぎて何が何だか……!」

「探していた猫がいたんだ!行くぞワトソン君!」

「はい!牟児津様もお遅れなきよう!」

「えええっ!?」


 大声をあげながら現れた大村は、いくつかの展開といくつかのツッコミどころをもたらして、一瞬のうちに去ってしまった。飛び出した似安を追いかけて富綴が、事態をいち早く理解した家逗と羽村がその後に続き、牟児津は訳も分からないうちにその後を追っていた。

 同じころ、瓜生田は大声を出した疲労から、屋上から降りる階段の途中で力尽きていた。

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