第2話「見守ってあげてください」


 牟児津と瓜生田は、探偵同好会の部室を訪れていた。部室棟の隅にある目立たない場所で、以前はオカルト研究部の部室だった場所だ。中は非常に物が少なく、教室で使われている机と椅子のセットを3組向かい合わせて応接用の机としており、あとは本棚代わりのカラーボックスとハンガーラックが1つずつ、動物を運ぶためのキャリーケージが2つと、机の上の古臭いスタンドライトくらいしかなかった。


「うへえ質素」

「失礼だよ、ムジツさん」

「部室を構えて1週間ほどですので、見窄らしいのはご容赦を」


 全員が席に着き、牟児津と瓜生田、探偵同好会と猫同好会、合計6人が、ようやく1つの机で膝を突き合わせた。改めて事件の内容を整理し、牟児津が家逗と足並みを揃えられるよう情報共有するのが目的だ。

 猫同好会の似安が、改めて自己紹介して語り始めた。


「今日のお昼休みに、うちの猫がいなくなってしまったんです。絵梨ちゃんに手伝ってもらってあちこち探したのに見つからなくて……そうしたら、絵梨ちゃんにこちらを紹介してもらって、ご相談したんです」

「富綴さん、よく探偵同好会を知ってたね」

「ウチもこの部室狙ってたんで!いや〜まさか牟児津先輩を探してて風紀委員に逮捕されるとは思ってなかったですよ」

「アンタあのとき追いかけて来てたのか!こっちはアンタらのせいで大変だったんだぞ!」

「にゃはは〜、まあいいじゃないですかそんなこと。それより事件でしょ事件」


 つい先日の悲惨な一日を思い出し、牟児津は声を荒げた。それを前にしても、富綴は椅子の前足を浮かせてからからと笑う。富綴以外にもこの部室を狙っていた生徒は多く、またそのほとんどは鍵を持った牟児津を追いかけ回していたので、探偵同好会と牟児津が頭の中で結びつくのは無理もないことだ、と瓜生田は思った。

 似安は話しづらそうに、事件についての続きを話した。


「猫同好会は、猫を可愛がったり猫と遊んだりすることを活動内容としています。でも部室がないので、昼間は生物部の部室近くにキャリーケージを置かせてもらってます。今日もそこに迎えに行ったら……」

「いなかったんだね。脱走した可能性は?」

「ケージは猫が引っ掻いても破れにくい素材だったので、自分で出たっていうのはないと思います」

っていうのは?」

「え?」

「破れにくい素材って、もう破けちゃったみたいな感じがするんだけど」

「おおっ!すごい牟児津先輩!当たってる!」

「ご明察です牟児津様。似安様の愛猫、コール君のケージは破られていました。これは、外部から人の手が加えられた証左です。すなわち、この事件には明確な犯人が存在するということです」

「ははあ。こりゃあ、いつかの生物部の事件とは違うね、ムジツさん」

「……ヤなこと思い出しちゃったな」


 似たような場所で起きた似たような事件を、牟児津は経験していた。動物が連れ去られた点や事件発覚のタイミングがよく似ているが、あのときは単なる脱走か誘拐かの判別が付きづらかった。今回は明確に犯人がいるというので、また危険な目に遭わないかと心配になった。


「現場は屋外なので、敷地に入れさえすれば誰でも犯行は可能でした。が、警備室に確認しましたところ、本日は外部からの来校者はありませんでした。つまり、犯人は学園内にいることになります。本日は既に放課後なので帰宅しているかも知れませんが」

「でもケージはあるんだよね?猫を抱えて下校してたらさすがに目立つと思うけど」

「どこかに閉じ込めておくなど、手元に置かずとも拘束する手段はあります。牟児津様は犯行動機まで深く考察される方ではないと存じますので、考えるべき問題は、Who doだれがne itしたかHow donどのようにe itしたかです」

「なんて?」

「誰が犯人で、どうやって連れ去ったかってことだよ」

「どうやっても何も、ケージを破って猫連れてったんじゃないの?」

「それがそう単純な話じゃないんですよね〜!だから探偵を頼ったわけですけど!ね!」


 どうにも、猫同好会の間でも事件に対する認識は違うようだ。愛猫が行方知れずになってしまった似安は気分が沈み気味だが、富綴は家逗や牟児津の推理を聞くのを楽しみにしているような能天気さだ。

 明るく尋ねた富綴に対し、家逗は何も答えない。ずっと俯いたままだ。


「……ホームズ?」

「んぐぅ……」


 問いかけに、小さいいびきが返ってきた。


「申し訳ありません。ホームズは話に入り込むタイミングを掴めず寝てしまったようです」

「ウソだろオイ!?あんな張り切ってたのに!?」

「じっとしているのが苦手なんです。おおよそ事案の共有は済みましたので、次は現場の調査をしてみましょう。我々が調べた結果も、実物を見てご説明した方が分かりやすいかと思います」

「そうだね。じゃあお願い」

「起きてくださいホームズ。現場に行きますよ」

「ふガッ……も、もう飲み込めないよ……」

「独特な夢だなあ」



 〜〜〜〜〜〜



 続いて、牟児津と瓜生田は猫が姿を消した現場にやって来た。いつかも訪れた、生物部の部室のすぐ隣だ。コンクリートが敷かれた四角形のエリアに屋根だけがついた東屋が生物部の部室であり、その東側に芝生が敷かれている。東屋の屋根が芝生にはみ出したその真下が、例のキャリーケージが置かれていた場所だそうだ。キャリーケージは犯人に盗まれる可能性を考慮し、午後は探偵同好会の部室に保管していた。似安と富綴がそれぞれの分を持って来て、元の場所に置いた。

 牟児津たちが現場を訪れたとき、ちょうど生物部がミーティングをしているところだった。部員たちの前で司会をしている生物部の部長と牟児津の目が、はたと合う。牟児津は気まずそうに会釈した。


「あら、牟児津さんに瓜生田さん。珍しいわね。どうしたの」


 上野うえの 東子あずまこは気さくに声をかけた。以前の事件で牟児津を強く疑ったことで、牟児津はなんとなく気まずく思われているのだろうと思ったが、全然そんなことはなかった。以前はお気に入りの飼育生物が被害にあったことでピリピリしていたが、本来は優しく柔和な性格だ。


「ご無沙汰してます、上野先輩。実はまた事件に巻き込まれまして」

「もしかして猫同好会の?」

「御存知なんですか?」

「知ってるもなにも、ずっと家逗さんがこの辺りをちょろちょろしてて気になってたの。猫同好会の猫ちゃんがいなくなった事件の捜査だって言って、飼育舎まで調べられたのよ」

「それは災難でしたね」

「毎朝部室の前まで来て大声であいさつしてくるし、生き物がびっくりするからやめてほしいのよね」

「大変ですねえ」


 どうやら家逗は、事件が起きる前から生物部とは顔見知りだったようだ。好印象を抱かれていないらしいのは可哀想だが、昼休みだけで現場の捜査をおおよそ済ませられたのは、生物部の協力もあってのことだったのだろう。決して嫌われているわけではないようだ。


「良い探偵は人心掌握もお手の物なのだよ。協力者は多ければ多いほど良いからね」

「掌握してるとは思えない言われようだけど?」

「毎朝あいさつするのは良い習慣だと思いますよ。ムジツさんも見習ったら?」

「早起きしたくね〜」

「あの、現場の説明させてもらってもいいですか?」

「こばんの話を聞け〜〜〜!」


 しっかり目を覚まして元の調子に戻った家逗は、得意げに胸を張った。家逗の押し掛け捜査を明らかに迷惑がっている生物部が、家逗には心を掌握した協力者に映っているらしい。傍迷惑なほどポジティブだ。

 関係ない話で盛り上がる3人の注意を引いて、富綴が強引に軌道修正した。家逗の捜査によって分かったことを共有するという話だった。似安は、生物部の部室横の芝生の上に2つ並んだキャリーケージのうち、部室から遠い方を指した。


「コールのいたケージは、こうして置いてありました。ケージ側面の網目が破かれてて、たぶんここからコールを引っ張り出したんじゃないかと」


 キャリーケージの側面には、無理やり破いたような荒い裂け目が開いていた。試しに瓜生田は無事な方の網目を引っ張ってみたが、人の手でも簡単には裂けそうにない。


「確かに、これを猫が自分で破いたとは思えないね」

「でも猫が出るにはちょっと小さいんじゃない?」

「いやいや!猫ってびっくりするくらい狭いところからでも、にゃるりん♪と出て行けちゃうんですから!猫ってね、液体なんですよ!」

「実際、これくらいの裂け目があれば出て行けます」

「ふ〜ん」


 牟児津はキャリーケージをしげしげと眺める。網目も生地も黒くて分かりづらいが、破れた網目がどうにも気になる。力任せに裂いたような破れ方をしているところと、そうは見えないところがある。その違いは何か。まだ答えは見えそうにない。

 キャリーケージは化繊の布製で、全体的にメッシュになっている。出入口はかまぼこ型をしており、チャックを引けば簡単に開くようになっている。もちろん、猫が自分でチャックを引くことはできない。妙な裂け目以外にキャリーケージに不審な点はなく、またもう片方のキャリーケージは全く無事だった。


「その他、ホームズの捜査で判明した点をいくつかご説明しますね」

「うん。お願い」


 似安の説明が終わり、続いて羽村が革の手帳を取り出した。いつも牟児津にくっついてくる番記者が使っている物より上等で、家逗の探偵衣装や羽村のゴシックな服装によく似合う。


「現場において不自然なのは2点。ひとつは、ケージ周辺の芝がほとんど潰れていないことです」

「庭園部の手入れが行き届いてるってことじゃないの?」

「いえ。事件が今朝から昼休みまでに発生したのであれば、庭園部が整備する暇はありません。生物部の皆様は芝を踏まないよう気を付けていますが、犯人までそうする理由が不明です」

「まあ確かに。猫攫うのにそんなこと気にしてられないよね」

「でも、犯人が庭園部だったら、整備道具を持って攫いに来たとかもありそうじゃない?」

「その可能性を否定するのが、ふたつめの不審点です。こちらにご注目ください」


 羽村は芝生を踏まないように注意しながら、その中の一点を指さした。牟児津と瓜生田もまた、芝生を潰してしまわないよう足下に注意しながら、羽村が示した点を覗き込んだ。緑の細い葉の中から、先が丸く太い茎が一本生えている。


「なにこれ?つくし?」

「こちらは名もない花です。おそらく学名はあるので名前は付けてあげられません」

「いいよ付けなくて。でもこれ、花びらがないよ?」

「それが不審点なのです。この周辺にある花のいくつかが、花びらが散った状態で生えていたのです。正確には、茎やに異常はないのに花びらだけが散っているのです」

「変なの」

「犯人が犯行後に芝の整備をしたのなら、このように不自然な花を残しはしないでしょう。すなわち、事後に整備された可能性は否定されます。以上が探偵同好会の持っている手掛かりの全て……ああ、いえ。1点、改めてお伝えすることがあります」

「なに?」

「攫われたコール君はぶち猫だそうです。いわゆる香箱座りをすると、胸の前にハートマークが浮かび上がる特徴があります」

「はあ、そう」


 理路整然とした羽村の説明は、家逗の推理よりもよっぽど頭に入りやすかった。おかげで牟児津と瓜生田は、事件と現場に関する基本的な事柄は把握することができた。羽村が真剣に、似安が不安げに、富綴が期待の眼差しで、牟児津の顔を見る。


「……な、なに?」

「いかがでしょう、牟児津様。なにかお分かりになりましたか?」

「い、いや、えっと……た、確かに猫が勝手に脱走したんじゃないらしいことは分かったけど、犯人とかはまだなんも……」

「そ、そんなあ……」

「まあまあ安心してよ。ムジツさんはエンジンかかるまで時間が要るタイプだから。一旦かかっちゃえば頼もしいよ」

「すみません。期待のあまり性急になってしまいました。追加捜査にもご協力いたしますので、ごゆっくりお考えください」

「それはそれでプレッシャーかかるなあ……やるけどさ」


 共有された情報は瓜生田がメモに取っている。牟児津がすべきことは、現場の追加捜査や手掛かりから推理されることの検証だ。いつもは自分への疑いを晴らすために捜査しているので緊張感があるが、羽村や猫同好会の期待が圧し掛かっていると思うと、普段よりプレッシャーを強く感じる。牟児津は辺りを見回して、改めて現場におかしなところがないかを考える。

 遠くに家逗の背中が見えた。口を挟んで来ないと思ったら、珍しい蝶を追いかけて現場から離れたところまで行ってしまっていたようだ。牟児津は激しく重圧を感じているというのに良い気なものだ。大物ではあるのかも知れない。


「ちなみに、コール君、だっけ?写真かなんかある?あと攫われてない方の猫についても知りたい」

「あっ、はい。写真があります。攫われてないのは絵梨ちゃん家の子で……」

「この猫です!ほ〜ら、ちゃっぱ。ごあいさつしな」


 ふと気になって牟児津が尋ねた。2匹いるうちの1匹が攫われたということは、2匹の違いが何らかの手掛かりになるかも知れない。似安がスマートフォンで写真を探している間、富綴が大きな猫を抱きかかえて見せた。

 全身がくすんだ色のまだら模様に覆われた、見るからに肉付きの良い猫だ。下膨れた顔がふてぶてしい。富綴が撫でても揺すっても何の反応もしない。


「わあ可愛い。ちゃっぱ君って言うの?」

「女の子だから、ちゃんですね。家だとおじさんみたいな寛ぎ方するんですよ。可愛いでしょ!」

「大人しい子だね。よしよし」

「大人しすぎて運動不足気味ですけどねえ、見ての通り」


 ぶすっとちゃっぱが鼻を鳴らした。富綴の言うことを理解しているようなタイミングだ。それとほぼ同時に、似安がコールの写真を見つけたようだ。スマートフォンの画面いっぱいに写真を映し出して牟児津たちに見せてきた。

 体格は一般的な猫と同じで、白い毛並みに黒のぶち模様があるのが特徴だった。どの写真も撮影している似安にすり寄っているものやオモチャに飛びかかっている写真ばかりで、かなり活発な猫という印象を受けた。


「躍動感がすごいね」

「うわ、この写真すご。猫パンチの真正面じゃん」

「遊びたがりでやんちゃな子なんです。知らない人に触られて大人しくしてるような子じゃないのに……」

「ほう!ということは、犯人は猫の扱いに慣れている人物ということになるな!」

「ぎゃあっ!?急に戻って来た!!」

「おかえりなさい、ホームズ。先ほど牟児津様方への情報共有が済んだところです」

「そうかご苦労。さあ、では牟児津真白!お前の推理を聞かせてもらおうか!一体だれが、この『愛の猫誘拐事件』の犯人なのか!そして攫われたコール君はどこにいるのか!」

「いつの間にそんな大層な事件名を付けていたのですか?」

「探偵同好会の活動記録として事件簿を作るんだ。1ページ目の事件でもあるし、引きのあるタイトルの方が良いだろう。さあ聞かせてみろ!」

「そんなすぐに結論出ないって!もうちょっと調べさせてよ!」

「フンッ、甘いな。私はこれだけの証拠から犯人を特定したというのに」

「それさっきのヘッポコ推理だろ!」

「へ、ヘッポコ……!?ヘッポコって……!ワトソンくぅん……!」

「いけません牟児津様。ホームズは推理を貶されることが何よりもこたえるのです。あまり強い言葉を使われませんように」

「ヘッポコってそんな強い言葉か?」


 人が話してるのに眠りこけたかと思えば、目を離した隙に蝶を追いかけていなくなり、ちょっとしたことで泣いて羽村に縋りついた。小学生でももう少し節操のある子はいる。赤ん坊のようだ。

 家逗のことは羽村に任せて放っておいて、牟児津と瓜生田は現場を詳しく調べることにした。家逗が集めた手掛かりは現場のほとんどを説明していたが、それだけでは家逗のヘッポコ推理と変わらない有様になってしまう。つまり観察と考察が足りないのだ。たとえば、犯人が猫を連れ去った方法についての考察だ。


「犯人はケージを破って、そこからコール君を引きずり出して連れ去った。ってことになるよね」

「うん。ケージは残ってるからね」

「芝生に足跡が付いてないってことは、生物部の部室から手を伸ばしたのかな」

「そっかあ。そっちからなら芝生を踏まずにケージに手が届くね」

「でも……うん。変だよな、やっぱ」

「変だねえ」

「普通ケージごと持ってくよね?」

「私もそうだと思う。絶対そっちの方が運びやすいし」


 牟児津と瓜生田は揃って首を傾げた。猫がいなくなっているのは事実で、キャリーケージが破られているのも事実だ。しかし、その2つが1つにまとまろうとすると、どうしても具合の悪いところが出てくる。頭の中で犯行の情景を思い描くと、犯人の手際が悪すぎて焦れったくなってくる。


「芝生に足跡を付けようとしなかったのは、よっぽど靴の形が特徴的なのかな」

「そんな靴あるかな?それを気にするなら違う靴履いてくるでしょ。上履きだってあるし」

「……なんか犯人ってさあ……ああでも、網目は破かれてるんだよなあ」


 推理が進むような気がして、また元に戻る。いくつかの手掛かりはつながって1つの結論へと収束していくが、その和を乱す動かぬ証拠がある。裂けたキャリーケージの網目だ。生地は内側から猫が引っ掻いて破けるような強度ではなく、人の手でも破るのは難しい。何らかの道具が使われたことは明らかであり、そうである以上はキャリーケージから猫を連れ出した犯人がいるはずなのだ。

 考えても考えても思考は堂々巡りになる。しかし、牟児津には経験があった。まさにこの場所で、半分誘拐で半分脱走の事件を解決したことがある。つまり、事件とは変化し得るものなのだ。


「だから今回もそうなんじゃない?犯人はケージからコール君を出すところまでは上手くいってたけど、その後で逃げ出しちゃったとか」

「だとしてもケージを破く理由にはならないんじゃない?それこそケージごと持って行っちゃえばいい話だし。あと芝生を避ける理由もないよ」

「むぐ」

「ヒノまるのときと似てるけど、あのときヒノまるは保護された後だったでしょ。今回はまだコール君が行方知れずだから、半分誘拐で半分脱走だとしても分かることはないよ」

「むぐぐ」

「それに犯人がちゃっぱちゃんじゃなくてコール君を狙った理由も分からないよね。生物部の部室から手を伸ばすくらいならちゃっぱちゃんの方を連れ去るだろうし。敢えてコール君を連れ去るのには意味があったんじゃないかな」

「むがぐぐ」

「ほっほーう!どうした牟児津真白!苦戦しているようじゃないか!どうやらお前より瓜生田君の方が優秀なようだな!名探偵の名を返上したらどうだ?ん?」

「うっさい!考えてんだからあっち行っとけヘッポコ!」

「うわーっ!ワトソン君!あいつまたヘッポコって言った!」

「牟児津様。二度目ですよ」

「ああもうごめんて!ちょっと、考えたいからひとりにして!」


 思いつく推理は瓜生田に悉く却下される。家逗ではないが、牟児津もだんだんと自分の推理に反論されることに気が滅入ってきた。しかもときどき家逗が茶々を入れて来て思考がぶつ切りになる。推理に集中できる環境に身を置くため、離れた場所にあるベンチに腰掛けた。ちょうど生物部の部室の真東にあり、部室に背を向ける格好だ。余計なものや目に刺さる西日が視界に入らず、思考に集中することができる。

 まずは、キャリーケージが現場に残されていた理由について考える。


「なんで犯人はケージごと持って行かなかったんだ?重くて持ち上がらなかった?でも猫をそのまま抱えて行くより絶対に楽だよな……。猫を抱えられるなら重さは問題ないだろうし。ケージの中だとコール君とちゃっぱちゃんの区別が付かなかった?いや、覗けばいいよな……」


 可能性を挙げて否定する。また可能性を挙げて、また否定する。繰り返していくほどに、キャリーケージをそこに残す理由が思い浮かばなくなってくる。突き詰めていけば可能性は2つだけが残る。つまり、残していかざるを得なかったか、残していくことに意味があるか、だ。


「犯人にとって大切なのはケージで、コール君の方が邪魔だった?それこそケージを持ってくよな。だいたい、普通にケージを開けて連れ出さないでわざわざ破いてるのもおかしい」


 そのまま牟児津の思考は、コールを連れ去った方法に移行する。いずれの場合にも、ここは同じく問題になる。


「コール君だけを連れ去るにしたって、ケージの口を開けて連れ出せば簡単なのに、なんで横を破いたんだ?どっちにしたって誰かが連れ去ったってことは分かるから、敢えてそんなことをする意味なんて……いやがらせ?だったらちゃっぱちゃんのケージにもなんかされてるよな。されてないってことは……でも2人は同じクラスだし、そんなタイミングないはず」


 脳裏に富綴犯人説がよぎり、すぐに消え去った。似安と富綴は同じクラスで朝から行動を共にしていた。授業と授業の合間の短い時間では生物部の部室と教室を行き来するのに不十分であることは、以前の事件の経験で知っていた。故に、富綴に犯行は不可能だ。さすがに似安の前で何かキャリーケージに細工をすればバレるだろう。何より、似安に探偵同好会への相談を勧めたのは富綴だ。家逗の実力はさておき、犯人ならば問題を大事にはしたくないはずだ。


「破く理由……じゃなくて、破けた理由……?」


 頭の中で犯行当時の現場を思い浮かべる。生物部の部室の横に芝生が広がり、キャリーケージが2つ並んでいる。犯人は芝に足跡が付かないように生物部の部室から手を伸ばして──。


「いや、ここが絶対おかしい。そんなことする意味がない」


 破けたケージという証拠を敢えて現場に残している以上、犯人に自分の存在を隠す意図はない。だとすれば、芝生に足跡が付くことを気にしていたとは考えられない。そうなれば、生物部の部室から手を伸ばしたという推理は根拠を失う。

 では、犯人はどうやって芝生に足跡を付けず、キャリーケージを破いたのか。破けた面は生物部の部室から見て反対側になる。少なくとも、芝生を超えて手を加えたことは明白だ。ならその方法は何か。なぜ敢えてそんなことをしたのか。


「……意味ないなあ」


 あらゆる可能性、あらゆる推理、あらゆる犯行動機が、その結論に収束する。現場の状況や証拠から読み取れる犯人の行動は、いずれも意図が感じられない。そこまでする意味を感じない。いちいち行動がちぐはぐで、無意味な出来事の連続で、猫がいなくなったというだけの事実を不可解にしている。


「あ〜〜〜もう分かんない!うりゅに助けてもらおうかな……」


 ひとりで考えても答えは出てこなさそうだ。牟児津は頭をガシガシ掻いて、複雑化していく自分の考えを瓜生田に話してまとめてもらおうと思い、腰を浮かせた。


「あぇ」


 ベンチから立ち上がると、違和感を覚えた。その正体を牟児津は直感した。足元を見る。


「……んああ?」


 網膜に飛び込む情報。


 強く激しい衝撃。


 火花のように炸裂したそれは、牟児津の脳内を駆け巡る。シナプスからシナプスへ、情報が形を変え、強度を増しながら形を成していく。記憶が正しければ、推測が正しければ、これがどのような事件なのかがはっきりする。

 牟児津はそのまま現場に戻った。瓜生田を頼るためではない。降って湧いた──もとい湧いたひらめきを確証に変えるために行動したのだ。


「おっ、戻って来たな。そろそろ聞かせてもらうぞ牟児津真白!この事件、いったい──!」

「ちょっとごめん。どいてて」

「わっ、な、なんだあ?」


 今の牟児津に余裕はない。ひらめきが消えないうちに推理を確固たるものにするため、1秒たりとも無駄にできないのだ。立ちふさがる家逗をかわし、芝生を踏まないよう生物部の部室側から、コールが入っていたキャリーケージを拾い上げる。破けた網目を元の形になるよう、なぞりながら合わせていく。


「おい何をしている牟児津真白!決闘はどうした!ケージをいくら見てもそこに猫はいないぞ!」

「家逗先輩、静かに。いまムジツさんは推理モードです」

「な、なに?推理モード?」

「推理の道筋が閃いて、検証して推理と言える形にするため必死になってる状態です。話しかけないで、見守ってあげててください」

「必死なのか、あれは」

「うかうかしてるとひらめきを忘れちゃうので」


 様子のおかしい牟児津に詰め寄ろうとする家逗を、瓜生田が制した。この状態の牟児津を初めて見る人は、たいてい急な態度の変化に戸惑う。そこをフォローするのも瓜生田の大切な仕事だ。幸い、家逗以外の3人はなんとなく牟児津を邪魔しないでおこうと空気を読んだ。

 そうしている間にも、牟児津は真相に近付いていく。左右に割れた裂け目はぴったり合う。そして最後の一点。そこだけは、裂け目がその形のまま合わさることはなかった。


「これは……?もしかして……」



 ケージが置かれていた方角を見る。


 ケージの置かれていた場所、向き、そしてそれらの位置関係、犯行が行われた時間帯──


 ──犯行が可能だった人物。



「ムジツさん、分かった?」

「……あとちょっと。一旦、上野さんに話聞いてくる」

「そっかあ。いってらっしゃ〜い」

「おひとりで行かせて大丈夫ですか?」

「ああいうときのムジツさんは大丈夫だよ。上野先輩もよく分かってるしね」


 真相を解き明かす最後の1ピースを握っているのは、おそらく生物部部長の上野だ。牟児津は部室から小径を通って、飼育舎で作業をしている生物部を訪ねた。そこで上野といくつかの言葉を交わす。

 牟児津のひらめきは、確信へと変わった。

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