その9:愛の猫誘拐事件

第1話「推理を始めよう」


 暗がりに光が落ちた。人ひとり分の、小さな明かりだ。無地の白い壁に背を向けた少女の姿が照らし出される。

 亜麻色の鹿撃帽を目深に被り、隙間から山吹色の髪が覗く。足元まで覆うインバネスコートの下には伊之泉杜学園指定のワイシャツを着て、サスペンダーでロングパンツを吊り下げていた。右手には煙をくゆらせるパイプを、左手には大きな虫眼鏡を持っている。


「真実はいつでも一つだけだ。さあ、推理を始めよう」


 少女はキメ顔でそう言った。虫眼鏡で覗き込んだ先には、不安に満ちた表情を浮かべる少女が2人、片方は大きな猫を抱えている。そしてもう1人、鹿撃帽の少女に向けてライトを向ける、ゴスロリファッションの少女もいた。


「も、もう犯人が分かったんですか?」

「すごい!さすが伊之泉杜学園の名探偵!」

「ふっふっふ。なあに、これしき、初歩的なことだよ」


 鹿撃帽のつばを摘みながら少女は笑う。その目には確信の炎が宿っていた。


「犯行当時、現場には2匹の猫がいた。しかし攫われたのは1匹だけだ。このことから、犯人は初めから標的を絞っていたことが分かる。つまりそれは、犯人の狙いすらも推察できることを意味する」

「す、すごい洞察力……!現場を見ただけで犯人の狙いが分かるなんて……!」

「2匹の猫のうち、攫われた1匹は血統書付きの純血種、残された1匹は雑種。もはや語るべくもあるまい。犯人の狙いは、希少な血統を持つ猫を攫い、闇ルートに流して大金を得ることだったのだ!」

「……」


 堂々たる断定。誇らしげに胸を張る。しかし聴衆は冷めていた。猫を抱えていない方が、遠慮がちに手を挙げた。


「あ、あのう。うちのコールは別に純血でもなければ血統書もついてないですけど……」

「なにっ……違うのか?」

「なんかすみません」

「そ、そうか。いや、そういうこともある。気に病むことはないぞ」

「はあ……」


 なぜ自分がフォローされた感じになっているか、手を挙げた少女は小首をかしげるが、それ以上は追及しない。鹿撃帽の少女はすぐさま推理を修正する。


「失礼。どうやら第二の推理を採用すべきのようだ」

「真実はひとつだったのでは……」

「……金が目的でないとなると考えられる可能性は一つ。犯人は、コールちゃんを攫うほかなかったのだ」

「と、言うと?」


 気のせいだろうか、いくつかの言葉を無視されたように思えたが、聴衆は推理の続きを聞くことを優先する。自信満々に意味深な言い回しをされると、その先が気になってしまう。


「コールちゃんには、他の猫にはない唯一無二の特徴があった。そうだね?」

「は、はい!」

「コールちゃんは、手を、あ〜、こう、このように体の下に折り曲げて座ったときに、この、ここんところに……」

「香箱座りです」

「そう。コーバコズワリをしたとき、胸の辺りにハートマークが浮かび上がるのだ。これは彼女の特別な毛並みによるものだ」

「コールは男の子ですよ」

「……要するに、彼は胸にハートを抱く特別な猫──いわば愛の猫だったのだ!」

「言い直した!間違いはすぐに正す姿勢!謙虚ですね!」


 香箱座りの名前が出てこず実演しようとしたり、教えられても発音が覚束なかったり、披露すればするほど推理の粗が目立ち始めた。それでもなお、推理は続けられる。


「これともう一つ、現場の周辺に咲いていた花の花びらが散っていたことに、君たちは気付いていただろうか?これも真実を導く重要な証拠だ」

「花びらがですかあ?」

「ハートマークを持つ猫、そして花びらだけが散った花……これらに共通するのはたった一つ。すなわち、『恋愛』だ!」

「あっ……!ああっ!」

「現場の花は、おそらく犯人が花占いをして自らの恋の行く末を占ったのだろう。しかし残念ながら、それは上手くいかなかった。

 悩んだ犯人はふと、キャリーケージに入ったコール君の胸元にハートマークを見つける。これは恋愛成就のご利益があるに違いない!そう感じた犯人は、すぐさまキャリーケージを破り、コール君を連れ去った!

 すべてはそう!自らの恋を叶えるため!」

「おおおっ!」

「お、おお……?」


 聴衆の反応は見事に二分された。抱えた猫を落としそうになるほど興奮する者と、なんとか納得しようとするも疑念が隠し切れない者。ゴスロリの少女は、変わらず寡黙な照明係に徹する。勢いづいてきた鹿撃帽の少女はさらに捲し立てる。


「すなわち猫を攫った犯人は、叶わぬ恋に焦がれるいじらしき少女であると同時に、わが身可愛さに目の前の猫に手を出してしまった哀れな少女でもある!」

「すげーっ!」

「いや、あの……見た目で分かる手掛かりとかは……?」

「心配無用。私には既に、犯人が分かっている」

「マ、マジで!?誰ですか!?」

「現場周辺は花が散っている一方、芝生はほとんど潰れていなかった。また、キャリーケージは地面に置かれていた。このことから、犯人は芝生を踏んでも潰さないほど体重が軽く、また背が低い人物であることが分かる」

「ふんふん!」

「そして何よりキャリーケージを切り裂いた刃物!普通の人間が刃物など持ち歩いているはずがない。私のような探偵でもない限りね!」

「え?じゃあ犯人は……」

「いやいや、私は違うよ。なぜなら私は、すこぶる動物に好かれない!猫など抱えようものなら顔中ひっかき傷だらけになってしまうよ!ハッハッハ!はあ……」

「可哀想に」

「落ち込むなら自分で言わなきゃいいのにね」

「まあとにかく、探偵というものは日頃から危険に備える必要がある。名探偵を名乗るからには刃物を携帯していてもおかしくないということだ。

 すなわち、この学園で自分を名探偵などと嘯いて、何らかの手で新聞部を買収し偽りの名声を誇り、私が得るべき称賛を掠め取っているあのいけ好かない偽物野郎に違いない……!」

「なんか私怨が混じってません……?」


 ひとしきり推理を披露すると、ゴスロリ少女はライトを消し、部屋の明かりを点けた。鹿撃帽の少女はコートを翻し、部屋の扉に手をかけて叫ぶ。


「さあ行くぞ!真の名探偵が誰なのか分からせてやる!首を洗って待っているがいい!牟児津むじつ 真白ましろ!」



 〜〜〜〜〜〜



「であっくし!!」

「汚いなあ。口押さえてよ」

「ずずっ……ごめん。ありがと」


 肌に触れる空気の冷たさは和らぎ、暖かく過ごしやすい季節の近付きを感じる頃だった。新しい生命循環の始まりである季節となれば、盛大なくしゃみも出るというものだ。牟児津むじつ 真白ましろは鼻を啜った。すかさず瓜生田うりゅうだ 李下りかがポケットティッシュを差し出す。


「誰かムジツさんの噂してるのかも」

「なにそれ」

「知らない?人に噂されるとくしゃみが出るって。1回出たら良い噂、2回出たら悪い噂、3回出たら惚れられて、4回出たらそれは風邪」

「初めて聞いた。じゃあ良い噂されてるのか……ばっふぁい!!」

「あ、いま悪い噂になった」

「そんなにばっさり切り替わるの」

「もう出さないでよね。風邪になったら困っちゃうから」


 他愛ない雑談をしながら、二人は校門への道を歩いていく。授業が終わってすぐに下校できるのは久し振りだった。今日は一日何のトラブルにも巻き込まれずに過ごせた。そんな穏やかな一日に相応しい品を、牟児津は帰り道で買うと心に決めていた。


「季節の変わり目で、あったかくなってきたねえ。今日も一日ずっと日が出てたし、気持ち良いね」

「こんな日には、塩瀬庵の桜餅でも食べて部屋でごろごろするに限る」

「気温関係ないじゃん」

「あったかくならないと桜餅出ないでしょ。三色団子とかよもぎ餅とか、あとあんパンに乗せる桜の漬物も。春ってのはそういう季節だよ。それに!」


 牟児津は、さながら講談師のように手を叩いた。


「この時期、塩瀬庵には『春爛漫』っていう春の和菓子詰め合わせセットが出るんだよ!いま言ったお菓子はもちろん、セットの中にしかない練り切りとか最中とか!さすがに今のお小遣いじゃ手が出せないけど……とにかくそういうことなの!」

「そっかあ。春はおいしい季節だね」

「そう。春はおいしい季節なの!」


 牟児津の熱弁を右から左へ聞き流しながら、こういう人のことを花より団子というのだろうなあ、と瓜生田はぼんやり考えていた。そして毎年、夏にも秋にも冬にも同じことを言っている気がする。牟児津の記憶は3ヶ月に1回リセットされるのだろうか。

 そんなバカバカしい考えも、まだ少し冷たい春の風に乗ってどこかへ吹き飛ばされていくようだった。空には雲一つなく、よく晴れた清々しい陽気だ。瓜生田はその晴れ渡った空を見上げて──巻き上がる土埃を目にした。


「えっ?」

「……ぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「こ、この声と地響きは……!!」

「せいそおおおおおおおおおおおっ!!!」

「ごあああっ!!?」


 いち早く危機を察知した牟児津だが、防御姿勢をとる前にそれは突撃してきた。牟児津と瓜生田に激突する前に急ブレーキをかけて、まさに寸前でそれは停止した。土埃で視界が覆われ、収まるまで数秒の間、二人は口も開けなかった。


「おおっ!これはこれは牟児津先輩と瓜生田さん!こんにちわ!良い天気ですね!」


 土埃などお構いなしとばかりに、奥から溌剌とした声が聞こえてきた。この唐突で粘膜に刺激の強い登場の仕方に、牟児津と瓜生田は覚えがあった。

 出すところに出せば摘発されかねない強力な掃除機で学園中を内も外もなく走り回る、暴走清掃車クレイジークリーナーこと大村おおむら めぐるだ。


「アンタのせいで良い天気が台無しだよ!加減しろって前に言っただろ!ゲッホゲッホ!」

「これは失敬!バキューム君2ndEエディションが張り切り過ぎました」


 大村は掃除機のエンジンを軽く2回吹かした。


「この通り、謝っております」

「もういいわ治安悪い腹話術!」

「いつもより掃除に気合いが入ってるね。どうしたの?」

「そうでした!聞いてください!そしてよければこの許されざる事件の解決にご協力ください!」

「えぇ……?事件……?」

「露骨に嫌そうな顔!」


 ようやく土埃が収まり、牟児津と瓜生田は大村の姿をまともに見ることができた。いつもの軽装に加えて首にスカーフを巻いており、大きめのビニール袋とトングを腰に下げていた。ビニール袋は重たそうに地面に向けて垂れ下がっている。

 事件と聞いて面倒なことになりそうな雰囲気を察した牟児津が、顔だけで大村を拒絶しようとする。しかし大村は一切遠慮せず話し始めた。


「実はですね、今朝、私はいつものように学園中を完璧に掃除していたんですよ。そりゃあもう完璧でしたね。こんな穏やかで暖かいよく晴れた小春日和は、清潔な始まりが相応しいですからね」

「間違ったことは言ってないね」

「掃除を終わらせてバキューム君2ndEエディションを委員室に片付け、私は教室に戻ろうとしました。そのとき!!」

「急にうっせ」

「窓から見てしまったのです!!私が完璧に掃除したはずの中庭に!!な、中庭に!!なんと!!糞が!!」

「ふん?」

「いったいどこのどいつがこんなことをと!!すぐに行って片付けてやらなければと!!あんな清潔とは最も程遠い汚物のような存在……否!汚物そのもの!!

 と思ったのですが、始業時間が迫ってきており、私は唇を噛みながら教室に戻ったわけです」

「汚い話だなあ」


 大袈裟なほどの身振り手振りを交えて、大村は胸に湛えた怒りを表現する。牟児津と瓜生田にしてみれば、いきなり土埃を浴びせられた上に糞の話まで聞かされて、たまったものではない。しかし大村はさらに熱を上げていく。


「そして昼休み!私はすぐさま委員室に飛んでいき、バキューム君2ndEエディションを手にして中庭に出たのです!!

 するとどうでしょう!!窓から見たものだけでなく、探せば探すほどあちこちに糞があるではないですか!!私はもう頭が爆発するかと思いましたよ!!」

「たぶん学園理事でもそこまで怒らないと思うよ」

「これはもはや事件です!何者かがこの学園を動物の糞で汚そうとしているのです!許すまじ!」

「おお、ウンチの被害だけに憤慨してるね」

「んっ!瓜生田さん!なんですかそれは!」

「流してくれていいよ」

「なるほど!ウンチだけに!」

「汚い大喜利すんな!」


 その後の大村の話を要約すると、学園中に動物の糞をバラ撒く犯人を見つけて成敗するために、今日は閉校時刻ギリギリまで清掃を続けるつもりらしい。腰に下げたビニール袋は清掃と証拠品集めを兼ねた糞袋なのだとか。よくそこまで掃除に情熱を燃やせるものだ、と牟児津は呆れ果てた。


「なので、牟児津先輩と瓜生田さんも何か手掛かりがあれば情報提供をお願いします!」

「それはいいけど、その……拾い集めたりは手伝わないよ」

「はい!この事件は、私の環美委としてのプライドをかけて清掃した上で犯人を突き止めて見せます!待っていてください!」

「そこまで興味ないけどうん……まあ、分かったよ。がんばって」

「それでは!おおおおおおっ!!せいそおおおおおおっ!!!」


 びしっ、と敬礼した後、大村は現れたときと同じように土埃を巻き上げて去って行った。動物の糞など、牟児津も瓜生田も見ていない。中庭に行く用事がないので見る機会もなかったが、それだけ大村が隈無く掃除しているということでもある。不器用ではた迷惑だが、仕事はしっかり熟す人間だ。だからこそ、委員会内でもある程度放任されているのだろう。環境美化委員自体が緩い委員会であるというのもあるが。


「あ〜あ、お菓子でも食べようと思ってたのに、汚い話されて食欲が失せた」

「ウンが悪かったね」

「もういいよ。ツボったの?」

「ちょっと」


 こんな話はもう忘れようと、牟児津は体に付いた土埃を払って伸びをした。気分をリセットして、もう一度春の和菓子を楽しむモードに気持ちを切り替える。それを見た瓜生田も、同じように髪や体についた土埃を払って伸びをして、晴れた空を見上げた。そして瓜生田は──



 ──自分の目を疑った。



「牟児津真白ォォオオオッ!!」

「へっ──だあああっ!!?」

「うわあああっ!!?ムジツさあああんっ!!?」

「ダバらしゃゴろふげひげッ!!」


 まさに青天の霹靂だった。ただし降って来たのは雷ではない。亜麻色の人間だ。地面と成す入射角が、明らかに人が跳びあがって届く高さを超えている。それは瓜生田の目の前、ちょうど牟児津の上に降ってきて、二人で一つの塊になりながら転がって道を横切り、生垣の中に突っ込んだ。あまりの唐突な出来事に、瓜生田は悲鳴をあげることしかできない。


「だ、だ、大丈夫!?ちょっ……ええっ!?」


 いつもは冷静な瓜生田も、さすがに空から人が降ってくると落ち着いていられない。慌てつつもなんとか牟児津を助けようと、生垣から飛び出した足を引っ張る。が、中で引っかかっているのか全く出てこない。


「いだだだだ痛い痛い痛い!!うりゅ痛い!!」

「ご、ごめん!えっ、ムジツさん大丈夫なの!?」

「ハッハッハ!遂に捕まえたぞう牟児津真白!貴様もいよいよ“天狗の大騒ぎ”だ!」

「はあ?なにを……えっ!?なにこれ!?縛られてんだけど!?」

「縛られてるの!?こっちからだと全然見えないよ!あともうひとりは誰!?」


 草木を掻き分けようとするも、しっかりと根を張った低緑樹に瓜生田の貧相な腕力ではまるで歯が立たない。牟児津はどうやら動きを制限されているらしく、もうひとつ聞こえる謎の声は生垣の中にいることを全く意に介していない様子だった。なぜ意に介せずにいられるのか不思議で仕方ない。困り果てた瓜生田が、いよいよ風紀委員に通報しようかとスマートフォンを取り出したとき、駆け寄る人の声がした。


「すみませ〜〜〜ん!瓜生田様〜〜〜!」


 瓜生田はその声に聞き覚えがあった。振り向くと、3人の生徒が駆け寄ってくるのが見えた。その先頭にいる薄紫の髪の生徒を、瓜生田はよく知っている。見間違えようもない、クラスメイトの顔だ。

 顔には眉の上まで囲む大きな丸眼鏡をかけ、丸く整えた艶のある髪にボンネットで華やかに飾っている。学園指定のブラウスとロングスカートは、フリルやレースをあしらったり針金で膨らみを加えられたりと好き放題に改造されている。ゴシック小説の中から飛び出してきたような出で立ちだった。


「はあ、はあ……す、すみません。人が降って来ませんでしたか?」


 羽村はねむら 知恩ちおんは息を切らしながら尋ねた。


「えっ……う、うん。そこの生垣に突っ込んでったけど」

「その人、私の先輩で……あっ、取りあえず、お二人を助け出しましょう」

「そ、そうだね。ありがとう」

「私たちもお手伝いします!」


 羽村と一緒に走って来た2人の女子生徒も、牟児津たちの救出に力を貸した。どちらも瓜生田は初対面だったが、すすんで生垣の中に分け入っていくのを見て自己紹介など不要と判断した。4人で力を合わせ、ようやく牟児津ともう1人を引きずり出すことができた。

 言っていたとおり、牟児津は手を縛られていた。左右の手首を軸に8の字にタコ糸が結ばれており、自力での脱出が困難であることは一目見て分かった。体中についた葉を瓜生田に払ってもらい、さらに羽村が瓜生田に貸したカッターでタコ糸を切り外してもらった。こうなることを予想していたような準備の良さに、牟児津も瓜生田も驚いた。

 そしてもう1人、牟児津と一緒に生垣に突っ込んだ少女は、救出された後も、羽村の制止もきかず牟児津に掴みかかろうとしていた。せっかく結んだタコ糸を外されたことが不満なようだ。


「ぬおおおっ!!なぜ止めるのかねワトソン君!!目の前に犯人がいるんだぞ!!」

「決めつけは良くないですよ。少なくとも、犯人だと断じるには緻密な観察が必要です。ホームズならそうします」

「むっ、そ、そうか?確かにそうかも知れない……。よし、では観察だ」

「な、なんだなんだ?なんなんだ?」


 牟児津とともに現れたのは、山吹色の髪に亜麻色の鹿撃帽を被り、同じく亜麻色のインバネスコートを着た少女だった。まさしく探偵のステレオタイプそのままの格好だ。激しく暴れていたが、羽村に諭されると途端に大人しくなり、大きな虫眼鏡で牟児津をじろじろと観察し始めた。

 逆に牟児津がその少女に対して感じたことは2つだ。1つはいかにも探偵らしいということ。もう1つは、改めて見てみると驚くほどに背が低いことだった。牟児津もたいがい背が低い方だが、その牟児津よりも明らかに小さい。小学生の中に混じっていても見分けがつかないだろう。


「な、なんなんだあんたは!いきなり空から降ってきたり人のこと縛ったり!風紀委員を呼ぶぞ!」

「風紀委員?ハッハッハ!呼びたければ呼ぶがいい!私に言わせれば、あんなのは出世競争に囚われて目の前の事件が見えていない“トリゴウの衆”だ!」

「ホームズ、“烏合の衆”です」

「そうだとも!現にお前を追い詰めているのは風紀委員ではなく、この私じゃないか!」

「知らんよ!誰なんだよ!」

「ふっ、悪人に名乗る趣味はないが、きかれたからには答えてやろう」


 小さな探偵は、懐からパイプを取り出してポーズを決めた。すぐさま羽村が帽子やコートについた葉っぱを払い、身だしなみを整えさせた。


「頭脳明晰にして勇猛果敢!唸る灰色の脳細胞!轟く英名果て知らず!学園で唯一にして最高の名探偵!伊之泉杜学園のホームズとは私のことだ!」

「誰だ!そんな異名知らんわ!」

「探偵同好会会長で3年生の家逗いえず 詩愛呂しあろさんです。私は同副会長の羽村知恩と申します」


 家逗の高らかな自己紹介の後、羽村が改めて落ち着いた紹介をした。意外なことに、家逗は牟児津よりも年上だった。高等部全員を背の順に並べたら、きっと腰に手を当てているに違いないのに。

 そして探偵同好会という団体名を聞いて、牟児津はうんざりした。まさかと考える。


「探偵同好会……あの、もしかしてなんですけど」

「なんだ」

「最近、部室を手に入れたりしました?」

「なっ!?なぜそれを……!?まさか、あの部屋に隠しカメラや盗聴器が仕掛けられていたというのか!ぐぬぬ!先回りでマークされていたとは……敵ながら恐るべし!牟児津真白!」

「するかそんなこと!」

「どうしてお分かりになったんですか?」


 牟児津がおそるおそる投げかけた質問に、家逗はやや大げさなほどに驚いた。斜め上の妄想をされてしまっているようだが、どうやら図星らしい。不思議がる羽村に、牟児津は頭を抱えながら答えた。


「この前のカギ争奪騒動の直後からずっと、私が田中たなかさんを論破して部室使用の権利を分捕ったとか名探偵って名乗ってるとか噂されてるんだよ!私は論破なんかしてないし部室も使ってないのになんでそんな噂が流れてんのかと思ったら……あんたが犯人か!」

「失敬な!私は正当に部室使用権を譲渡されたのだ!それも田中氏ではなく、藤井ふじい氏から直接だ!つまり学園公認ということになる!ハッハッハ!参ったか!」

「どうでしょう。藤井先輩って、なに考えてるかよく分からないところありますから」

「つまり、身に覚えのない噂の出どころが探偵同好会われわれだと、団体名を聞いただけで推測したわけですね。素晴らしい洞察力と仮説能力です」

「なんかちょっと上からだな、あの子」


 先日の事件以来、牟児津は自分に関する大仰な噂をいくつか耳にしていた。田中と直接対決したのは事実だが、結果は自分の敗北だと感じている。そもそも部室の権利など手に入れていないし、実際に使ってもいない。なので田中を論破したなど、ましてや部室使用権を強奪したなどという噂が流れるはずがなかった。

 しかし実際に部室が使われていて、おまけにそこが探偵同好会など名乗っているのなら、そんな噂が生まれるのもいちおうは納得できる。それでも無関係な自分に結び付けられるのは迷惑この上ないが。


「探偵同好会を設立して苦節2年……!ようやく優秀な助手にもめぐり逢い、念願の部室も手に入れたんだ!遂に学園のホームズここにありと堂々宣言できる時が来たと思えば!この私を差し置いて名探偵を名乗る不埒な輩がいるというではないか!いくら心の広い私と言えど、さすがに我慢ならない!」

「あんたの心の広さ知らないよ」

「バスケットコートくらいですかね」

「心にしては狭そう」

「とにかく、紛い物が大手を振って都路を闊歩し、真正の名探偵たる私が日陰を行くのは道理に反する!というわけで私はあの渡り廊下から果敢なダイブを決め、諸悪の根源たる牟児津真白を確保することに成功したと。こういうわけだ」

「ダ、ダイブ……!?あそこから!?」


 家逗が指さした先、2階の渡り廊下の窓がひとつ開放されていた。瓜生田の目の前に降って来た角度から考えても、どうやらあそこから飛び出したらしい。とんでもなく危険な行為だ。打ち所が悪ければ怪我では済まない。牟児津と瓜生田はそれに気付いたとき、同時に背筋がひやりとした。


「申し訳ありません。うちのホームズが無茶を……お怪我はありませんか」

「それもっと早く言って!怪我はないけど!」

「ムジツさんが頑丈でよかったよ。でも、危ないからもうさせないでね」

「よく聞かせておきます」

「ワトソン君!なぜ牟児津真白に頭を下げているのかね!」

「あの、さっきから気になってたんだけど、ホームズとワトソンっていうのは?」

「なりきりというか、ニックネームのようなものです。家は英語でホームなので、家逗はホームズ。羽はワとも読み、羽と村でワトソン。ということです」

「苦しい駄洒落だなあ」


 羽村がそれぞれの呼び名の由来を説明する。要するにシャーロックホームズごっこをしているのだ。臆面もなく話す羽村の姿を見て、牟児津は聞いている方が恥ずかしいような気さえした。


「もういいよ!いきなり飛びかかって来たかと思ったら縛られてニセ探偵扱いされてフルネームで何度も呼びやがって!こちとら名探偵なんて呼ばれて持て囃されるのなんざ願い下げなんじゃい!誉れなんて欲しけりゃくれてやるからそれ持って部室でもどこでもさっさと行っちまえコノヤロー!」

「なにをぅ!紛い物のくせに大きな口を叩いてまくし立てるな!お前が名探偵を名乗っていることもそうだが、それ以外にも用があるんだ!」

「まだ何かあるの?」

「はい……というより、むしろここからが本題です」


 羽村が申し訳なさそうに頭を垂れる。牟児津への急襲からノンストップで続いている家逗のワンマンショーは、まだまだこれからだそうだ。さすがに瓜生田もため息を漏らした。


「今朝から昼休みにかけて行われた猫攫いについてだが──」

「ね、猫攫い?」

「ホームズ、先に依頼人方を御紹介しておいた方が分かりやすいです」

「わ、分かっている!今しようとしていたところだ!君たち、こちらへ来なさい!」


 羽村が進言しなければ、絶対に忘れ去っていただろう。そう思いつつ、牟児津は敢えて言わなかった。家逗に招かれて、羽村と一緒に現れた2人の少女が並んだ。胸につけているリボンはどちらも、瓜生田や羽村と同じピンク色だ。すなわち、1年生である。


「記念すべき、探偵同好会部室が部室を開いて最初の依頼人だ。リボンの彼女が猫同好会会長の似安にやす こばん君」

「ど、どうも」

「半袖の彼女が同副会長の富綴とむとじ 絵梨えり君」

「にゃろ〜っす♫」


 似安は、鳶色の髪によく映えるピンクのリボンを耳の上で結んだ、うつむき加減な少女だった。富綴は対照的に、活発な印象を与える半袖のシャツにミニスカートとニーソックス、はねた髪が猫の耳のようになっている少女だった。独特で軽薄な挨拶までしている。

 一見、共通点が少なく見える2人組だったが、同じクラスで同じ同好会とのことだった。なかなかに深い間柄なのだろう。


「彼女らは私に解決を依頼した。似安君の愛猫であるコール君が、今朝から昼休みの間にかけて忽然と姿を消した事件について!」

「はあ」

「なんか似たような話が前にもあったような」

「私はこれが誘拐事件であることを突き止め、さらにその犯人をも特定した。それがすなわちお前だ!牟児津真白!」

「この流れも前と同じだよ。どうするムジツさん」

「どうもこうもあるか!私は知らん!言いがかりだ!」

「そんなわけないだろ!」

「そんなわけないことないわ!」

「家逗先輩に伺いたいんですが、どうしてムジツさんが犯人だと思われたんですか?」

「私は探偵だ。推理したに決まっているだろう」

「ホームズ。その推理を聞かせてほしいということです」

「そうかそうか。聞きたいか。では聞かせてやろう」


 家逗は得意げにうなずき、嬉しさを隠し切れていない、にやついた顔を見せた。犯人(だと家逗が思っている牟児津)の前で自分の推理を披露できるのが、相当嬉しいようだ。

 そこから家逗は朗々と持論を展開させた。現場で集めた証拠や姿を消した猫の特徴、そこから牟児津の存在にたどり着くまでの道筋、全てお見通しだと言わんばかりの自信満々な態度だった。それを聞いていた牟児津と瓜生田は、家逗越しに羽村の顔を見る。まさか本気でこんな推理を信じているのか、という訴えである。羽村は小さく肩を竦めて応じた。


「……というわけだ。どうだ、一分の隙もない完璧な推理だろう」

「隙だらけだわ!本当の犯人だってそれじゃ納得しないよ!」

「なにをぅ!どこが隙だらけだと言うんだ!」

「言っていいの?」

「え。なにその確認。こわっ」


 すっ、と急に落ち着いた牟児津の声色に、家逗が少し身構えた。いつもは疑われてもろくに言い訳もできない牟児津だが、あまりにも隙だらけ過ぎる家逗の推理には落ち着いて反論することができた。


「まず、犯人を特定する根拠が全然足りてないのに、個人的な恨みで私が犯人だって言ってるのがもう、根本的に間違ってるよね。間違ってるっていうか、推理になってない?」

「ふんっ、証拠など捕まえてからいくらでも見つかる。そいつが犯人なら必ず何かしらあるに違いないからな」

「すごい冤罪を生みそう」

「その前の犯人の動機に関しても、猫の胸にハートマークがあるっていうところから連想したことであって、犯人がそう考えてた根拠も全然ないでしょ。動機があって犯行があったんじゃなくて、犯行の辻褄が合うように動機を考えてるって、順序が逆じゃん。というかそもそも、動機なんて推理する必要ある?よっぽどはっきりしてるならまだしも、人の頭の中を言い当てるなんて私は無理だと思うけど。

 だいたいキャリーケージの中で座ってる猫を正面から見るって、背が低いどころか地面にほぼ寝そべった状態にならないと見えないでしょ。なんかそこも、その猫の特徴に頼りすぎっていうか……それからいくら私でも芝を踏めば跡が残るし、花占いするときに花を摘まないで花びらだけ抜く人なんていないだろうし、ちょっと適当過ぎるんじゃない?

 なんて言うかもう全体的に無茶苦茶で、私憎しで推理がねじ曲がったっていうより、そもそも家逗さんの観察力とか推理力とか根本的な部分が──」

「牟児津様、どうかそこまでに」


 止まらない牟児津の追及に、羽村がストップをかけた。気付くと、牟児津と瓜生田の前で胸を張っていた家逗は、いつの間にか羽村にしがみついていた。ドレスのようなスカートに顔をうずめていて表情は分からないが、ときどき肩が小さく跳ねている。


「うっ……!うぐぐうっ……!ワ、ワトソンくぅん……あいつすごい言ってくるぅ……!」

「ホームズがただの家逗になってしまいます」

「ご、ごめん……」


 いちおう確認はしたのに、という気持ちさえ消えてしまうほど、家逗は惨めだった。推理の粗を指摘しただけで、まさか泣くとは思っていなかった。家逗は案外、繊細な少女のようだ。先ほどまでの高慢な態度はあくまで、彼女なりにキャラクターになりきったものなのだろう。しかしここまで傷つきやすいならあんな挑発をしなければいいのに、と牟児津は思った。


「可愛い人だねえ」

「すっごい面倒臭い人だよ」


 傍観者の立場にいる瓜生田が呑気なことを言う。目下、これ以上ないほど鬱陶しい絡み方をされている牟児津には、そんな感情は全く湧いていない。


「うぐぐっ……!ま、まあいい……!部室を開いて最初の事件だ。成果を急ぐあまり、多少拙速になってしまった部分があることは否めない!それを目敏く見抜いて指摘してくるとは、なかなかやるな!牟児津真白!」

「年上の人が精いっぱい見栄を張ってるとこ見るの辛い……目の周り赤いし」

「うるさい見るな!」


 必死の虚勢では隠し切れない涙を、家逗が袖でガシガシ拭う。まるで子どもだ。湿った袖から突き出た指で牟児津をさし、家逗は叫ぶ。


「あくまで自分は犯人ではないと言い張るんだな!それならこちらにも考えがある!」

「もう帰っていいですか?」

「いや帰るな帰るな帰るな!見ろこっちを!」

「見るなって言ったじゃん……」

「適宜見ろ!いやそうじゃない!曲がりなりにも探偵を名乗るのなら、自分の潔白は自分で証明することだ!」

「名乗ったことなんか一度もないってのに!」


 牟児津の言葉は無視し、家逗は懐から軍手を取り出し、丸めたまま牟児津に投げつけた。


「あぶねっ!なんだよ!」

「探偵として決闘を申し込む!どちらが先に猫を連れて戻るか、正々堂々勝負だ!」

「軍手は何の関係があるんだよ!」

「決闘を申し込むときは相手に手袋を投げるっていう作法があるんだよ。もっと優雅なはずなんだけどなあ」

「どこが優雅だ!工事現場の小競り合いか!」

「フーッ!フーッ!」

「ホームズ、一度落ち着いてください」


 こんな状況でも瓜生田と羽村は冷静だ。喚き合う家逗と牟児津を二人で引き離し、互いの代理として話し合う。


「こんなことになっちゃったけど、どうする羽村さん?」

「どうするもこうするも、ホームズは言い出したら聞きません。ですがその……率直に、先ほどの推理をどう思われました?」

「だいたいムジツさんが言ってた通りだね。破綻云々以前に、論理の形になってない」

「おっしゃる通りです。しかし残念ながら、ホームズは事件解決への熱意人一倍あるのです。私も、せっかく探偵同好会にいただいた依頼を途中で投げ出すのも忍びなく……。ですから、ぜひ牟児津様にお力添えいただきたいのが正直なところです」

「う〜ん、そうだねえ。ムジツさんは押せばイケる人だけど、塩瀬庵のレアお菓子とかで釣ればもっとモチベーション引き出せるよ。同好会なら、ちょっとは予算があるでしょ」

「……?差し出がましいようですが、瓜生田様は牟児津様をお守りする立場では?牟児津様はあまり前向きではないようにお見受けしますが」

「えへへ。私は、探偵としてのムジツさんも好きだからね」


 瓜生田はニヨリと笑った。軽薄なウソを吐いているようにも、いたずらめいた悪巧みをしているようにも見える。


「まあ任せてよ」


 そう言って、瓜生田は牟児津の元に戻った。羽村に瓜生田の真意は分からなかったが、取りあえず同好会費の残額は確認しておこうと思った。

 瓜生田は転がった軍手を拾い上げて、牟児津に差し出した。決闘を受けろという意味だ。牟児津もその意味は理解したようで、ぶんぶんと首を振って拒絶する。しかし瓜生田は譲らない。


「ムジツさん、ここで決闘を受けないと後がひどいよ」

「なんでさ」

「もう家逗先輩に見つかっちゃったから。羽村さんが言うには、言いだしたら聞かないんだってさ。この決闘だって、早いところ決着つけないといつまで続くか分かんないよ」

「いくら続いたって私には関係ないじゃん!ていうか猫くらいそのうち見つかるでしょ!」

「さっきの推理を聞いてそんなこと言える?」

「……言えません」

「だよね。それに家逗先輩はともかく、似安さんたちが困ってるのは事実だから、人助けだと思って」

「で、でも……これ以上あの人に構ってもろくなことにならなさそうだし……」

「そっかあ。残念だなあ」

「なにが」

「探偵同好会に協力してくれたら、謝礼が出せるってよ」

「しゃ、謝礼?お金ってこと?」

「やだなあ。さすがに学園の公費を渡せるわけないじゃない。でも、買ったおやつを感謝の印にあげるっていうことはできるんだよ。たとえば……塩瀬庵の『春爛漫』とか」

「のった!!」

「はい言質」


 牟児津は、瓜生田が何を言いたいかを理解した。理解した上で、もはや迷うべくもなかった。手の届かない和菓子詰合せが手に入るのなら、たとえ面倒な上級生に絡まれようと、欲しくもない名誉を被ろうと屁でもない。

 言った瞬間に後悔したが、瓜生田ははっきりその言葉を聞き届けた。そのまま羽村と家逗にその言葉は伝えられる。


「喜んで決闘を受けるそうです」

「ハッハッハ!伊達に名探偵を名乗ってはいないというわけか!その心意気やよし!」

「ありがとうございます牟児津様。瓜生田様も、助かりました」

「ああああああっ!!私のバカあああっ!!」


 かくしてここに、激しく情熱とライバル心を燃やす自称名探偵と、極めて不本意ながら欲望に負けた他称名探偵との間で、伊之泉杜学園における真の名探偵を決める決闘が行われることになったのだった。

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