第4話「待った!」


 2年Dクラスで、授業時間を潰して行われているカンニング疑惑事件の裁判は急展開を迎えていた。

 英単語テストで奇跡の満点を獲得した牟児津真白は、シャープペンシルの中からカンニングペーパーが見つかったことでカンニングの疑いをかけられてしまった。教室は牟児津を中心に擁護派、追及派、中立派の3つに別れ、牟児津のカンニング疑惑について議論を交わし始める。その中で牟児津は、自らのシャープペンシルが宝谷のものとすり替わっていると主張する。荒唐無稽なデマカセと思われた主張だったが、それを立証したのは当の宝谷だった。

 そして今、法廷の被告人席に当たる位置には、事件の渦中にいる牟児津と、擁護派から重要参考人へと立場を変えた宝谷が立っていた。裁判長役でありクラス担任である大眉は、頭を抱えた。


「要するに」


 ざわつく教室を静まらせ、大眉は状況を整理する。


「牟児津が持ってたシャーペンは宝谷のもので、宝谷が持ってたシャーペンは牟児津のものだったってことでいいか?」

「うん、そうだよ」

「牟児津がカンニング疑惑をかけられたのは、シャーペンの中からカンペが見つかったからだ。これもいいな?」

「……うん」

「ってことはだ。そのカンペは、牟児津が持ってた宝谷のシャーペンから出て来たことになる。カンペのことは身に覚えがないっていう牟児津の証言を採用するなら、それを入れたのは宝谷ってことになる。その辺はどう考えてる」

「……カンペを入れたのも、作ったのも、緋宙がやりました」

「はあっ!?」


 追及派の席から、鯖井の困惑した叫び声があがった。散々疑っていた牟児津ではなく、その牟児津を擁護していた宝谷の口から、自白に等しい言葉が飛び出した。驚いたのは追及派だけでなく、牟児津を含めたクラス全体も同様だ。


「ほ、宝谷お前……!カンニングしたってことか……!?」

「違います!カンニングはできなかった」

「んえ」

「そりゃそうですよ。宝谷さんが入れたカンペは牟児津さんが持ってたんだから。できるわけないわ」

「あ、そっか」

「でも、カンペを作って入れたのは本当。そのせいでマッシーが疑われることになっちゃって……ホントごめん」

「い、いやごめんって言うか……なんでいきなり自白しちゃったの?自分で言うのもなんだけど、さっきの感じだったら普通に誤魔化せてたと思うけど」

「マッシーに言われたらきちんと白状するって決めてたから。でも緋宙から先に言っちゃうのはなんかもったいない気がして……マッシーのカッコいいとこ、もう1回見てみたかったから」

「なんじゃそりゃ!みんなの勢いが怖くて言うに言えなかったとかじゃないんかい!」

「緋宙そういうのヘーキだから。2年生から演劇部入る肝っ玉ナメちゃいけないよっ!」

「図太いのねえ」

「じゃあ宝谷さん、最初から全部分かってたのに黙ってたの!?クラス中巻き込んでるのに!?」

「みんなには悪いと思ってるよ。でもマッシーがカンニングしたかも知れないってことを大ごとにしたのはハルちんたちじゃん。もしカンペが見つかったのが緋宙のペンからだったとしても、ここまではしてなかったんじゃない?」

「ぐっぬぇい……」


 意外にも理路整然と反論する宝谷に、追及派は歯の隙間から呻き声をこぼすことしかできなかった。仮に牟児津と宝谷の立場が変わっていたら、自分たちの態度が違っていたことも否めない。鯖井にしてみればこの裁判は、カンニング罪の追及よりも、牟児津への八つ当たりの意味合いの方が強いのだ。


「勘弁してよ……こっちはまた変な疑いかけられて、胃がねじ切れるかと思ったよ」

「マッシーなら大丈夫だと思ったんだ」

「……あの、ちょっといいですか?本題に戻る、というか、本題そのものの話なんですけど」


 追及派も擁護派も、もはや語る言葉を持たなかった。宝谷の告白によって間接的に牟児津は潔白だと証明されたようなものだ。もはや追及の余地はないし、擁護するべくもない。その中で、この話の着地点を探していた葛飾が、おずおずと手を挙げた。


「真白さんは、シャーペンの中にカンペが入ってることに気付かなかったから、カンニングなんて考えもしなかったんですよね?」

「そうだよ!ずっと私はそう言ってるよ!」

「で、そのカンペを入れた宝谷さんは、カンペが真白さんの元に行ってしまったので、カンニングしようにもできなかったんですよね?」

「うん。でも緋宙は途中でペンを開けたりしなかったよ!マッシーが疑われてやっと思い出したくらいなんだから!」

「ということは……そもそも誰もカンニングなんてしてないってことになるのでは」

「……まあ、そうなるよな。うん」


 葛飾の言葉で、ようやく教室中の全員に着地点が見えて来た。大眉もその結論に納得したし、何より少しでも授業をしたかった。


「それじゃあみんな、もう気が済んだな?牟児津はカンニングなんてしてない。宝谷も準備はしたが実際にカンニングしたわけじゃない。これで終わりだ。いいな?」

「異論ありません」

「ぐぐぐ……い、異論ないです」


 擁護派、追及派ともに矛を下げ、裁判は結了を迎え──。


「待ったあ!!」

「えっ」


 無音のガベルが振り下ろされる寸前に、弾けるような大声が法廷クラスに轟いた。それは追及派の悪足掻きではなかった。擁護派の反訴ではなかった。中立派の野次ではなかった。他でもない、被告人である牟児津からの告発だった。


「まだ1個だけ言いたいことがあるぞ!この際だから最後まで付き合ってもらうよ!」

「なんだよ。もうお前の潔白は証明されたんだからいいだろ」

「いーや!今のままだと気持ち悪いから言う!絶対言う!」

「授業時間削りたいだけじゃないの?」

「そんっ……そんなことはない!」

「ちょっと思ってたんですね」


 もはやこれ以上は蛇足とばかりに時園から野次が飛ぶ。牟児津は、それもいいかも知れないと思いつつ、本当に言いたいことを声高に叫んだ。


「そもそもなんで私のシャーペンと宝谷さんのシャーペンがすり替わってたのか!それをはっきりさせないと解決にならないでしょ!」

「……言われてみればそうかも。確かに、なんで緋宙のシャーペンがマッシーのシャーペンになってたんだろ」

「どうせそそっかしい牟児津さんが間違えたんじゃないの」

「私じゃないよ!」

「じゃあ宝谷さん?」

「それも違う」


 またしても牟児津の主張は頓珍漢に聞こえた。しかし、その主張を軽々に非難する者はいない。先ほども同じようなことを言っていて、それは事実を言い当てていた。追い込まれた牟児津の鋭さを、全員が肝に銘じていた。ただひとり、気が逸っていた大眉だけが、牟児津に食ってかかる。


「じゃあ他に誰が間違えるんだよ。お前たちのシャーペンだろ」

「あんただよつばセン!」

「うえっ?」


 食ってかかったら思わぬカウンターを食らった。大眉は間抜けな声を出して、向けられた牟児津の指の先を見た。


「つばセン、テスト中にフラフラして私と宝谷さんの机の上のもの全部ひっくり返したでしょ!すぐ拾ってくれたけど、そのとき特に確かめずに返したろ!答案は名前が書いてあるから間違えない。でも何も書いてないシャーペンはそこで入れ替わったんだ!」

「ああ、あのときね。確かに、入れ替わるとしたらその時しかないわ」

「びっくりしたわよねえ」

「あ……マ、マジか?」

「マジだよ!テスト直前はちゃんと自分のシャーペン持ってるってさっき言っただろ!だったら入れ替わったのはテスト中しかない!テスト中に入れ替わるタイミングはその時しかない!だからとどのつまり!」


 牟児津が被告人席から吠える。


「私が疑われたのも!こんな裁判をする羽目になったのも!めちゃくちゃ無駄な時間使ったのも!全部つばセンのせいなんだよ!」

「うおおおっ!?いてえっ!?」


 叫びながら牟児津が大眉に詰め寄る。教壇を挟んで後ろに仰け反った大眉は、後頭部を思いっきり黒板に打ち付けてしまった。その拍子にバランスを崩して、そのまましりもちをついた。なんとも情けない姿である。


「分かったかコノヤロー!人をこんな目に遭わせてくれて!なんとか言ってみろ!」

「……す、すまん」

「分かればいいんだよ!」

「いいのかよ。全然許さないテンションだろそれ」

「別に、もう目的達成したから」

「は?」


 あっさり引き下がった牟児津が、にやりと口角を上げて大眉を見た。その答えは、ほぼ同時に聞こえて来たチャイムの音で分かった。授業時間が終わってしまった。


「お前……」

「冤罪で裁判されたんだから、これくらいはねえ?」

「牟児津さん……あなたってホントに……」

「あははっ、マッシーせこーいっ」


 大眉はぴったり授業ができないところまで時間稼ぎをされ、そのせいで背中をチョークの粉まみれにされた。しかし自分の不注意が原因でこんなことになったというのも反論できず、ため息を吐いて牟児津に謝ることしかできなかった。


「ほら裁判長、さっさと締めて」

「分かったよもう。えーっと、授業潰してすまなかった。牟児津も余計な疑いかけられて、申し訳ない。授業の進度は俺がなんとかする」

「さっさと終われー!」

「うるさいなあ。そんじゃあ、まああれだ。牟児津は無罪放免。あ、宝谷はちょっと職員室来い。お前は普通にカンニング未遂だから課題追加な」

「ちぇ〜っ」


 大眉の謝罪により、被告人が裁判長を告発した前代未聞の裁判は幕を閉じた。擁護派は牟児津の無罪を勝ち取って互いに健闘を称え、追及派は追及派でそこまで牟児津の罪を責めたいわけではなかったので普通に納得し、中立派は授業が1つ潰れたことで次回以降ペースアップするだろうことを予感して憂鬱になっていた。

 そして後日、牟児津は今回と同じ手法で単語テストを乗り切ろうとするも、単語帳を家に忘れる大失態を犯したことで散々な目に遭った。

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