第3話「異議あり!」


 2年Dクラスは3つに分かれ、混沌を極めていた。


「牟児津さんは、テスト直前まであんなに必死だったのよ。採点の後の喜び方も、ズルした人の態度じゃないわ」

「そうだよ!それに、牟児津さんは良い人だよ!カンニングなんて卑怯なことするはずない!」

「そーだそーだ!マッシーはやってない!なんかの間違いだ!」


 時園、足立あだち、宝谷らを中心とした擁護派が叫ぶ。


「全然覚えられないからとうとうやっちゃったんだろ!認めちゃえよ!」

「今回のテストは何がなんでも満点取りたかったんでしょ?魔が差したとかじゃないの?」

「ギルティ」


 鯖井さばい箱根はこね、室らを擁する追及派が糾弾する。


「私もうどうでもいいんだけど、葛飾さん風紀委員でしょ。どう思う?」

「わ、私は……真白さんのことは、友達として信じてあげたいです。でも、目の前の事実はとても疑わしいので……大間さんは?」

「現場を見たわけじゃないからなんとも。困ったわねえ」


 砂野すなの、葛飾、大間らどちらの陣営にも属さない中立派は、穏やかに両陣営の対決の行く末を眺めていた。既に授業が始まっている時間だが、大眉はさっさと隅に追いやられてしまっていた。教室はまさしく法廷の様相を呈している。

 そして、その騒ぎの中心にいる牟児津は、真っ二つに分かれた擁護派と追及派の間に立たされて、双方から弁護と糾弾のシャワーを浴びていた。


「毎度毎度0点の人がいきなり満点取れるなんて、どう考えてもおかしいだろ!やけくそになってカンペ作ったんだよ!甘い物のためならなんでもするって噂だぞ!」

「なんでもはやらないよ!やれることだけ!」

「カンニングは十分やれることだろ!」

「あのね鯖井さん、ただでさえ牟児津さんは何もしてなくても疑われるような人なのよ。自分からこんなことしたら損しかないでしょ。可哀想な人なんだから」

「時園さんそれフォローになってない!」

「はいはーい。そもそも時園さんの意見って、牟児津さんが必死になってたとか可哀想な人だとか、全部主観じゃないですかー?そんなの説得力ありませーん」

「だったら聞くけど、鯖井さんはどうして牟児津さんを責めるの。どうせこの前、部室が手に入らなかった腹いせでしょ」

「……それの何が悪いんですかー?」

「主観どころか私怨じゃないの!よっぽど説得力ないわよ!」

「はい論点すり替えー。詭弁乙〜」

「さ、鯖井さん。あくまで論議なので、相手を煽るのはちょっと、控えた方が……。あと、今は真白さんがカンニングをしたかどうかですから」

「いや葛飾、授業させてくれよ」

「裁判中なので、すみません」

「授業時間中なんだよなあ」


 ぼやく大眉を葛飾が制した。いちおう教師の面目があるため授業をする姿勢だけは見せるも、本気でこの裁判を止めるつもりはない。葛飾が裁判長役をしてクラスが議論を交わしている隙に、仮眠でもとってしまおうと考えていた。何より、牟児津がカンニングしていたか否かによらず、カンニングペーパーは間違いなく存在している。それだけで問題であることには違いない。


「ちょっと葛飾さん!」

「ひゃい!?」

「こういうときのための風紀委員でしょ!この裁判取り仕切ってよ!」

「い、いや、風紀委員は学園内の風紀と治安の維持が活動目的で、クラス内での問題に関する話し合いをまとめるのは学生生活委員の仕事なんですけど……」

「じゃあ私は中立な立場で話せないから葛飾さんに委任します!これでいいでしょ!」

「こ、こまります〜〜〜!」

「葛飾さんは牟児津さんと仲良いんだから中立じゃないでしょ!」

「じゃあ誰が──あ、先生やってください」

「えっ!?俺!?」

「他に誰がいるんですか。この中で一番中立なのは大眉先生です。裁判長役やってください」

「なんで授業はさせないのに教壇には立たせるんだ。教師の生殺しだぞ」

「カンニング問題を見過ごす方が教師としてあるまじき姿だと思います!」

「んん……そりゃそうだ」


 あっさり言いくるめられ、大眉は牟児津のカンニング疑惑についての裁判を取り仕切ることになってしまった。教師としてこんなことをしてていいのかという葛藤もあるが、さっきまでの自分の考えもたいがいだ。それなら何をしてても同じようなものである。


「そしたら取りあえず、両方とも座れ。ひとりずつ喋らないと話し合いにならないだろ。あと牟児津の話も聞いてやれ。みんな知ってると思うけど、牟児津はこういうのに巻き込まれやすいんだ」


 大眉は教壇に立ち、牟児津を挟んで向かい合う擁護派と追及派を席に着かせた。中立派の葛飾たちは教室の後ろの方にまとまり、まさに法廷と同じ配置になる。中央に立たされた牟児津は、自分が中心にいながら置いてけぼりにされている状況に、ただガチガチに緊張して棒立ちしているしかなかった。


「じゃあ取りあえず牟児津。いちおう聞くけどカンニングしたか?」

「するわけないでしょ!私は無実だ!」

「それじゃあ室が拾ったカンペについて、なんか分かることあるか?」

「何も知らないよ。シャーペンの中に入ってて、芯入れようと思ったら転げ出て来たの」

「お前が入れたんじゃないのか?」

「入れてない入れてない!」


 牟児津はすっぽ抜けそうな勢いで首を振る。似たような状況で実際に潔白だったことが今まで何度もあった。だから今回も潔白なんだろう、と大眉は思った。ただ、万が一ということがある。いかに牟児津がカンニングする度胸もない小心者であることが分かっていても、本人の言葉だけでは100%の決断が下せない。


「牟児津がカンニングしたのを見たっていう人はいるか」

「いたらその場で指摘してると思います」

「じゃあ、最初に牟児津のカンニングを疑った人は誰だったっけか」

「それは私」


 追及派の席から、室の小さな手が上がった。その場に座ったまま、室はそのときの様子を語る。


「牟児津さんの席から紙きれが転がって来た。拾ってあげたらカンペだった。処分しようとしてうっかり落としたんじゃない?」

「異議あり!最後の部分は室さんの考えで、実際に見たことじゃないでーす!」

「む」

「宝谷、喋るときは手挙げろ。ただまあ言ってることは正しいな。後半はさておき、前半について牟児津は異論ないか?」

「それはまあ……そうだけど」


 牟児津が持っていたシャーペンからカンニングペーパーが転がり出て来た、これは紛れもない事実だ。牟児津も認めざるを得ない。しかし同時に、それを入れたのは自分ではないことも証明しなければいけない。入れてない物が出てくることなどあり得るのか。マジシャンでもあるまいし、牟児津にそんなことはできない。


「牟児津さんのシャーペンから出て来たんだから、それは牟児津さんが入れたものでしょ」

「いや待って。室さん、本当にそのカンペ、今日のテスト範囲だった?」

「間違いない。見てもいいよ」


 室は、くしゃくしゃに丸まった紙を時園に渡した。極めて小さい字がびっしりと書き込まれており、時園はスマートフォンのレンズを通して拡大しないと読めなかった。それでようやく、書かれていた英単語がテスト範囲に合致していることを確認できた。


「なるほど、確かに一致してるわね。いちおう葛飾さんと大眉先生も確認してください。公平性を担保しないと」

「どうだ!これで牟児津さんは間違いなく黒よね黒!真っ黒よ!」

「牟児津真っ黒」

「やかましいわっ!」


 時園から証拠品を認める言葉が出たことで、追求派は確かな手応えを感じていた。しかし時園は全く動じていない。


「残念だけど、これはむしろ牟児津さんへの疑いを軽くするものよ。そうでしょ、葛飾さん」

「え、ええ……そう思います」

「なんでよ!」

「牟児津さんは、今朝まで単語テストの範囲を勘違いしていたのよ」

「……マジで?」

「マジよ」


 時園がため息交じりに言った。定期的に行われる単語テストの範囲を当日の朝まで勘違いしていたという事実が、何よりも牟児津の勉強習慣のなさを表していた。その状態から満点を獲得したのは見事と言わざるを得ないが、追及派からしてみれば不正があった可能性をより疑う要素にもなる。そして牟児津にしてみれば、ただの恥の上塗りにしかならない事実だった。


「もともと英語ができたわけでもないのに、範囲もまともに覚えてない人がいきなり満点取れるなんて、やっぱり怪しいと思ってしまうんだけど……」

「でもそんな人はカンペなんか作れないよ!作っても全然違う範囲になっちゃう!」

「それは確かにそうねえ」

「い、いやそれでも、だったらカンペ以外の不正の可能性は──!」

「鯖井」


 追及を深めようとした鯖井の言葉を大眉が制した。


「それ以上は根拠も証拠もないだろ。ただの中傷になる」

「す、すいません……」

「でも、このカンペが牟児津さんの机から落ちて来たのは事実なんでしょ?牟児津さんが作ったものじゃないなら、なんで牟児津さんが持ってたのよ?」

「そ、それは……分からないけど」

「作ってなくても、持ってた時点でギルティ。ピストルと同じ」

「喩えが物騒すぎますぅ!」

「でも室さんの言う通りだよ!牟児津さんがカンペを持ってたことは事実なんだから、有罪には違いない!」

「も、持ってたのはそうだけど……でも私のじゃないよ!作ってもないものを持ってたって意味分かんないでしょ!」

「こっちだって意味分かんないわよ!なんで持ってたのよ牟児津さん!」

「分かんないって!気付いたらシャーペンの中に入ってたんだもん!」

「そんなわけあるか!」

「そんなわけあるかって私だって思ってるよ!」


 追及派は時園の弁護に対応するため、カンニングペーパーを作ったことよりも、その所持自体が問題だと論点を転換させる。所持していたことについては、擁護派も牟児津本人も含め、誰一人否定する者はいない。なぜ牟児津が自分のものでないカンニングペーパーを持っていたのかを説明できなければ、非常に不利な戦いを強いられることになってしまう。


「シャー芯と間違えて入れちゃったとか、そんなことはないの?」

「さすがの牟児津さんでも紙と芯は間違えないと思うよ……」

「足立さん、さすがのってなに?」

「もともとシャーペンに入ってたとか、そんなことはないですかね?」

「最初からカンペが仕込まれたシャーペンってなに?しかもピンポイントに今日の単語テストの範囲って」

「だいたい私がそれを──あ」

「え?」


 中立派の席から、葛飾が間抜けな発言を飛ばした。今日のテストのカンニングペーパーが最初から入っていたシャープペンなどあるはずがない。と、牟児津以外の全員が考えた。しかし牟児津だけは、その一言に何か引っかかりを覚えた。そして短い声を漏らしたまま、締まりのない顔で天井をぼんやり眺める。しばらくそんな時間が続き、牟児津が視線を正面に向けた。戻って来たようだ。


「ちょっと、私のシャーペン触ってもいい?」

「え、うん、まあいいけど」


 大眉に許可を得て、牟児津は自分の席に戻り、置いてあったシャーペンを拾い上げる。中に物が入っている感覚はない。ここにカンニングペーパーを仕込んだ人物が、仕込みの空間を確保するため芯を除いたのだろうことが分かる。そして牟児津は、全員に見えるように、ペンを握った手を前に差し出した。


「な、なにしてんの?」

「これ、私のシャーペンじゃないかも知んない」

「……はあ?」

「今、自分の席から持ってきたじゃん!」

「うん。だけど、私の席にあるからって、私のシャーペンだとは言い切れないでしょ」

「牟児津さん……それはちょっと、さすがに苦しいんじゃないかしら……?」

「往生際悪い」

「そういうことじゃなくて」


 そこで、葛飾だけはピンと来た。今の牟児津は、先ほどまでとは打って変わって、妙に落ち着いている。これは頭の中で何らかの辻褄が合い、どうにかこうにか結論を導くことができたとき、極度の緊張と焦りと冷静な思考によって表情筋を操る余裕がなくなった状態──通称『推理モード』だ。


「何か理由があるんですね!真白さん!」

「ちょっと葛飾さん。あんな言い訳なんか聞く必要ないでしょ」

「真白さんはいま、すごい状態なんです!きちんと説明を聞けば、ただの言い訳には聞こえませんから!」

「あの人いますごい状態なの?」

「分かりにくくてすいません!」

「なんでこまちーが謝ってんの?」


 結論だけを先に言ったせいで、牟児津の主張は全く受け入れられない。しかし葛飾には、その結論に行きつく過程があることが分かっていたので、必死に牟児津をフォローする。普段から一緒にいる瓜生田は、こんなことをしているのか、という気分になった。


「室さん。私、テストの前に言ったよね。私のシャーペンが壊れちゃってるって」

「そうだっけ」

「間違いなく言ってたわ。私にも宝谷さんにも、大間さんにも言ってたもの」

「私のシャーペンは、なんか1回分解して戻したら壊れちゃって、5回ノックしても1回しか芯が出てこなくなっちゃったの」

「何やってんだ」

「戻せてない」

「買い替えなさいよ」

「それはそうだけどまず前提として受け止めて!ともかく、これが私のシャーペンなら、いま5回ノックしても1回しか芯が出てこないはず!見てて!」


 前後左右から飛び交う非難に声を上げ、牟児津はシャーペンを掲げた。先からはまだ芯が出ていない。そしてキャップに親指がかかっている様子がよく見える。

 1、2、3、4、5──牟児津の指が5回押し込まれた。その機構は5回の乾いた音を発し、反対の穴から細長い芯を5回に分けて繰り出した。間違いなく5回ともだ。


「もう1回やろうか」


 再び牟児津は5回ノックする。それに合わせて5回芯が繰り出される。何度やっても同じだった。牟児津は少しだけ安堵の表情を浮かべ、追及派の席を向いて言った。


「10回ノックして10回とも出た。このシャーペンはまともだ。つまり、私のシャーペンじゃない」

「お前は何を言ってるんだ」

「それが普通のシャーペンだろ!それだけで牟児津さんのものじゃないなんて根拠になるか!」

「異議あり!十分根拠になるわ!少なくとも室さん!あなたは確認してるはずよ!テストが始まる前、牟児津さんのシャーペンが全然まともに働いてないところを!」

「うぐう」

「異議あり!予備のシャーペンだったかも知れないぞ!壊れてる何も入ってないシャーペンと、まともに動くカンペを入れたシャーペンを持っておいて、テスト前と後ですり替えれば──!」

「異議あり!こうやって裁判沙汰になるなんて思ってなければ、わざわざそんな準備はしてこないわ!そして牟児津さんがそこまで用意周到じゃないことは、当日の朝までテスト範囲を勘違いしてたことからも明らかよ!」

「ぐわあっ!」

「やればやるほど牟児津さんの名誉が傷つけられていってるような……」


 足立は頭を抱えた。牟児津が無罪であることを主張すると、なぜか牟児津のだらしなさを指摘することになってしまっている。時園と宝谷はその辺りへの躊躇が全くないが、足立はいまいち口に出すことが憚られた。結局、自分たちも牟児津という人間の味方になれてはいないような気がした。


「えーっと、結局のところ、そのまともなシャーペンは牟児津のものじゃないんだな?」

「そうだよ。そうなるとだから、ここに入ってたカンぺも私のものじゃなくて、このペンの本来の持ち主が入れたものってことになる」

「本来の持ち主?誰だそれ」

「当然、私と同じシャーペンを持ってた人だよ」

「それが誰かってことを聞いてるんだけど」

「それは……」


 鯖井の質問に答えるため、牟児津は脳を全力で回転させた。ペンが自分のものではないということを閃いたのまではいいものの、その後のことを全く考えていなかった。やはり自分の潔白を説明するだけでは納得されない。本来いま牟児津がいる立場にいるべき人物を指摘しなければ、自分に向けられた疑いからは完全に逃れられないということを、牟児津はこのとき改めて痛感した。


「そのシャーペンは、昔うちの中等部の購買で売ってたものだ。よそでは手に入らないし、高校生になってそれを使い続けてる人は少ない。牟児津さん以外にそんなもの使ってる人がいるのか!」

「……くうっ」


 記憶の中を過去へ全力疾走する。なぜ自分のものではないペンが自分の手の中にあるのか。なぜ自分のペンは自分の手の中にないのか。そしてなぜそれに今まで気付かなかったのか。牟児津は考える。理由は単純で、それが同じ型式のペンだからだ。では、自分のペンはどこへ行ったのか。

 裁判中の記憶。室にカンニングを告発されたときの記憶。テスト中の記憶。テスト前の記憶。遡っていく記憶の途中に、牟児津はその影を見つけた。いま手に持っているペンと同じもの──そのものとすら言えるものを。


「あ……あった」

「あァン?また何か言い訳する気か?」

「い、いるよ!私と同じシャーペン使ってる人!」

「へあっ!?」


 鯖井にプレッシャーをかけられて、牟児津はとっさに指さした。記憶の中に残っていた自分と同じペンを使っている人物に向けて。その指が向かうのは、あろうことか、牟児津を追及していた鯖井たちの反対側──牟児津を弁護している生徒たちの席だった。そのうちのひとり、いきなり議論の俎上に連れ出された宝谷は、驚愕の表情で牟児津を見ていた。


「宝谷さん……!宝谷さんの使ってるペン、確か私と同じだった!」


 鯖井も、時園も、大眉も、葛飾も、そして誰より、そんな破れかぶれで罪をなすりつけるように指をさされた宝谷も、目を丸くしていた。窮地に追い込まれたときの牟児津は、なぜか急激に脳細胞が活性化して、ウルトラCのような推理を披露することがある。

 しかし今の牟児津は、どう見ても苦し紛れの言い訳を並べ立てて、味方すら利用して罪を逃れようと足掻いているようにしか見えない。


「この教室で、これとおんなじペン使ってるのは、たぶん私と宝谷さんだけ。これが私のじゃないんだったら、宝谷さんのものってことになるよ!逆に、宝谷さんが持ってるペンを確認してよ!ノックしてまともに動かなかったら私のだから!」

「ひ、ひどい!いくら追い込まれてると言っても、自分の味方をしてくれてる宝谷さんに罪をなすりつけるなんて!」

「あんまりです真白さん!それは宝谷さんがカンニングを企図していたってことにもなるんですよ!苦し紛れだからってそんなのってないです!」

「宝谷さんも何か言っていいのよ」

「一旦落ち着けお前ら!宝谷!お前はどう思うんだ!本当に使ってるシャーペンは同じなのか!?」


 先ほどとは毛色の違う、心の底からの非難が牟児津に注がれる。すっかり推理モードから素面に戻った牟児津は、四方八方から飛んでくる非難の嵐に心が挫けそうになっていた。教室を宥めようと大眉が声を大にして非難を止めさせ、宝谷に尋ねた。驚きの表情のまま固まっていた宝谷は、大眉の問いで我に返ったのか、少し戸惑いながらも答えた。


「……う、うん。緋宙も、マッシーが持ってるのと同じシャーペン使ってるよ」

「えっ!?」


 てっきり否定されるものだと思っていた牟児津は、あっさりと認めた宝谷に思わず声を出してしまった。自分で指摘しておいてそんな態度もどうかとさえ思う。

 まるで舞台の上にいるように、教室中の注目を浴びた宝谷は、粛々と自分の席に戻り、使っていたシャーペンを持って戻ってきた。牟児津が先日の舞台で目にした天真爛漫な姿とはまるで違う、淑やかで落ち着いた立ち居振る舞いだった。


「ほ、ほんとに?」

「もしかして宝谷さん!そのシャーペン……!」

「……うんっ」


 宝谷が握るペンは、牟児津が持つ物と全く同じデザインだった。見比べてみて初めて傷や色褪せ方の違いが分かる程度で、難易度が突き抜けた間違い探しのようだ。

 宝谷が教室中を緊張させているのか、教室中の緊張が宝谷を固くしているのか。真剣な眼差しで、宝谷は握ったペンの蓋に親指をかける。ぐっと力を込めた。

 1、2、3、4、5──規則正しい間隔で、宝谷の手の中から音がする。軽いプラスチックが上滑りするような、小さな金属を非力に打ち付け合うような、頼りない音だ。4度聞こえたその音の後で、カチッと軽快な音が鳴った。喉の引っ掛かりが落ちたような気がした。ペンの先からは、黒々しい芯が僅かに顔を覗かせていた。


「ごめんねマッシー。そのシャーペン、緋宙のだったみたい」

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