第3話「うへへへ」
学園の最寄り駅で逆方向の電車に乗った益子と別れ、牟児津と瓜生田は自宅前まで戻ってきた。すでに真尋は家にいるはずだ。牟児津が行くと真尋が正直に話さない可能性があるため、牟児津は瓜生田家で待機し、瓜生田だけが真尋を突撃することにした。
「こんにちわあ。お邪魔しまあす」
自室にこもっているはずの真尋には聞こえないよう加減して、瓜生田はあいさつした。おそらくテレビを観ている牟児津の母にも聞こえてはいないだろうが、昔から家ぐるみの付き合いをしている両家にとっては、子供同士の行き来などあいさつの必要もないくらい日常茶飯事となっている。
見ると、玄関に真尋の靴が脱ぎ捨ててある。確実に家にはいるようだ。瓜生田はそのまま真尋の部屋の前まで忍び足で歩き、ドアを軽くノックした。
「んー?」
「こんにちわ。李下だよ」
「りっ、李下!?わわわっ……!な、なに!なんでいんの!?ちょっ、ちょっと待って!」
「んふっ……久し振りにお話したくって。入っていい?」
「い、いいけど……?」
ドアの向こうから聞こえてくる真尋の声は、明らかに緊張して慌てていた。家にいるのは母か姉くらいだろうと油断していたのか、部屋の中からどたばた走る音が聞こえてくる。見られたらまずいものでもあったのか、がちゃがちゃと物を仕舞っているようだ。瓜生田はついイジワルをしたくなって、急かすように入室の許可を求める。緊張を隠すようにすました声が返ってきたのを聞いて、瓜生田は口元が緩みそうになるのを堪えつつドアを開けた。
真尋は勉強机の前に腰かけていて、机の上にはドリルや教科書が広げてあった。手には鉛筆を握っているが、左手である。机の上に広げてある教科書類は教科がバラバラで、スタンドライトが点いていない。ちょうど勉強していたところだった、というアリバイを作り上げたい気持ちがあまりにも見え透いていて、瓜生田はますます緩みそうになる口元に神経を使わなくてはならなかった
「久しぶりじゃん?どう、したの」
真尋のドギマギした表情を見るだけで堪えきれなくなりそうだった。瓜生田は、それを悟られないよう平静を保ちながら、切り出した。
「昨日も今日も学園前で会ったよね。なのに無視されちゃったから、もしかしたら嫌われちゃったのかなって思って」
「べ、別に?きらいになるとか意味わかんねーじゃん」
「そうなんだ。よかった」
少なくとも真尋は、瓜生田となら普通に会話をする気はあるようだ。少しの駆け引きはあるかと構えていた瓜生田だったが、そんな必要もないらしい。真尋が姉に素直になれないのは、やはり単純に年頃せいのようだ。そうと分かれば話が早い。瓜生田は色々と聞き出すことにした。
「一緒にいたあの子は友達?」
「うん。フーリっていうの。遠藤フーリ」
「珍しい名前だね。どう書くの?」
「ん」
真尋はノートの端に鉛筆を走らせて、瓜生田に見せた。あの翡翠色の髪の少年は、
瓜生田は真尋のすぐ隣にしゃがみ込んだ。背の高い瓜生田だが、さすがに膝と腰を折れば、椅子に座った真尋を下から見上げる位置に目線が来る。覗き込まれた真尋は、瓜生田の視線を意識するほどに表情が固くなっていく。
「風吏くんと仲良いんだ?」
「まあ」
「それ宿題?」
「うん」
「今日帰りになにしてたの?」
「……」
「もしも〜し」
「うるさいなあ!なんでもいいだろ!」
さすがに真尋も簡単には口を割りそうにない。宿題するふりをしているだけだが、明らかに瓜生田の質問を拒絶する意思が感じ取れる。おそらく自分を通じて姉に全てばらされることを危惧しているのだろうと考えた瓜生田は、状況の把握を優先するため、その心配を払拭させることにした。
「ねえヒロくん。なにかムジツさんに言われたくないことがあるなら、私にだけは話してくれない?ムジツさん、ヒロくんのこと心配してるんだよ」
「だって李下、姉ちゃんに話すじゃん」
「話さないよ。約束する」
「……本当?」
「うへへへ」
「笑ってんじゃんかよ!」
牟児津には内緒にするという約束を提示した途端、真尋は明確に態度を軟化させた。姉に知られたら恥ずかしいという気持ちと、瓜生田なら信用できるかもという気持ちが顔に表れる。そんな目で真っすぐ見つめられた瓜生田は、ついに口元の緩みに堪えかねて、だらしない笑いを漏らした。真尋に怒られて、すぐにまた表情を取り繕う。約束は本当にするつもりだ。
「ごめんごめん。つい。でも本当に約束するよ。ヒロくんがちゃんと話してくれたら、ムジツさんに心配いらないよって言うだけ」
なるべく平易な言葉を選んで、諭すように真尋を説得する。真尋は少しの間、決断を迷っていた。が、瓜生田の説得を聞き入れたのか、あるいは瓜生田に見つめられ続けることに耐えかねたのか、最後には観念したようだ。約束を守ってくれれば話す、という意志表示のつもりだろう、黙って首を縦に振った。
「ありがとう。それじゃあまず約束ね。はい」
「……ん」
ちょろ、と差し出された瓜生田の小指と、遠慮がちに差し出された真尋の小指が絡み合う。子どもっぽい仕草に、真尋は照れくさそうに視線を逸らしていた。
「ゆーびきーりげんまん♫うそついたらはりせんぼんのーますっ♫ゆーびきったっ♫」
「子どもじゃあるまいし」
「ヒロくんは子どもじゃないもんね。子どもじゃないなら、約束はきちんと守らなきゃね。昨日と今日、あそこで何してたの?」
子どもっぽいと思いつつも、約束する儀式を経たことで、真尋の中にはある種の責任感が生じているはずだ。指切りのために正面を向かせたこともあって真尋はますます緊張しているようだ。瓜生田が改めて質問すると、真尋はもごもごと口を動かす。そしてようやく、絞り出すようにしゃべり出した。
「……お、おまいり、してた」
「お参り?」
「通学路にあるから、何回もするのにちょうどいいと思って」
「何回もしてるの?」
「うん。フーリが言うには、100回しなきゃいけないんだって。毎日、行きと帰りで1回ずつ」
「そっかあ。お百度かあ。何をお願いしたの?」
「……フーリと同じこと」
「風吏くんは、何をお願いしたの?」
「……」
「話してくれないの?」
「おれは、フーリの願い事が叶いますようにってお願いしただけだから、知らない」
瓜生田は口を尖らせた。出まかせを言っているようには見えない。どうやら真尋は真尋の分かることを正直に話しているらしい。だが、少なくともまだ秘密にしていることがあるはずだ。友達の風吏が何を願っているか知らなければ、その願いが叶うようにと願うはずがない。
しかし瓜生田に、その内容まで追及する理由はなかった。結局のところ瓜生田が聞くべきは、真尋が通学路で何をしているかだ。お参りをしているだけなら、牟児津が姉として心配するようなことは何もない。
「ふーん、だから通学路では喋ってくれなかったんだね」
「よく知らないけど、フーリがお参り中はしゃべっちゃダメなんだって」
「それって、通学路でずっと?」
「うん。駅に着いてから教室に入るまでと、教室を出てから電車に乗るまで」
「大変じゃない?」
「……まあ、ぶっちゃけ」
お百度という参拝方法について、瓜生田はもちろん知っている。参拝中に言葉を発してはいけないというルールがあることも知っているが、それを小学生が50日も継続するつもりでいることが驚きだ。やはり真尋は、遠藤少年が何を願っているか知っているに違いない。友達とはいえ、相手の願い事の内容も知らず1ヶ月以上もそんなことに付き合えるわけがない。
とはいえ、牟児津が心配するようなことは何もないようだ。真尋と約束したとおり、詳しい内容は伏せたまま、二人について心配することはないと牟児津に伝えることはできる。ひとまずはこんなものだろうと、瓜生田はそこまでにすることにした。
「分かった。話してくれてありがとう。ムジツさんには、ヒロくんは悪いことしてるわけじゃないから心配しなくていいよって伝えるね」
「ん……そうして」
「じゃあ私は帰るね」
「え、帰んの?別にマンガとか読んでていいのに……」
「ヒロくんが宿題するの邪魔しちゃ悪いから。それじゃあがんばってね。ばいば〜い」
「あぁ……」
遠回しに引き留めているつもりか、真尋は姉の部屋から勝手に借りてきたマンガに視線を投げる。が、瓜生田は一切気に留めず、ひらひらと手を振って部屋から出て行った。真尋は、やるつもりのなかった宿題をそのままランドセルに戻してしまうのは瓜生田に申し訳ない気がして、ため息交じりに問題を解き始めた。
〜〜〜〜〜〜
瓜生田が真尋から話を聞く間、牟児津は瓜生田家でお茶とお菓子を御馳走になっていた。次から次へと出されるお菓子を美味しそうに平らげ、瓜生田が帰って来た時にはお菓子の包みが山盛りになっていた。それは毎度のことなので瓜生田は特に触れず、結論を牟児津に報告した。
「ヒロくんは悪いことしてるわけじゃないから心配しなくていいよ」
「あっそう……悪いことじゃないなら、何してたの」
「そりゃあ悪くないことだよ」
「その悪くないことって具体的になに」
「具体的には言えないなあ」
「なんでよ!」
瓜生田が満足気なほくほくした顔で戻ってきたので、牟児津はその報告に期待していた。だが蓋を開けてみれば何一つ具体性がなく、胸にわだかまる不安を解消するに足るものでもなく、ただ瓜生田が楽しんで帰ってきただけだった。話は聞けたらしいので瓜生田がそれを話してくれさえすればいいのだが、そういうわけにはいかないらしい。
「ムジツさんには内緒って約束でヒロくんに話してもらったんだもん。大丈夫だよ。ちゃんと私が全部聞いた上で大丈夫って判断したんだから。ムジツさんが心配するようなことは何もしてないよ」
「それじゃあうりゅに話を聞いてもらった意味がないじゃん!私が知りたいから代わりに聞いてもらったのに!」
「でもヒロくんと約束しちゃったからなあ」
「約束約束って約束がなんだ!約束なんてのァ破るためにあるんだよ!」
「そんなことないよ?」
真尋に話をさせるために約束は必要だった。牟児津も瓜生田も知らないままでいるより、片方だけでも知っていた方がいい。家族と言えど、隠し事の一つや二つは許容すべきだ。
瓜生田は牟児津にそう言って聞かせ、ひとまず牟児津は安心していいということを強調した。
「ヒロくんに限って滅多なことはしないから大丈夫だって」
「……ちくしょう。いつか口を割らせてやるからな」
「ヒロくんの?」
「うりゅの」
「わあ怖い」
すっかり当てが外れた牟児津は、不機嫌そうな半目で瓜生田を睨む。それに対して瓜生田はおどけた調子で応えた。結局、牟児津は瓜生田家で好きに飲み食いして、抱えた不安を一時忘れていただけだった。
牟児津は家に帰ってから真尋の部屋に突撃しようとも考えたが、昨日と同じことの繰り返しになる上に、真尋から瓜生田に対して不信感を与えるだけなので思いとどまった。すっきりしない心持ちのまま家に帰り、自分の部屋に戻った。
「やれやれ、ったく。わけわかんねー事件に巻き込まれるわ弟は可愛くねーわ。週末だからまだいいようなものを……」
頭の中では大桜のポイ捨て現場と真尋の憎たらしい顔がぐるぐると回り、何もしていないのにストレスばかりが募っていく。部屋でじっとしていても気分が晴れることはないので、シャワーでも浴びてすっきりしようかなどと考える。まだ晩ご飯には早く、牟児津の腹には瓜生田家で平らげたお菓子がたまっているので、その前に済ませてしまうことにした。
シャワーを浴びて汗を流し、金曜日で張り切っている母親のいつもより少し手が込んだ夕食を別腹に収める。それからしばしソファに寝そべってバラエティ番組を鑑賞していた。牟児津とそう変わらない年代のマジシャンが、テレビでトランプマジックを披露している。トランプの絵柄が変わったり色が変わったり、サインが書かれたカードがあちこちに移動したりするたび、少々大袈裟に驚くタレントたちにつられて、牟児津もすっかり見入っていた。
番組も終わり、瞼に重みを感じ始めた頃合いでソファから立った。部屋に戻る前に、戸棚にある自分専用のお菓子箱を手に取った。
「ちょっと真白。また寝る前にお菓子食べて、太るわよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
竹ひごを編んで作られたバスケット型の容れ物に、同じく竹ひごで作られた専用の蓋が付いている。長年使っているおかげですっかりくたびれてしまっている。
ここに入っているお菓子は、牟児津が小遣いをやりくりして買った塩瀬庵のあんこ菓子や、瓜生田家や近所でもらったお菓子の余りなどが入っている。今は主に『淡月』がメインだ。さっぱりした清涼感を求めて手を伸ばすが、そこで牟児津は違和感を覚える。
「……ん?」
買い置きしておいた『淡月』は、こんなに少なかっただろうか。美味しいお菓子は自分でも気が付かないうちに食べ進めて、気が付いたときには最後の一つになっていることはよくある。だが、それにしてもペースが速いような気がする。寝る前に食べてしまうクセが付いているのは自覚していたが、それ以外のタイミングでも無意識に食べているのだろうか。さすがの牟児津も、このときばかりは自分の腹の肉付きが気になった。
「よし、あんまり気にしないどこう。ストレスは体によくないっ」
そう自分に言い聞かせ、牟児津はカゴから『淡月』を一つ取って、戸棚に戻した。なるべく都合の悪いことは考えないでいられるのが牟児津の特技だ。今は手の中にある爽やかな甘みを楽しみに、牟児津は自分の部屋へと戻った。
部屋に入りドアを閉めると、そのタイミングを見計らったかのようにスマートフォンで呼び出しがかかった。
「……ぉげ」
何かと思えば、昨日と同じチャットアプリで益子から電話がかかってきたのだ。学園が休みで丸二日間は解放されると思っていたところに連絡が来たので、ますます牟児津の頭が重たくなる。しかしここで無視すればより面倒な手段で連絡してきかねない。意を決して、牟児津は応答ボタンを押した。
「なに」
「あっ、出た!遅いですよ!瓜生田さんはすぐ出てくれたのに!」
「ムジツさんこんばんわ〜」
「はいはいこんばんわこんばんわ。なに」
「いえ別になにというわけではないのですが、もしかしたらお二人とも興味があるんじゃないかと思いまして、ちょっとした情報共有を。あ、先に言っておきますけど決して犯罪的なアレとかコレじゃないですからね!ちゃんと関係者の同意を得た上で行った正当なジャーナリスト活動ですから!」
「その前置きがもう怪しさ満点だよ」
「あんたが言うジャーナリストって都合が良すぎるから信用ならないんだよ」
「ぐへーっ!散・々!」
「うっさい切るぞ」
「ごめんなさい!切らないで!」
応じるや否や、益子のカンカン声がスマートフォンから部屋中に響き渡った。妙にテンションの高い益子に一抹の不安を抱きながらも、牟児津と瓜生田は益子の話を聞くことにした。わざわざ夜中に電話をかけてくるのだから、何かしら意味があるのだろう。
「実はですね。私、今日ムジツ先輩の弟さんと一緒にいた緑の少年にお話を聞きまして」
「はあっ!?なんで!?」
「帰る方向が同じだったんですよ、たまたま。本当にたまたまですからね?」
「念を押されると却って怪しいなあ」
「あんたとあの子は直接関係ないんだから話なんかできるわけないでしょ。どうやって近付いたの」
「同じ電車に乗ってたんですよ、例の子……遠藤風吏さんっていうんですけどね、風吏さんが駅で降りるときに落とし物をしたので、それを拾って届けてあげたんですよ。本当に偶然です。こんなことってあるんですねぇ」
益子の言うことが本当かどうか、二人には判断がつきかねた。事件やトラブルとあらばなんでもかんでも首を突っ込みたがる益子の性分を考えると、通学路で真尋と遠藤少年に興味を持って適当な理由をつけて近付いたという可能性も捨てきれない。それに、そんなに都合よく落とし物などするだろうか。二人は益子の話を黙って聞いていた。
「あれ?もしもーし?聞こえてますか?」
「聞こえてるよ」
「いや全然リアクションとかなかったので」
「あんたの言うこと一言一句聞き漏らさないようにしてんの。場合によっちゃあ週明けの新聞部の一面はあんたになるかも知れないからね」
「ひえーっ!本当に偶然なんですってば!」
「それで、落とし物を届けてあげてどうしたの?」
「ええ。その落とし物というのが重要なんですが、これがなんとですね、うちの大学病院の入館証だったんですよ」
「ん?病院?」
からかい半分、本気半分で牟児津が益子を脅す。もし益子が興味本位で小学生の後をつけたのだとしたら、それは新聞部どころか本物の新聞に載りかねない事案である。しかし、その後に益子が付け加えた情報で、牟児津と瓜生田の関心は、益子の付きまとい行為から遠藤少年の持ち物に移った。その気配を感じ取ったのか、益子はもう一段階声を高くして続けた。
「伊之泉杜学園の大学部って、医学系の学部だけ一駅隣にありますよね。風吏さんはそこで下車したので私も後を追ったんですよ。で、入館証を落として病院の受付でおろおろしてる彼に、親切で優しい益子お姉さんが落とし物を届けてあげたわけですね。その縁で、彼からお話を聞かせてもらったのです」
「ちょい待ち。なんで病院の前までついてってんの。入館証落としたのは電車ん中でしょ」
「……まあいいじゃないですか細かいことは」
「よかねーよ!」
「まあまあ。一旦最後まで話を聞いてあげようよ、ムジツさん」
「ありがとうございます瓜生田さん!ナイスアシスト!」
「通報はその後でもできるからさ」
「ごえーっ!」
話せば話すほど自分の立場を危ぶめていく益子を面白がって、瓜生田は全てを話すように促す。牟児津はひとつひとつ突っ込みたい気持ちを堪えて、そこから益子が話しきるまで口を挟まないことを決めた。
益子の話では、遠藤少年に入館証を届けた後、遠藤少年は病院の中へ入っていき、益子は待合室で帰りを待っていたらしい。そして、待合室に戻ってきた遠藤少年から色々と話を聞いた。そこで知った情報を二人に共有するために連絡したらしい。
「どうやら、風吏さんのお父さんがあそこに入院しているようなのです。それも数か月前から。で、風吏さんは毎日下校途中に病院へお見舞いに寄っていると。健気ないい子ですよね。それで近々お父さんが大きな手術を受けられて、その手術次第で今月退院できるかどうかが変わると。だから最近は授業にも集中できず、お父さんの心配ばかりしているそうです。なんとかしてあげたいと思いますよね?ですから私はジュースをおごってあげました。私にできるのはそれくらいですから。そしてまた礼儀正しい子なんですよ。ムジツ先輩の弟さんはいいお友達を持ってますよこれ」
「うん、もういいよ益子さん。だいたい分かったから」
本来の話からずれてきた頃合いで、瓜生田が益子のマシンガントークを止めた。要するに、真尋の友人であるところの遠藤少年は、父親が大学病院に入院しており、大きな手術を控えている。そして遠藤少年はそれが心配で気が気でない状態ということだ。それを聞いた瓜生田は、何か納得したようにふんふんと相槌を打っている。やはり真尋からそれに関するような話を聞いていたようだ。そして牟児津は、自分がどんなに頑張っても得られなかっただろう情報をあっさり手に入れてきたことで、改めて益子の情報収集能力の有用さを思い知ったのだった。
「まあヒロの友達が良い子だってのは良いんだけど、なんでそれを私らに話したいの。お父さんのこととか、めちゃくちゃ個人情報じゃん」
「ムジツ先輩の不安を少しでも和らげられるんじゃないかと思いまして。弟さんと風吏さんが、あの下校路で何をしていたかのヒントになりませんか?」
「ええ……う〜ん」
牟児津は、昨日と今日の下校路を思い返した。真尋も遠藤少年も、途中にある地蔵堂の前にしゃがみこみ、声をかけたら無言で走り去ってしまった。地蔵堂の前でしゃがみこんでいる理由は、益子の話を聞けばなんとなく想像がつくが、無言で逃げていく理由が分からない。家では喧嘩しつつもしゃべるので、無視をしているというよりあの場でしゃべることを避けているように思える。友達の前で恥ずかしいというのとも違う。それなら遠藤少年はしゃべれるはずだ。礼儀正しいというなら、あいさつのひとつもするだろう。
「わっかんねぇ……」
「ありゃ。さすがのムジツ先輩もまだ手掛かりが足りませんか」
「私はヒロが悪いことしてるわけじゃないならなんでもいいんだって」
二人が通学路で何をしているかは分からないが、それでも悪いことでないなら牟児津がこれ以上詮索する必要はない。その点については瓜生田のお墨付きであるから、信じていいだろう。
「ただでさえ妙ちくりんな事件に巻き込まれてんだから、これ以上の厄介事は御免だよ」
「そういえば大桜のポイ捨て事件もありましたね。その後いかがです?」
「イカがもタコがもないよ。ヒロのことが気になってそれどころじゃなかったっての」
「ムジツさんね、ヒロくんとケンカばっかしてるけど、本当はすごく心配してるんだよ」
「いいお姉さんですねえ。うらやましい」
「とにかくこの土日は誰がなんと言おうと休ませてもらうから。益子ちゃんも、大村さんからの呼出とか私に取り次がないでよね」
「ええ、もちろんです!この土日でゆっくり推理してください!その分、月曜日には華麗な推理劇を期待していますので!」
「休ませろっつってんの」
貴重な休みの日まで使って事件に関わるつもりなど、牟児津にはない。平和な学園生活が脅かされるというのなら、せめて平和な休日を過ごさせてほしいものだ。面倒な期待をかけてくる益子にそれだけ伝え、牟児津は通話を切った。部屋に響いていた声が止んで、夜の静かさが戻ってきた。牟児津はごちゃごちゃして重たくなった頭をすっきりさせるため、『淡月』に手を伸ばした。
「う〜ん……」
半分がビニール、半分が和紙でできた個性的な包みを開ける。やはりさっきカゴに入っていた『淡月』の数は、どう考えても少なすぎる、と牟児津は改めて思う。自分で食べたというのなら、この違和感は一体なんだろう。小さなもやもやが色々な形をとって頭の中に散らかるようだ。散らかると言えば、益子から送られてきたゴミの写真をまだ一度もちゃんと見ていなかった。
『淡月』を口に放り込み、牟児津はスマートフォンを開いて写真を開く。ポイ捨て現場の全体を写した写真、ひとつひとつのゴミにクローズアップした写真、妙なアングルから写した映え写真など、どれもこれもゴミの写真ばかりだ。こんなものを眺めて何が分かるのかと思いつつ、散らかった頭の中を仕分けていくように、牟児津は画面をスワイプし続けた。
「…………んん?」
めくってもめくってもゴミの写真ばかり。こうして見るとゴミと言えど撮り方によってはそれなりに写真映えするものだ、と関係ないことにまで思考が及んでしまうほど、牟児津は無心で写真を眺めていた。2秒見つめてスワイプ、2秒見つめてスワイプを繰り返していたその手が、ぴくりと反応する。何かを見つけた脳が、反射的に流れ作業を止めた。
「んん……んなバカな?」
益子から送られてきた写真のうちのたった一枚、それもピントを合わせているゴミの遥か後ろに見切れている、ピンぼけしたゴミの形。なんとなくの大きさと色ぐらいしか判別できないそのシルエットでも、牟児津の注意を惹くには十分だった。
そのゴミが何か、牟児津には心当たりがある。
〜〜〜〜〜〜
翌朝、牟児津は休日だというのに早起きした。とは言っても何かをするために早起きしたのではない。早起きした牟児津はひたすら部屋で聞き耳を立てて待機していた。二度寝してしまいそうになるのを堪えていると、やがて隣の部屋から真尋が起きてくる音がした。小学生は休日こそ早起きをする生き物だ。あっという間に顔を洗い朝食を摂って服を着替え荷支度を整えた真尋は、目を覚ましてから30分と経たずに家を飛び出した。
「いってきまーす!」
牟児津の部屋の窓から、家を出て駅の方へ走っていく真尋の姿が見えた。牟児津はこのために早起きしたのだ。普段だったらまだ寝ている時間なのだが、真尋が今日この休みに出掛けるであろうことを予想し、わざわざ貴重な睡眠時間を削ったのだ。
「行ったよ。よろしく」
駅に向かう真尋の姿を確認した後、牟児津はスマートフォンに語りかける。もちろんそれは電話をかけているのであり、電話の相手はこの手の情報収集に打って付けの知り合い、すなわち益子であった。
「ムジツ先輩は来ないんですか?」
「私は忙しいから、あんたに任せる。しっかり何してるか突き止めてきてよ!」
「昨日はあれだけ不審者扱いしたのに、都合がいいですね。まあこれも番記者の仕事ですから、精一杯やらせていただきますが!」
電話口の益子は、休日の早朝から牟児津に顎で使われているというのに、やけに張り切っている。益子が働けば働くほど、牟児津は新聞部で記事にされることを断れないという契約になっているのも理由の一つだが、単純に怪しげな事件に飛び込んで行くことにワクワクしているのだ。しかしそんなことは牟児津にとってどうでもよく、益子にしっかり尾行を頼んだ後、朝食をたらふく食べてベッドに潜り二度寝を始めた。
〜〜〜〜〜〜
益子家の最寄り駅は、学園から見て牟児津たちの家とは電車で逆方向にある。真尋が乗るであろう電車の時刻はすでに調べてある。牟児津の予想では、真尋は学園の最寄り駅に来るはずだ。益子は先回りして駅で真尋を待ち伏せするため、いつもの格好で家を飛び出した。
電車がやってくる時間ちょうどに駅に着き、普段より空いている休日の電車に飛び乗った。学園の最寄り駅までは10分ほどかかる。その間は特にやることがないので、なんとなく窓の外や乗客の様子を窺って暇を潰す。
「……おやっ」
ふと、車両の反対側に目を遣った益子は、見覚えのある少年の顔を見つけた。学園の制服ではなくTシャツに半ズボン、そしてリュックサックを背負って頭に帽子を被った遠藤少年が、ドアの窓から見える景色を眺めていた。その姿を見て声をかけようと思った次の瞬間、益子の
──彼の名前は遠藤風吏、小学6年生。ムジツ先輩の弟であるヒロさんのご学友でもある。こんな朝早い電車に小学生がひとりで乗るのはただ事ではない。遠方に行くような出で立ちには見えないから、おそらく友達と遊びにでも行くのだろう。ちょうど彼の友達であるヒロさんも電車で出掛けている最中……つまり彼らはこれから一緒に行動する可能性が高い!!であればここは話しかけずにこっそり尾行するのがベスト!!(0.03秒)──
というわけで、益子は声をかけるのを止め、遠藤少年をついでに尾行することにした。今回は牟児津からの依頼があってしていることなので、仮に問題になっても牟児津も巻き添えにできる。できたからと言って何も良くないのだが、益子にはそれがなんとも心強いことに感じた。
ほどなくして電車は学園の最寄り駅に着く。遠藤少年の事情を知っていた益子は、そのひとつ手前の駅で降りる可能性も考えていたが、それは杞憂に終わった。駅に着いた遠藤少年はスマートフォンを少し操作した後、ホームのベンチに腰掛けて一息吐いた。電話をしたわけではないなら、誰かにメールかチャットでもしたのだろう。
「きっとヒロさんに到着の連絡をしたんですね。ふむふむ……次に来るのがヒロさんの乗った電車だから、ホームでお迎えしようと。なんて礼儀正しい子なんでしょう。ますます好感が持てますね」
ホームに設置された自動販売機の陰から様子を窺いつつ、益子は遠藤少年の行動をメモ帳に記録していく。傍から見れば完全に事案なのだが、幸か不幸かホームにはほとんど人がおらず、そんな益子を咎める者はいなかった。
やがて反対側の電車が到着し、真尋が降車してきた。ぴったり遠藤少年が座るベンチの真正面のドアである。
「おろろ?なんでしょうかね……?」
果たして牟児津の予想通り、そして益子の見込み通り、真尋と遠藤少年は学園の最寄り駅で待ち合わせをしていた。休日に遊びに行くほど仲が良いのはいいことだが、顔を合わせた二人は一切言葉を交わさない。代わりにお互いが自分のスマートフォンを操作している。微かにチャットアプリの通知音がひたすら鳴り続けるのが聞こえる。どうやら二人とも、言葉を交わす代わりにチャットアプリで会話しているらしい。
「なんとこれは奇っ怪な!Z世代も来るところまで来たということですか……おっと」
この奇妙な行動をメモに記していると、二人は話すことを話し終えたのか移動し始めた。益子は慌てて、しかし二人に勘付かれないよう距離を取ってその後を追いかけた。改札を出て駅正面の商店街を通り抜け、大きな交差点を曲がって大通り沿いに歩いて行く。まさしく、毎朝通っている学園への道だ。二人とも学園に用があるのだろうか。
「初等部に部活はありませんし、制服じゃないから補講というわけでもなさそうですねっと」
休日の通学路を歩いて行く二人を遠巻きにつけながら、益子は逐一様子をメモに残す。お互いに一切言葉を発さず、わざわざ立ち止まってチャットをする以外に、二人の行動に不審な点は見つけられない。さすがにカメラを構えるのは周囲の目が憚られるので、風景を撮るように装って二人の様子を撮影する。まるで探偵にでもなったような気分だが、自分はあくまでジャーナリストだと、益子は自分に言い聞かせる。
「おやおや。学園までは……行かないようですね」
大通りから分岐する長く緩やかな坂道に、二人は入っていった。その先にあるのは学園の敷地だけだ。しかし二人はそのまま校門まで行くわけではなかった。通学路の途中に建っている、少々立派なお堂を構えたお地蔵様の前で立ち止まった。
そこで真尋は肩掛けカバンを、遠藤少年はリュックサックをそれぞれ開いた。中をまさぐって何かを取りだすと、それをお堂の中に供えた。通行の邪魔になっていないかをよく確認した後、二度礼をし、二度柏手を打ち、じっと固まった。昨日の下校中に牟児津たちと目撃した様子が、そこにそのまま再現された。
「お参りですか。お休みの日にこんなところまでお参りに来るとは……あのお地蔵さん、何か曰くありましたっけね?」
小学生がわざわざ友人と示し合わせてまでお参りに来るほど、ここのお地蔵様は有名なわけではない。学園生ならば存在は知ってはいるだろうが、特別ここでなければならない理由が益子には分からなかった。しかし何にせよ、二人が休日に家を出た理由はこれで分かった。牟児津からの指示では、目的地の様子もきちんと写真に撮って来るようにとのことだったので、益子は電柱の陰からこっそり写真を撮った。
「こりゃあ、いよいよ不審者ですよ。もし捕まったら、ムジツ先輩にきっちり庇ってもらわないといけませんね。およっ」
益子は冷静に自分の行いを振り返って、その怪しさに自分で笑えてきた。牟児津が弟を心配する気持ちは分からなくもないが、ここまでするほどのことだったのだろうかと、今更ながら使い走られたことにため息が漏れた。そうして油断した隙に、お参りを終えた真尋と遠藤少年が坂道を下って近付いて来ていた。とっさに電柱を利用して身を隠し、去って行く二人の背中を見送った。
「ふう。危ないところでした。さてと、いちおうお堂の写真も撮っておきましょうか。ムジツ先輩ったら心配症なんですからもう」
益子は地蔵堂の正面に回り込み、その中がよく見えるように低い位置でカメラを構えた。お堂の奥に佇むお地蔵様は柔らかな微笑みを湛え、手前にはたったいま二人の少年が供えたものがちょんと鎮座していた。ひとつはぷっくりと膨らんで食欲をくすぐる色をしたミカン。もう一つは清涼感たっぷりの上品な包みが特徴的な和菓子だった。益子の指がシャッターを押し込み、その光景をしっかりと捉えた。
〜〜〜〜〜〜
「というようなわけで、それから後は普通に友達と遊ぶ小学生という感じでしたね」
「ふーん、なるほど」
「ふーんって、ムジツ先輩がつけてこいって言ったんじゃないですか!もっとリアクションしてくださいよ!」
その日の夕方、益子は一日真尋を追跡した結果の報告を牟児津にしていた。それを聞いていた牟児津は、益子から送られてきた弟の一日を追い続けた写真を眺めつつ思考を巡らせていた。自分の弟の隠し撮り写真なんか欲しくもないが、その中に望んだ一枚はしっかり含まれていた。
「なるほどね。これがあるってことは……つまりそういうことか」
「なにがそういうことなんですか?」
「……でも、そっから先は……ううん」
「ムジツ先輩?もしもーし!」
益子の声など聞こえないほど、牟児津は頭を全力で回転させていた。今日の益子が撮った写真は決定的だ。これで抱えていた謎のほとんどは解明されたと言っていい。しかし、根本的な謎がまだ残っている。真尋の行動を追跡するだけでは、全てを明らかにすることはできなかった。
牟児津は、いま自分が解決すべき事件について思い出す。高等部の敷地の真ん中に立つ大桜。その根元に散らかる大量のゴミ。朝昼夕を問わず常に捨てられ続け、授業中監視を続けてもその姿は見つけられなかった。大村によれば1ヶ月ほど前からそれは続いている。外部から人が立ち入ったわけでもない。大桜の下には……ベンチになるほどの根。大人10人でも囲みきれない巨大な幹。茂った葉と咲き誇る花、巡る季節と生命の営みをその身に引き受ける大樹。
「……可能性が、あるとすれば」
「はい?」
「益子ちゃん。大村さんの連絡先知ってるよね?」
「めぐるんですか?もちろん知ってますよ……おっ?もしかして、分かったんですか?大桜連続ポイ捨て事件の犯人!」
期待の高まりにつられて益子の声が大きくなる。しかしいまの牟児津は、その程度では思考が乱れないほど集中していた。忘れないように自分の推理をメモに残し、最後に益子に告げた。
「……明日、それを確かめる。みんなで大桜まで行くよ」
興奮した益子に、関係者を同じ時間に集めるよう指示を出して、牟児津は電話を切った。そして明日に備え、牟児津は事件解決に必要な準備をして、ベッドに入った。
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