その5:図書館蔵書持ち去り事件

第1話「ぐうの音も出ない!!」


 ──ねえ。もし自分の運命を知ることができたら、どうする?


 「なんで……?なんでそんなひどいこと言うんですか!?」

 「事実でしょ。私はもう、終わりにしなくちゃいけないの。こんなこと」


 ──『運命辞典』って知ってる?この学園のどこかにあるんだって。

 ──そこにはね、その人の運命が書かれてるの。いつどこで生まれて、いつ誰と結ばれて……いつどうやって死ぬかまで。


 「止めはしない。ただ、その選択を後悔しないようにすることだ」

 「ど、どうして……止めないんですか……!?どうして……!」


 ──『運命辞典』は絶対なんだよ。破っても燃やしても、そこに書いてある運命は変えられない。だってそれは運命だから。


 「いずれこうなるだろうと思っていた。私たちは、こうなる運命だったのさ」

 「運命って……バカなこと、言わないでください」


 ──だから、もし『運命辞典』を見つけても、開けない方がいいよ。だって自分の運命のすべてを知って生きてくのって……。


 「それじゃあね。私たちは、楽しかったよ」

 「……」


 ──死んでるようなものじゃない?


 「さようなら」



 〜〜〜〜〜〜



 牟児津むじつ 真白ましろは縮こまっていた。額に汗がにじみ激しく目が泳ぐ。これは牟児津の悪癖のひとつだ。人に見つめられることが苦手な牟児津にとって、真正面から人と相対することはもはや苦痛だ。自分が責められている状況なら、なおさらである。

 むんとした表情で牟児津を見下ろすのは、牟児津とは十年来の幼馴染みである瓜生田うりゅうだ 李下りかだ。日頃浮かべている間の抜けた微笑みはそこになく、真一文字に結んだ口と逆八の字に傾いた眉で、分かりやすく怒りの表情をしていた。同年代と比べ抜きんでて高い背が、今の牟児津にはさらに大きく感じられる。そして今日はいつもの格好に加えて、左肩に黄色の腕章をつけていた。


 「……う、うりゅ?なに、怒ってんの?」

 「むん」

 「そ、そんなに怖い顔しないでよ。あ、ようかん食べる?」

 「むんん」

 「ひぃ……」


 携帯ようかんが余計に機嫌を損ねさせたのか、瓜生田はいっそう眉に角度をつける。人の眉はここまで急角度になるのか、と牟児津はどうでもいいことが気になった。ある種の現実逃避かも知れない。そうやって油断していたので、瓜生田がいきなり口を開いたことに驚いてしまった。


 「あのね、ムジツさん」

 「っ!ひゃいっ!」

 「3ヶ月前から、図書室の本が借りっぱなしになってるんだ」

 「ほぇ……本?」

 「それも、ムジツさんの名前で」

 「……な、なんで?」

 「それが分からないから、こうして聞きに来てるんじゃない。知ってることは?」

 「な、なんも知らない、です……」

 「本当に?」

 「本当に本当!私が図書室なんて行く人間に見える!?」


 瓜生田はじっと牟児津の顔を見つめる。自分の潔白を叫ぶ牟児津の目には、縋りつくような必死さが浮かんでいた。ウソを吐いているようには見えないし、記憶が曖昧なわけでもなさそうだ。はっきりと自分の無実を確信した上で、牟児津は瓜生田に訴えていた。

 瓜生田は、ひとつため息を吐いて表情を緩ませた。風船がしぼむように、牟児津が感じていた威圧感も同時に消え去っていく。


 「だよねえ。困ったなあ」

 「な、なに……?どしたの?」

 「いや、私もムジツさんが本を持って行っちゃったなんて思ってないけど、万が一ムジツさんが犯人だったら叱らなくちゃと思ってたら……なんか緊張しちゃって」

 「あれが緊張……?」


 風紀委員の取り調べでも緊張していなかった瓜生田が、まさか自分に対して緊張するなど、牟児津には考えられなかった。そして瓜生田が緊張すると、妙な威圧感をかもし出すということも、このとき初めて知った。傍迷惑なものだと呆れもした。


 「でもね、本当にムジツさんの名前で、3ヶ月前に本が借りられてるんだよ。直接は知らなくても、何か心当たりとかない?」

 「心当たりっつってもなあ……ううん」

 「取りあえず一緒に図書室に来てよ。私も仕事あるし」

 「どっちみちうりゅが帰る時間まで待つけどさ……図書委員って何時に終わるの」

 「図書室の閉館が17時で、そのあと掃除と片付けに30分くらいかな」


 牟児津は時計を見た。あと1時間と少しくらいである。自分への疑いは晴れたのだから、瓜生田の仕事が終わるくらいに帰れるだろう、と考え、瓜生田に従って図書室へ向かった。



 〜〜〜〜〜〜



 図書委員の主な仕事は学園図書室の管理・運営業務である。大学部に本館を置く伊之泉杜学園図書館は、全国の私立校でも有数の蔵書数を誇る、伊之泉杜学園の自慢の一つであった。瓜生田ら高等部生が担当しているのは、図書館の高等部分室である。


 「阿丹部あにべ先輩、糸氏いとうじ先輩。ムジツさんを連れてきましたあ」


 図書室の手前にある図書準備室のドアをノックしてから開け、瓜生田は中にいる二人に声をかけた。

 阿丹部あにべ 沙兎さとは、ワゴンに乗せた本を棚に戻している途中であった。紫紺色の髪を耳の下まで伸ばした猫背の生徒だ。毛先にクセがあるせいで首の周りだけ髪が膨らんでいる。フリルのついたヘアバンドや首から下げた数珠のような首飾り、木製の四角いイヤリングなど、かなり奇抜に着飾っている。

 糸氏いとうじ 斗々ととは、本に積もった埃をはたきで払っていた。薄暗い図書準備室でも白く光る分厚い丸眼鏡をかけた、センター分けのひょろ長い生徒だった。スカートの下にストッキングを履いており、眼鏡の隙間から覗く切れ長の目と長いまつ毛が印象的だった。


 「ご苦労様。その子が牟児津さん?」


 暗がりの奥から、糸氏が眼鏡を光らせて応じた。


 「はい。今日の仕事が終わるまで、取りあえず思い出したことがあったら教えてもらおうと思って」

 「そうなんだ。うん、いいと思うよ。待っててね、イスとお茶用意するから」


 本の日焼けを防ぐため、図書準備室は常にブラインドが閉められている。作業するときはミニテーブルに設置された電気スタンドを点けるのだが、今はそこに牟児津を座らせて、阿丹部がポットとティーカップを持ってきてお茶を出した。


 「本当は飲食禁止なんだけど……でも、李下のお客さんだから、特別にね」

 「あ、いえ、はあ、すんません……ども……」


 牟児津は初対面の阿丹部に緊張して、ティーカップに紅茶を注ぐ阿丹部の手元に視線を注ぐ。阿丹部は阿丹部でカップに集中しているのか、牟児津の方を一切見ようとしない。お互いに相手から目を逸らしているようだった。


 「じゃあ……まあ、飲みながらでいいから、いくつか聞いてもいい?」

 「私が聞こうか?沙兎は……あんまり得意じゃないだろう」

 「ああ……すみません」

 「だったら私が聞きますよ。ムジツさんは初対面の人が苦手なんです。阿丹部先輩ほどじゃないですけど」

 「んん……なんかごめんね、李下」


 どうやら阿丹部は、派手に着飾っている割になかなか奥手らしい。ろくに目も合わせられないのは牟児津も同じなので、少しだけ親近感が湧いた。阿丹部と交代して、瓜生田が牟児津の前に座る。薄暗い部屋で電気スタンドの灯りに顔を照らされて、古い警察ドラマの取り調ベシーンを彷彿とさせるシチュエーションだった。


 「全部吐いて楽になっちゃいなよ」

 「言いたいだけだろそれ!私はやってないんだってば!」

 「ムジツさんは、ここ3ヶ月で図書室に来た覚えはある?」

 「授業以外では来ないなあ」

 「お二人とも、ムジツさんみたいのが来たら目立つから、見てたら覚えてそうですけど?」

 「みたいのってなんだ」

 「うちに赤い髪の人は少ないから。どうですか糸氏先輩」

 「ふぅん、私はカウンターにいるときはだいたいぼうっとしているから……分からないなあ」

 「そうですか。残念」

 「それでいいのか図書委員」


 牟児津は図書室にめったに来ないから分からないが、図書委員としてカウンターにいるのだから何かしらの仕事があるはずだ。来た生徒の顔を覚えていないのはまだしも、ぼうっとしているなどそんな明け透けに言っていいのだろうか。当の糸氏は、変わらず眼鏡を光らせてきりっとした表情を崩さない。真面目なのか抜けているのか分からない。


 「というか、本を借りるときに本人確認くらいするんじゃないの?」

 「昔はそうだったみたいだけど、今は自動貸出機があるから、人と顔を合わせなくても、貸出も返却も、取り寄せもできたりするの。すっごく……便利だよね」

 「へ?そうなの?」

 「それでも学生カードが必要だけどね。入学したときにもらったでしょ?あれについてる二次元バーコードを読み取って、いつ誰が何を借りたのか、パソコンで確認できるようになってるの」

 「ほえ〜、図書委員もハイテク化してるんだなあ」

 「だからね。ムジツさんの名前で本が借りられてるってことは、少なくともムジツさんの学生カードが使われたってことになるんだよ」

 「うぬん……でも、私は本当に借りてないんだよ……」

 「記録を見てみたらどうだ?何か思い出すかも知れない」


 学生カードは、伊之泉杜学園の生徒がひとり一枚持っている身分証明書のことだ。氏名や生年月日や顔写真のほか、学園が個人情報にアクセスするための二次元バーコードも記載されている。個人情報満載な上に、再発行に時間もお金もかかるので、多くの生徒は貴重品と一緒に肌身離さず持っている。故に、学生カードを使用する自動貸出機の記録は信頼できるものなのだった。

 牟児津は図書室のカウンター内に移動し、そこで貸出の記録を確認することにした。パソコンの操作は図書委員しかできないので、瓜生田がマウスを握った。


 「これが、期限超過の未返却本をチェックするシステム。うちは貸出期間が最長1ヶ月だから、毎月これで、返ってきてない本を調べるの。ここに今日の日付を入れると……ほら出た」

 「真っ赤!」

 「赤いところが期限超過してる本ね。ここにほら、ムジツさんの名前があるでしょ」


 瓜生田の指した箇所には、確かに牟児津の名前がある。そして借りた本のタイトルは、『伊之泉杜学園史』──伊之泉杜学園の創立から現在までの歴史をまとめた本である。


 「こんなん、私が借りるわけないじゃん……」

 「私もそう思ったけど、実際ムジツさんの名前で借りられてるし」

 「何か思い出したことはない?学生カードを人に貸したとか」

 「いやあ、貸した覚えは……あっ」


 牟児津はあることを思い出した。図書室を訪れた記憶は相変わらずない。学生カードを他人に貸すなど、この学園では家のカギを他人に渡すようなものだ。あり得ない。だが、他人が牟児津の学生カードを使用できた心当たりなら、牟児津にはあった。


 「そういえば、私3ヶ月くらい前に学生カード失くしたわ」

 「ウ、ウソ!?カードなくしたって……!?それ、めちゃくちゃ大変……だよ?」

 「いや、もう返ってきてるんですよ。ホームルームのときにつばセンが持ってきてくれて」

 「詳しく聞かせて」


 学生カードの紛失は、学園生にとって一大事である。にもかかわらず、牟児津はなんでもないことのように話す。阿丹部も糸氏も、その話を初めて聞いた瓜生田も、牟児津を呆れた目で見た。それに気付かないまま牟児津は、少しおぼろげな記憶をたどり始めた。


 「なんかつばセンの話だと、落とし物として届けられてたんだって。いつ落としたのか分かんないんだけど、つばセンのとこまで回ってきたから、ホームルームのときに返すつもりで一旦預かってたらしいよ。もう落とすなよってめっちゃ言われたから覚えてる」

 「……妙だね」

 「な、なにがですか?」

 「学生カードには名前も生年月日も顔写真もある。牟児津さんと同じ学年の生徒に聞けば簡単に本人を捜し出せるはずだ。なんで直接届けずに、落とし物として届けたんだろう?」

 「ああ……確かにそうですね」

 「ねえねえムジツさん、糸氏先輩にお株を奪われちゃうよ」

 「何の話だ」

 「はいはーい、糸氏先輩。もしその拾い主がムジツさんのカードで本を借りてたら、ムジツさんに直接返さないと思いまーす」

 「なるほど。一理あるね」

 「でも李下、それって結構重大な校則違反になるんだけど……?」

 「そうですね。あとその場合、貸した方も罪に問われる可能性があったりして」

 「え゛」


 瓜生田の発言で、牟児津の頭に鬼の風紀委員長の顔が浮かんだ。想像するだけで体が震えるほど、牟児津は彼女が苦手だった。あの鬼に追われることになるのは、牟児津にとって最悪な未来予想図だった。それだけはなんとしても避けたい。


 「や、やだようりゅ!なんで私が校則違反したことになんの!?違うって!本なんか借りてないし誰にもカード貸してないよ!」

 「ど、どうしたの牟児津さん。そんなに慌てて」

 「ムジツさんはここ最近、風紀委員に色々とお世話になってるんです」

 「常習犯ってこと?」

 「言い方が悪い!世話になんかなってない!むしろ嫌いだ!すぐ私を捕まえようとする!」

 「やっぱり常習犯ってことじゃないの?」

 「ぎゃーっ!!スマホ出した!!やめて〜!!通報しないで〜!!」

 「静かにしなさい。ここ図書室だよ」


 機械に記録されている以上、少なくとも牟児津のカードが利用されていることは確実だ。本人が使っていないなら、紛失したタイミングで他人に使われている可能性が濃厚だ。牟児津自身が罪に問われるかどうかは分からないが、校則違反に関わっているなら放ってはおけない。


 「取りあえず、大眉おおまゆ先生に聞いてみたら?学生カードの落とし物なんて滅多にないし、たぶん覚えてるんじゃない?」

 「そんなんで犯人分かるのかなあ」

 「ムジツさんのカードが使われたのは確実なんだから、戻ってきた経路を逆にたどれば、持ち去り犯が突き止められるかも知れないよ。それに、今はそれしか手がかりがないんだから」

 「李下も行って来たら?ここは私がやっておくからさ」

 「え。でも糸氏先輩、今日当番じゃないですよね。ムジツさんの顔を確認してもらうためにお呼びしただけなんですから、そこまでしてもらわなくても」

 「いいのいいの。内部進学組はこの時期もヒマなんだから」

 「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」


 牟児津ひとりだけでは不安だと、初対面の糸氏もなんとなく感じ取ったのだろう。厚意から瓜生田に付添いを勧め、残っていた図書委員の仕事を請け負った。瓜生田は自分の腕章を外して糸氏に貸し、パソコンの画面を写真に撮って日付や本の名前を控え、聞き込みに行く準備を整えた。牟児津は、また面倒なことに巻き込まれてしまった憂いをため息に乗せて吐いた。


 「それじゃあ行ってきまあす。ひと段落したら報告に戻ってきますね」

 「二人とも、なるべく早く帰ってきてね。もう糸氏先輩ぼうっとしてるから」

 「おい、やる気ないぞあの人」

 「ゆるいのが図書委員の味だから。さ、大眉先生のところまでレッツゴー」

 「お〜」


 牟児津は極めて気が乗らないが、自分の学生カードが他人に利用されたとあってはやるしかない。このまま大眉に話を聞いて解決すればいい、と、あり得るはずもない展開に一縷の望みをかけて、牟児津は職員室に向かった。



 〜〜〜〜〜〜



 放課後の職員室では、教師が自分の机で各自の仕事に励んでいた。響き渡る電話のコール音、扉を開けると漂うコーヒーの匂い、せわしなく動き回る大人たち。牟児津たちにはまだ縁遠い、『職場』という雰囲気がその部屋には満ちていた。

 大眉おおまゆ つばさのデスクは入口そばだ。コーヒーを片手に、書類の山の隙間でパソコンと向かい合っていた。


 「っすー、つばセン。今いい?」


 牟児津に声をかけられた大眉は小さく肩を跳ねさせた。牟児津の無礼な挨拶に驚いたのではなく、牟児津と常に一緒にいるであろう瓜生田の気配を感じて驚いたのだ。大眉は、瓜生田に弱かった。


 「あのなあ牟児津。職員室入るときはノックして失礼しますだろ。あと、職員室では敬語だ。もう高2だろ。子どもじゃないんだからしっかりしろよ」

 「私とつばセンの仲じゃん、細かいこと気にしない気にしない」

 「人見知りのお前が、普段できてないのに初対面の人相手にちゃんとした礼儀を尽くせるわけないだろ」

 「うん。まさに今そんな場面を見てきましたよ」

 「うりゅ余計なこと言うなし!」

 「ああ……やっぱ瓜生田もいるんだ」

 「すみませんね、います」

 「いや別にいいんだけど……で、今日はどうした?」


 牟児津と瓜生田にとって大層は、また大眉にとって牟児津と瓜生田は、他の生徒や教師とは少し違う関係性になりつつあった。特に瓜生田と大眉は、瓜生田の姉である瓜生田うりゅうだ 李子りこを巡って、瓜生田が一方的に大眉の弱みを握っている状態だった。それを利用して事件の解決を手伝わせたりできる、便利な協力者なのだ。

 二人がそろって大眉を訪ねてくるときは、たいてい碌でもないことに巻き込まれているか、これから巻き起こるかのどちらかだ。その結果、牟児津の身に危険が迫ったこともあるので、大眉としても見過ごしておけない。いちおう話を聞くことにした。


 「あのさ、3ヶ月くらい前に、つばセンが私の学生カード返してくれたときあったじゃん?」

 「ああ。あったな。えっ、まさかまた失くした?」

 「違う違う。あのとき私のカードが落とし物として届けられたって言ってたなあと思って、だれが届けたのか覚えてる?」

 「……なんでそんなこと、今さら知りたいんだ?」

 「へ」

 「3日前の授業の内容もちゃんと覚えてないくせに、3ヶ月前の落とし物のことなんてお前が覚えてるわけないだろ。なんでいきなりそんなこと知りたがるんだ。またなんかあったんだろ」

 「あちゃあ。大眉先生、結構鋭いですね」

 「くっ、正直ナメてた……」

 「そういうの本人の前で言うなよ」


 牟児津だけでなく瓜生田も、落とし物の情報くらいすんなり教えてくれると思っていた。しかし、これまで牟児津が巻き込まれた事件に2度も関わり、うち1回では危険な場面に出くわしたのだ。すんなりと情報を与えるには、牟児津と瓜生田の周りでは何が起こるか分からなさすぎて危険だ。

 とはいえ牟児津は牟児津で、図書室で見聞きしたことをそのまますべて話してしまうわけにはいかない。学生カードの紛失で済んでいた話が不正利用にまで発展してしまえば、不正利用した犯人だけでなく牟児津まで風紀委員の世話になる可能性が出てくる。大眉にバレれば間違いなく風紀委員にも話が行くので、ここで止めておくしかなかった。


 「まあ、何もないわけじゃないですけど……絶対にご迷惑はおかけしないので、取りあえず教えてもらえませんか?

 「うっ……!?」

 「?」


 牟児津の後ろから、瓜生田が手を合わせてお願いするポーズをとる。だが、最後に付け加えた言葉で、大眉はその真意を汲み取った。瓜生田は牟児津と違い礼儀がなっている生徒なので、教師のことを下の名前で呼ぶことはまずない。しかし大眉に限って言えば、瓜生田の姉の恋人、ひいては将来の義兄にあたるということで、その関係性を強調するときは下の名前で呼ぶようにしていた。

 要するに瓜生田が大眉を下の名前で呼ぶのは、姉にあることないこと吹き込まれたくなければ言うことを聞け、という脅し文句に等しい。模範生である瓜生田が、唯一教師に牙を剥く瞬間である。大眉には、そのときの瓜生田の頭には角が生えているように見える。


 「ね?お願いします。穏便に済ませたいでしょう?」

 「くうっ……!穏便じゃない頼み方してるくせに……!」

 「教えてくれないんですか?」

 「教えざるを得ないだろ!」

 「わあい。ありがとうございます、。やったねムジツさん」

 「え?お、おおう。やったやった!なんでだろ!」


 瓜生田と大眉の関係を、牟児津は知らない。隠しているのではなく、なんとなく話すタイミングがないまま現在に至っているのだ。牟児津にしてみれば、大眉は瓜生田の言うことだけは素直に受け入れているように見えるのだった。だからといって、そこに特別な関係があるとは思わない。単純に瓜生田が成績優秀な生徒だからだろう、と的外れな結論で納得している。


 「そんで、誰が私の学生カード持ってきたの?」

 「いや……落とし物は普通、警備室で保管してるんだぞ。職員室に持ってきても警備室に持って行くように伝える」

 「え、そうなの?」

 「確実に持ち主が分かってて、授業とかホームルームで直接本人に渡せる場合は受け取るし、警備室から返却するよう依頼されるな。で、牟児津の学生カードは警備室から回ってきたんだ」

 「じゃあつばセンに聞いても意味ないじゃん!早く言ってよ!」

 「お前らがなんか隠してるからだろ!」

 「まあまあ。ともかく次に行くところが決まったじゃない。大眉先生、ありがとうございました」

 「あっ、こら!何するつもりか教えろ!」

 「図書委員の仕事です〜!」


 必要な手掛かりを手に入れたら、瓜生田は牟児津を抱えてさっさと職員室から出て行ってしまった。何を考えているか分からない二人に大眉の心配と不安は募るばかりだ。しかしいくら二人のことが心配でも、大眉は目の前の仕事をしなければならない。結局その日は牟児津たちの訪問で余計な心配が増えたため、思うように仕事を進められなかった。



 〜〜〜〜〜〜



 牟児津と瓜生田は、大眉から得た手掛かりを頼りに警備室を訪れた。放課後の時間帯、警備室には中瀬なかせ 虎雄とらおという中年の警備員と、そく 篤琉あつるという青年の警備員がいる。中瀬はいつも警備室の窓口前に座って、学園新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる、恰幅の良い男だった。今日もその場所で学園新聞を読んでいた。


 「中瀬さん。こんにちわあ」

 「おっ、来たな。名探偵コンビ」

 「なんですかそれ」

 「学園新聞に書いてあるよ。色々な事件を解決して回ってる二人組がいるって。名前は書いてないけど、僕はピンと来たね。黒板を消しちゃったあの子たちだって」

 「消してないって言ってるのに」

 「てかそれ書いたの益子ちゃんだろ!やろ〜!また勝手にそんな書き方しやがって!」

 「で、今日はどうしたの。また来校者帳簿でも見る?それともカギ帳簿?」

 「楽しそうですね。こっちはえらい目に遭ってるっつーのに」

 「この時間帯は来客もなくてひま……もとい、ゆっくりできるからね。なんでも見てってよ」

 「馴染みの店か」

 「じゃあ拾得物預り帳簿を見せてもらえますか?3ヶ月前のなんですけど」

 「よしきた」


 すっかり顔馴染みになった二人を温かく迎え、中瀬は自ら帳簿を探しに部屋の奥に引っ込んだ。3ヶ月前の帳簿が残っているか少し不安だったが、どうやら中瀬には心当たりがあるらしい。少し待つと、薄いファイルを持った中瀬が戻ってきた。拾得物預り帳簿は使われることが少ないので、数ヶ月分が1冊にまとまっているらしい。3ヶ月前の帳簿も、きちんと残っていた。


 「学生カード……あっ!あった!……へぁん?」」


 帳簿には、落とし物と届け主、届けた日と拾った場所等を記録する欄があった。落とし物欄に書かれた学生カードの文字を発見し、届け主の名前を確認する。名前の欄にははっきり、“黒縁眼鏡 黒マント”と書かれていた。牟児津の口から間の抜けた声が出た。


 「なんですかこれ?名前が書いてないじゃないですか」

 「ああ、これね。このときね、届け主の子が帳簿を書く前にいなくなっちゃったんだよ」

 「はあ?なんじゃそりゃ?」

 「落とし物です、としか言わなかったから名前も分からないし。まああれだ、名乗る程の者じゃありません、ってことだよ。たぶん」

 「これはその人の特徴ですか?」

 「うん。いちおうね。もし必要になったらと思って書いておいたんだ。まさか本当に必要になるとは思わなかったけど」

 「名前くらい聞いといてよ!学生カードなんて他人に拾われたら何されるか分かんないじゃん!」

 「いや落とさないようにしなよ」

 「んんおぉ〜〜〜!!ぐうの音も出ない!!」

 「一撃で論破されるんだから言わなきゃいいのに」


 瓜生田は考える。大眉から話を聞いたときは、必ずしも学生カードの届け主が犯人だとは思っていなかった。むしろ、不要になったカードを律義に届ける理由など、犯人にはないはずだ。しかし中瀬の話を聞く限り、その届け主の行動は実に怪しい。本当に犯人か、何か他の理由があるのか。いずれにせよ、その人物には話を聞かなければならないだろう。


 「黒縁眼鏡はともかく、マントって肩にかけるあれですか?」

 「そうそう。あ、でも短かったなあ。胸とか肘くらいの高さまでしかなかったよ」

 「マントっていうよりケープですね。他に何か特徴はありませんでしたか?」

 「すぐにいなくなっちゃったから、覚えてるのはこれぐらいかな。こういう格好の子はあんまり見たことないから、捜せば見つかるんじゃない?」

 「だってさ、ムジツさん。今日はもう帰ってる人もいるから、明日の朝とかに捜してみようか」

 「足使うしかないんか……結局……」


 中瀬への聞き込みで得た情報を、瓜生田がメモに取る。犯人の特定には至らなかったが、大きな手掛かりを得ることができた。これだけ情報があれば届け主までたどり着くことも難しくない。気付けばずいぶん時間が経っていたので、瓜生田は一旦図書室に戻ることを提案した。手がかりを得たにもかかわらず、牟児津は沈んだ顔をしていた。


 「ま〜た長引きそうだこれ……」


 不吉な予感がしたのか、うんざりした様子でぼやくのだった。



 〜〜〜〜〜〜



 「あっ李下。おかえり。どうだった?」

 「どうもです。ぼちぼちってとこですね」


 二人が図書室に戻ると、阿丹部が気付いて声をかけた。糸氏は相変わらずぼうっとして、図書室の天井付近を眺めて口を半開きにしていた。阿丹部は今日の分の委員会活動日誌を書いているようだ。そろそろ閉館時刻である。


 「やっぱり不正利用の可能性が高いですね。ムジツさんの名前で本を借りた人の名前までは分かりませんでした。でも手掛かりはばっちりです」

 「そう……まあ、よかったね」

 「まだぼうっとしてるよこの人。生きてんのか?」

 「イタズラしちゃダメだよムジツさん。それより阿丹部先輩、不正利用者の手掛かりです。犯人は黒縁眼鏡をかけていて、肩から黒いケープを羽織っているようです。思い当たる人はいますか?」

 「ケ、ケープ?……え、ええと……ちょっと、分かんないなあ」

 「ケー……プ……?ケー……ぶわっ!思い出した!」

 「おぎゃあっ!?」

 「わっ、突然」


 ぼうっとしていた糸氏が、犯人の特徴を聞いて声をあげた。ぴくりとも動かない状態から急に跳び上がったので、間近で顔を覗き込んでいた牟児津は驚いてひっくり返ってしまった。そんな牟児津には気付いていないようで、糸氏は何かを思い返そうと、視線を上へ投げていた。


 「黒いケープを羽織った黒縁眼鏡の生徒……うん、覚えてる。この日だったかは分からないが、図書室で見かけたことがある」

 「マジすか!?な、名前とか分かりません!?」

 「名前は分からない。けど確か、学年色のリボンが……ピンク色だったと思う」

 「じゃあ1年生だ!でもって、うりゅに心当たりがないなら、Aクラス以外だ!」

 「おお。一気に絞られたね」


 糸氏の記憶を信じるならば、候補となる学年とクラスがぐんと減った。ケープを羽織った生徒など何人もいるとは思えないので、おそらく糸氏の記憶にあるその生徒が、牟児津の学生カードの届け主で間違いないだろう。一気に事件解決に近づいた気がして、牟児津は興奮気味になる。

 あとはその人物を突き止めて、借りた本を返させればいいだけだ。簡単なことじゃないか。明日の朝には解決しそうだ。一時はどうなることかと思ったが、これで穏やかな週末を過ごすことができる。牟児津はそう考えて安堵し、それ以上考えることをやめた。

 犯人がなぜ、他人のカードを使ってまで本を借りたのか。その理由が一切謎のままであることなど、牟児津も瓜生田も、そのときは全く気付いていなかった。

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