第4話「ひどい顔してるよ」
「もういいだろう」
短く、冷たい言い方だった。その声は、私が意味を理解するより先に、胸を強く締めつけた。
「もういいって、なにが?」
「いつまでもオカルトの話ばかりしていたら、みんなに気味悪がられるぞ」
「……ど、どうして?みんな気持ち悪いなんて思ってないよ」
イヤな感じだった。頭を支配した悪い予感を振り払おうとして声が大きくなる。私の肩に、後ろから手が置かれた。ねっとりとへばり付くようで気持ち悪い。
「いい友達を持ったわね。でも、ありもしない話ばかりしてても、お友達も退屈でしょう?それにね、これからもそんな人ばかりとは限らないのよ」
「なんで……なんで急にそんなこと言うの……?」
「もう高2だろ。子どもじゃないんだからしっかりしろ。いつまでもそんな話ばかりしてないで現実のことを考えなさい」
「そうよ。将来のこととか、きちんと考えているの?」
今まで感じたことのない感覚だった。自分の全てが否定されているような、地面が音を立てて崩れていくような、信頼していたものが失われてしまった……そんな絶望感。
「なんで……?」
言葉を絞り出した。それに引きずられるようにして、湧き上がってくる感情が言葉になって吐き出される。
「なんでそんなこと言うの……!?いきなりそんなこと言われても……分かんないよ……!パパもママも、ずっと私の話聞いてくれてたじゃん!どうして急にそんなこと言うの!?オカルトが好きじゃいけないの!?みんながどう思ってるかじゃないでしょ!?パパとママが気持ち悪いから止めてって言えばいいじゃん!どうして好きな気持ちを否定されなくちゃいけないの!?好きなものを好きって言うのがそんなにいけないこと!?だったら私の気持ちはどうなるのッ!!」
気が付いたら、私は部屋に閉じこもっていた。泣いて、喚いて、怒って、叫んだ。自分の趣味が人と違うことなんて、自分が一番よく分かってる。それでも、二人は私の話を笑って聞いてくれてた。友達だってそうだ。だけど……もし、二人の言うとおりだったら……?友達もみんな、本当は心の中で私のことを気持ち悪いって思ってたら……?
私はただ……オカルトが好きなだけなのに。
〜〜〜〜〜〜
週明けの月曜日が訪れる。牟児津はいつもの朝と同じように、身支度を整えて玄関を出た。普段は重く感じる学園へ向かう足が、今日は輪をかけて重く感じられた。
土曜の夜、瓜生田と益子と通話しながら啖呵を切った手前、今日は絶対に“ササカ”の正体を暴き、事態を解決させなくてはならない。ここ最近、推理して人を追い詰めるときはその場のテンションで押し通しているが、今回はがっつり組み立てて一晩寝かせた論理をぶつけることになる。準備した分、緊張も一入だった。
「ムジツさん、おはよう。顔青いけど大丈夫?」
「だ、だだだ、だいじょうぶなわけない……!ああもう、くそっ。なんでこんなこと……!」
「ムジツさんが言ったんじゃない」
「そうだけど……普通に月曜日のテンションでやるのは無理がある……!」
「どっちにしろ、辺杁さんは今日、『運命辞典』を見つけるつもりなんだからダメだよ。冨良場先輩と益子さんも誘って放課後に行くらしいから、それまでの間に心の整理付けとかないとね」
「うおおお〜〜〜っ!!腹いてぇ〜〜〜っ!!」
極限まで緊張したまま、牟児津は登校した。十年来の幼馴染みである瓜生田でも、なかなかお目にかかれないレベルの緊張だ。さすがに心配になってくるが、朝から電車の中で整腸剤代わりにあんこ飴を食べていたので、心配するのを止めた。こんな人のお腹が痛くなるのは自然の摂理だと思った。
やがて電車は学園の最寄り駅に到着し、二人は学園に向かう。道中で益子と辺杁に出会った。
「ムジツ先輩!瓜生田さん!おはようございます!」
「お、おはようございます……!」
「ああ、二人ともおはよう」
「お〜〜っす……」
「ムジツ先輩、具合悪そうですね。緊張ですか?」
「うん」
「な、なんの緊張ですか……?」
「『運命辞典』が見つかると思うと緊張してきちゃったんだって。辺杁さんもそうじゃない?」
「私は……はい、緊張も少しありますけど、やっぱりわくわくしてきてます。いよいよなんだなって思ったら……」
“ササカ”の正体を暴こうとしていることは、辺杁には隠している。少なくとも辺杁は“ササカ”を信頼しているし、図書準備室が『運命辞典』の在り処だと確信していることも、とどのつまりは“ササカ”への信頼で成り立っている。今ここでその気勢を削ぐことは、あまりにも酷だ。
「いいですか?べーりんは私と冨良場先輩でマークしておきますから、お二人は“ササカ”を突き止めてください。何かあったら連絡します」
「わあってらい、もう……やるっきゃないんだからやるよ。あ〜、いてて」
牟児津は、半ばやけくそ気味に益子に応えた。辺杁が『運命辞典』にたどり着いた後で何が起きるかは分からない。試練があろうと冨良場と益子に任せるしかない。自分たちはこの事件の終結に向けて動き出してしまっているのだ。
学園に着くと牟児津は他の三人と別れ、教室に着くなり荷物を置いてトイレに向かった。クラスメイトにひどく心配されたが、細かい話をするのも面倒なので、心配ないとだけ返事をした。ほどなくして授業が始まる。そうなればたちまち時間は過ぎていった。あっという間に昼休みになり、そして放課後が訪れた。
「もう一回確認しますよ」
辺杁が冨良場を呼びに行っているうちに、益子は牟児津たちと今後の動きを打ち合わせる。益子はオカルト研究部二人と『運命辞典』を見つけ、そこで何が起きたかを牟児津たちに知らせる。牟児津たちは“ササカ”の正体を突き止め、辺杁が『運命辞典』を見つけた後に起きるであろう試練について情報を聞き出す。事が終われば辺杁が借りた本を返却して一件落着だ。
「それじゃ、手筈通りに」
「了解しました!そちらも抜かりなく!」
力強く敬礼した益子は、ぴょうと廊下の向こうへ飛んでいった。牟児津と瓜生田はその後ろ姿を見送った後、“ササカ”のいる教室へ向かった。事前に瓜生田から、放課後に相談があるので残ってほしいと伝えてあった。
1年生のフロアから階段を上る。ほとんどの生徒が部活に向かった後の閑散とした廊下を進み、その教室の前に着いた。中から人の気配はほとんどしない。おそらく“ササカ”は一人で残っているのだろう。軽くノックし、瓜生田が先に入った。
「失礼します」
教室の中は、やはり人気がなかった。そこにひとり取り残されたように、その人は席に座っていた。待っている時間を潰すためか、教科書とノートを開いてペンを握っている。教室に入ってきた瓜生田に気付いて、ペンを走らせる手が止まった。
「李下。急にどうしたの?」
「お待たせしてすみません。お時間いただきましてありがとうございます、先輩」
ぬっと教室に入ってくる瓜生田の長身が大きな影を床に落とす。本人の意図しない威圧感に気圧されて、その人は座ったまま少し背を反らせた。
「実は……ご相談っていうのは、ウソなんです。ごめんなさい」
「ん?」
小さい声がした。困惑の声だ。瓜生田は続けて言う。
「お話があるんです。私じゃなくて、ムジツさんから」
「──うわッ!?」
瓜生田が手のひらで後ろを指した。途端に背後に気配を感じ上体だけで振り向く。そこには、神妙な顔つきの牟児津が立っていた。気配すら感じなかった存在に驚き、思わず立ち上がった。真っ直ぐに見つめると牟児津が見つめ返してくる。思わず目を逸らした。
「いきなりごめんなさい。ちょっと、話を聞いて欲しくて。私の学生カードで借りられた本が、そのまま持ち去さられた事件……その原因について」
「げ、原因……?」
怪訝な表情をする目の前の相手を、しかし逃がさないように牟児津は出入口との動線を塞ぐ。後ろには体格で大きく有利な瓜生田がいる。現状、その生徒に逃げ場はなかった。
「あなたが、“ササカ”なんでしょ?」
「────ッ!!?」
始めに、牟児津は結論をぶつけた。それさえ伝えれば、“ササカ”は今の状況を把握できる。自分が追い詰められているという状況を。
「私のカードを使って本を持ち去ったのは、1年生の辺杁有朱っていう子だった。その子は今日、その本を返すつもりなんだけど……他人のカードを使ってまで本を借りた理由とか、いきさつを聞いたよ」
「……」
「その子は『運命辞典』を探すために4冊以上の本が必要だったから、カードの不正利用までした。そして4冊以上本を借りる必要があったのは、ある人物から指示があったから。その人は学園の裏サイトで、“ササカ”と名乗ってる。そして──」
“ササカ”は困惑していた。なぜ自分の正体が分かったのか。どうやって知ったのか。それに、牟児津たちがどうするつもりなのか。話し続ける牟児津の一挙手一投足を警戒して、身を強張らせる。
牟児津は、“ササカ”が平常心に戻ることを待つような気配りはできなかった。昨夜のことを思い出しつつ、授業中何度も反復した言葉を続けなくてはならないのだ。
─────昨夜─────
「……“ササカ”の正体を突き止める」
牟児津の力強い宣言が、電話口の向こうにいた瓜生田と益子を驚かせた。しかしすぐそれに呼応するように、二人も牟児津に続けて声をあげる。
「出たーっ!ムジツ先輩、本格的推理モードですね!そうと決まれば不肖実耶ちゃん、全身全霊でお手伝いいたしますよ!」
「私も。それじゃあ取りあえず、いま分かってることから整理してみようか?」
「うん、まず、“ササカ”について分かってること」
牟児津はメモ取りのために広げたルーズリーフに書き込み、それを都度写真に撮ってチャットルームに送っていく。
「学園の裏サイトで『運命辞典』の話や儀式の方法を辺杁ちゃんに話したのが“ササカ”だ。裏サイトを使ってるから、学園生であることは間違いない」
「もっと言えば、裏サイトを使ってるのは高等部生だけですね。URLとパスワードを知ってるのは工総研だけですし、3年毎に更新してますから」
「『運命辞典』の話を知ってるのは、辺杁ちゃん以外のオカルト研究部の2人。冨良場さんと虚須さんだ」
「虚須先輩はOGだから、学園生で言えば冨良場先輩しか該当しないね。でも……冨良場先輩が“ササカ”っていうのは、なんかしっくり来ない気がしない?」
「うん。実定に書くことが目的なら、わざわざ正体を隠して教える必要がないよね。“ササカ”として辺杁ちゃんに話を吹き込むなら、本人の前で『運命辞典』を知ってるなんて言わない方が絶対にいいし」
「別人だと印象付けたかったのでは?冨良場先輩は、何らかの理由で自分とは無関係にベーりんを『運命辞典』に導きたかったとか!」
「それでもやっぱり……自分が『運命辞典』をよく知ってることを敢えて言う意味がないよ。私はむしろ……他の選択肢の方があり得ると思う」
「他というと?」
────────────
「“ササカ”は、
「──ッ!なっ……なん、で……!?」
“ササカ”が息を呑んだ。その反応が意味するところは明白だった。牟児津はさらに畳みかける。
「辺杁ちゃんも部長さんも言っていました。オカルト研究部はいま、部員が二人しかいないって。でもそれだと、部を名乗れないはずなんです。そういう決まりですから」
────────────
「“ササカ”が元オカ研部員って根拠は……なんか、部の決まりについて益子ちゃんが何か言ってたよね?なんだっけ?」
部の決まりごとについて牟児津に尋ねられた益子が、得意気に答える。
「学園では部の成立要件として、年度当初に部員が3名以上在籍していること、というものがあります。オカ研がいま部として存在しているなら、少なくとも4月には3人以上の部員がいたはずなんです!ベーりんも来年度には同好会落ちしてしまうと言っていましたから、これは確実です」
「そっかあ。そうなると、その辞めた部員が、“ササカ”として辺杁さんに『運命辞典』の話を吹き込んだってこと?」
「うん。『運命辞典』は知名度が低いって冨良場さんも言ってたけど、オカ研部員なら知っててもおかしくないでしょ。辞めた手前、面と向かって話すのは気まずいから、裏サイトを使って話したんじゃないかな」
「でも、辺杁さんは実定に書く活動実績がなくて困ってたからオカルト話を募集したんでしょ?辞めた部のことをそこまで気にするものかな?」
「……少なくとも“ササカ”は、辺杁ちゃんに『運命辞典』を見つけてもらおうと手を尽くしてたはずだよ」
────────────
「あなたは辺杁ちゃんに『運命辞典』を見つけて欲しかった。だから元部員であることを隠して、裏サイトで“ササカ”を名乗って辺杁ちゃんに『運命辞典』の話を教えた」
「バカなこと……そんな証拠がどこに──!」
「私とうりゅが学園史を借りた1年生を探しに行く前日、“ササカ”は辺杁ちゃんに忠告していました。辺杁ちゃんの邪魔をしに来る人がいる、気を付けろって」
「うっ……!」
反論しようとした“ササカ”の言葉を遮るように、牟児津は推理を述べる。推理は核心に迫ってきていた。この忠告が牟児津たちに知られてしまったことは、“ササカ”にとって想定外だった。この証拠は、決定的と言える。
「私たちが1年生の教室に行くことを前日に知ってたのは、私とうりゅ、それから一緒にいた阿丹部さんと糸氏さんしかいない」
「だ、だったら……!」
再び牟児津は、“ササカ”の反論を遮った。
────────────
「べーりんに忠告ができたのは阿丹部先輩か糸氏先輩……どちらかが“ササカ”ということですね。目星は付いてるんですか?」
「う〜ん……二人とも『運命辞典』のことは知らないって言ってたけど、どっちかはウソだったのかな」
「私たちにベーりんとの内通がバレないように、知らないふりをしたんですね!図書委員にもかかわらず本の持ち去り犯を擁護するとは……!よほどの事情がありそうです!取材のしがいがありますねぃ!」
「その二人で、最近部を辞めたとか、うりゅ知らない?」
「ん〜……阿丹部先輩はあんまり自分のことしゃべる人じゃないからなあ。糸氏先輩は普段一緒のシフトになることないし……ごめんね。分かんないや」
「いやいや!可能性とはいえ、“ササカ”の正体を二人にまで絞れたんですよ!これはすごいことです!もはや解決は目前と言っても良いでしょう!」
もどかしい、と牟児津は呟いた。“ササカ”の行動から、その正体を二人にまで絞れた。元オカルト研究部員ということも分かったが、頼みの瓜生田からその手の情報が得られないのでは、今は役に立たない情報だ。
「でも私には、どっちかが“ササカ”なんて思えないなあ。二人とも真面目に仕事してるよ。糸氏先輩だって私の代わりにカウンターに入ってくれたし、阿丹部先輩も期限超過のチェックとか返却された本の配架とか地味で時間がかかること、積極的にやってくれるし……」
「甘いですね、瓜生田さん。悪いことしてる人は心理的に、他で良いことをして帳尻を合わせようとするんです。つまり良いことをしている人は裏で悪いことをしてるんです」
「それ、寺屋成先輩のマネ?真の命題の逆は必ずしも真じゃないよ。数学でやったでしょ」
「バレましたか」
「……うりゅ、それホント?」
話の軸がブレにブレた二人の会話に、牟児津が割って入った。電話口の向こうで、瓜生田は少しきょとんとした。そして、口を尖らせつつ言う。
「ムジツさん。論理と集合は1年生の単元だよ。ちゃんと復習しないから定着しないし、こうやって益子さんに騙されそうに──」
「違う!その前!」
「え?良いことしてる人は心理的にどうこうって──」
「もっと前!分かってよ!っていうか分かってるでしょ!」
「糸氏先輩がカウンター代わってくれたこととか、阿丹部先輩が真面目に仕事してること?」
「それさ──」
────────────
「辺杁ちゃんに忠告したことだけじゃ、阿丹部さんと糸氏さんのどっちが“ササカ”かは分からなかった。でも、最後のヒントをうりゅが教えてくれた。“ササカ”は辺杁ちゃんが『運命辞典』を見つけることを望んでいた。だから──」
散々シミュレーションしたお陰で、牟児津には“ササカ”の心情がすっかり分かっていた。どんな反論をしてくるか、どう言い逃れをしようとするか。それを封じるように論理を組み上げた。そして最後に、決定的な根拠を加える。要石のように、全ての論理を支える根拠を。
「──だからあなたは、本の返却期限が過ぎてるのを、1度見逃したんだ」
「ひ──ッ!!」
それはトドメの一撃のように“ササカ”を貫いた。そこまで指摘されることを“ササカ”は全く想定していなかった。バレるはずがなかった。思わず声を漏らしてしまうほど、“ササカ”は動揺した。
「図書委員は毎月1回、期限を過ぎても返却されてない本をチェックするんだってね。この前はうりゅがチェックして、そのとき学園史の返却期限が過ぎてることに気付いた。でも、辺杁ちゃんがあの本を借りたのは3ヶ月前。そうすると、今日までの間に最低2回はチェックに引っかかるはずなんだよ」
「ううっ……!くっ……!」
「うりゅが見つけたときが2回目のチェック。その前、つまり先月のチェックの時点で、あの本は返却期限が過ぎてたはずだ。だけどそれを指摘してしまえば、学園史は辺杁ちゃんから没収される。そうなったら『運命辞典』を見つけられなくなる。だから先月のチェックを担当したあなたは、敢えてそれを見逃したんだ!」
「ううううっ……!」
頭を抱えて苦しそうな声を漏らす“ササカ”は、もはや反論も言い逃れもしようとしない。牟児津が言う根拠を覆す言い訳も思い付かない。逃げ場もない。
「たぶんあなたは、最初から全部分かってたんでしょ!私と図書準備室で会ったときから、学園史は私が借りたんじゃないって!本当に学園史を借りたのが誰なのか。『運命辞典』の話も、辺杁ちゃんの目的も、オカルト研究部のことも!全部!」
「はぁ……!はぁ……!ま、待って……!」
「私は、本当のことを教えてほしいだけ。なんでこんなことをしたのか。なんで辺杁ちゃんのためにそこまでするのか……」
牟児津の推理に打ち拉がれて、“ササカ”は浅い呼吸をする。最後に牟児津は、短く名前を呼んだ。
「ねえ、教えてよ。“ササカ”……いや、阿丹部さん」
阿丹部はいつの間にか、その場にへたり込んでいた。椅子を掴んで上体を支えるのがやっとだ。牟児津の推理が正しく、もはや誤魔化す気力さえないことが全身に表れていた。
「先輩、ごめんなさい。いきなりでびっくりしましたよね。ひとまず座ってください」
「あ、あんたたち……!ちょっと……!分かったから……!」
尻餅をついていた阿丹部を、瓜生田が抱え上げて椅子に座らせる。牟児津よりも大きくて重い体を感じながら、落ち着かせるように背中をさすった。
いきなり追い詰められ、裏で暗躍していた全ての行いを暴かれた挙げ句、優しく扱われるのだから、阿丹部の心境はゴミ箱をひっくり返したように収拾がつかなくなっていた。水を飲み、深呼吸して息を整え、牟児津たちと膝を突き合わせて、ようやく落ち着きを取り戻した。
「あのねぇ……いきなり隠してたこと丸ごと指摘されて全部話せと言われても、何から話していいか分からないっての」
「ご、ごめんなさい……」
「ムジツさんは勢いで推理するから、余裕がないんですよ。すみません」
「勢いの推理で全部当てられた私の立場はどうなるのよ……」
「重ね重ねすみません」
「はあ……まあ、うん。でも全部バレてるんだよね。牟児津さんが推理したとおりだわ」
「本当に阿丹部先輩って、元オカルト研究部だったんですか?初めて聞きましたけど」
「そういう話題が好きじゃない人もいるから、外では言わないようにしてたのよ」
何か吹っ切れたような、後ろ暗さのない話し方だった。考えてみれば、阿丹部がしたのは“ササカ”として辺杁に噂を吹き込んだことぐらいで、そこに何ら規則違反や不道徳的なことはない。牟児津の学生カードを盗んだのは辺杁が勝手にしたことだし、部を辞めたからと言ってその部員と接触することは全く問題ない。
だが、牟児津にとってはそう簡単に済む話ではない。自分がこんなことに巻き込まれているのは、結局元をたどれば阿丹部が原因なのだ。なぜそんなことをしたのか、そのせいで自分がどんな目に遭ってるのか、分からせて文句を言いたい。
「でも私は阿丹部さんに文句が言いたい!なんで裏サイトなんか使って辺杁ちゃんに『運命辞典』の話を吹き込んだのか!見つけ方だって、どう考えても貸出上限に引っかかるから一人じゃできないじゃん!その対処法とかも教えてあげりゃいいのに!」
「それは……」
「そもそもそんなに辺杁ちゃんに『運命辞典』を見つけて欲しいなら、直接伝えればいい話だ!元部員なんだったら顔見知りなんでしょ!」
「……直接なんて、無理よ」
阿丹部の表情は、どこか物憂げだった。拒んでいるのではない。諦めているように見えた。
「私、オカ研を辞めてるんだよ?それも、アリスちゃんと月先輩にひどいこと言って。どんな顔してまたオカルトの話なんてすればいいのよ。それにアリスちゃんだって、もう私の言うことなんか聞いてくれないよ」
「ひどいことって……何かトラブルでもあったんですか?」
「ううん。二人は何も悪くない。悪いのは私だけ」
肩を落とし、脱力して項垂れる。阿丹部沙兎という存在が儚く消えていくようだった。全てを諦めて空気に溶けていくような、そんな絶望感が伝わってきた。
「私ね、オカルト好きなの、辞めたんだ。家の……両親に、気持ち悪いって言われて」
「え?」
「ひどいよね。月先輩もアリスちゃんも関係ないの。ただパパとママが、オカルトなんて趣味気持ち悪いって一回言っただけで……なんか、私の趣味を知ってる友達もみんな、本当は気持ち悪がってるのかなって」
「そんなことないですよ。うちの学園に限って人の趣味を気持ち悪がる人なんているわけないです」
「基本お互い様だしなあ」
「普通に考えたらね。でも……普通じゃなかったのかなあ。なんか、誰も信じられなくなっちゃってさ……だったら、いっそオカルトから離れるのが一番良いのかなって」
「それで退部を?」
「うん。でもそのときに、アリスちゃんとちょっと揉めたの。ケンカ別れみたいになっちゃって……でも、オカ研でこれから実定を作るぞってタイミングだったのを後で思い出したの。月先輩は部の形にこだわってないけど、アリスちゃんのこと考えたら、少しでも長く部でいた方がいいと思って……裏サイトで、アドバイスとかしてたんだ」
「だから直接言うのは無理だと……確かに気まずいですもんね」
「あの子、なにか言ってた?私のこと」
「いいえ。訳あって部員が二人しかいないってことしか聞いてなかったです」
「……それでよく私までたどり着いたよね、あなたたち」
「はい、ムジツさんはすごいんです」
光のない目、土気色の顔、どこか虚しい薄ら笑いで、阿丹部は語る。部を離れた理由と、“ササカ”として辺杁をサポートしていた理由。阿丹部は阿丹部なりに悩み、苦しんで、ケジメをつけようとしていたのだ。『運命辞典』を教えたわけも、正体を隠していたわけも、話を聞けばすんなり理解できた。大袈裟な真相などなかったのだ。そこには、ごくありふれたトラブルしかなかった。
「でも、辺杁ちゃんが『運命辞典』を見つけても……結局、辺杁ちゃんが阿丹部さんに感謝することはないんじゃない?『運命辞典』の話を教えてくれたのは“ササカ”で、辺杁ちゃんにとって“ササカ”と阿丹部さんは別人なんだから」
「私は別に、アリスちゃんに感謝されたいわけじゃないから。私が出て行ったことのケジメをきちんと付けてないとと思っただけ。それに……その、手紙も、書いたし」
「手紙?」
「謝罪っていうか……ケンカ別れしたままなのは、やっぱりすっきりしないから、せめて謝罪の言葉くらいは伝えようと思って、『運命辞典』に挟んであるんだよね」
不健康な阿丹部の肌に、少しだけ赤みが戻った。どうやら手紙を書いていることを暴露したことに照れているようだ。不本意かつ勝手な理由で部を離れたことに対する謝罪。それは確かに、すべきことだと思える。本人でさえそう思っているのなら、やるべきだ。
だが、牟児津は納得がいかなかった。この問題に対して牟児津は、どうしても口を挟まずにはいられなかった。
「じゃあ阿丹部さんは……自分の口で言おうとは思わないの?」
「へ?」
「辺杁ちゃんにも部長さんにも、自分で直接謝ろうとは思わないのって!」
突然、牟児津は立ち上がった。怒鳴られた阿丹部も、隣にいた瓜生田も、驚いた顔をする。だが牟児津は一切気にしない。推理していたときよりも興奮していた。阿丹部は驚きながらも、質問に答える。
「だ、だから……私はアリスちゃんとはケンカ別れしてるし、オカ研が大変なときに辞めたんだよ?いまさらどんな顔して二人に会えばいいか──」
「そんなのは阿丹部さんの問題でしょッ!」
「え……?」
「どんな顔して会えばいいって、そのまんまの顔で行きゃあいいじゃん!いま阿丹部さん、ひどい顔してるよ!顔色悪いし口は半開きだし、髪はボサボサで目も暗い!ぶっちゃけめっちゃ怖い!怖いけど今のその顔を見せてあげればいいじゃん!阿丹部さんだって阿丹部さんなりに悩んで、苦労して、大変な思いしたんでしょ!?ばっちり顔に出てるよ!」
「いや……!あの……!」
「それとも阿丹部さんは二人におめかしして会おうっての!?彼氏か!あの二人は、辛い気持ちを隠して会わなきゃいけないような関係なの!?違うでしょ!阿丹部さんが平気な顔してのこのこ謝りに行ったって、それこそ許してくれるわけないよ!辺杁ちゃんやオカ研のためにめちゃくちゃ色んなことをしてきましたって顔で謝りに行けばいいじゃん!手紙なんかで謝られたって、そんなの阿丹部さんが一方的に気持ちを清算するだけでしょ!自分だけすっきりしようとするなんて卑怯だ!辺杁ちゃんだって阿丹部さんに言いたいことがあるはずだよ!その機会を奪うなよ!そんなことしたら、辺杁ちゃんの気持ちはどうなるの!」
「……ッ!」
まるで嵐のようだった。次から次へと飛び出てくる言葉の猛攻に、阿丹部は圧倒された。豪速球の正論を立て続けにぶつけられ続けた。そして牟児津に指摘されるまで、阿丹部は全く気付いていなかった。今までの自分の行動が、辺杁の気持ちを一切考えていなかったことに。
『運命辞典』の話を吹き込んだことも、辺杁を誘導したことも、牟児津の接近を教えたり本の返却期限超過を見逃したりしたことも、全て辺杁のためだと言いつつ、本当はそうではなかった。辺杁が『運命辞典』を見つけて、そこに挟んだ手紙を読んでくれれば、このわだかまりは解消される。そう信じてきた。オカルト研究部のため、辺杁のためとは言っていたが、全ては自分のためだった。
「……」
「ム、ムジツさん……?どうしたの?そんなに怒る人じゃないでしょ」
「ごめん!なんか、ホント阿丹部さんには悪いけど、めっちゃムカついた。自分勝手なことしてんのに人のためとかなんとか言って正当化してるの、私ムリだわ!自分のためなら自分のためってはっきり言え!自分が誰のために何をやってんのか、それも分かってないようじゃマジでダメだと思う!」
「どうどう。それはそう思うけど言い過ぎだよ。阿丹部先輩だってそんなこと──」
「──ホント、ダメだよ。私は……ダメだ」
なんとかフォローを入れようとした瓜生田の言葉は、阿丹部の湿った声に遮られた。俯いた阿丹部の紫紺色の髪の奥から、キラキラと雫が落ちる。
「……牟児津さんの言うとおりだよ。結局私は……人とぶつかるのが怖いんだ」
依然、牟児津は厳しい表情を崩さない。瓜生田は、はらはらしながら二人の様子を見守っていた。
「私は私の好きなことをするって、両親に胸を張って言うこともできない。オカルト趣味を気持ち悪いと思ってるか、友達に聞くこともできない。勝手な理由で辞めてごめんなさいって、たった一言伝えることもできない……散々アリスちゃんを振り回しておいて、自分だけは救われようとしてる」
「どうするの?まだ今なら、辺杁ちゃんは冨良場さんと一緒に図書室にいるはずだよ」
牟児津は阿丹部に提示した。おそらくこの機を逃したら、阿丹部がオカ研の二人と和解するチャンスは巡ってこないだろう。未だ踏ん切りが付かない阿丹部は、赤く腫らした目で牟児津に問いかける。
「……行ってあげた方がいいのかなぁ」
「このまま行かないで終わらせるのはズルいよ」
「その方が、月先輩もアリスちゃんも喜ぶのかなぁ」
「喜ばれようなんて思ってちゃダメなんだよ」
「行けば私は……変われるのかなぁ」
「私は、阿丹部さんが変わるために行けって言ってるんじゃないよ」
無責任な迷いも、保身めいた覚悟も、なけなしの希望も、牟児津に悉く一蹴される。誰のために、何のために、阿丹部は謝りに行くのか。それを自分で理解しないと、その先の謝罪には意味がこもらない。
阿丹部はおもむろに立ち上がった。耳や首に下げたアクセサリーが音を立てる。荷物も持たず、ゆっくりと机の間を抜けて、教室の扉に向かって行く。
「私、行くよ。とにかく今は、二人に会って謝らないと意味がない。少なくともそれだけは分かるから……」
走るでもなく、慌てるでもなく、ふらふらした足取りで、阿丹部は教室を出て行った。牟児津と瓜生田は、二人きりになった教室でその姿を見送った。
「大丈夫かなあ」
「……私、ちょっと言い過ぎた?」
「そう言ってるじゃん。ていうか急に素面に戻らないでよ。ああびっくりし。ムジツさんが本気で怒ってるとこなんて久し振りに見た」
「いやこの頃は結構本気で怒ってんだけど?」
「そういうのじゃなくて、人のために怒ってるとこ。自分のためだったら年中怒ってるよね」
「年中は怒ってねーよ!」
ともかく、これでひとまずこの一件は落ち着くだろう。阿丹部の謝罪が上手くいくかどうかは分からない。辺杁がそれを許してくれるかも、それは本人たちの問題だ。これで牟児津は本を返してきれいな体になり、巻き込まれた遠因である“ササカ”本人にも言いたいことを言えてスッキリした。後は益子からの連絡を待って辺杁から本を受け取ればいい。
「──おっと、益子ちゃんだ」
牟児津のスマートフォンが震えた。取り出して画面を見れば、益子からの連絡だった。どうやら向こうは『運命辞典』を見つけたらしい。推理と説教に夢中で、いつの間にか結構な時間が経過していることに驚いた。牟児津は画面をタッチして通話を始める。
「もしもし益子ちゃん?おつかれ」
「あっ!ももも、もしもしもしもし!?ム、ム、ムジツ先輩ですか!?」
「どったの。そんなお手本みたいに慌てて」
電話口から聞こえた益子の声は、普段の様子からは考えられないほど慌てふためいていた。ただ事ではない様子を察知した牟児津は、すぐさまスピーカーに切り替えて瓜生田にも聞かせた。
「あの、あの大変なんです!大変なんですよう!」
「落ち着いてよ。何があったの」
「『運命辞典』が盗まれましたッ!!」
「………………はあぁ?」
自分はこんなに間抜けな声が出るのか、と牟児津の冷静な部分が感心した。その後も益子は、とにかく図書室まで来てくれと言うばかりで、電話でそれ以上のことは聞けなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます