第2話「知るわけないじゃん……」


 小径を進んで最初に現れる小飼育舎は、見た目にもかなり年季の入った木造の小屋だった。趣深いと言えばそうだが、窓がなく妙に背が高いそれは、建てるときに寸法を間違えたのではないかと感じさせる。高い位置に換気用の小窓がひとつだけあり、後は正面の出入り口だけが外と通じているようだ。

 その小屋の入口には若い教師が立っていて、暇そうに辺りを眺めている。どうやら支えてないと勝手に閉まってしまうドアを開けておく仕事をしているようだ。重しでもあれば代わりになりそうなものだが、その教師はぼんやりと空中を眺めるばかりである。癖のかかった髪と大きい鉤鼻が特徴的で、明るめの紺色のスーツがよく似合っている。身長は高い部類に入るのだろう。いかにも女子生徒から人気を集めそうな見た目だ。

 牟児津と瓜生田は、ひとまずその教師に声をかけてみた。おそらく生物部の関係者だろう。


 「すみません。中って見ていいですか」

 「んぇ?なに、見学?いま忙しいから後にしてくれないかな」

 「いえ。誘拐事件があったそうなので、それについて調べようと思いまして」

 「なんだ風紀委員か。それだったらまあ、いいかな」

 「ありゃりゃーっす」


 なにやらぶっきらぼうな教師だった。しかも、風紀委員なら肩に腕章を付けているはずなのだが、それがない牟児津たちを風紀委員と間違えている。たとえ本当に風紀委員であろうと、腕章を付けていなければ一般生徒と同じ扱いになるのがこの学園のルールだ。つまり牟児津たちを風紀委員と間違え、あまつさえ現場への立ち入りをあっさり認めてしまうなど、この学園の教師ならするはずがない間違いなのだ。しかしそんなことを牟児津たちが馬鹿正直に言うはずもなく、立ち入りが許されたのをいいことに雑なお礼を吐いて中に入った。

 建物の名前は小飼育舎だが、おそらくその面積は標準的なワンルームよりは広い。小屋の壁をなぞるように木製の板が三段に取り付けられ、下から二段目までには様々な大きさのケージが並んでいた。中には動物が入っている。さらに壁の高い位置には鳥小屋が設置され、インテリアのように止まり木や鳥かごが天井からぶら下がっている。入って右手奥には脚立が畳んで置いてあった。三段目にしまってあるエサや道具類を取り出すのに使うのだろう。

 小飼育舎は、徹底して生物を収容することのみに特化した構造になっていた。飼育頭数や飼育種類数の多さにも息を呑むが、2人が息を呑んだ最大の理由は、小屋の中に充満する臭いだった。


 「お゛お゛っ!?っっっっせ!!」

 「わっ!こ、これは……すごいね……!」


 野太い声をあげて鼻を摘まんだ牟児津に対して、瓜生田は顔をしかめるに留めた。臭いは強烈だが、自分たちから入りたいと言っておいてそれはあんまりだと、外にいる教師の目を気にした。しかし、先ほど声をかけた教師は特に牟児津たちに興味はないのか、あさっての方を向いている。誘拐事件が起きたばかりだというのに、危機感が薄いものである。


 「あの〜すいません、誘拐されたオポッサムって、もともとどこにいたんですか?」

 「んー、俺はあんまりよく知らないからさ、生物部の子が戻って来たら聞いてよ」

 「よく知らない……失礼ですけど、生物部の関係者ではないんですか?」

 「顧問だよ。いちおう。この間なったばっかりだから、まだよく知らないんだよね。生物とかあんま興味ないし」

 「そうなんですか?」

 「もともと生物部の顧問ってずみセンだったからさ」

 「ああ」


 それだけで瓜生田はなんとなく察した。ずみセンとは“石純いしずみ先生”の略であり、牟児津のクラスでかつて担任を務めていた教師のあだ名だ。つい最近、黒板アート消失事件に関係したとある事情によって退職を余儀なくされたのだ。つまりこの優男は、石純に代わって最近採用された教師ということだ。それなら風紀委員に関する事情を知らないのも頷ける。


 「八知やち先生?」


 2人が優男と話していると、小屋の外から声がした。明らかに女子生徒の声だ。八知と呼ばれた優男が振り向くと、そこには三つ編みの少女が立っていた。

 ブレザーの代わりにうす黄色のカーディガンを着ており、膝下まであるスカートと白の靴下、そして土まみれのスニーカーを履いている。手には軍手をはめており、なんらかの作業をしていたらしいことが窺えた。


 「その人たちは……風紀委員じゃないみたいですけど、どちら様ですか?」

 「え、風紀委員じゃないの?んーっと、じゃあ分かんない。君らだれ?」

 「ええ……」

 「なんで小屋の中に入れてるんですか?今は生物部が作業中ですよ」


 その生徒は川路ほどではないにしろ、いささか気が立っているように思えた。のらりくらりとしている八知という男に比べると、はきはきした動きはいっそう力強く見える。胸に下げた黄緑色のリボンが、彼女が3年生であることを示していた。

 その生徒は小屋にいる2人にずかずかと近付いてきた。このままでは話を聞く前に追い出されそうだと感じたので、瓜生田は先手を打つことにした。


 「いきなりすみません。先ほど風紀委員から、生物部で誘拐事件があったと伺いました。その調査をさせていただきたいと思いまして、そちらの……やち先生に入れていただきました。私、1年の瓜生田といいます。こちらは2年の牟児津さんです」

 「どもす……」


 出て行く云々を言われるより先に、自己紹介と目的を話した。少しは話が通じる相手なら、お返しに向こうからも自己紹介があるはずだ。それをされなければ、今は話を聞くことは諦めた方がいい。この相手はどちらか、近付いて来るにつれ瓜生田の緊張が高まる。


 「あっそう。私は生物部部長の上野です」


 無愛想な返事をしながらも、上野うえの東子あずまこは名乗った。しかしその目は強い警戒心に満ちている。ひとまず、話は通じる相手のようだ。


 「風紀委員でもない生徒がどうして調査なんかする必要があるの。八知先生、部外者は帰してもらわないと困ります」

 「ああ、ごめんごめん。だってまだ誰が誰か分かんないからさあ。風紀委員って言われたら通すでしょ」

 「風紀委員じゃないんです、この人たちは。あなたたちウソ吐いたの?」

 「いいえ。それは勘違いです」

 「そう言ってますけど」

 「そうだっけ?」

 「雑だなあ」


 ボケたようなことを言って、八知やち初太ういたはバツが悪そうに頭を掻いた。それを見た上野は眉間に深い深いしわを刻み、大きなため息を吐いた。どうやら上野の気が立っている理由は、誘拐事件が起きたことだけではないようだ。


 「とにかく、悪いけどここにいられたら作業の邪魔になるから出て行って。今日は風紀委員の相手をするだけで精一杯なんだから」

 「あ、じゃあ1つだけいいですか?」

 「マジか」


 はっきりと出て行くように言われてなお瓜生田は食い下がる。牟児津はその肝っ玉に感心しつつ、信じられないという目を向けた。これほど明確かつ強烈に拒絶の意を示されると、牟児津ならばもう諾々と従う他にない。余計なことを言って余計に怒られたくないのだ。


 「誘拐されたオポッサムって、もともとどこにいたんですか?」


 小屋の中を見渡しながら、瓜生田が尋ねた。上野はしばし答えずにいたが、その気まずい沈黙に全く動じない瓜生田を見て、また深いため息を吐いた。どうやら瓜生田の粘り勝ちのようだ。


 「正面向かいの壁際の隅よ。そこに脚立があるでしょ。ちょうどその足下」

 「なるほど。ありがとうございました」

 「もういい?」

 「はい。どうも失礼しました。ほら、ムジツさん行こう」

 「え?あ、し、失礼しました!」


 丁寧にお辞儀をして去る瓜生田と、逃げ出すようにその後を追う牟児津。小飼育舎から出て行く2人を、上野は最後まで目で追っていた。2人の姿が見えなくなると、小屋の入口で大きなあくびをしている八知を一瞥し、三度目のため息を吐いた。小屋の中の淀んだ空気のように、上野の胸の中はすっきりと晴れない感情で満ち満ちていた。



 〜〜〜〜〜〜



 上野に小飼育舎から追い出されてしまった牟児津と瓜生田は、次にどうするべきかを考えていた。生物部の部員たちは小飼育舎にも部室にもいないので、おそらく大飼育舎にいる。話を聞くためにそこへ向かうべきか。しかしこのまま行ったところで、先ほどの二の舞になるだけだろう。2人とも風紀委員でない上に、牟児津に至っては事件の容疑者である。生物部員にしてみれば、話をするどころか現場に近付かせたくもないだろう。


 「うりゅ〜、どうしよ〜」

 「う〜ん、ただでさえムジツさんが容疑者だから話を聞きにくいのに、みんな作業で忙しそうだし……こういうときは」

 「こういうときは?」

 「大眉先生に助けてもらおう」

 「……なんでつばセン?」


 つばセンとは、牟児津のクラスで現在担任を務めている大眉おおまゆつばさのことだ。教師としてはまだ若く生徒からナメられがちだが、その分生徒との距離は近く悩みを相談する生徒も何人かいるらしい。そして牟児津と瓜生田にとっては、黒板アート消失事件に関する秘密を共有する間柄だった。

 そして牟児津は知らないが、瓜生田の姉である瓜生田うりゅうだ李子りこの恋人でもある。その事実は大眉にとって、恋人の妹である瓜生田李下に対する弱みであった。


 「先生が話を聞きに来たら、作業を止めてでも話をしてくれるでしょ」

 「まあそっか。じゃあつばセン連れて来よう!たぶん職員室にいるはず!」

 「ああ。ムジツさんはここにいて」

 「え、なんで」

 「川路先輩が帰ってきたときにいないとマズいでしょ。私はお手洗いに行ってることにしといて。それじゃ」

 「あっ、えっ、やっ、うりゅっ、まっ」


 唐突に置いてけぼりにされた牟児津は、引き留める言葉の1つも思い浮かばず、笑顔で去って行く瓜生田にただ手を伸ばすだけだった。そしてその姿が見えなくなった途端に、一刻も早く帰ってきてくれという願いが湧いてきた。もしいま川路が帰ってきたら、牟児津は気絶してしまうかも知れない。



 〜〜〜〜〜〜



 瓜生田が去った後の生物部部室は静かなものだった。部員はみんな飼育舎の方で作業をしており、川路も今は別の場所にいる。聞こえるのは風にそよぐ草木の葉音と学園そばの道路を通る車の音だけだ。何の疑いもかけられていないきれいな体であれば、気持ちの良い夕方だと感じたかも知れない。しかしいま牟児津の心は、いつ川路が帰ってくるか分からない緊張感と、帰ってきたらどうしようという焦燥感と、早く瓜生田が大眉を連れて帰って来てほしいという期待感とがごちゃ混ぜになっていて、日常のわびさびなど感じている余裕はない。ただ座ってもいられないなので、立ち上がって辺りをうろうろしている。


 「あーやべ、落ち着かね。しぬしぬしぬしぬしぬしぬしぬしぬしぬ。緊張でしぬ。ヤバすぎてしぬ。てかもうあの人帰ってくんなし。帰って来るならうりゅにして。うりゅしか帰って来なくていいよもう。うりゅ早くぅ……うりゅぅ……」


 震える心のままに言葉を吐いて不安を体外に排出しようとする。しかし泉のように溢れてくる不安に対して閉め損ねた蛇口のような排出速度では間に合っていない。胸の底に沈んだ不安のおりを撹拌して薄めるように、辺りをうろつく牟児津の足はどんどん速まっていく。

 部室とされている東屋の庇からはみ出し、周りの砂利道や草むらにまで立ち入る。今の牟児津にとっては不安を紛らわせるために歩き回るのが最優先で、足下のことにまで気を配る余裕がないのだ。とにかく歩き回る。緊張をほぐすため、不安を和らげるため、念仏のように感情を吐き出しながら牟児津は歩く。しかしそれは唐突に止まった。


 「うわっ!?」


 踏みしめた地面が後ろに滑った。支えを失った牟児津は前のめりに倒れる。受け身をとることもできず、顔面をもろに打ち付けてしまった。


 「ぎゃっ」


 重たい音と鈍痛が頭に響く。何が起きたか理解するのは一瞬だが、理解したときには遅かった。牟児津はすでに、草むらでうつ伏せに転んでいたのだった。土と雑草が放つこもった臭いが鼻を覆う。髪にも口にも体にも汚れが付いた。緊張で強張っていた体からすっと力が抜けて、牟児津は気怠げに首をもたげた。


 「へへっ……やってらんね……」


 たった1人で待たされることが不安で仕方なく、独り言をつぶやきながら歩き回っていたら転び、受け身も取れず全身が汚れた。状況を自省して、牟児津は泣きそうなほど自分が情けなくなった。もっと落ち着きのある瓜生田のような人間になりたいとも感じた。


 「いたた……もう、なんだよこれ」


 体についた土を払って牟児津はゆっくり立ち上がる。自分を転ばせた原因を探るため足下に目をやると、実に明確な原因がそこにあった。

 それはタオルだった。くしゃくしゃに丸まった白いフェイスタオルだ。土に汚れているのは、たったいま牟児津が踏んだせいだけではないようだ。しかしずっと放置されていたにしては汚れが染みていない。妙な汚れ方だった。隅にサインペンで“生物部”と書いてある。どうやらこの部の備品のようだ。


 「なにこれ、きたな──お゛っっっごっっっ!!くっせえ!!」


 生物部で使用していたことに加え草むらに落ちていたので、手に持っているだけでもかなりの臭いがする。小飼育舎と同じ獣臭の中に、極めて不快な悪臭も混ざっていた。牟児津は拾ったことを後悔し、コンクリートになっている部室の隅に放り捨てた。処分は部の関係者に任せよう。そして今度こそ大人しくしていようと、木製の椅子に腰掛け直した。

 そこへ、小飼育舎の方から八知がやって来た。小屋の扉を開けておく仕事は終わったらしく、何やら冊子をつまらなさそうに眺めている。テーブルにその冊子を置くと、やる気のなさそうな態度で椅子にどっかと腰を下ろした。冊子のタイトルは『生物部活動日誌』だった。どうやら顧問として勉強をしていたようだが、捗っていないようだ。

 腰掛けて一息吐いてから、八知は斜め向かいに座る牟児津に気付いたようだ。


 「あ、風紀委員じゃない子」

 「牟児津です」

 「へー」


 牟児津が名乗ったとき、たいていの相手がする反応は3パターンに分けられる。珍しい苗字だという感想を述べるか、漢字でどう書くかという質問をするか、その両方かだ。しかしこの八知という男の反応はそのどれでもない。全く興味なさそうに、ぼーっとした目で遠くを眺めていた。おそらく大眉よりも若い、大学を出て数年といったところなのだが、その雰囲気はひどくくたびれている。あまりにもやる気がなさ過ぎてオーラが老けている、と牟児津は感じた。


 「さっきそこにタオルが落ちてましたよ」

 「え?タオル?」

 「汚いし臭かったからそこ置いてます」


 牟児津が指さした先を八知が見る。くしゃくしゃに丸まったタオルがコンクリートの床に落ちている。八知は立ち上がってそのタオルを拾いに行った。いかにも汚いものを持つように指先でつまんだそれを、八知は気味悪そうに眺めてから、近くの適当なラックの下に詰め込んだ。


 「え、なんで?」


 牟児津は思わず声が出た。行動の意味が分からなすぎた。


 「やだね。汚いタオルって」

 「いや、なんでそんなとこ詰め込むんですか」

 「だってどこにしまっとけばいいか分かんないし」

 「しまうっていうか汚れてんだから、普通に洗濯カゴとかに入れときゃいいんじゃないですか?」

 「洗濯カゴかあ。どこだっけ」

 「知るわけないじゃん……」


 なんだこいつ、と口にするのを牟児津はぎりぎりでこらえた。教師以前に大人としてだらしなさ過ぎると感じた。いくら石純の穴埋めで急遽採用されたのだとしても、それを言い訳にしてだらだらすることが許されると思っているのだろうか。この八知という男からは、責任感とか使命感とか、そういったものが一切感じられなかった。

 こういう大人にはならないようにしよう、と牟児津は心に固く誓った。



 〜〜〜〜〜〜



 牟児津が八知に呆れ返っているころ、瓜生田は職員室のドアの前にいた。軽く握った拳でノックする。


 「失礼します」


 短く言ってドアを開き、入ってすぐのデスクに座っている大眉を見つけた。真剣な顔でパソコンと向かい合い、なにやら試行錯誤している様子だ。どうやら授業で使う教材作りに悪戦苦闘しているらしい。自分の仕事をしているということはつまり、急ぎの仕事はないということだ。瓜生田にとっては好都合である。


 「大眉先生、こんにちわ」

 「お、おう。瓜生田。今日はひとりか。どうした?」


 集中していた大眉は、急に声をかけられて驚いた。その声が、ここにいるはずのない自分の恋人によく似た声だったからなおさらだ。声のする方を見れば、不敵な笑みを浮かべる瓜生田が覗き込んできている。この時点で大眉はかなり嫌な予感がしていた。一方で、牟児津がいないことも気に掛かっていた。教師としていちおう用件を尋ねるが、何もない方がいいと思っていた。


 「実は、大眉先生に折り入ってお願いがありまして」

 「俺に?」

 「簡単に言うと、ムジツさんの潔白を証明するのを手伝ってほしいんです」

 「牟児津?また変な疑いかけられたのか?」

 「そうなんですよ」


 自分のクラスの生徒が無実の罪を着せられていると聞いて、大眉は嫌な予感の正体を察した。いつも瓜生田にくっついている牟児津がいない理由も納得したし、瓜生田から説明を聞いて自分に何が求められているのかも完全に理解した。だが、それは大眉にとってはただ時間を食われるだけの面倒事でしかなかった。


 「いや〜、そうか。牟児津がな。そりゃ災難だったな」

 「そういうわけなので、大眉先生に来ていただけるだけでとっても助かるんです」

 「本当に俺ついて行くだけなんだろ?俺そんな暇じゃないんだよ」

 「つれないこと言わないでくださいよ。すぐ終わりますから。ね?お願いします、


 最後の一押しだけ、瓜生田はささやくように言った。瓜生田が大眉を下の名前で呼ぶのには特別な意味がある。生徒としてではなく、将来の義理の妹として頼み事をするという意味だ。ここで断ると、後で瓜生田は姉にあることないこと告げ口して、大眉は恋人から怒られることになる。なのでこの関係を持ち出されると、大眉は瓜生田に対して従うしかないのだった。


 「1時間だけだぞ!」

 「ありがとうございます、


 おそらく話を聞くだけなら30分くらいで済むのだが、大眉は余裕を持って時間を割いてくれた。瓜生田は大眉のそういうところが面白くて、ついからかってしまうのだった。

 せっかく長めに時間をとってもらったので、瓜生田はついでに校舎内で調べられるところは調べておこうと考えた。事件が起きたのも牟児津が捕まったのも校舎の外だが、事件現場となった小飼育舎は、一度校舎に入らないと侵入できないはずだった。


 「大眉先生。生物部に行く前に、警備室に寄ってもいいですか?」

 「なんで?」

 「小飼育舎って確か、普段カギがかかってますよね。誘拐犯がカギを借りてたら、警備室のカギ台帳に記録が残ってるかも知れないと思って」

 「そうか。まあいいぞ」


 以前もこうして職員室と警備室の間を行き来したような気がして、瓜生田は既視感を覚えた。あのときは警備室が先だったか、職員室が先だったか。そんなことを考えながら、瓜生田は警備室に向かった。

 高等部の校舎には、生徒が使う玄関とは別に、職員・来客用の玄関がある。その玄関から入ってすぐ、校門を監視できる位置にあるのが警備室だった。来客対応や校内警備、遺失物管理、そして校内施設のカギの管理など、様々な業務を担っている。今回、瓜生田はカギの管理について用があった。


 「中瀬さん、お疲れ様です」


 中にいた警備員──中瀬なかせ虎央とらおに、大眉が声をかけた。中瀬はコーヒーを飲みながら、新聞部が発行した学園新聞を読んでいた。大眉に声をかけられると、中瀬は丸く小さな目を向けた。

 首元に分厚い脂肪のマフラーをたくわえているその姿は、瓜生田には見覚えがあった。


 「大眉先生、お疲れ様です。どうしました?」

 「ちょっとカギ台帳を見せてもらいたくて。えっと……」

 「小飼育舎のカギです」


 どこのカギかを思い出そうとする大眉に代わり、瓜生田が後を続けた。


 「ふ〜ん……君、前にもここに来たことある?」

 「はい。来校者の帳簿を見せていただきました。その節はお世話になりました」

 「ああ!あの黒板消しちゃった子の友達だ!」

 「消しちゃってないんですけどね」


 どうやら牟児津のことは覚えていたようだ。中瀬は納得したようにうんうん頷いた後、小窓に背を向けて警備室内に大声を出した。


 「そくくん!カギ台帳もってきてくれる?」

 「はい!」


 中瀬に負けず劣らずの大声とともに、中瀬と同じ格好をした、しかし中瀬よりはかなり体が引き締まった若い男が現れた。手には紙のファイルを持っており、背表紙に“カギ管理台帳”と記されている。男の胸元には、そく篤琉あつると名札がかけられていた。

 きびきびとした動きだが緊張は感じない。真面目に仕事をしようという意思がひしひしと伝わってくる。身振りに気を取られすぎて無意識に目を見開いているせいか、遠くからだと目が飛び出ているように見える。瓜生田は生物部の部室にあった水槽の出目金を思い出した。


 「今日の分でよかったですか?」

 「はい。ありがとうございます。ちょっと見せてもらいますね」


 束が持って来た台帳を開き、大眉が記録を確かめる。今日小飼育舎のカギが借りられたのは4回だ。朝に顧問の八知が1回、授業時間中に3年生と1年生の生徒が1回ずつ、昼休み直前の時間に部長の上野が1回だった。瓜生田はそれをメモにとる。その他にカギを貸し出した記録はないことも確かめた。


 「なるほど、ありがとうございました。あと、ちなみになんですけど」

 「なんでしょう?」

 「警備員の皆さんって、授業時間中はこちらにいらっしゃるんですか?」

 「そうですね、基本的にはここにいて、たまに巡回とかで外に出ることがあります」

 「そのときカギを持ち出すことってあります?」

 「いいえ。不必要にカギを持ち歩くことはありません」

 「じゃあ皆さんは何のカギをお持ちなんですか?」

 「職員用玄関のカギを各自持っています。他のカギはセキュリティの関係から持っていません。校舎を開けるときと閉めるときはマスターキーを使いますが、それは警備室内の金庫にしまってあります」


 束がはきはき答えた。カギの管理の仕方を聞く限り、瓜生田が考えていた可能性は捨てられそうだ。すなわち、警備員の中に誘拐犯がいる可能性である。

 束の話もしっかりメモにとり、瓜生田はもう一度お礼を言ってから警備室を後にした。寄り道をした分、それなりの情報は手に入れることができた。だが、早く牟児津のもとに戻らないと、牟児津が心細さのあまり奇行に及んでいるかも知れない、と瓜生田は足早に生物部の部室に向かった。



 〜〜〜〜〜〜



 「どうしたのムジツさん」


 生物部の部室に戻ってきた瓜生田は、泥で汚れた牟児津が背中を丸めているのを見つけた。どうやら川路はまだ戻ってきていないらしい。


 「こけた……」

 「転んじゃったんだ。怪我とかしてない?」

 「だいじょぶ……」

 「そっかあ。シミになるから、帰ったらちゃんと石鹸で洗うんだよ」

 「うん。そうする……」

 「ずっとひとりでここにいたのか?」

 「なんか、途中で八知先生が来たけどまたどっか行った」


 ひとりで心細かったせいか、はたまた転んだことの恥ずかしさからか、牟児津はすっかりしょぼくれていた。瓜生田は牟児津を抱えて立たせ、大眉の方を向いて言った。


 「じゃあ、大飼育舎に行きましょう。みんなたぶんそこにいます」

 「分かるのか?」

 「さっき小飼育舎からケージを運び出していたので。誘拐があったから場所を移すんじゃないですか?」

 「なるほどな」

 「ほら、ムジツさんもしっかりして。ぐずぐずしてたらあんワッフル売り切れちゃうよ」

 「それはやだ〜〜〜!」


 テンションが下がりきった牟児津をなんとか奮い立たせ、すっかり呆れている大眉を促し、瓜生田は2人を引き連れて大飼育舎へ向かった。最年少の瓜生田が指揮を執っていることについて、牟児津も大眉も特に疑問を持たず、諾々と従った。

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