第3話「いっそ潰れてしまった方が」


(これまでのあらすじ)

 学園内にある黄金の女神像『アテナの真心』が突然謎の祝福メッセージを発するという事件が起きた。犯人だと疑われてしまった牟児津むじつは、自らを事件の犯人かもしれないと言う落語研究部部長、法被蓮亭はっぴばすてい 灯油とうゆから真相解明を依頼され、幼馴染の瓜生田うりゅうだや番記者の益子ますこ、探偵同好会らと共に捜査を開始した。

 捜査の中で牟児津たちは、黄金の女神像を寄贈した謎の卒業生、女神像を管理する会計委員長 磯手いそてと学園理事の関係、複数人の口から語られる“赤い宝石”などの手掛かりを得る。翌日からはそれらを踏まえた捜査を行おうとミーティングをしている最中、瓜生田は落語研究部員の江暮屋えくれや 吹逸すいいつと、気苦労の耐えない後輩同士、心を通わせ合うのだった。



 〜〜〜〜〜〜



 翌朝、牟児津は疲れていた。前日は登校から下校までが瞬く間に過ぎたような気がして、まだ何があったかを自分の中で整理できていなかった。覚えているのは、とんでもなく面倒なことに巻き込まれたということだけだ。だが問題ない。その辺りの情報を整理して覚えていてくれる、優秀な幼馴染がいる。

 その幼馴染は、牟児津が聞きたくもない前日までの捜査状況や手掛かりを整理した話を、学園に向かう電車の中でおさらいしてくる。おかげで牟児津は、今日も朝からバリバリの探偵活動を余儀なくされるのであった。


「取りあえず今日は、昨日の続きで図書準備室に行って、エルネさんの手掛かりを探るところからだね。チャンスがあったら磯手先輩に女神像のことを詳しく聞きたいね」

「どっちか家逗さんたちに任せようよ。私あんまり磯手さんと話したくないっていうか……苦手っていうか……」

「ムジツさんが苦手じゃない生徒会の先輩なんている?」

「……いねえ〜」


 電車は学園の最寄駅に到着する。牟児津が望むと望まざるとに関わらず、時間は進む。今日もまた疲れるのだろう。憂鬱だ。こんなときは、いきつけの和菓子屋に寄って朝から甘いものを食べるに限る。

 改札から出て正面の商店街に続く学園への道から少し外れて、左手にある塩瀬庵に向かう。今日は何を食べようか、と考えていた牟児津の前で、自動ドアが早めに開いた。


「あれェえええっ!!?牟児津ちゃんやんかァ!!おはようさあああん!!」

「ぎゃあっ!?」


 全く唐突に、牟児津は耳の穴から脳のてっぺんまで直通で響くような大声に襲われた。声と喋り方で誰かはすぐに分かる。そんなことより、覆い被さってくるその体を避けることに脳のリソースを費やすべきだった。


「危ないっ!」

「ケーッ!」

「おあああああっ!!あだあああっ!!」

「ね、姐さん!?あっ……あ、瓜生田さん……!お、おはようございます」

「おはよう、吹逸さん」


 身がこわばって動けなくなった牟児津の後ろ襟を、瓜生田がとっさに引っ張った。喉を締められた鶏のような声を出して、牟児津は倒れてくる灯油の下から間一髪のところで抜け出した。下敷きになるはずだった牟児津がいなくなったことで、灯油は顔面から地面に突っ込んでいった。


「んなっはっはっ!いったあ!!めっちゃ顔打った!あっかん!噺抜けてもうた!」

「な、な、なんなんだ!なんだ朝から!」

「おお牟児津ちゃあん!姐さんが可愛がったるさかい近う寄りいな!ちっこくて可愛らしいなあ!あ、しゃろ子のが小さいな」

「なんかキモい!マジでなに!?」

「灯油先輩、大丈夫ですか?おでこ赤くなってますよ」

「なんや自分たわけたこと言いなや!どこが赤いねん!赤ないやろ!吹逸!姐さん赤ないやんなあ!?」

「姐さんもうやめてください!大人しく帰りましょう!」

「アホぬかせ!帰るか!そもそもや吹逸!自分が昨日言うたんやろ!もうお菓子作りませんて!あんたの差し入れアテめっちゃ好っきゃのに!そんなんやからわざわざ買いに来てんねやないか!何のために吹逸って名前付けた思てんねん!」

「ご、ご迷惑おかけしました!失礼します!」

「えっ?ひとりで大丈夫?」

「はい!それでは」


 朝から謎にハイテンションな灯油は、笑ったり怒ったり感情が目まぐるしく変化する。どうも顔が赤いのは地面にぶつけただけのせいではないような気がする。が、それを追及するより先に吹逸に肩を担がれ、連れて行かれてしまった。どうやら吹逸の方は普段通りらしい。


「んっ。忘れよう」


 牟児津は考えることを諦めた。この学園の人間は誰も彼も、少し油断すると奇行に走る傾向にある。いまの灯油だって、何らかの気の迷いかなにかでああなったのだろう。そう雑に結論付けて、牟児津は塩瀬庵に入った。


「今日は素まんじゅうにしよっかな」

「ムジツさんがあんこ入りじゃないお菓子買うなんて珍しいね。やっぱ疲れてる?」

「携帯羊羹に合わせるのにあんこはいらないでしょ」

「そっかあ。そうだねえ」


 牟児津は、真っ白でふわふわな、自分の顔くらいある生地だけのまんじゅうを買った。片手で器用に携帯羊羹の包みを剥いて、片手にまんじゅう、片手に羊羹を持って食べながら学園に向かう。


「おまんじゅうふわふわだね。ちょっとちょうだい」

「千切っていいよ」

「ん。おいしい。すごい風味があるね。何か混ざってるの?」

「むぐむぐぐ」

「飲み込んでから喋りなよ。はい、お茶」


 瓜生田に水筒を傾けてもらい、牟児津は口の中を空にして答えた。


「お酒で蒸してるんだって」



 〜〜〜〜〜〜



 校門へ続く坂道には、長い列ができていた。昨日に引き続き行われている所持品検査の影響で、人流が滞っているようだ。牟児津は至極面倒臭いと思いながらも、仕方なくその最後尾についた。これで始業に遅れても遅刻にならないよな?とせせこましいことを考えながら、まんじゅうをおかずに羊羹ををぺろりと平らげた。


「今日は疑われるようなもの持ってきてないよね?」

「もちろん。もうあんな目に遭うのはゴメンだよ」

「いいや!遭ってもらうぞ牟児津真白!」

「わあっ!?」


 今度は背後から降りかかってきた大声に驚き、牟児津は坂道の上まで届く悲鳴をあげた。こちらの声の主は見ずとも分かる。


「あ、家逗先輩と羽村さん」

「おはようございます。申し訳ありませんが牟児津様、尾行させていただきました」

「へぇっ!?び、びこう!?」

「うむ!探偵といえば推理の次に尾行だからな!早起きして駅で待ち伏せた甲斐があったというものだ!」

「じゃあムジツさんが塩瀬庵でおまんじゅう買ってるとこも見られてたの?」

「なんで恥ずかしいことみたいに言うの?」

「もちろん見ていたとも!まんじゅうと羊羹を持ってアホ丸出しで商店街を通っていたところもな!」

「誰がアホ丸出しだ!」

「なんで尾行を?この列と関係あるんですか?」

「いかにも!」


 話している間にもじわじわ進んでいく列に置いていかれないよう、家逗がちまちま歩きながら大袈裟にポーズを決める。


「昨日の捜査状況からして、やはり解決には川路君や磯手君に直接聞き込みするのが近道だと判断した。確実に彼女らに接触するには、やはりケツに飛び込むしかない!」

「虎穴のことです」

「ひどい間違い方だ」

「そこで私は朝の所持品検査を利用することにした!敵の罠を逆に利用してやったのだ!」

「敵じゃない罠じゃない」

「というわけで、今日の検査ではわざと引っかかるぞ。そのために家から例の宝石っぽい物も持ってきた。そしてお前にも付き合ってもらうぞ!牟児津真白!」

「なんでだ!やだよ!」

「我々は川路様や磯手様と協力して事件解決に当たったことがなく、事件についてお話を伺うにあたっての信頼関係がありません。おふたりはお知り合いだと伺いましたので、ぜひお力添えいただこうかと思いまして」

「やるならそっちだけでやってよ!あのふたり仲悪くて一緒にいるこっちがハラハラしるんだよ!」

「やはりよくご存知のようで」


 ぴったり牟児津と瓜生田の後ろにつき、探偵同好会はふたりをマークしていた。列から抜けて後ろについても、同じことをされるだけで意味がない。牟児津はなすすべもなく、ただ列が進むのに身を任せるしかなかった。そうこうしている内に、背後で自分を陥れようと企てている悪徳探偵らと共に、検査場まで進んでしまった。

 こうなったら、と手早く検査を済ませて逃げようと、牟児津は自らカバンの中を開いて見せた。幸い置き勉の甲斐あって荷物が少ないので、中をひっくり返される心配もない。猛ダッシュで逃げようとする牟児津の後ろから、家逗たちの声が聞こえてくる。


「あっ!こ、これは——!」

「いや違うぞ。これはお前たちが探している赤くて丸くて手のひらサイズのものなんかではないんだぞ」

「怪しい奴め!こっちに来い!お前もだ!」

「あーっ!すみません牟児津様!バレてしまいましたー!私たちのすぐ前に並んでいた赤い髪の牟児津様ー!」

「なにっ!おいそこの!止まれ!誰か捕まえろ!」

「ひえーっ!勘弁してくれー!」


 風紀委員も連日の捜査で疲れているのか、家逗と羽村の三文芝居で見事に騙され、探偵同好会の思惑は成功した。こんなので思い通りに動かされる風紀委員もどうなんだ、と思いながら、牟児津は2日連続で生徒指導室行きになった。

 生徒指導室では川路が待ち受けており、検査に引っかかった生徒を順番に処理していた。部屋に入ってきた牟児津の顔を見た瞬間、さすがの川路も呆れた顔をした。そしてその後に続く家逗たちを見て、とうとう頭を抱えた。


「……今度はなんだ。いまは昨日の事件以外に構っている暇はない」

「ども……すいません。あの、私じゃなくて、こっちの人らが用あるみたいで……」

「やあ川路君!こうして話すのは久し振りだな!」

「家逗……探偵ごっこは結構だが、風紀委員の活動を妨害するなと何度言えば分かる」

「何を言うかと思えば!グレグスン君とレストレード君が私を頼っているんだ。私を頼って情報提供をしてくれる友人を無碍にするわけにはいかないだろう?」

「なんでも自分に都合よく解釈する癖も治せと2年前から言っているはずだぞ!貴様が首を突っ込まなければもっと早く解決した事件がいくつあると思ってるんだ!」

「逆だよ。他の事件は私が出るまでもなかっただけだ。それに、たらればを言っても仕方ないことだよ。君も真相を追い求める者なら、未来に目を向けたまえ」

「牟児津ゥ……!貴様、よりにもよってなぜこいつを連れてきた……!」

「こ、こんな理不尽なことあるぅ……?」


 相変わらずの人を射殺しかねない視線はそのままに、しかし川路はひどい頭痛に悩まされていた。3年生の風紀委員にとって、家逗は1年生の頃から頭痛の種だった。あまりに煩わしかったので、川路は家逗の相手を、特に気に入られていた呉薬や鳥堂に相手を任せていた。そのため、今こうして直接話すと、全く会話にならないストレスで頭がおかしくなりそうだった。

 それだけが理由の全てではないが、とにかく川路は家逗が嫌いだった。苦手で煩わしくて迷惑な、要注意人物だった。


「家逗先輩が、敢えて所持品検査に引っ掛かれば川路先輩や磯手先輩とお話しできるんじゃないかと考えられて、私たちは巻き込まれたんです」

「お前たちは毎日何かに巻き込まれないと気が済まないのか?」

「巻き込まれてるだけなんで毎日気が気じゃないです……」

「磯手君はどこかね?」

「知るか」

「そうか。なら川路君でも構わないから知っていることを教えてもらおう。君たちが探している“赤い宝石”とは、いったいなんなんだ?」

「ん?……おい牟児津!貴様なぜ宝石のことをこいつに話した!」

「うひえええっ!!」


 家逗の問いには答えず、川路は机を叩いて牟児津に怒鳴った。驚いて飛び上がった牟児津は、そのまま瓜生田の後ろに逃げ隠れてしまう。川路の問いに答えたのは、それまで沈黙を保っていた羽村だった。


「川路様。畏れながら、ホームズは自力で宝石の手掛かりにたどり着いております。我々は牟児津様の口から宝石という言葉を聞いたことはございません」

「なにっ!?ん?ホー……なんだ貴様は!」

「ホームズ、もとい家逗会長が設立した探偵同好会で副会長を務めております。1年Aクラスの羽村知恩と申します。ワトソンとお呼びください」

「ワ、ワトソン……!?そういうごっこ遊びを止めろと言ってるんだ!いい年して恥ずかしくないのか!いやそうじゃない!自力で宝石にたどり着くだと!?家逗だぞ!?」

「ふふっ、それが謎であるならいずれ私に解かれるのだ。不思議なことではなかろう」

「宝石のことを知っているのはここにいる人間以外では生徒会本部員か理事か、そうでなければ犯人くらいだ!このポンコツ探偵にそんな手掛かりを見つけることなどできるか!」

「うわーっ!?ポンコツだと!?言ったなこのシュ——!!」

「黙れ!!」


 再び川路が机を叩いた。今度はさすがの瓜生田も少し肩を跳ねさせた。が、家逗と羽村は微動だにしない。羽村が落ち着いているのはともかく、家逗も平然としているのは牟児津にとって意外だった。家逗は川路を全く恐れていないようだ。


「もういい!貴様らが私たちの探している人物でないことは明白だ!今すぐ出ていかないと捜査妨害で即刻懲罰にするぞ!これ以上は時間の無駄だ!」

「無駄と言ったな なら私の話を聞け」

「ひぃァ!」


 突然、その場にいないはずの人物の声がしたため、牟児津はまた飛び上がるほど驚いた。今日は朝から何回驚かされているのか分からない。

 扉を開ける音は強く、しかし痛まないように丁寧に閉めて現れたのは、まさに話題に上がっていた磯手だった。相変わらず几帳面な格好に小気味良い足音と、一切の無駄を許さない厳格な雰囲気を醸している。今日は肩に大きな紙を巻いたものを担いでいる。


「なるほど関係者揃い踏みというわけだ 川路に用があったがもののついでだ 牟児津と家逗にも同じものをくれてやる」

「なにっ!?おい待て!捜査情報を一般生徒に漏らすのか!」

「私は目的が果たせれば手段は問わない 犯人を見つけられるなら風紀委員も一般生徒も同じようなことだ」

「なんで朝イチから喧嘩腰なんだよこの人たちは……」

「お前たちのことだから女神像の正体について探っているのだろう うちの委員が噂していたから今日からはある程度のことなら話していいと通達しておいた それと工学総合研究部に依頼していた女神像のX線検査が完了し内部構造とその機能が明らかになった」

「情報量多いですね〜。X線検査なんて高校生ができるものなんですか?」

「無駄話はしない これはその検査結果だ」


 捲し立てるような早口で用件を話し、磯手は大きな図面を机の上に広げた。様々な角度から女神像の構造と機能を示した図が描かれており、複数の机をつなげないとはみ出してしまうほどの大きさなのに細部が細かくてよく分からないほど緻密に描写されている。


「これは機密だ 今ここで覚えろ」

「無茶苦茶言うな!こんなんちょっとやそっとで覚えられたらDクラスになんていないよ!」

「はい。おおよそ把握しました」

「早っ!?」

「さすがだなワトソン君!優秀だ!磯手君、もう下げていいぞ」

「もういいのか」

「ワトソン君が覚えてさえいれば私が記憶する必要はないからな。これ以上は牟児津真白にヒントを与えるだけだ」

「アンタまだそんなこと言ってんのか!共同捜査はどうしたんだよ!」

「ご安心を。後ほど詳細はお伝えします。情報共有を目的としたギヴ&テイクの関係ですので」

「つまりそれに値する別の情報と交換ってことだね。ズルいなあ」


 羽村と瓜生田の会話を、牟児津と家逗はぽかんと流し聞きしていた。事情を知らない川路と磯手は始めから聞いていなかった。十分に図面を読み込んだと判断すると、磯手はさっさとそれを巻いて取り払ってしまった。


「そういうわけだ 引き続き“赤い宝石”を持った生徒の捜索に励むよう」

「あっ……ちょ、ちょっと!」

「ムジツさん、どこ行くの」

「いや、なんか、一旦磯手さんに聞いとかなきゃいけないことがあって」


 磯手は部屋を出て行ってしまった。謎の図面を見せるだけ見せて、多くを語らずに行ってしまった。牟児津は、何かに突き動かされるようにその後を追いかけた。瓜生田がその後を追う。家逗と羽村は牟児津の行動の意味が分からず、そのまま部屋に留まった。

 廊下を出ると、磯手はギリギリ徒歩と呼べる速さでかなり先へ行ってしまっていた。廊下を走ってはいけないが、牟児津は全力でその後を追った。今を逃すと、次いつ顔を見られるか分からない。そして瓜生田はその牟児津についていけず、廊下の隅で息を荒げていた。


「磯手さん!」

「用件は歩きながら話せ」


 牟児津が声をかけても、磯手は一瞥すらせず歩き続けながら言った。足の長い磯手の早足は牟児津には小走りくらいのペースになる。


「足はやっ……!あ、あのっ……!えと……げっ!うりゅいねえ!あ、あのぅ」

「私は無駄が何よりも嫌いだ 用がないなら呼び止めるな」

「止まってないし!じゃなくて、用はあります!あっとその……私、さっきの図面がなんなのか、分かんないんですけど、でも、ああそうじゃなくて……!い、磯手さんは……!磯手さんっていうか、なんで磯手さんが理事さんの代わりに人探ししてるんですか!?」


 小気味良いリズムが止んだ。急に足を止めた磯手の横を、牟児津が通り過ぎて正面の壁にぶつかる。


「おげぁっ!?」

「……なんだと?」

「くそぅ……厄日だ……」

「なぜお前が理事との話を知っている……!?誰から聞いた……!?」

「あ、やっぱそうなんだ。いや別に誰からも聞いてないですけど」

「ならなぜ……!?」

「だって、磯手さんにとってもう事件は解決したも同然じゃないですか」

「どういうことだ」


 のそりと牟児津は起き上がって、磯手と相対する。常に忙しなく動き回っている磯手が、今は牟児津の目の前で仁王立ちしている。川路ほどではないが威圧感もある。それでも、牟児津は尋ねずにはいられない。頭の中を無秩序に飛び回る疑問と情報で脳がはち切れそうだった。少しでも吐き出さないとこれ以上は何も考えられない。


「私は図面に何が書いてあったかなんてちっとも分かりませんでした。でも、女神像の中身が分かったんですよね?工総研に頼んだんならたぶん機械なんでしょうけど——だったらもう、あの訳のわからないメッセージと光を出さないようにすればいいだけじゃないですか。

 会計委員会は物を管理する委員会でしょう。だったら、構造が分かった時点で、女神像の異常を止める手段が分かった時点で、もう事件解決じゃないですか」

「質問に答えろ なぜ私と理事の話をお前が言い当てられるんだ」

「だから、磯手さんにとってはほとんど解決したような事件なのに、まだ風紀委員——ましてや一般生徒の私たちを頼るなんておかしいじゃないですか。それって、女神像のメッセージを止めるより大事な目的があるからでしょう。

 磯手さんはそれを言っています。“赤い宝石”を持った生徒です。正直そこもまだ全然意味分かんないですけど……会計委員会がその人を探す理由ってなくないですか?だったら、磯手さんじゃなくて、他の誰かに頼まれて探してるんだろうなって。磯手さん、最近よく理事と話してるそうじゃないですか」

「……なるほどな 田中副会長が一泡吹かせられるわけだ」

「え」

「泡を吹かせるだけで参ったと言わせないツメの甘さもよく分かった その推理をするなら図面をよく理解するだけでなく“赤い宝石”についてもっと調べるべきだ そもそもその宝石も我々が管理する学園の備品であることを忘れるな」

「学園の備品なんですか?昨日はそんな話してなかったですよ」

「そうだ この件に関してお前はまだまだ知らないことがある まずはそれを知ることだ」

「はあ……」

「図面は機密情報だ コピーやデータを渡すわけにはいかない 家逗の後輩にでも話を聞くことだ」


 再び磯手は歩きだし、牟児津の横をすり抜けて行ってしまった。牟児津は、多少整理できると思っていた情報が全く整理できず、しかも磯手にはまだまだ知らないことがあると言われてしまい、余計に混乱していた。

 収穫がなかったわけではない。とっさに牟児津が磯手に話した内容は、少なくとも磯手の足を止める程度には的中しているようだ。磯手は理事に頼まれて、“赤い宝石”を持った生徒を探している。そうすると今度は、なぜ理事が一生徒を探しているのか、それが問題になる。

 昨日より格段に重たくなった頭を抱えて、牟児津は来た道を戻った。



 〜〜〜〜〜〜



 その日の昼休み、牟児津は探偵同好会の部室で昼食を摂っていた。昨日の捜査状況と今朝の出来事を踏まえ、改めて放課後の行動を精査するためのミーティングである。すっかり真面目に事件に取り組んでいることを、自分を俯瞰する自分に冷笑されながら、牟児津は菓子パンを頬張る。


「おやおやおやおや!こんなところに学園新聞が!情報隠者じょうじゃくがようやくまともに世間を知るようになりましたか!いやあ涙ぐましい成長ですね!」


 なぜか話を聞きつけた益子も加わって、大きな声で羽村に嫌味を言う。他の4人はそれを完全に無視して情報共有する。


「羽村さん、図面の内容どれくらい覚えてる?」

「簡単にですが、忘れないうちに大まかな内容をメモしたものと、見たままの図面を描いてみました。細部にはあまり自信がないので、正確性には疑問が残りますが」

「仕方ないよ。ちょっとしか見せてくれなかったんだもん。それで、その図面は?」

「厚かましいお願いを申しますが、我々は情報共有のためにおふたりを会食にお誘いしましたので、牟児津様方からも何か情報を共有していただきたいのですが」

「やっぱりそうなるかあ。協力ってなんだっけ」


 自信がないと言いつつもしっかり情報的アドバンテージは主張してくる羽村に、瓜生田は眉尻を下げた。すかさず益子が会話に飛び込んでくる。


「だから言ったでしょう!羽村この人は狡いんですよ!慇懃な態度をとってますけど、腹の底では自分たちの利益になることを第一に考える悪女なんですよ!」

「別に悪いとは思わないよ……っていうかアンタがなんで羽村さんを目の敵にしてんのか分かんないんだけど」

「クラスで学園新聞のネガキャンしてるんですよこの人ァ!」

「ネガキャンだなんてそんな。私はただお友達と、『学園新聞は扇動主義センセーショナリズムに溺れたメディアですから、あまり真に受けすぎない方がいいですよ』というお話をしていただけですのに」

「合ってんじゃん」

扇動主義センセーショナリズムで何が悪い!」

「開き直ってんじゃん」

「Aクラスでは学園新聞あんまり回ってないから、羽村さんの話は実際効果あったかもね」

「報道の自由の侵害です!言論統制です!メディアリテラシー!プロパガンダ!報道しない自由!」

「情報の受け手にも選ぶ権利はあるだろ」

「昼休みが終わってしまうぞ君たち。磯手君じゃないが、無駄話はそれくらいにしたまえよ」


 微妙に気にかかっていた羽村と益子の関わりは、ただ益子が因縁をつけているだけのことだった。しょうもな、と一蹴して、牟児津はこれからどうしようか考える。探偵同好会に、磯手と今朝話したことを伝えるべきか。磯手には図面をよく理解しろと言われているので、羽村が持っている情報は欲しい。だが、磯手が人探しをしていることは羽村なら気付いているだろうし、そこから理事に依頼されていることを想像していてもおかしくない。考えるほど自分の持っている情報が大したことないように思えてしまう。


「ねえうりゅ。これどうかな?」

「なになに?」


 少なくとも瓜生田には話していいだろう、と牟児津は耳打ちで瓜生田に磯手との話を伝える。磯手の目的が人探しであること。それは理事から頼まれたものであること。“赤い宝石”は学園の備品であること。その3つだ。

 瓜生田はふんふんと聞きながら頷き、少し大袈裟に驚いてみせたりする。向かい合って弁当を食べている家逗と羽村の反応を伺いながら、瓜生田は少し考えてから口を開いた。


「要するに、家逗先輩と羽村さんが知らない情報を教えてあげればいいんだよね」

「もちろんだ。ま、そんなものがあればの話だがな!」

「ありますよ。磯手先輩の本当の目的と、私たちが見落としていたことについての情報が」

「なに?本当の目的?」

「“赤い宝石”を見つけることでは?」

「え、あ、まあ、そう、なのかな?」

「ムジツさん、違うでしょ。その辺りも含めて私たちから話せることがあるんだけど、それじゃダメ?」

「……いえ、結構です。お互い持っているものを見せ合いましょう」


 羽村の予想は、牟児津が考えていたものとは少し違った。確かに“赤い宝石”が学園の備品なら、磯手が“赤い宝石”を持った生徒を探しているというのはおかしなことではない。備品が持ち去られたなら会計委員会が回収すべきだからだ。しかし、磯手の反応からするに、宝石そのものよりもそれを持った人物こそが重要であるように思えた。

 瓜生田はその話を、牟児津よりもずっと理路整然に話した。益子はそれを横で聞いて必死にメモを取り、家逗と羽村は興味深げに聞いていた。羽村の目的と“赤い宝石”について、昨日は深く考える余裕がなかった。今日になってそれが一気に深まるとは思ってもみなかったのだ。


「ふむ。つまりこの事件には、高等部の学園理事も一枚噛んでいるということだな?面白くなってきたではないか。伊之泉杜学園全体を巻き込んだ壮大な事件ということに——!」

「それにしては起きてる事象が小さ過ぎますね。それより、なぜ理事は生徒会本部に働きかけず、磯手様に直接指示を出されているのでしょう」

「“赤い宝石”というのも私は気になるぞ。まさに灯油君の話にあった通りのものじゃないか!しかし磯手君と川路君はそれを知っているようだったが、我々が話を聞いた風紀委員には、宝石とは知らされていなかったぞ!情報に階層が設けられている……いったいどういうことだ?」

「知らせていい情報と知らせてはならない情報がある……いえ、むしろほとんどの情報は知らせてはいけなくて、直接捜索にあたる風紀委員ですら曖昧にぼかされた情報しか知らされていない。それなのに、事件が起きたことそのものは機密ではない……」

「訳がわからないですね。理事は本当に犯人を見つける気があるんですか?」

「さあ、どうだろうね。そこはこれから考えることだと思うよ」


 学園理事まで登場し、事件のスケールが大きくなってきたことに家逗は興奮してくる。牟児津としてはまた人が増えて、何がどうなっているのかさっぱり分からない。どこから整理していけばいいのやら、お手上げ状態だ。


「ありがとうございました。それでは私どもの方からも図面の情報を」

「もたついて昼休みが終わっちゃったからまた放課後、なんてことはやめてよね」

「……もちろんです。どうぞ、こちらになります」


 益子ほどではないが、瓜生田もよく分かっていた。羽村は狡い女だ。最終的に情報は共有するが、それまでの過程について取り決めはない。探偵同好会が朝に入手した情報を、牟児津たちには放課後まで隠し通すことができれば、それは大きなアドバンテージになる。しかもそこに牟児津から得た情報まで加われば、牟児津たちが図面を見てあれこれ考えている間に一歩も二歩もリードできる。

 というシナリオを描いていたかどうかは分からないが、それが可能な状況であったことは確かだ。なので瓜生田は釘を刺して、自分たちを出し抜こうとするのを防いだ。羽村は後ろめたさを隠すようにメガネを光らせ、おとなしく図面を提供した。


「機械には詳しくないので用語や記号の意味は分かりませんでしたが、女神像のおおよその内部構造は把握しました。そして、それらの機能も」

「再現率たっか!いや知らないけど、だいたいこんな感じだったよ!羽村さんすっご!あと絵うま!」

「どうだ!私の助手は優秀だろう!」

「ここに、私たちが風紀委員から聞き込みで得た情報を加えると、このようになります」


 磯手の図面と違い、羽村のものはルーズリーフに描き込んだスケッチのようなものだった。しかし、女神像がいったい何でどんな働きがあるのかが簡潔に示され、牟児津たちにとっては磯手の図面よりもすっきりしていて分かりやすいものになっていた。


「女神像の下にある台座は、モニターが備え付けられた重量センサーになっています。そこから配線が延びてモニターに接続されているので、何らかの重量を感知してあのメッセージが表示されている可能性があります」

「防犯用じゃないの?女神像が持っていかれたらアラームが鳴るとか」

「それだとスピーカーではなくモニターという点が不合理です。それに、現在女神像はきちんと台座の上に収まっていますが、モニターは作動しています。つまりこのセンサーが感知しているのは女神像ではないものの重さかと」

「女神像じゃないのもの?」


 広げた図面を、益子が真上から写真を撮る。本物の図面ではないが手掛かりとしてはかなり重要だ。羽村は気にせず続ける。


「もう一点気になるのは、女神像本体です。もともと立方体に近いおかしな形をしていますが、図面ではいくつかのパーツが組み合わさってできた複雑な構造をしていることが分かりました。驚くべきことに、女神像本体に留め具の類は使用されていないことも記述されていました」

「すごいね。設計した人のこだわりかな?」

「最も気にすべき点は、この中心部。女神像の中には、謎の空間が存在しています。ここはX線検査でも何も見つからなかったようなので、おそらく空っぽなのでしょう」

「現在はってことは……元々は何か入ってたってこと?」

「はい。おそらく」


 なんとなく、その場にいる全員が理解し始めてきた。この女神像がいったい何で、ここから導かれることがなんなのか。


「ってことはつまり……女神像は元々中に何かが入ってて、今はそれがなくなった。台座の重量センサーはそれを感知するためのもので、だから今はメッセージが表示されてる。そのなくなったものって……」

「はい。女神像本体の大きさからして、この空間に収まるものはそう大きくありません。ちょうど、手のひらに収まるくらいのサイズのものでしょう。我々が知っている中で、その大きさのものといえば」

「“赤い宝石”……?」


 さっきの今だからこの結論にたどり着いたのだろうか。本当は全然関係ないのに、立て続けに話したことで、偶然の一致が説得力を持ってしまったのだろうか。そうとは思えない。どちらも磯手から出てきた情報だ。磯手は“赤い宝石”を持った生徒を探していて、女神像の中には“赤い宝石”が収まる程度の空間がある。女神像は卒業生からの寄贈品なので磯手が長を務める会計委員会が管理するものだ。全ての情報がつながる。


「磯手先輩が探しているこの事件の犯人は、“赤い宝石”を女神像の中から持ち去った人ってこと?じゃあやっぱ、“赤い宝石”を取り戻すために探してるってことかな?」

「それなら風紀委員に宝石の情報も伝えているはずです。その点を伏せるということは、女神像の中に宝石があったという事実そのものを隠したいのだと思います」

「だからあくまで表向きには、女神像にいたずらした生徒を探すというスタンスなんですね。女神像内部にあったはずの“赤い宝石”を持っていること自体が、何よりの動かぬ証拠となるわけです!」

「そうなると理事がその生徒を探しているという話にも一応の説明はつくな。女神像は理事のお気に入りだったそうだ。おそらく“赤い宝石”のことも理事は知っているのだろう。つまりこれ以上秘密が漏れる危険を排除するために、会計委員会に極秘捜索を依頼したのだ!」

「私たちまでバレてるのに極秘もなにもあったもんじゃないな……」


 情報が寄り集まって、ひとつの結論へとつながる道になる。その結論さえ、より大きな謎を解き明かすための手掛かりに過ぎない。だが少なくとも前進していることは、全員が実感していた。

 ある程度の整理はできた。磯手は——学園理事は、女神像から“赤い宝石”を取り出した人物を秘密裏に探している。その目的はまだ分からないが、施錠された女神像から物を取り去ったのだから、少なくとも褒めるために探しているわけではないだろう。ほとんどの者はひとまずその結論で納得しているが、牟児津は違った。もし罰するために探しているのなら、犯人のしたことが罰される行為なら、女神像がなぜ犯人を祝福しているのかを説明できないからだ。



 〜〜〜〜〜〜



「ムジツ先輩!私たちも聞き込みとかに行きましょうよ!こんなとこで本読んでる場合じゃないですって!」

「これも大事な捜査だから。それに、エルネさんのことはまだ何も分かってないんだよ。そこを突き止めれば、探偵同好会にリードできる」

「別にあの人らとの対決はどうでもいいんだよ。結局、犯人が“赤い宝石”をどうやって取り出したのかが分かんなきゃ、手掛かりも見つけにいけないでしょ」

「そりゃそうですけど、そのために女神像の寄贈主の手掛かりを探すって、遠回りじゃないですか?」

「昨日私がそれ言ったんだよ」

「急がば回れって言うでしょ。がんばろ、益子さん」


 益子がぶつくさこぼす文句はスルーして、牟児津は昨日中途半端なところで終わっていた過去の学園の入賞記録を眺めていた。

 昼休みのミーティングで、女神像と“赤い宝石”の関係はよく分かった。しかし犯人は、厳重に鍵のかかった女神像の、さらに内部にある宝石を抜き取ったということになる。そんな魔法のようなことがあり得るわけもなく、女神像にはまだ何か仕掛けがあるはずだと考えた。そこで、女神像を寄贈したエルネという卒業生を当たれば、女神像についてより詳しいことが分かるはずだと思い、再び図書準備室にやって来た。


「まーた来たわね牟児津さん。本当に何か憑いてるんじゃないの」


 読み終わった記録を整理して片付けているのは、オカルト研究同好会副会長兼図書委員の阿丹部あにべ 沙兎さとだ。仕事の邪魔になるので牟児津たちにたむろされるのは普通に迷惑だった。過去の事件で牟児津に救われたとはいえ、迷惑そうな態度を隠すほどよそよそしくする必要もなかった。


「やめてよ!阿丹部さんがそういうこと言うと洒落にならないんだよ!」

つき先輩に聞いてみよっかな〜」

「すみません先輩。今日中に読み切っちゃうので」

「まあいいけど。あ、そうだ。美珠みたま先輩から連絡あったよ。エルネさんの手掛かり見つけたって」

「本当ですか!?」

「大学部の研究ゼミに入ってて、そこの名簿で名前を見つけたんだって。えっとね……フルネームは石川いしかわ エルネ。工学部工学科に進学してて、ゼミでは数理工学を専攻してるみたいね」

「知らん学問が出てきた」

「詳しい研究テーマとかは分かりませんか?」

「ごめんなさい。そこから先は美珠先輩にはちんぷんかんぷんらしいわ。あの人、根っからの文系脳だから」

「そこまでで私はちんぷかんぷんだよ」


 ひとまずエルネとう人物のフルネームと大学の専攻が分かった。それがヒントになるかはさておき、フルネームが分かれば多少なりとも探しやすくなりそうだ。それでも地味かつ終わりの見えない作業には変わりない。すっかり目が疲れてきた益子は、大きく伸びをして寝転がった。


「益子さん、汚いよ」

「記者は汚れてなんぼです」

「汚れ仕事ってこと?」

「汚れるくらい足で情報集めるってことですよ。私はこういうみっちり読み込むようなのは性に合いません。やっぱり歩き回って聞き込みするのがいいです」

「じゃあ家逗先輩たちのお手伝いしてくる?」

「羽村さんに協力するのは癪なので独自にやってきます!ついでに新聞部のアーカイブでエルネさんの情報も集めてきますよ!」

「そっちも読み込む作業になると思うけど……」


 常に騒がしい益子に、じっと座って作業させるのは酷だったかも知れない。そう思った瓜生田は、半端に残った記録冊子を引き継いで、益子を外に行かせた。家逗と羽村が外で捜査をしているので、こちらも一箇所に留まっているよりは捜査の手を広げるべきだと考えた。

 さっそく益子は図書準備室を飛び出した。記録冊子を読み込むのはきついのに新聞はきつくないのだろうか、というツッコミも聞かないまま。

 瓜生田は益子から引き継いだ冊子を一枚めくって、小さく笑った。


「どったの、うりゅ」

「ううん。益子さん、もうちょっとだったのになって」

「?」

「あったよ。石川エルネ」

「マジで!?」


 益子が開いていたページから、たった一枚紙をめくった次のページ。そこに、石川エルネの名前があった。写真に映っているのはひとりの少女で、ブラウスにロングスカートとヒール付きの靴を履いた淑やかな出立だった。不思議な紋様の額に入った賞状を持って笑顔で映っており、背後には『全国高校パズル選手権』の文字が踊る。どうやらこの大会で入賞したらしい。


「この人が石川エルネ?なんか清楚な人だね」

「入賞によせてのコメントも書いてあるよ」


——この入賞を機に、私の学園内でもパズルの面白さや奥深さを伝えていけたらと思います。差し当たって、まずはパズル研究同好会を設立し、1年後には部に昇格させたいと思います。——


「すっげえ向上心。部つくるって言うのは簡単だけど、1年でできんの?」

「今の校則だと無理だけど昔はできたんじゃない?ほら、田中先輩って部会嫌いだから。今の条件だと、まずは同好会から2年以上活動して、色々条件を満たせば昇格できたはず」

「あっそう……」

「でも実際、今はパズル研究部があるわけだし、この人は有言実行してるってことだよ。すごいよね」

「パズ研か……うん、パズ研……」


 何か思い当たることがあるのか、牟児津はしばらく考え込んだ。ようやく石川エルネの手掛かりを得た。大学部に所属しているなら直接会いに行くこともできるが、おそらく忙しくてなかなか難しいだろう。それよりも手近で確実に話が聞けるパズル研究部に話を聞きに行く方が良い。


「よし、ちょっと話聞きに行ってみよう」

「また前進したね。行こう」

「ちょっと待ちなさい」


 立ち上がった牟児津の襟と瓜生田の袖を、阿丹部が後ろから摘んだ。


「読んだら片す」

「あっ、はい」



 〜〜〜〜〜〜



 パズル研究部は、図書準備室で見た記録のとおり、歴史の浅い部活である。それなりの部員数とそれなりの実績があるため部としての活動に問題はないが、新参なので部室を持たない。従って多くの部員は、空き教室でち寄ったパズルを解き合うなどして活動している。そのためその日の活動場所は毎日変わり、今日は2年Dクラスで活動中だった。


大間おおまさん」

「うん?まあ牟児津さん。どうしたの?忘れ物?」


 大間おおま 眞流々まるるはいつもの席に丸く座って、丸い指で丸いルービックキューブを回していた。いくつかの机をつなげて大きなテーブルにし、そこに部員たちが各自持ち寄ったパズルや自作のパズルを並べて、解いては改善点や解法について話し合ったり、模造紙に訳のわからない計算式を書いたりしていた。

 部員たちは自分のしていることに集中していて、牟児津たちに気付いたのは声をかけられた大間と、その隣にいる何人かだけだ。


「部活中にごめん。ちょっと聞きたいことがあって」

「あら。もしかして例の女神像の事件?また巻き込まれたのね。かわいそうに」

「うん、そうなんだけど……手元見てないのに回して大丈夫?」

「ああいいのよ。これはもうパターンで解けるところまで来たから。はい、完成」


 声をかけてきた牟児津の方に丸く振り向き、丸い会話に丸い花を咲かせながらも、手元は素早く丸くルービックキューブを揃えていく。不揃いだった色がまるまるうちに組みを変え向きを変え、同じ色が同じ箇所に集まった球体に戻った。若干年増感のある丸い笑顔で、大間は牟児津にそのキューブを丸く手渡した。


「……すげ。大間さんってパズル強いんだ」

「強くないわよ。こんなの覚えれば誰だってできるの。新しいパズルになると全然解けないし、最短手数を突き詰めるのも苦手なのよ。ただ、パズルをしてる間は集中できて、解けると楽しいから続けてるのよね」

「ふーん、すごいね。それより、話しても大丈夫?」

「いいわよ。ちょっとゴメンねニコリちゃん。一旦他のやってて」

「ぅす」


 牟児津と話すため、大間は丸椅子から立ち上がった。去り際に隣のウインドブレーカーの少女に丸く声をかけると、少女は小さく会釈のような動きをした。確か昨日、舞台上で藤井に表彰されていた生徒だ。飾り気のないヘアピンで分けた前髪をぴったり留めていて、レモン色で透明感のある瞳がよく見える。


「あの子もパズ研?なんか格好とか不良っぽいよ。浮いてない?」

「半路さんだよ。私同じクラスなんだ」

「うそっ!?Aクラスなの!?あの感じで!?」

「やだわもう。ニコリちゃんは良い子よ。ちょっと愛想は悪いけど、礼儀正しいしパズルも強いし、何より新しいもの好きだからこっちが出した課題をどんどん解いてくのよ。可愛いんだから」

「そうなんだ……」

「設立して3年か4年なのに、パズ研はずいぶん人が多いですね」

「そうね。やっぱり初代部長の石川先輩がすごかったからかしら。去年私が入部したときは、3年生の先輩方はすごい熱量だったわ。石川先輩みたいになるんだって」

「今は大人しい感じだけど?」

「きっと石川先輩のことを知ってる人が抜けちゃったからね。でも、今年は期待のニュースターが来てくれたから、きっとまた盛り上がるわ」

「半路さんですね」

「そう。よく知ってるわね」

「昨日、壇上で藤井先輩に表彰されてましたから」

「あ〜そういえば。でもなんか、今日雰囲気違くない?なんか、昨日より明るく見える」

「そう?いつもと同じファッションだと思うけれど」


 パズル研究部から離れた教室の隅で、牟児津と瓜生田は大間から丸まった話を聞く。あまり期待していたわけではないが、現在のパズル研究部に石川を直接知る人物はいなかった。女神像のことを尋ねても、石川が寄贈したものであることは大間もまるっと知っていたが、それ以上のことはまるで聞き出せなかった。

 その代わり、いかに石川がパズル好きとしてこの学園に影響を与えたか。いかに後身を育ててパズル研究部を設立するまでに苦労があったか。いかに半路が入部してきてくれて助かっているか。などの話をまるまる聞かされた。


「今でもパズル研究部は実力主義だから、より難しいパズルを解く人とか、最短手数で鮮やかに解く人とか、色んなアプローチでみんな頑張ってるのよ。そこにいくとニコリちゃんはそのどれもトップクラスだからすごいわよね。ルービックキューブなんか4秒以内には解いちゃうのよ」

「よっ……!?いや無理でしょ!構造的に!」

「それができちゃうのよね。私なんか40秒は欲しいもの」

「十分すごいって」

「他に石川先輩について知ってることなどありませんか?どんな些細なことでも構いません」

「そうねえ……そういえば、パズル研究部うちでは毎月自作のパズルを作って発表するっていう部内行事があるんだけど、それは石川さんが始めたって言われてるわね」

「へえ」

「大抵は数独とかクロスワードパズルとか、印刷してできるものなのね。でも石川さんは工作にこだわってたらしいわ。自分で秘密箱とか作ってきてたのよ」

「なんそれ」

「決まった手順でフタや部品を動かさないと開かない小物入れのことよ。箱根の寄木細工が有名ね。いまはどこの文化部もそうだけど、うちも園泊してるのね。楽しいわよ〜、みんなでパズルを解きあって夜更かしするの」

「ふ〜ん」


 牟児津にはそれがいかに人並外れたことか分からなかったが、瓜生田はぽかんと口を開けていた。高校生が趣味で作れるようなものではないのだが、1年で同好会を設立した上で部に昇格させた女傑ならばあり得るのかも知れないとも思った。部室がないせいであまり目立たない部活だが、パズル研究部は実はかなり優秀な部活なのではないだろうか。少なくとも、探偵同好会よりは部室を持つに相応しいだろう。



 〜〜〜〜〜〜



 今日という一日があっという間に過ぎていく。その日に分かったことはその日のうちに落語研究部の部室で稽古をしている灯油のところへ報告に行く。何か新しく思い出したことがあるかも知れないし、進捗を探偵同好会も交えて共有することで、より捜査を進展させられる可能性があるからだ。牟児津に言わせれば、さっさと終わらせたいからだ。

 牟児津たちは落語研究部の障子を開ける。まだ灯油たちは稽古をしていて、ひと段落するのを待つことになった。それまでに探偵同好会と益子もやってきた。浮かない表情を見る限り、どちらも大した手掛かりは得られなかったようだ。牟児津は少しだけニヤついた。


「なんだそのにやけ顔は」

「別に」

「いや〜ごめんやで。アテもはよ相手してあげたいんやけど、こっちはこっちで大会が近付いとるさかいに手ぇ抜かれへんねや。他のもんに代わりにやらしたってもええねんけど、やっぱり自分の弟子は可愛いもんやで。自分が他のもんに任しといても、つい口が出てまうねん。今日は報告だけかいな。ん、ほなちゃっちゃと済まそか」


 立板に水とばかりに回る口で、灯油はどんどん話を進める。それを見た牟児津には気になることがあったが、まずは今日一日の報告を優先することにした。

 今日は朝から色々あった。まず探偵同好会の策略により2日連続で朝から川路と磯手に詰められたこと。そこから女神像の構造と赤い宝石との関係までが推理できた。しかしそこから放課後の捜査になると探偵同好会は進展がなく、益子も大した手掛かりは集められなかった。2組の報告を聞き、瓜生田はむんす、と得意げに鼻を鳴らした。


「瓜生田様、どうされましたか」

「なんか言いたげやな。おもろい話でもあるん?」

「2組とも残念でしたね。特に益子さん。あとちょっと粘ってたらお手柄だったのにね」

「どういうことですか!」

「私たちは図書準備室で、女神像を寄贈したというエルネさんの手掛かりを、過去の部会の入賞実績から探していました。途中で益子さんが痺れを切らして足で情報を稼ぎに行ったんですが……その直後に、エルネさんの手掛かりを見つけました!」

「なんですとー!?」

「それも、益子さんが直前まで見てたページのすぐ次で」

「ななななんですとー!?」

「諦めちゃダメってことだね。捜査の基本は根気よく、だよ」

「ふぐぬえい……それ、今からでも私の手柄ってことになりません?」

「なりません」

「根性が浅ましすぎる」


 そこから瓜生田は、エルネのフルネームやパズル研究部創設の経緯、パズル研究部を訪ねて聞き取った手掛かりについて話した。話を聞きながら、益子は終始悔しそうに歯を噛んでいた。探偵同好会はその報告をつまらなさそうに、しかし重要な手掛かりであることには変わらないので羽村が逐次メモを取りながら聞いていた。

 話が終わるまで、灯油は座布団の上で正座し背筋をピンと立たせたまま微動だにせず、真剣に報告を聞いていた。


「報告は以上です。今ある情報から考えるに、灯油先輩がおっしゃっていた赤い宝石は実在するものと考えられます。そしてそれは、女神像の中にあったものかと」

「なるほどなあ。つまりあれは夢やなかったってことか」

「そうとも言い切れないのでは?もし本当に灯油様が赤い宝石を手にしたのなら、何らかの方法で女神像の中から取り出したはずです。その方法がお分かりでないなら、偶然の一致ということも考えられます」

「何らかの方法って言われてもねえ……アテは落ちてるもん拾っただけやし」

「宝石がその辺に落ちててたまるか!思い出せ!何かあったはずだそのとき!それさえ立証できれば我々の勝利だ!」

「まだそんなこと言ってんのか」

「んんん……あかん。なんぼ考えても思い出せる気がせぇへん」


 ある程度の謎の答えが見えてきた。女神像の正体と赤い宝石との関係。そこから導き出される推論は、灯油の危惧したことが的中していたことを示している。しかしまだ決定的な証拠がない。その推論を成立させるための事実は曖昧なままだし、赤い宝石が今どこにあるのかも分かっていない。


「な〜んかふわふわしてんねんなあ。現実感がないっちゅうか、なんとなくでしか覚えてないような。ちょうど今朝もそんな感じやったわ」

「今朝?そういえば灯油先輩、塩瀬庵から出てこられたときにムジツさんと鉢合わせましたね」

「え?そうやったっけ?なんかちっこいカニみたいなんを可愛がったような気はするけども」

「そりゃ私だよ!誰がカニだ!」

「さよか。なんやアテは赤くてちっこいもんに縁があるなあ。んなっはっはっは」


 要領を得ないことを言って、灯油はケタケタ笑う。その日の朝に起きた割と衝撃的な出来事なのに、灯油の中ではもうそんな曖昧な記憶になっているのか、と牟児津は呆れ果てた。


「姐さん、そろそろ稽古を再開しないと時間が……」

「んん?なんや吹逸、他の子ぉに見てもらい言うたやろ」

「はい。ですけども……やっぱり姐さんに見てもらうのが一番稽古になると思いまして」

「ンハーーーッ!可愛らしいこと言うなあこの子はもう!そこまで言われたら姐さん構わへんわけにいかんやないの!むちゅーっ!」

「うええっ。ね、姐さん。着付けが、乱れますから……!」

「可愛がり方が激しいなあ」

「そういうわけやから、アテもなんか思い出せへんか気張ってみるさかい、自分らも今日は帰りぃ。お疲れさん」


 静かに近寄ってきた吹逸が、灯油にもみくちゃにされながら灯油を稽古へと引き戻す。簡単にあしらわれたような気がして釈然としないが、牟児津たちは閉校時刻の前に部室を後にした。落語研究部は今日も泊まりで稽古をするようだ。いつ家に帰っているのやら。

 まだ閉校まで少しだけ時間があったので、牟児津たちは探偵同好会の部室に移動して、明日からどうするかを話し合うことにした。牟児津の直感では事件の収束も近い。あとは決定的な証拠と、赤い宝石の行方を突き止めさえすれば、事件の全容が明らかになるはずだ。


「灯油君が宝石を持ち去ったのは間違いないだろう。そうなると、今は灯油君が宝石を持っているはずだが」

「持っていたら見せてると思いますけどね!本人も記憶が曖昧だそうですから、もう手元にないんじゃないですか?」

「では、いったいどこに?」

「それが分かったら苦労しないよ……。風紀委員と会計委員が総動員で探して見つからないんだよ」

「朝の所持品検査をすり抜けるのは至難の業です。おそらくは学園の中のどこかに隠してあると思われます」

「灯油さんが持って帰ってから、また誰かが隠したってこと?なんでそんなことを」

「横取りでもしようとしたのではないか?手のひらサイズの宝石ともなれば相当な価値があるだろう」

「学園の中に隠したままじゃ価値のあるなしも意味ないですね」

「そもそもその宝石が女神像の中にあったとして、灯油様がどうやって取り出したのかがわからなければ……」

「結局、灯油君の思い出し待ちになるのか……もはやそれは探偵の仕事ではないと思うのだが」


 5つの頭脳が集まって議論を交わす。赤い宝石の行方、それを取り出した方法、灯油の記憶、そのどれもが今の5人にはどうしようもない結論に落ち着いてしまう。明日になっても灯油が何かを思い出す保証はないし、仮に思い出しても時間が経てば経つほどその記憶の説得力は落ちてしまう。

 どうにかして、灯油の記憶以外からアプローチしなければならない。赤い宝石を女神像から取り出す方法は何か。赤い宝石は今どこにあるのか。灯油はどこまで事件に関わっているのか。何かヒントがないか、必死に探る。

 そんな最中、益子のスマートフォンが鳴った。


「——っ、ちょっと失礼」


 急な電話で、益子は席を立った。それを機に、行き詰まった議論に疲れた4人は休憩することにした。羽村が購買で買ってきたペットボトルの茶をカップに入れて全員に出し、家逗は上体をべろんと机に寝そべらせ、瓜生田は自分の家と牟児津の家に、帰りが遅くなることを連絡していた。牟児津はやることもなく、椅子を傾けて暇を持て余していた。

 その時だった。


「えっ!?はい!すぐ行きます!」

「どわっ!?ぐえええっ!!」

「わわわっ!」


 いきなりの大声に驚いて、牟児津は後頭部から床に落ちた。その拍子にせっかく入れてもらった茶を床にこぼしてしまった。


「大変です大変!皆さん一大事!」

「ぐへえ、びしょびしょだ。もうたくさん、やな感じ」

「ムジツさん。先に拭き掃除」

「はっはっは!なんと悲惨!赤っ恥!」

「おふたりさん、ほぼ同じ。ホームズも前にしていました」

「それで。益子さん、何の用事?」

「虚須先輩から連絡がありまして!大学部で石川エルネさんと接触したそうです!いま、構内の喫茶店でお話を聞いていると!」


 華麗な連携で牟児津が汚した床をきれいにし、益子の話に全員で耳を傾ける。石川エルネ——事件の渦中にある女神像を寄贈した人物で、パズル研究部の創設者だ。間違いなく今回の事件において、重要な示唆を与えてくれるはずの人物だ。それがいま、大学部にいるというのだ。


「すぐに向かうぞ!ワトソン君!」

「ほらムジツさんも起きて。目から星飛ばしてる場合じゃないよ」

「星が飛散、つむじ無事?」

「もういいから」


 高等部の閉校時刻が近いということは、大学部の講義もほとんどない時間帯ということだ。高等部と大学部は出入口が学園の敷地を挟んで真反対にある。5人は急いで身支度を整え、部室を飛び出した。



 〜〜〜〜〜〜



 薄暗くなりつつある坂道を、5人は行き交う学生や車に気を付けながら全速力で走った。大学部の正門はすでに半分が閉じられて、正門横の小さな隙間から人々が出入りしている。牟児津たちはそこを突破し、益子の案内で構内にある喫茶店へと向かった。

 店内に客の姿はほとんどなく、入ってすぐのボックスシートに座った2人の女子大生はすぐに見つかった。

 灰白色の髪を今日はポニーテールにし、セミフォーマルな格好で熱心にノートを取っているのは、元オカルト研究部(当時)部長の虚須うろす 美珠みたまだ。それと向かい合う形で、上品に笑う大人っぽい女性が座っていた。それが石川エルネだと、一眼見て分かった。

 2、3時間前にアルバムで見た姿をちょうどそのまま成長させた、清楚で淑やかなお嬢様という雰囲気の人だ。着ている服の柄が幾何学的なこと以外は、高等部の頃と変わっていないように見える。


「虚須さん!」


 牟児津が呼びかけた。それに反応して、虚須はぱっと顔を上げて牟児津たちを見つけた。大きく手を振って、ロングシートに置いた荷物を壁に押し付け、2人分程度の隙間を作る。向かい合うお嬢様も、虚須に倣って牟児津たちの方に目をやった。


「うわーっ!牟児津ちゃん!瓜生田ちゃん!益子ちゃん!久しぶり!来てくれてありがとう!」

「ぜひ……ぜひ……!」

「瓜生田ちゃん、大丈夫?お水飲む?」

「うりゅはそっち座って休んでて」

「あははっ、虚須さんの後輩ってとっても賑やかね」

「いやまあ直の後輩じゃないんですけど……まあいっか。座って座って」


 閉店時刻が近付く中での新しい来客に、喫茶店の店員は目を丸くしていた。そんなこともお構いなしに、牟児津たちはボックスシートに座って石川と向かい合う。面と向かってようやく、牟児津は相手が全く自分のことを知らないのだと気付いた。昨日からずっと名前を聞いていたせいで、なんとなく知り合い程度の関係だと勘違いしていた。


「石川先輩、こちらがお話ししていた牟児津ちゃんと益子ちゃん、あっちで困憊してるのが瓜生田ちゃんです」

「瓜生田さんは大丈夫なの?」

「バテてるだけなんで大丈夫です。それより、今は石川さんの話を聞きたくて」

「あと、そっちのふたりは?私も初対面だよね」

「伊之泉杜学園が誇る灰色の脳細胞!学園のホームズとは私のことだ!よろしく頼むぞ先輩方!」

「すみません。探偵同好会会長の家逗です。私は副会長の羽村と申します」

「あー、なんかもうキャラの感じ分かったわ。うん、オッケー」


 初対面の大学生の先輩ふたりを前に、家逗はいつもと全く同じ調子で尊大な自己紹介をした。もはや牟児津は感心してしまった。幸い、虚須は苦笑いしながら受け流すだけにとどめ、石川も面白がっている様子だった。両先輩の寛大な心に頭が下がるばかりだ。


「それで、『アテナの真心』についてでしたね」

「そう!そうなんです!実はあの像が急に——!」

「大丈夫よ牟児津ちゃん。その辺の話は、益子ちゃんから聞いて私が伝えておいたから。石川先輩も、聞きたいことがあればなんでも答えてくれるって」

「ええ……有能……」

「なんで有能なことに引かれなくちゃいけないんですか!いいでしょ!」

「あまり時間がないから、今のうちに質問してくださいね」


 突然連絡を受けて走ってきたため、5人とも何を聞けばいいか整理ができていなかった。とにかく今のうちに聞けることは全て聞いておかなければと、あれこれ頭の中で考える。そうするほどにこんがらがっていくのをなんとか整理し、まずは羽村が質問をぶつける。


「あの女神像は石川様が寄贈されたものと伺っています。こういう言い方は適切でないかもしれませんが……どういった目的で寄贈されたのでしょうか」

「目的ですか。そうですね。あまり教えすぎると意味がなくなっちゃうのですけど。でもそうねえ……みなさん賢いから言ってしまっても構わないでしょう。一言で表すなら、です」


 石川はいたずらっぽく笑って言った。淑やかなお嬢様という顔立ちの中に、幼稚な悪巧みをする子供のような表情が見え隠れする。


「ご存じかと思いますが、私パズルが得意なんです。全国大会で優勝して部を創設する程度には」

「自分で言うかねそれを!」

「パズル研究同好会を設立したのが2年生のときなので、今年で5年目でしょうか?部になったばかりですしまだまだ歴史も浅いので、実績らしい実績も少ないと思います。ですがせっかく創った部には長続きしてほしいものでしょう?そのためには実績も必要ですし、初めのうちは入り用で部費のやりくりも大変なんです。だからそういったの問題を一気に解決する名案を思いつきましたの」

「その入りで本当に名案だったことってないと思う」

「とっても難しいパズルを解いたらお金が手に入るシステムにすれば良いのでは?と!」

「そら見たことか」

「私、パズルを解くのも好きですけど創るのも好きなんです。ですから工総研出身のお友達に協力していただいて、私ができる限界まで仕掛けを詰め込んだ最高のパズルを創りました!それが『アテナの真心』なんです!」

「パズル……?あれパズルなんですか?」

「はい。詳しいことまでは言えませんけど、きちんと解けるようになってます!パズ研の子が見たらきっと気付くはずです」

「妙な形の像だとは思っていたが、まさかパズルとは……。しかし、あれはガラスケースで防護されていた上に鍵がかかっていたはずだぞ」

「ああ、あれは錠前だけでキーは造っていません」

「なんでそんなことすんの!?」

「パズル研究部の次世代を担うのであれば、南京錠くらいキーなしで解錠できなくては。在学中は後輩にもそういった指導をしてきたつもりですし」

「この人、鍵のことをパズルだと思ってる」

「新手のサイコパス?」


 散々な言われようはスルーしつつ、石川はカバンからタブレットを取り出した。画像フォルダをタップすると、画面いっぱいに複雑な数式や図形が書き込まれた画像が表示された。ちょうど今朝方、生徒指導室で磯手に見せられた図面がこんな感じだった。内容を正確に覚えていた羽村だけは、それよりもさらに細かく正確に描写されているらしいことが分かった。


「これが図面です。細かいことは難しいでしょうからざっくり言いますと、このパズルを解くと中にある赤い宝石『アテナの愛』が手に入ります。アステリズムの入った綺麗な宝石ですよ」

「アス……?なんすか?」

「宝石の表面に、交差する光の筋が現れる効果のことです。星の光のようで素敵ですよ」

「そんなこと、磯手君も川路君も言ってなかったぞ」

「直接見たことがない人でないと知る術はあまりないでしょうね。どなたでも知っているようなものでもありませんし」

「私たちに話しちゃってよかったんですかそれ!?学園新聞に載せちゃいますよ!?」

「お困りのようでしたので。私としても、あれが原因で無関係の後輩方を混乱させるのは本意ではありませんから。さすがに新聞に取り上げるのはご勘弁願いたいです。せっかくお小遣いをはたいて創った像が無意味になってしまいますから」

「なんかもう突っ込んだら長くなりそうだからスルーするけどだいぶ常識外れってことは分かった」


 聞き逃せない一言が聞こえたような気がするが、牟児津は聞き流すことにした。いちいち拾っていたら閉校時刻を過ぎてしまいそうだ。


「ふむふむ。つまり、その女神像がパズルだということに気付いた上で解くことができた子は、その宝石を手に入れることができる。パズル研究部の子ならそれができるはずだから、寄贈という体で後輩にしたわけですね」

「少し訂正させてください。パズル研究部の子ならそれができるはずと言うよりも……それくらいのこともできないでパズル研究部を名乗るのなら、資金難でもなんでもいっそ潰れてしまった方が潔いと思っている。という方が正確です」

「こっっっわ」


 どう考えても、卒業生からの寄贈品がパズルであることを見抜いて鍵をピッキングし、その上パズルの全国大会で優勝するような人間が創ったパズルを解くのが、で済むわけがない。ふわふわした雰囲気で上品な仕草にもかかわらず、この石川エルネという人物はどこか恐ろしさを秘めていた。


「解けたという報告がないまま寄贈から1年が経過したときにはとてもガッカリして、残念なことだと思いました。ですがとうとう解かれたという知らせを受けて、とても嬉しかったです」

「じゃあ、その宝石を持っている人物に心当たりは……?」

「さあ……パズル研究部の子なら可能性はありますけど、それ以外の人でもあれが解けさえすれば手に入れられるので。それに、私は今の代の子たちのことはさっぱりですからなんとも」

「ですよねー」

「でも、少なくとも誰かには解かれたようで良かったです。あの宝石もお気に入りのコレクションだったので、ぜひとも戻って来ることを願っています」

「ど、どういうことでしょうか?」

「理事にはお話を通してあるんです。あの宝石を持って理事のところまで来た生徒がいたら、そのときの鑑定額を部なり委員会なりに割り振るようにと。生徒の才能の発掘のためと言ったら快くお受けいただきました」

「マジでイカレた奴しかいねえなうちの学園は!」

「でもそれ、パズル解いた人は知りようがないですよね?」

「だから理事室の前に置いてるんです。挑む生徒がいたら理事がすぐに確認できるように。夜中のうちに解かれるのは想定外でしたので、センサーカメラでも付けておけばよかったです」

「このぶっ飛んだ人の想定を超えて来る犯人って何者……?」


 後進の育成という名目でありながら、実際はパズル狂いの自己満足のような目的で制作・設置された女神像。正体を知りながら受け入れた理事も、それを解いてしまった犯人も、誰も彼も牟児津の理解の埒外にいた。短い時間の会話だったが、牟児津は結局ツッコミで疲れてしまった。

 やはり現在の赤い宝石の在処と、女神像のパズルを解いた犯人は牟児津たちでなんとか見つけるしかなさそうだ。しかし、女神像の正体と宝石についてはおおよそ理解できた。石川がそういった目的で創ったものならば、あの祝福メッセージの意味も分かる。あれはつまり、字面通り石川から後輩への祝福メッセージだった。


「ちなみに聞きたいのだが、いいかね?」

「ええ。なんでも」

「その宝石の価値というのは、だいたいで構わないが、どれくらいになる?」

「そうですね。正確な額は鑑定士の先生にお訊きするのが良いと思いますが、父が落札したときはええっと……あのときのレートでだいたい、6億と——」

「うん、結構」


 飛んだ先を聞く気も失せた。とんでもない額だ。それが、学園のどこかで誰かが隠し持っていると考えるだけで、それを探せと言われているだけで、牟児津たちは地に足がつかないような不安感に襲われた。


「さて、短い間で申し訳ありませんが、門限が迫ってきました。高等部の皆さんは帰りが遅くなるとお家の方が心配されますよ。もう暗いですから、ご自宅までお送り。ええっと、虚須さんも含めて6台ですね」

「あ、私と牟児津さんはお隣なので一緒で結構です」

「うりゅ。もっと言うべきことあると思うんだわ」


 結局その後、牟児津たちは正門の前に待機していた5台の車にそれぞれ乗って、各自の自宅まで送り届けられた。ピカピカに磨かれたボディにふかふかのシートで、オレンジジュースのサービスまで付いていた。牟児津は傷や汚れをどこか付けやしないかと片時も落ち着かず、味のしないジュースをちびちび飲んだ。

 色々と言いたいことを抑え込み、考えたいことをいちいちかき乱され、大学部では全く集中して考えられなかった。牟児津は、家に帰ってようやく部屋でひとりになって考える時間が生まれた。頭の中にある情報をノートに書き留め、それをぼんやり眺めて頭の中を整理していく。しかしそれも長くは続かなかった。ベッドの上で考えていた牟児津は、いつの間にか寝息をたて始めてしまった。その日はもうヘトヘトだった。

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