第31話 逃避行

 帝都が炎上している理由をレンリは考えた。

 が、やはり結論は一つだった。


 帝都は翼人の手に落ちたのだ。

 何らかの手違いで、和平交渉が失敗したのか。

 しかし、あれほど用意周到にシスムが進めていたのに、なぜなのか。


 そう思っていたとき、丘の草陰から一人の男が現れた。

 状況が状況だけにその場に緊張が走ったが、その男はれっきとした帝国禁軍の正装をしていた。

 ただ、身なりはかなりぼろぼろだ。


「皇女リーファ殿下のご一行で間違いないか?」


 その男の問いかけにレンリは反問した。


「まずあなたの名と立場を言って欲しい」


「これは失礼した。禁軍西園校尉のムラブだ」


 校尉、ということは、将軍ほどではないにせよ、武官としてもそれなりに位階の高いほうだ。

 その彼が、たった一人でここに来ているのはなぜか。


「皇女リーファ殿下にお伝えしたい。帝都は陥落した。翼人との和平交渉に赴かれても、もう無意味だと」


「どうして帝都が陥落した?」


 レンリが鋭く問うと、ムラブは暗い顔をした。


「元尚書令トーランのせいです」


「トーラン? 失脚した大臣がなぜ?」


「トーランは南方に逃れた皇帝を旗印に、独自に軍を募っていたのです。そして密かに軍を率いて北上。翼人との決戦に挑みました」


「結果は……?」


「惨敗です。先帝陛下とトーランは捕虜。あとはみな死にました。そして、よりまずいことに、帝国は和平交渉のさなかに翼人を攻撃したということになりました」


 レンリはうめいた。

 トーランら貴族派は復権をかけて翼人に挑んだのだろう。

 だが、失敗し、帝国をより窮地に追い込んだ。


 翼人からしてみれば、トーランら貴族派も、シスムら進士派も同じ帝国である。

 停戦交渉中に攻撃されたとあっては、翼人も帝国を信用することはできない。


 もとより翼人のなかにも和平派と主戦派がいる。

 こういう事態が起きれば、主戦派の主張が通りやすくなり、翼人の王カラルク=ワンヤンも帝都進撃を決断したのだろう。


 そして、帝都の堅城はあっさりと破られたのだ。


「帝都はさながら地獄そのものです。皇帝キーン陛下とシスム閣下は行方知れず。他の大臣と貴族たちは虐殺され、そして皇女や妃といった女性たちは翼人の奴隷となりました。市内も略奪と殺戮の嵐で、若い女性たちはみな犯されているというありさまです」


 ムラブの言葉を聞いて、真っ先に思い浮かべたのが、セレカのことだった。

 二十二歳の美貌の女官僚は、帝都でレンリの帰りを待っていた。


 もしかすると、セレカも翼人の毒牙にかかり、あるいは殺されているかもしれない。

 レンリにとってセレカは婚約者で、大切な女性だった。


 レンリは文字通り目の前が真っ暗になりそうだったが、なんとか意識を保った。


「ともかく、善後策を考えないといけませんね


 リーファは冷静な声を出そうと努めているようだったが、その声は明らかに上ずっていた。

 レンリたちに考えられる道は三つ。

 

 一つは当初の予定通り、翼人の軍営へ向かうこと。

 これは帝国の命令を遵守し、今からでも和平が成立するという一縷の望みにかけたものではある。

 だが、さすがに現実味が薄いから、この案をとる必要はないだろう。

 期せずしてリーファたちは翼人の供物に捧げられずに済むことになる。


 第二の道は、レンリたちがこのまま帝都に引き返すということだ。

 そうすれば、もしかしたら、セレカたちを助けられるかもしれない。


 その可能性は極めて低いだろう。

 レンリたちも死に、リーファやライラ、アイカたちも翼人たちの奴隷として捕らえられるという未来しか待っていない。


 しかし、心情的にはセレカを見捨てるというのは、レンリにはどうしてもできなかった。

 そして、第三の道は――。


「逃げましょう」


 リーファが綺麗な声でそう言った。

 全員がリーファを振り向く。


「帝都が陥落したといっても、南方の帝国の地にまでは、翼人の軍もそう簡単には遠征できないはずです。兵糧の問題もありますし、気候も違いますから。だから、今は逃げて再戦を期しましょう」


 リーファの言うことは完全な正論だ。

 いま、レンリたちにできるのは逃げることしかない。


 帝都を陥落させた翼人の大軍に立ち向かう力は、今はなかった。


(けど、セレカは今でも俺の助けを求めているかもしれない……)


 セレカが「助けて、レンリ!」と泣き叫ぶ姿が思い浮かぶ

 もし彼女が翼人の手のうちにあるのなら、一刻も早く解放してあげたい。


 セレカが翼人の男にもてあそばれるなんて、想像しただけでもレンリは耐えられなかった。

 苦悶するレンリに、リーファは静かに言う。


「セレカのことが心配なのはわかります。ですが……逃げる、というのは皇女である私の命令です」


 レンリが顔を上げると、リーファはまっすぐにレンリを心配そうに見つめていた。

 そして、レンリはリーファの意図を悟った。


 セレカを助けに行かないことを、リーファは自分の命令のせいにしようとしているのだ。

 そうすれば、レンリにとっての精神的負担はかなり楽になる。


 自分で決めてセレカを見捨てるのと、皇女の命令で護衛として逃避行に参加するのでは意味合いがかなり違ってくるからだ。


「ありがとうございます、殿下」


「礼を言われるようなことは何もしていませんよ」


 リーファは悲しそうな目で微笑んだ。

 ともかく、この皇女を守ることがレンリの任務だった。

 リーファにもそう約束している。


 加えて、ライラたち後宮の女性たちと護衛の兵、そしてアイカもレンリは守り導く必要があった。


 みながレンリの言葉を待っていた。


「……南方の副都を目指そう。そこまで行けば、再起を図ることは容易だ」


「けど、先帝陛下も捕虜となり、現皇帝のキーン陛下も行方不明なんでしょう? あとの皇族もみんな帝都で仲良く死んだか、奴隷になったのだから、誰が皇帝の役をするわけ?」


 ライラが面白そうに言う。


 そのとおり。

 ライラの言うことは懸念だった。

 だが、レンリの元には皇女リーファがいる。


「他に適切な皇族がいなければ、リーファ殿下に皇帝代理となっていただこう」


 リーファは驚いたように目を見開いた。 

 だが、これしか手はない。


 レンリを信頼してくれているリーファを帝位につければ、レンリにとってもなにかと動きやすい。

 いや。

 レンリは帝国の宰相役として、帝国の実権を握ることもできるだろう。


 副都を中心とした抵抗運動が上手く行けばだが。


 レンリたちはさっそく行動をとろうとしたが、しかし、周りに妙な気配がした。


「囲まれてます……!」


 アイカが小さく警告する。

 その言葉どおり、レンリたちはすでに翼人たちに囲まれていた。

 

 おそらくリーファが翼人の軍営に向かっていることを知り、探索に来た一隊なのだろう。


 数はそれほど多くない。

 しかし、レンリと護衛の兵だけで勝てるほど少ないわけでもなさそうだ。


 後宮の女性たちをつれて逃げ切れるとも思えない。

 ライラがくすっと笑った。


「あたしが皇女殿下の代わりにおとりになるわ」


「しかし……」


「いいの。レンリは殿下とその可愛い従者さんをつれてお逃げなさい。人数は少なければ少ないほどいいはずだから」


「それではライラ様の身に危険が……」


「私は殺しても死ぬような人間じゃないし、男だって数え切れないぐらい相手にしてきたのよ? いまさら翼人の男たちなんて怖くないわ」


 ライラはにやりと笑みを浮かべたが、その手は震えていた。


 だが、たしかにライラの言う通りにするのが合理的だ。

 禁軍のムラブもライラとともに残ると言ってくれた。


 もともと全員が逃げ切れるような状況ではない。

 リーファを守ることが最優先だった。


 考える時間はなかった。


 レンリはライラに「必ず生き延びてください」と言うと、リーファとアイカの手を引き、森の茂みへとそっと分け入った。

 そのまま二人をつれて、音を立てずに逃げていく。

 

 やがて背後から多くの女性の甲高い悲鳴と泣き声がした。


「嫌ああああああっっっ!」


 その悲鳴は間違いなくライラのものだった。

 彼女たちは早くも翼人の手に落ちたようだった。


 レンリは耳を塞ぎたい思いを抑え、歩みを続けた。

 彼女たちの犠牲に報いるためにも、必ずリーファを生き延びさせなければならない。

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