第8話 北辺大都督府

 途中で寄り道もあったが、北辺大都督府の置かれている地にレンリはようやく到着した。

 帝都を出発したときは一人だったが、今はアイカが一緒にいる。


「うわぁ……。大きな建物ですね」


 アイカは北辺大都督府の庁舎を見上、圧倒されていた。

 さすが帝国最北端の要所を守る大都督府だけあって、朱塗りの建物はそれなりに豪華なものだった。


 大都督府は辺境の民政・軍政の両方を司る地方官だ。

 その長官である大都督は三品官(九等級の上から三番目)の高官である。


 レンリは大都督の執務室に通された。

 アイカは部屋の外で待たせてある。


 執務室で待ちかまえていたのは、貴族出身の大都督ザルギだった。


 ザルギはでっぷりと肥え太っており、非好意的な目でレンリをじろりと睨んだ。


「君がレンリか。なんでも北平県の主簿のガイムを殺したそうじゃないか。なぜそのような軽率なことをした?」


「ガイムは不正に蓄財を行い、あまつさえ私を殺そうとしました。処断はやむを得ないところで、帝国法に則ったものです」


「土地には土地のしきたりがある。もう少し慎重にことを運んでも良かったのではないかね? ガイムはあの県の事務に精通し、県をよく治めてきたではないか」


「あの者は土地の民を苦しめてきただけであり……」


「もうよい!」


 ザルギは腹立たしげに怒鳴った。


 主簿のガイムの悪事の背景に、誰か高官がいる可能性は考えていた。

 それは大都督ザルギだったのかもしれない。


 しかし、もしいたとしても、不正が暴かれた以上、ガイムを擁護しないはずだと思っていたが、甘かった。


「貴殿は尚書令トーラン殿の排斥の陰謀に手を貸そうとしたとか。そのような問題のある人物に、わが大都督府の統治を乱してもらっては困る」


「そうは言っても、私は大都督府の蒼騎校尉に任じられています」


「ああ、そうだ。だから大都督府直属ではなく、貴殿にはさらに北、に行ってもらおう」


「さらに北?」


「ノルス平原駐屯地という場所がある。大都督府の管轄する土地のなかでも最も北にある。貴殿はその地の郷兵の指揮をとってもらおう」


 帝国には大きく分けて二つの軍がある。

 一つは「禁軍」であり、帝国の精鋭を集めた主力軍だ。

 その指揮は、貴族出身の八人の柱国大将軍をはじめ、輔国大将軍、大都督といった高官たちが行っている。


 一方、郷軍は地方の農民を徴集して編成した軍だ。

 練度は低く、士気も高くない。


 レンリはため息をついた。

 最も北ということは、異民族である翼人の襲撃も頻繁だろう。

 

 郷軍がどれほど当てになるかはわからないし、そもそもレンリの言うことを聞いてくれるかどうか。


 が、ともかく、大都督の命令には逆らえない。

 レンリは部屋を退出すると、アイカに事情を説明した。


「ひどいじゃないですか! レンリ様は何も間違ったことをしていないのに!」


「正しいことをしても、それが評価されるとは限らないからね」


「……わたしのせいですよね。わたしを助けようとしたから、レンリ様は……」


「アイカのせいじゃないよ。どっちにしても、俺はもともと帝都を追われた訳ありの身だから。いまさら大都督に目をつけられた程度、どうってことはないさ」


「でも……」


「それより、悪いけど、もう一度馬車に乗らないとね」


 まだ日は高かったから、レンリはアイカを連れてすぐに北の駐屯地へと向かった。

 暗い顔のアイカを慰めながら、馬車に揺られる。


 北辺大都督府より北の地は、辺りは荒涼たる荒野で、小さな集落と田畑がわずかに散在するだけだった。

 

 やがて柵で囲まれた駐屯地が見えてきた。

 向こうから青い服の兵士たちが馬に乗ってこちらにやってくる。


 出迎えかと思いきや、彼らはレンリたちを取り囲み、槍を向けた。


「何者だ! このノルス平原駐屯地に何の用がある?」


 兵士たちの中央にいた男が進み出て、レンリに問いかけた。

 おそらくこの駐屯地の兵士のまとめ役なのだろう。

 一人だけ装備が上等のもので、青い服の上に鈍く輝く鎧を身に着けた、がっしりとした青年だった。

 

 レンリは肩をすくめた。


「俺は蒼騎校尉のレンリ。これからこの駐屯地の指揮をとることになった」


「なるほど。帝都からやってきた新任の校尉ってのがあんたのことか」


 男は渋い顔をして言った。

 レンリは上官なのだが、男は敬語を使うつもりはないらしい。


「帝都から来たひ弱な官僚様がオレたちの指揮をとるなんざ、迷惑なんだ。戦のことも土地のことも、翼人のことも知らないんだからな」


「君の名前は?」


「オレは副校尉のディルクだ。生まれてこのかたずっとこの地に住んでいる」


「なるほど。なら、この地の事情に詳しいだろうな。よろしく頼むよ」


「……せいぜいあんたは指をくわえて、オレたちの戦いを見てろ。死にたくなけりゃ、邪魔をするなってことだ」


 ディルクの態度はかなり高圧的だった。

 ただ、一方で、彼や彼に付き従う男たちは、それなりに練達の兵士に見えた。


 彼らがレンリのことを警戒するのは、前任の校尉と揉めたからかもしれない。

 レンリは兵士の一人に宿所に案内された。


 といっても、レンリにあてがわれたのは、ぼろぼろのあばら家のなかの、畳が敷かれた狭い一人部屋だった。

 

 レンリとアイカは顔を見合わせた。


「一緒の部屋で寝ることになりますね」

 

「アイカには悪いけど、仕方がないな」


「悪いだなんてとんでもないです! むしろ嬉しいぐらいです! レンリ様はわたしの命の恩人なんですから!」


 アイカは頬を染めてそう言った。

 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、この様子ではアイカにもかなり苦労をさせてしまいそうだ。


 身の回りの世話をしてくれる者はいないし、部屋にはまともな家具もない。

 レンリは一人で生活するのに慣れているが、もし貴族出身の官僚であればかなり困ったことになっただろう。


「それにしても、さっきのディルクって人、やな感じでしたね」


「仕方ないよ。叩き上げの兵士からしてみれば、いきなり俺みたいなよそ者が上官だと言われれば、反感を持つだろうし」


 だから、レンリは彼らの信頼を得るようにしなければならない。

 この地でうまくやっていくためには、ディルクたちの協力は絶対に必要だった。


 明日からの行動をレンリは思い描いたが、すでに日は沈んでいた。

 かなりの強行軍でここまで来たから、だいぶ疲れた。


 アイカが目をこすっているのを見て、レンリは微笑んだ。


「眠い?」


「あっ、えっと、すみません」


「正直に言っていいよ」


「……眠いです」


「じゃあ、寝ようか」


 ここは極寒の地だから、さすがに布団と毛布はかなり暖かそうなものが用意されていたけれど、一人分しかなかった。


 レンリはしばらくためらった後、アイカに布団に入るように言った。


「レンリ様はどうするんですか?」


「俺は綿の上着があるから、大丈夫。そのへんに寝転がって寝るさ」


「そんなのダメですよ。レンリ様はわたしのご主人さまなんですから。一緒の布団で寝ればいいじゃないですか」


 アイカはそう言って、ちょっと恥ずかしそうにレンリを上目遣いに見つめた。レンリはそういうわけにはいかないと言ったけれど、アイカは強硬に一緒に寝るべきだと主張した。


 たしかに綿の上着だけでは寒さがしのげるかどうかわからないし、布団がなければ少なくとも安眠はできなさそうだ。


 レンリは結局、うなずくと、布団の中に入った。

 アイカと距離を少し置いたはずなのだけれど、アイカはすぐにレンリに抱きついてきた


「あ、アイカ……それは……」


「こうしたほうが暖かいですよ」


 アイカの小さな身体の熱が伝わってくる。

 すぐ横のアイカは嬉しそうに金色の瞳を輝かせた。


(まあ、いいか……)


 アイカは幼くして養父をなくして、冷酷な里正のもとで育てられていた。

 一番甘えたい年頃に甘える対象がいなかったのだ。

 だから、多少はアイカがレンリに甘えても、それは悪いことではないかもしれない、とレンリは思った。


「レンリ様も暖かいです」


 そう言うと、アイカはそっとレンリの頬を撫でた。


☆あとがき☆

ハーレムラブコメ『追放された万能魔法剣士&皇女殿下の師匠』も連載しているのでよろしくです! 漫画版も本日更新されています!


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