第7話 レンリと少女アイカ

 結局、郷の長老たちや巫女、里正たちは不正を咎められ、みな立場を失った。

 郷の人々の怒りは大きなものだったし、新任の県令の後押しもあり、長老たちは屋敷を奪われ、郷から追放されたのだ。


 昨年の儀式の生贄とされたはずの少女リンは、里の人々から温かく迎えられていた。リンの両親は泣いて喜び、レンリに繰り返し礼を言った。 

 

 一つだけ問題があったとすれば、それはアイカの処遇だった。


 アイカの養父となっていた里正は地位を失って零落したし、アイカも自分を生贄に差し出した養父のもとで暮らすつもりはないようだった。


「ですから、進士様がわたしを妾としてくださればよいのです」


 宿の一室で、レンリはアイカにそう迫られていた。

 ここは県令の屋敷で、すでにレンリがアイカを預かることとなっていた。


 けれど、まさかいくら愛らしい容姿だからといって、十二歳の少女を妾にするつもりなんてないのだ。


 レンリはなるべく渋い顔を作って言った。


「そういうことを軽々しく言ってはいけないよ。君が俺の妾になるということは、つまり……」


「わたし、なんだってします!」


 アイカは頬を赤くしながらも、金色の瞳でレンリを熱っぽく見つめた。

 

(困ったな……)


 村の人望のある人間のもとで生活するのが、アイカにとっては一番良いのではないかと思う。

 ただ、その人物が信用できるかどうかという問題はあるが。


 その点をアイカも心配しているようだった。


「わたし、進士様は信頼できる人だって信じてます。ずっと進士にわたしは憧れてきたんです。進士は庶民のなかから選ばれて、皇帝陛下と人々のために尽くしている正義の味方なんですよね?」


 アイカの言うのは、進士の理想像だ。

 少なくない民衆が、貴族とは違い、進士なら自分たちの味方をしてくれると思っている。

 

 が、レンリに言わせれば現実はそうではない。


「いや……進士は貧しい生まれの者も多いから、貪欲に賄賂をかき集めている者もいる。貴族と対立するせいで、徒党を組んで権力を握り、不当に人を貶める者もいる。正義の味方なんかじゃないさ」


「でも、わたしにとって、レンリ様は正義の味方です。だって、わたしを助けてくれたんですから。レンリ様は良い進士なのでしょう?」


「まあ、俺は悪人になろうとは思ってはいないよ」


 胸を張って善人だ、と言い切ることはできない。

 が、少なくとも悪事の汚濁のなかに身を置くほど落ちぶれてはいないと思っている。


 レンリは肩をすくめた。


「例えば、君を使用人として雇うということならできるけれど」


「それなら、妾でもいいじゃないですか?」


 アイカは首をかしげた。

 聡明な少女ではあるけれど、男の妾となるということがどういうことか理屈としてはわかっていても、具体的に想像できていないのかもしれない、とレンリは思った。


「君はなぜ妻ではなくて妾になりたいなんて言うのかな?」


「だって、わたしなんかが進士様の正妻だなんて恐れ多いです。きっと帝都に奥様もいらっしゃるでしょうし……」


「いや、いないよ」


 レンリが短く言うと、アイカが「そうなんですか」と少し嬉しそうな顔をした。

 余計なことを言ったかもしれない。


(ただの使用人、ということではアイカを納得させられそうにないな……)


 レンリは少し考えて、良いことを思いついた。


「君は進士に憧れていると言ったね。なら、君自身が進士になるつもりはないかな?」


「ど、どういうことですか?」


「言葉通りの意味だよ。君は俺の従者になる。平たく言えば弟子ということだよ。そして、数年後に行われる科挙での合格を目指すんだ」


 目を丸くしているアイカにレンリは微笑んだ。


「もちろんいろいろと雑用もやってもらうことになると思うけど、給金は出すよ。不満かな?」


 ふるふるとアイカは首を横に振った。


「すごく嬉しいです。でも、いいんですか? わたしなんかが進士様に教えていただくなんて……それに、わたし、絶対に難しい科挙になんて合格できないです」


「君は自分の評価を低く見積もり過ぎだよ。君は十分に賢い」


 そう言って、レンリは右手を差し出した。

 アイカはおずおずとレンリの手を握り返した。


 アイカは妾や使用人ではなく、レンリの弟子となったということだ。


「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします!」


「こちらこそよろしく。ああ、そうそう、一つお願いがあってね。進士様っていう呼び方はやめてほしいな。むず痒く感じるから」


「なら、なんてお呼びすればいいですか?」


「レンリでいいよ」


「それでは、レンリ様。わたしのことも『君』ではなく名前で『アイカ』とお呼びくださいね」


「ああ、アイカ」


 レンリがそう言うと、アイカははにかんだような顔で嬉しそうにうなずいた。

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