第9話 郷兵サーシャ

 翌日からレンリはこの地の観察に徹した。

 副校尉のディルクから手を出すな、と言われている以上、駐屯地の部隊の運営にすぐには深く関わるつもりはなかった。


 しばらくは部隊の指揮はディルクに任せておき、レンリはこの土地の内情を観察し、部隊の状況を知ることを優先すべきということだ。


 あるときはレンリは崖の上から、ディルクが配下の兵士たちと手合わせする様子をひたすら眺めていた。

 酒を片手にしていたら、アイカから「飲みすぎはダメですよ?」とたしなめられた。


 また別のときは、馬に乗って北辺の地を見回った。


 レンリの隣でアイカは馬を巧みに操った。

 その乗馬技術の高さにレンリは舌を巻いた。


 アイカは首をかしげ、「大したことじゃないと思いますけど」と不思議そうに言う。

 この北辺の地は、遊牧民族である翼人たちと日常的に接するし、帝国側の人間たちも牧畜や狩猟も生業としている。


 だから、民衆も幼い頃から乗馬の訓練を積んでいるらしい。


「もしかすると、アイカは弓も扱い慣れている?」


「ええと、多少であれば……」


 レンリは携えてきた弓矢をアイカに渡してみた。

 すると、アイカは深呼吸して、馬上で弓を構えた。


 そして、矢を放つ。

 向かう先には天高く飛ぶ鷲がいて、アイカの矢は的中し、一発で獲物を射抜いた。


 レンリは感嘆し、ため息をもらした


「素晴らしい腕前だ。やっぱり君を従者にしてよかったよ」


「ほ、本当ですか!?」


 ぱぁぁっとアイカが顔を輝かせる。

 褒められて喜んでくれているんだな、とレンリは微笑ましくなった。


 こうして二週間がすぎ、レンリは今日も駐屯地のかなり北の平原を馬で駆けていた。

 ちょうど昼時であり、太陽は南に高く上がっていた。


 レンリたちは小高い丘にさしかかる。

 眼下には小さな集落が広がっていた。


 そのとき、平野から、六人の騎乗の男たちが集落に向かっていくのが目に入った。

 彼らは乗馬用の足が開きやすい衣服を身にまとい、それに羊の毛皮らしきものを合わせている。


 いずれの男も、服の帯は太く、筋骨隆々といったたくましい身体をしていた。

 彼らが「翼人」だ。

 

 翼人は、かつて背中から羽が生えていたという伝承をもつ民族だ。

 その伝承の当否はともかく、帝国の民を標準として考えれば、およそ人間離れした風貌の者が多い。


 彼らは定住は行わず、部族ごとに各地をまわり、遊牧によって生活をしている。

 そして、ここ最近、部族間の連合が急速に進み、かなりの勢威を振るうようになっていた。


 ともかく、翼人の小集団が集落を襲おうとしている。

 冬越しのための物資を奪おうとしているのだろう。


 何人かの帝国兵たちが馬に乗って迎撃に出た。駐屯地の兵は各地の里を守るために分散して配備されている。

 彼らは翼人と同じような乗馬用の動きやすい服を着ていて、その色は蒼で揃えられていた。

 

 故に彼らは蒼騎兵と呼ばれ、それを指揮するレンリの地位は蒼騎校尉という名称なのだ。

 

 翼人たちもかなり精強ではあったが、数度ほど剣を打ちあうと、蒼騎兵側の優勢が明らかになった。

  

(やはりよく訓練されているな……)


 ディルクという副校尉はなかなか有能な人物なのかもしれないとレンリは思った。

 蒼騎兵たちは翼人を撃退し、里へと戻ってきた。


 おや、とレンリは思う。

 蒼騎兵たちのなかの一人は女性だった。

 しかもかなり若く、まだ十代後半の少女のようだ。


 彼女もレンリに気づいたのか、こちらに駆け寄ってくる。


「へえ、校尉殿。戦いもせずに見物?」


 少女は銀色の瞳でレンリを挑発するように見た。

 途中の村で会った少女のリンもそうだったが、北の地ではたまに銀髪銀眼という異彩を放つ容姿の者がいるらしい。


 そして、リンと同じく、この少女も極めて美しかった。

 

 銀色の髪は短く切り揃えてあり、活発そうな印象を与えている。

 乗馬用の服が身体の線を浮かび上がらせ、鍛えられたしなやかな身体をもっていることがわかった。


(こういう娘から、蔑むような目で見られるのはちょっとへこむな……)


 レンリは内心とは無関係に平然とした声を作った。


「ディルクから戦いに手を出すな、と言われているからね。もし苦戦するようであれば助太刀をしようとは思っていたけれど」


「校尉殿の助太刀なんか無用よ。剣を握ったこともない、帝都でぬくぬく育ってきた官僚様が、あたしたちの力になれるわけがないでしょ?」


「違う。レンリ様は……!」

 

 アイカが口をはさみかけたが、レンリはそれを手で制した。


「知ってると思うけれど、俺は蒼騎校尉のレンリだ。君は?」


「サーシャ」


「なるほど。良い名前だ」


 そうレンリが言うと、サーシャは嫌そうな顔をした。

 嫌われたものだな、とレンリは思う。


「内地の人間は嫌いかい?」


 辺境に対し、帝都をはじめとする昔からの帝国の領土を「内地」と呼ぶ。

 そして、内地の人々が辺境を蔑むように、辺境の人々も内地に強い敵意を持っていることが好きだった。


「ええ。内地の人間も、官僚も大嫌い」


 銀色の瞳には憎悪の色がこめられていた。

 

「北辺大都督府のお偉方は、帝都から派遣されてきて、何もわかっていないくせにめちゃくちゃな命令をしているの」


「例えば?」


「……翼人の拠点の一つを襲撃しろって言って、絶対無理だってみんな反対したのに、大都督は無理やりわたしたちを出撃させて……」


「負けたのか?」


「あたしの父さんも死んだの!」


 サーシャはそっと青い服の袖をまくり、右腕をレンリに見せた。

 その白い肌には大きく二本の線の刺青いれずみが彫られていた。


 帝国では刺青は罪人の証であると同時に、強制によって徴集された郷兵たちが逃亡しないようにする工夫の一つだった。


「あたしたち郷兵はこんな醜い傷までつけられて戦わされているの!」


「君は嫌々兵士をやっているの?」


「勘違いしないで。里の人たちを守ることには誇りを持ってるわ。でも、あなたたちみたいな、あたしたちより弱い人間の指図なんか受けない」


「弱くなければいいということかな?」


「この北の辺境では、強いことがすべて。だって、翼人と戦って生き残らなければならないんだもの」


「なるほどね。ちなみにこの駐屯地の部隊で、一番武芸に優れているのは誰?」


「ディルクさんに決まってるでしょ? あの人より強い人なんて、この世にいないわ」


 レンリはそれを聞いて、思わずくすっと笑った。

 じろりとサーシャがレンリを睨む。


「なにがおかしいの?」


「いや、君は優秀な兵士なんだろうけれど、世界を知らない」


「どういう意味?」


「ディルクはたしかになかなかの手練だ。が、あの程度の腕であれば、いくらでも帝都にはいる」


 サーシャがみるみる顔を赤くした。

 怒っているんだろうな、とレンリは思う。


 レンリは畳み掛けた。


「もし俺がディルクより強ければ、君たちは俺の命令を聞く?」


「ええ。でも、そんなわけないでしょ? あんたみたいな内地の文官がディルクに勝てるわけがない。試してみればいいわ」


「それは良い提案だ。やってみようじゃないか。ディルクに伝えてくれ。俺が負ければ今後一切部隊の運営に口出しはしない。だが、もし勝てば、ちゃんと俺の部下として働いてもらうと」


 レンリはそう言って微笑んだ。

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