第10話 辺境武官レンリ

 翌日の朝、駐屯地の宿舎近くの広場で、レンリと副校尉ディルクは向き合っていた。

 無論、親しく会話するためではなく、互いに剣を握り、撃ち合うためだった。

 

 周りには多くの観客がいる。

 そのなかには銀髪銀眼の郷兵サーシャもいて、「ディルクさんの勝ちで決まりね」とつぶやいていた。


 レンリがディルクに負ければ今後一切部隊の運営に口出しはしない。だが、ディルクが負ければ、ディルクはレンリの部下として忠実に働く、というのがこの決闘の取り決めだった。


 この場の誰も、レンリがディルクとの決闘に勝つとは思っていないに違いなかった。

 レンリの従者のアイカは例外で、レンリの勝利を信じているようだった。


「レンリ様! 絶対に勝ってくださいね!」


 アイカが離れた場所から、幼い声でそう叫ぶ。


 一方。ディルクは青い乗馬服を身に着け、まっすぐに俺を睨んでいた。

 さすがは歴戦の武人というべきか、身体は鍛えられており、剣の構えにも隙がない。


「やめておくならいまのうちだぜ、進士の校尉殿。あんたらのようなひ弱な奴らががオレたちに勝てると本気で思ってんのか?」


「やってみなければわからないだろう?」


 レンリは静かにそう言った。

 対して、ディルクは大きな舌打ちをした。


「貴族にしろ、進士にしろ、あんたら内地の官僚様たちはいつもこうだ。オレたちのことを見下し、バカにしてやがる……。よく知りもせずにオレたちのことを見くびってるんんだ」


「違うさ。俺が君に勝てるというのは、客観的事実だ」


 ぴくっとディルクが震えた。 

 その瞳には暗い憎しみの色が宿っていた。


「いいぜ。これは命をかけた果し合いだ。死んでも文句は言うなよ?」


「ああ。どちらのもとに天が味方するか、試してみようじゃないか」


 レンリは愛用の剣を下段に構えた。


 この剣は、故郷の地主がレンリに贈ったものだった。

 彼はレンリの才を高く評価し、科挙を合格するまでの衣食住と費用を負担してくれた。

 いわば、レンリの剣は恩人の分身とも言える存在なのだ。


 ディルクは大きく息を吸うと、レンリへと斬り込んだ。

 レンリは剣をあまり動かさず、さっと後ろへと身を退く。


 すぐに次のディルクの一撃が放たれる。

 レンリはそれを受け流したが、かなり重い一撃だった。


 真正面から戦えば、ディルクの強力な斬撃はかなりの脅威になるだろう。


「おいおい、校尉殿。逃げてばっかりじゃ勝てないぜ!」


「そのとおりだろうな」


 レンリはディルクの言葉に心のなかでうなずいた。

 逃げてばかりでは勝てない、というのは普遍の真理だ。


 たとえどれほど状況が厳しくても、勝とうとしないかぎり勝利は手に入らない。


 同期のセレカが宮廷で孤軍奮闘して政治を変えようとするのも、レンリが辺境の地で生き抜くべく工夫を凝らすのも、最後に勝利がつかめると信じているからだ。


 レンリは一歩踏み込んで、剣を一閃させた。

 ディルクの剣の腕は優れているが、それでも完璧というわけではない。


 剣撃の隙を突いて反撃に出たのだ。

 ディルクは少し意外に思ったようだが、危なげなくレンリの剣を受けきった。


「文官のわりにはなかなかやるじゃねえか」


「それはどうも。けど『わりには』なんていう留保付きの褒め言葉はほしくないね!」


 レンリは右に軽く剣を繰り出すと、すぐに引っ込めた。

 陽動だ。


 ディルクはつられてやや右へと進む。


(そろそろ、ディルクも俺がただの剣の素人ではないと気づきはじめているだろう)


 だから、ディルクの動揺を誘う必要がある。

 ディルクは勢いにまかせて、そのままレンリの右側から凄まじい速さの斬撃を放った。


「これであんたの負けだ!」


 通常であれば、ディルクの言うとおり、対応できる速さではなかっただろう。

 だが、次の瞬間、レンリの愛用の剣がディルクの剣筋を防いでいた。


「なっ……!」


 ディルクは驚いたようだった。

 だが、レンリにとっては、これは当然の帰結だった。


 毎日のように、酒を呑みながら、ディルクが部下と剣の鍛錬を積む様子を見ていたのだ。

 ディルクの剣筋は見切っている。


 それでも容易にディルクを倒せなかったのは、ディルクが優れた剣士だったからだ。

 だが、それも終わりだ。


 ディルクが剣を引く動作も、レンリは熟知していた。

 その動きで生じたわずかなほころびを、レンリは見つけた。


「終わりだ!」


 レンリの剣が、ディルクの手の剣をとらえ、強烈に弾き飛ばした。

 ディルクは剣を取り落し、それを拾う間もなく、首筋にレンリの剣を突きつけられた。


「降参するかい、副校尉のディルク?」


「ああ……あんたの勝ちだ。だが、あんたはどうして俺に勝てたんだ? まるでわからん」


「一つの理由は君が俺を見下していたからさ。君の言葉とは裏腹に、君は俺についてろくな情報も持たず、内地の人間だから、文官だから、と弱いと思い込んだ。逆に俺は君の剣術を常に観察していたからね」


「見くびっていたのは、オレのほうだったわけか……。だが、あんたは何者なんだ? ただの進士の文官だとは思えん」


 レンリは黙って緑服の袖をまくり、腕を差し出した。

 ディルクは息を呑み、言葉も忘れたようだった。


 レンリの腕には二本の線のような痕が走っている。

 郷兵が逃亡しないようにつけられる刺青だ。


「俺は科挙の受験生になる前は貧民のしがない子どもでね。しかも弟以外の身寄りもいなかった。あるとき、村の人間に売られて、仕方なしに郷兵にさせられていたんだよ。剣術はそのころから学んでいるし、南陽のホウロウの反乱に巻き込まれて実戦も積んだ」


「ホウロウの乱……か。あれは地獄だったらしいな」


「もし地獄なんてものがあるとすれば、たしかにあのときの南陽はそうだったろうね」


 聖学では地獄というものを認めないが、人々が広く信じる神教には地獄と呼ばれるものがある。

 レンリの故郷の南陽ではホウロウの乱という大反乱が起き、そして、凄惨な犠牲を生じさせた。


 南陽では、おびただしい数の死体が転がり、飢えた人々がうつろな目でさまよっていたのだ。

 レンリは帝国の郷兵として反乱軍と戦ったが、たしかに地獄そのものだった。


 レンリはディルクに、そして広場の兵士たちに言った。


「さっきも言ったが、俺は二週間ほど君たちを観察してきた。わかったのは、君たちが優れた武人だということだ! 郷里を守り、鍛錬を欠かさず、軍の模範となるべき者たちだ。だから、俺に力を貸してほしい。俺もこの地を守るために力を尽くすつもりだ」


 兵士たちは何も言わなかったが、明らかに空気は変わった。

 北辺の地では強いことがすべて、

 サーシャはそう言っていて、レンリはディルクに勝利を収めた。


 やがて兵士たちは右手の手のひらを開き、レンリに向けて高く掲げた。


 それは北辺の地の兵士たちが、同意を示す合図だった。

 サーシャもまた同じように右手をレンリに向けていた。


 兵士たちはレンリのことをひとまずは上官として受け入れてくれたのだ。

 ディルクは粛然とした様子で、レンリの前にひざまずいた。


「校尉殿……私の不明をお詫びいたします。以後はあなたを上官として仰ぎましょう」


「ありがとう。よろしく頼むよ」


 レンリは腰をかがめ、ディルクの手をとって握った。

 こうしてレンリは名実ともに辺境の武官となった。



【作者より】

これにて第一章は完結です!


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