第二章 皇女リーファ
第11話 レンリ様はレンリ様
レンリが帝都から北辺の地へと左遷されて、一年が経った。
そのあいだに季節はめぐり、厳寒の雪の世界を経験し、農繁期を越え、収穫の時期も過ぎ、また同じ秋がやってきた。
軍の指揮を行い、何度か翼人との小競り合いを行い、勝利した。
ともかくレンリにとって良かったのは、かなり北辺の事情が飲み込めてきたことだった。
遊牧民族の翼人は、かなり勢力を増してきていて、北辺の最大の課題は彼らにいかにして対処するかということだった。
これ自体は以前から知っていたことだが、レンリは翼人についていわゆる「蛮族」としか想像していなかった。
ところが、かつてばらばらだった翼人の部族は、いまやカララク=ワンヤンという王のもと、結束して戦っているという。
翼人は精強な騎兵集団だ。
もし大軍が攻め寄せれば、この駐屯地など容易く落ちるし、北辺大都督府も危ういとレンリは思う。
そうなっていないのは、翼人たちにいまのところその意思がないからにすぎず、だからこそ小競り合いで済んでいるのだ。
そんなことを考えながら、レンリは宿舎の一室で酒の盃を傾けた。
宿舎の縁側に腰しかけていると、寒いながらに北辺の地の夜空は美しく、赤い月と無数の星が浮かんでいた。
突然、レンリの手の中の盃はひょいと取り上げられた。
「レンリ様……呑み過ぎはダメですってば」
振り返ると、アイカがくすっと笑いながら、金色の目でレンリを見つめていた。
アイカも十三歳になって、少しだけ女性らしくなり、そしてレンリに遠慮がなくなった。
「たまにはいいじゃないか」
とレンリが笑って反論すると、「はいはい、わかりました」とアイカはあっさりと盃を戻した。
これは一種のじゃれ合いにすぎず、アイカも本気でレンリの飲酒を止めようとしているわけではなかった。
「悪いね。もし帝都に戻れれば、アイカにももう少し楽な生活をさせてあげられるし、科挙のための勉強だって、もっとちゃんと教えてあげることができるんだけど」
レンリがそう言うと、アイカはびっくりしたような顔をして、ふるふると首を横に振った。
アイカの金色の髪がふわりと揺れる。
「とんでもないです! わたし、本当だったら里正にどこかに奴隷みたいに売り飛ばされてたはずなんです。そうならなかったのはレンリ様のおかげですし……その、わたし、レンリ様と一緒にいられて幸せなんですよ」
そう言って、アイカは恥じらうように目を伏せた。
レンリも少し気恥ずかしくなって、誤魔化すように言葉を返した。
「俺なんかと一緒にいても良いことはないよ」
「そんなことないです! 里の人たちと違って、レンリ様はわたしのことを大事にしてくれますから」
「そう言ってくれて嬉しいよ。だから、なおさらアイカを帝都に連れて行ってあげたいな」
アイカはレンリに従者として忠実に仕えてくれている。
だから、レンリもその忠義に報いたかった。
レンリは孤児で、身寄りのないアイカのことを他人事とは思えない。
アイカは進士に憧れているという。
レンリはアイカが科挙に合格できるように勉強をさせてあげたかったし、それに帝都の街を見せてあげたかった。
あれほど大規模な街はこの世にない。
レンリは帝都を初めて見たときの衝撃をアイカにも教えてあげたかったのだ。
アイカは首をかしげた。
「レンリ様はやっぱり北辺の地がお嫌いですか? レンリ様が来てから、みんな暮らしが良くなったし、翼人に襲われることも少なくなったって喜んでいるみたいですよ?」
「俺はこの土地が好きだよ。ここは気候は厳しいし、翼人の襲撃もあるけれど、良い土地だよ。ディルクやサーシャたちは優れた人間だし、兵士も里の人々も誠実だ。この土地を守りたいというのは、俺の本音だ」
しかし、帝都では仲間の官僚のセレカたちが、レンリとともに国を変えようという意志を抱いて待ってくれている。
レンリ自身も、帝国全体の政治に関わる政治を行うために、進士になったのだ。
ここにいるかぎり、レンリに昇進の道は閉ざされている。
翼人との小競り合いを繰り返すのみだ。
この駐屯地の人々はかなり苦しい生活を強いられているし、兵士たちは大都督府の無理な命令を受けなければならない。
そうした状況を改善し、ディルクやサーシャたちを助けるには、力を手に入れる必要がある。
やはり帝都で官僚としての出世を目指すべきなのだ。
「けど、この状況から抜け出す手立ては見つからないなあ」
中央政府では進士派は後退し、貴族が幅を利かせている。
大都督府も同様だ。
「まあ、昔の歴史家のセンイは閑職に追われて、時間を持て余して優れた歴史書を著した。偉大な詩人のハクリもはるか南方の辺境に左遷されて、多数の詩を後世に遺した。俺は彼らには遠く及ばないけれど、それでも彼らを見習って、多少は名を残せるようなことができればいいのだけれど」
レンリはため息をついた。
けれど、アイカは優しく微笑むと、レンリの手をそっと握った。
「昔の人と自分を比べるのはレンリ様の良くないくせですよ。レンリ様はレンリ様。それでよろしいではないですか」
レンリはアイカの言葉を否定しようとして、結局、やめた。
(アイカの言う通りだ。辺境の武官も悪くない、か)
レンリはアイカの手をそっと握り返した
しかし、辺境の地に一人の皇女が訪れたことによって、レンリを取り巻く状況は大きく変化することとなる。
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