第12話 辺境の皇女

 翌日の朝は快晴で、冷たい風がレンリの馬に吹きつけた。

 民情視察ということで、レンリは駐屯地周辺の集落を回っているのだ。


 アイカは宿舎の留守を守りながら、勉学に励んでいて、今日はレンリのそばにはいない。


 校尉は武官だが、北辺大都督府では治安維持、つまり警察機能も担っている。


 レンリがある村を訪れたとき、何人かの男たちがラクダの脚を縛っているのを見かけた。

 これはラクダの搾乳のために、暴れないようにしているのだった。


 ラクダは牛と違って、夏と秋の一時期しか乳を出さないし、しかも気性が荒い。

 それでもこの北辺の地では、ラクダの乳は貴重な栄養の一つだった。


 レンリが「精が出るね」と声をかけると、「ええ、そうですなあ」と彼らは朗らかに返事を返してくれた。


 辺境の地の人々の生活は楽ではないが、こうしているかぎり平和そのものにレンリには感じられた。


(いつもこういう感じだといいんだけれど……)


 しかし、現実には翼人たちの襲撃がある。

 生じるのは小競り合いとはいえ、相手は屈強な騎兵だし、帝国の郷兵側に犠牲が出ることもある。


 レンリは大きくあくびをした。

 そのとき、向こうから青い服を着た騎兵たちが駆けてきた。


 その先頭に立っている剽悍な青年が、副校尉のディルクだった。

 決闘以来、彼はレンリの部下として誠実に働いていた。

 

「校尉殿、大変なことになりました」


「どうした?」


 レンリは鋭く問い返した。

 もしや翼人の大規模な襲撃があったのでは、と考えたのだ。


 しかし、ディルクの答えはまるで違うものだった。


「大都督府経由で、帝都から高貴な方がお越しになっています」


「高貴な方? 八柱国とかのような大貴族が来た?」


「いえ、ある意味ではより重要な人物です」


 八柱国とは、現王朝建国の功臣だった八つの大貴族だ。

 代々、彼らは柱国大将軍という高位の官職を世襲しており、かなりの勢威を有していた。


(それより重要な人物といえば、宰相格の人間か……それとも)


 ディルクは重々しく言った。


「皇女リーファ殿下がこの辺境を訪れているのです!」





 レンリたちは慌てて駐屯地の庁舎兼宿舎に戻った。

 大都督府はともかく、この駐屯地にあるのはあばら家ばかりだ。

 

 とても皇女を迎えられるような場所ではない。


 皇女は皇帝の娘にすぎないが、それでも皇女の機嫌を損ねれば、官職を失いかねない。

 帝国では皇帝は絶対権力者であり、その親族も特別な存在なのだった。


 レンリは大至急、庁舎の掃除を命じようとしたが、遅かった。


 庁舎の扉が急に開け放たれる。

 レンリたちも馬をかけさせて戻ってきたばかりで、庁舎の入り口付近に立ったままだった。

 だから、庁舎の扉を開けた人々と鉢合わせした格好になる。


 扉を開けたのは、鎧を着込んだ屈強な兵士たちだった。その剣の柄が金色に輝いていることから、帝都の精鋭・禁軍の人間だと思われる。


 そして、彼らの中央に、守られるように一人の少女が立っていた。


「蒼騎校尉のレンリさんはいますか?」


 透き通るようなきれいな声で少女は言った。

 少女は白い絹のひと繋がりの衣装をまとっていて、その身分の貴さを示していた。


 年齢は十七、十八ぐらいだろか。

 少女は黒くつややかな髪は長く伸ばしており、すらりとした身体と端正な顔とあいまって、とても美しかった。

 

 けれど、もっとも印象的だったのは、綺麗に澄んだ大きな瞳だった。

 その瞳には何らかの強い意志が込められているように見えた。


「私はリーファといいます。……皇女、ということになっていますね」


 レンリは慌ててひざまずき、地に頭をつけた。

 ディルクたちもそれにならう。


 リーファは困ったように言う。


「そんなにかしこまらず、顔を上げてください。私はあなたに会いに来たのですから」


「皇女殿下が私に御用ですか?」


 レンリは困惑したように問い返す。


 リーファはくすっと笑い、いたずらっぽく目を輝かせた。


「どんな人か会ってみたかったんです。私の師があなたのことをよく話していますので」


 皇族にはそれぞれ、学問に秀でた臣下が師としてつく。

 それは主に科挙合格者の進士の役割だ。

 

 そのなかでも特に優秀な者の集まりである翰林院の人材があてられることが多い。


「セレカが、つまり私の師が、あなたにすごく会いたがってましたよ。進士のレンリさん」


 そう言ってリーファは微笑んだ。

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