第36話 創武将軍レンリ
カラムは死んだ。
吏部尚書という上級大臣の職にあり、八柱国という最も古い家系の貴族でありながら、その最期は惨めなものだった。
「カラムは天命に逆い、総督閣下を殺し、皇女をものにしようとしたから、あのような結末を招いたのさ」
北辺大都督府監軍ミランは、ニシンの漬物をつまみながら、そう言った。
ミランはレンリの旧友で、レンリがいなくなった後の北辺の軍の統括を任された宦官だ。
レンリは、ミラン、サーシャ、そして皇女リーファとともに、総督府の一室で濁り酒を飲んでいた。
レンリが北辺を離れた後、その地の大都督府の軍は、尚書令トーランによって召集されたのだという。
翼人への反撃のためだったが、しかし、北辺の軍の到着よりも早く、トーランは出撃して、惨敗した。
おかげで、ミランやサーシャたちは死地に赴くことなく、副都の守備についている。
各地から大量に集められた雑多の兵について、その出身地を把握することは困難だ。
カラムはレンリの元部下ということを認識しないまま、北辺の郷兵を護衛の兵としていたのだ。
「本当にご無事で良かったです」
サーシャは酒盃にそっと口をつけた。
レンリとしても、サーシャたちと再会できたのは嬉しい誤算だ。
彼女たちがどうなったのか、レンリとしても気になっていたからだ。
「そういえば、ディルクはどうした?」
サーシャはさっと目を伏せる。
「ディルクさんは……武運尽きて、討ち死にされました」
「立派な死に様だった。翼人から部下の郷兵をかばい、五人も六人も敵兵を葬り、だが、最後は槍で胴を貫かれた」
ミランが重い調子で、郷兵ディルクの死に様を語った。
サーシャも悲しそうにうなずいた。
「それ以外にも、たくさんの郷兵が殺されました。あたしの友達の女の子は……翼人に捕まって……たぶん奴隷にされています。いま、北辺の地にはわずかな守備兵はいないんです。集落がどうなっているか……」
北辺を守護するための兵力を、内地に振り替えたのだ。
いまはもう、北辺は翼人とホウロウの一党の叛徒に蹂躙されてしまっているだろう。
サーシャは弱々しい声で言う。
「あたし……どうすればいいかわからなくて辛かったんです。もう北辺に戻ることはできないし、ディルクさんもいなくなってしまいましたし……ここにいても明るい未来もなさそうで……。でも、レンリ様があたしたちのもとに戻ってきてくれました」
「俺一人がいても、情勢は変えられないよ」
「いいえ、レンリ様なら、きっとあたしたちを導いてくれます」
そっとサーシャはレンリの緑服の袖をつまみ、潤んだ銀色の瞳でレンリを見つめた。
隣のミランがくすっと笑って、立ち上がった。
「どうもボクはお邪魔みたいだ」
レンリが引き止めるよりも早く、風のような早さでミランは去った。
一方、リーファはレンリとサーシャを不満そうに睨んでいた。
リーファはこれまでずっと黙って、小さな舌でちびちび酒杯をなめていた。
そのせいか、リーファはいつのまにかだいぶ酔いが回っているようだった。
「なんだかお二人は怪しいですね」
「怪しいって何のことですか?」
レンリとサーシャは顔を見合わせた。
むうっ、とリーファはむくれ、サーシャの手をつかんだ。
「サーシャさんも、レンリさんのことが好きなんでしょう?」
「え? ……ええっ!? あ、あたしは別に、レンリ様のことが好きとかそんなことはないです! ……頼りになるカッコいい人だとは思いますけど」
「それって、つまり、好きってことでしょう?」
「ち、違うんです」
顔を真っ赤にして、サーシャは首をふるふると振った。
銀色の髪が流れるように揺れる。
リーファがなおもサーシャに絡もうとしたので、レンリは苦笑してそれを止めた。
「殿下。サーシャを困らせてはいけませんよ」
「むうっ。サーシャさんのことは名前で呼ぶのに、わたしのことは『殿下』みたいによそよそしく呼ぶなんて、ふこーへいです!」
「ですが、殿下は皇女ですし」
「そんなの関係ありません! リーファって呼んでください」
リーファは頬をほんのりと染めて、上目遣いにレンリを見つめていた。
まるでねだるように。
(本当に酔ってるなあ)
とはいえ、言うとおりにしないと、リーファは納得しないだろう。
いつもは聞き分けが良く、冷静なリーファが、酒に酔ってわがままを言うというのも、微笑ましかった。
このぐらいなら、リーファの言うとおりにしても問題ないだろう。
レンリはリーファの耳元に口を近づけた。
「リーファ」
リーファはくすぐったそうに身をよじり、そして顔を真っ赤にした。
自分で言いだしたことなのに、リーファはかなり恥ずかしがっている様子で、でも嬉しそうだった。
「レンリさんに名前をよんでもらえた……」
一方のサーシャは、複雑そうな表情をしていて、レンリとリーファを見比べていた。
リーファはそれに気づいたようで、ふふっと笑った。
「やっぱりサーシャさんもレンリさんのこと、好きじゃないですか?」
「ど、どうしてそう思うのですか?」
「だって、今、わたしとレンリさんを見て、やきもちを焼いていたでしょう?」
「そ、そんなことは……」
リーファは楽しそうで、サーシャはうろたえていた。
レンリは二人を眺め、微笑んだ。
(こんなふうに平和な時間が続けばいいのだけれど)
現実には、翼人の副都進撃に備えなければならない。
堅城を有する副都まで落とされれば、もう未来はないだろう。
リーファやサーシャ、ミラン、それにアイカも命を落とすか、奴隷にされることになる。
それだけは、レンリは避けたかった。
「殿下、折り入ってお願いがあります」
「リーファ、でしょう?」
「……失礼しました、リーファ様」
「よろしい♪ それでお願いってなんですか?」
「私に将軍の官位を与えてほしいのです」
「へえ、レンリさんでも、名誉や地位に興味があるんですね」
リーファは意外そうに目を見開き、くすくす笑った。
いまやリーファは監国大元帥を称し、皇帝代理となったから、レンリに官職を授ける権威を有する、
七品官の内親王府典軍というレンリの現在からすれば、将軍というのは飛躍的な昇進になる。
だが、レンリは首を横に振った。
「そういう欲がないといえば嘘になりますが、私を将軍に任じていただくのは、ある種の策です」
「策?」
「はい。いまは人材が不足しています。戦乱のなかで勇猛な将も、有能な吏僚も失われ、副都とリーファ様を支える藩屏が欠けているのです」
「そうですね。でも、それがレンリさんを将軍にするのと何の関係が……あっ。そういうことですね」
「はい。私のような若輩者でも将軍に任じられるのであれば、各地の賢者が我先にとリーファ様のもとに趣き、お仕えしようと思うことでしょう」
多くの優れた人々が腐敗した帝国に愛想をつかし、民間に隠れて悠々自適の生活を行っている。
しかし、彼ら彼女らも、皇女リーファのもとであれば、己の力を発揮できると思えば、出仕に応じるはずだ。
「レンリさんはわたしのためを思って進言してくれたのに、からかうようなことを言ってごめんなさい」
「いえ、将軍と名乗ってみたいのも、事実ですからね」
レンリは冗談めかして言った。
目下のところ、副都にいる官僚のなかで、最も高位にあるのはレンリだったし、兵を指揮する上でも将軍の地位があったほうが都合が良い。
アロサンもカラムも亡き今、レンリこそが皇女リーファを守る最後の砦とならなければならないのだから。
「では、レンリさん四品官の将軍に任じましょう。将軍としての称号はどうしましょうか」
各将軍には、区別のために特別な名称がつけられる。
帝国の最高司令官である柱国大将軍、西方の敵を討伐する征西將軍といった権限に応じた名称もある。
一方で、より立場の低い一指揮官には「威遠將軍」だとか「翔烈將軍」のような美称がつけられる。
レンリは微笑んだ。
「殿下のお心のままに決めてください」
「では、創武將軍としましょう」
「創武、ですか」
「はい。わたしにとって、レンリさんははじめての将軍です。だから、わたしにとっての武を創るもの、という意味です」
「謹んで拝命いたします」
「……レンリさん、それにサーシャさん、絶対に生き延びましょうね」
リーファの言葉にレンリもサーシャもうなずいた。
これから監国大元帥リーファと創武将軍レンリの戦いが始まるのだ。
そのとき、控え目に扉が開かれ、一人の兵がレンリに急報を告げた。
それは陥落した帝都の官僚たちの現在についての報告で、そのなかにはレンリの婚約者セレカの運命も含まれていた。
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