第三章 レンリの妻
第23話 破滅への道
郷兵サーシャは銀色の美しい髪を振り乱しながら、大都督の執務室の机をばしばし叩いた。
いま部屋にいるのはサーシャとレンリの二人だけだ。
逃亡した大都督らに代わり、レンリが大都督府の長として業務を遂行しているのだ。
わりとサーシャは感情的になりやすいほうだ。
短い付き合いではあるけれど、レンリも彼女の性格が少しわかってきた。
現在、サーシャが激昂しているのは、別にレンリのせいじゃない。
というより、レンリのために怒ってくれているのだ。
「この大都督府を奪還できたのは校尉殿のおかげです。なのに、どうして校尉殿が罪人として帝都に召還されなければいけないんですか!?」
「帝国軍の上層部が決めたからさ」
「そういうことを聞いているんじゃなくて、翼人撃退の功労者を犯罪者扱いなんて、おかしいじゃないですか!」
サーシャは顔を赤くして、声を荒げた。
それを聞いて、レンリは微笑んだ。
目の前のサーシャが荒れているから、かえってレンリは冷静な気持ちになっている。
レンリは、大都督府を占拠した翼人たちを撃退した。
そのことから世間ではレンリを英雄として祭り上げている。
それは過大評価だ、とレンリは思っていた。
一方で、北辺大都督ザルギは敗走した責任を問われ、解任された。
だが、ザルギはその際に、レンリのことを軍令違反で告発もしたのだ。
ザルギいわく、レンリが駐屯地で翼人の警戒を怠ったことが、そもそもの大都督府陥落の原因である。
レンリはザルギの命令を聞かず、援軍にも来なかった、と。
これはまったくのでっち上げで、翼人が侵攻してきたのは、別方向だし、そもそもザルギはレンリに命令など出してもいない。
だが、ザルギの言い分は、尚書令兼柱国大将軍のトーランら帝国首脳部の採用するところとなった。
反対した大臣はただ一人、尚書右僕射のシスムのみで、彼は進士出身者だった。
他の多くの大臣は貴族である。
同じ貴族のザルギの体面が悪くなれば、ことは貴族全体の権威に関わる
そこで、トーランら貴族派の大臣たちは、レンリの処分を決め、帝都に呼び戻すことにした。
翼人との戦争で危機的状況にあるのにもかかわらず、帝国の腐敗と混迷は増す一方だった。
「これまでだって、理不尽なことは数え切れないほどあった。今回もその一つにすぎないよ」
レンリは穏やかにサーシャに言った。
サーシャは言葉につまり、泣きそうな顔になる。
「命令に従って、帝都に戻るつもりですか?」
「そうだね。もう迎えの使者も来ている」
「戻らないでください。あなたはあたしたちの指揮官なんですから」
「そういうわけにはいかないよ」
「でも、戻れば罪人扱いです。今度は辺境へ流されるだけじゃなくて、殺されてしまうかもしれないんですよ。……あたしもディルクさんもみんなも、校尉殿の味方です。この大都督府に、校尉殿と、蒼騎の郷兵たちがいれば、内地の人間たちの言うことなんて聞かなくたってやっていけます! 帝都からの使者なんて無視すればいいんです!」
「サーシャの気持ちは嬉しいよ。でも、帝国の命令を聞かなければ、君たちも反逆者だ。俺のために、みなを危険にさらすわけにはいかないから」
これはレンリの本心だった。
最初こそ非好意的だった郷兵たちだが、今ではレンリのもとで力を尽くして戦ってくれるようになった。
彼らの協力には感謝していたし、その郷兵たちが反逆者として処刑されるのを見るのはあまりに忍びない。
サーシャはうつむいた。
自分でも、非現実的な案だと思っていたんだろう。
「……いつもあたしたちは内地の人間の勝手な都合に振り回されるんです。内地の官僚たちなんて大嫌い」
「俺も内地の官僚の一人だよ」
レンリは笑いながら言ったが、サーシャは銀色の瞳で、レンリを真剣に見つめた。
「あなたは、違います。だって、校尉殿は……レンリ様はあたしたちの仲間ですから」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
左遷されたときには気落ちしたけれど、しだいに北辺の地も居心地が良くなってきていた。
そうなったときに、今度は帝都に戻ってこい、という命令が届いた。
(世の中、うまくいかないものだな……)
レンリはそう思って、ため息をついた。
突然、サーシャがぎゅっと両手でレンリの手を握った。
驚いたレンリに、サーシャは言葉を重ねた。
「忘れないでください。あたしたちは、みんなレンリ様の味方なんです。ここに戻ってくるなら、いつでもあたしたちは待っています」
レンリはうなずいて、少しためらってから、サーシャの手を握り返した。
その手は温かく、レンリの手を包み込んでいた。
☆
レンリは荷物をまとめた。
手にあるのは、行きと同じく、古びた書籍『聖論』だ。
『聖論』の著者であるシレンも、不遇のうちに各地をさまよい、ついに理想の政治を行うという志を得ないまま没した。
だが、その学問はいまや帝国が国家を挙げて教えるものとなった。
未来はどうなるかわからない。
帝都に戻れば、レンリに待っているのは暗い現実だ。
処刑されるという可能性も皆無とは言い切れない。
だが、もはや使者も来て、レンリの身を監視している以上、逃亡もかなわない。
もちろん黙って処罰を受けるつもりはない。
なんとか切り抜ける方法を探すつもりだが、具体的な手段は見つからなかった。
唯一良かったのは、レンリに代わり、大都督府と駐屯地の当面の管理を任されることになったのが、監軍のミランだったということだ。
ミランなら、郷兵のために骨を折ってくれるだろう。
そして、レンリのそばには一人の少女がいた。
「アイカは俺についてきて良かったの? アイカは北辺の出身だし、サーシャたちと一緒にここに残るっていう選択肢もあったと思うけど」
「いまさらそんなことを言わないでください。わたしはレンリ様の従者ですから!」
くすっとアイカは笑ったが、その金色の目は心配そうにレンリのことを見つめていた。
レンリの身を案じてくれているのだろう。
もし帝都で事態がどうにもならなくなったら、レンリはアイカのことを同期のセレカに託すつもりだった。
セレカなら、アイカの力になってくれるはずだ。
それに、帝都のセレカのもとで学業を積めば、アイカが進士になれる可能性はより高まるだろう。
ともかく、レンリは帝都へと旅立った。
そして、帝都に着いたころには状況は一変していた。
レンリに対する処罰はなくなり、代わりにレンリに与えられた役割は、皇女リーファの護衛だった。
リーファは、翼人のもとへ人質として送られることが決まっていたのだ。
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