第27話 リーファとセレカ

 そのままレンリとリーファは役人を呼び、貴族ザルギたちの陰謀を告げた。

 いまや非貴族のシスムが政権をとっているから、レンリたちの説明はまったく疑われず、ザルギは皇女殺害を企んだ大罪人として死体を街にさらされることとなった。


 その後、血だらけの客間を離れ、内親王府のさらに奥の寝室へとレンリたちは移動していた。

 皇女の寝室に入ることをレンリはためらったのだけれど、リーファが「一緒にいてください」と強く望んだのだった。


 リーファは相変わらず震えたまま、寝床に座り込んでいた。

 皇女の部屋としては質素なもので、簡単な天蓋つきの寝台こそあるけれど、それ以外の装飾品は目立たない

 北辺で英雄になりたいと言っていたとき、リーファは毅然とした芯の強そう少女に見えた。

 その印象は間違ってはいなかったと思うけれど、今のリーファは完全におびえ切っている。


 もともと翼人への犠牲として差し出されるというだけでも辛いのに、さらに命まで狙われたのだから、仕方ないともいえる。


 レンリは戸惑いながらその場に立ち尽くした。

 そっとリーファがレンリの衣服の裾を引っ張った。


「わたしは……このまま翼人に捧げられます。もう覚悟はできているんです」


「殿下……」


「翼人たちに手ひどい扱いをうけるかもしれません。彼らは女を物のように扱いますから。翼人たちは美しい女性を複数人で共有するのでしょう?」


 レンリはあいまいにうなずいた。

 そういう風習が翼人にあることは知っている。

 

 リーファは、貴重な帝国の皇女で、しかもひときわ美しい容姿をしている。

 だから、翼人の王族全体の共有物のような扱いを受ける可能性もある。


「それに、もっと悪ければ、さっきみたいに誰かに狙われて命を落とすかもしれません」


「そうならないようにするのが、わたしの役目です」


「レンリさんがついていれば、絶対に大丈夫だって信じてます。でも、レンリさんが一緒にいてくれるのは、わたしが翼人に引き渡されるまでですから」


 そう。

 リーファが翼人の人質として彼らに引き渡されれば、それ以降、レンリの護衛としての役目は終わる。


「レンリさん……お願いをしても良いですか?」


「なんでしょうか?」


 うるんだ瞳でリーファはレンリを見つめた。

 思わずどきりとする。


「今だけ、わたしのことだけを想って欲しいのです」


「それは……」


「抱きしめてください。ダメ……ですか?」


 レンリは狼狽した。

 どうしてこの皇女はそんなことを言い出すのか。


「そうすれば、きっと、わたしは勇気を手に入れることができるんです」


 リーファはそう言うと、レンリに抱きついた。

 レンリは自分の顔が赤くなるのを感じた。

 

「レンリさんでも動揺することがあるんですね」


「いくらでもありますよ。殿下が思うほど、私はそんなに強い人間ではないんです」


「でも、わたしよりはずっと強いですから。レンリさんがわたしのことを思ってくれるなら……わたしは……強く慣れます」


 リーファはレンリに身を寄せた。

 暖かい感覚がレンリの体に伝わってくる。

 

 リーファはそっと人差し指でレンリの胸を撫でた。


「レンリさん……」


 切なげにリーファが訴え、リーファが美しい赤い唇をレンリに近づけた。

 そのままであれば、レンリはリーファの口づけを受け入れていただろう。


 だが、そうはならなかった。


「何をやっているの……?」


 レンリが振り返ると、寝室の入り口には、緋色の服を着た若い女性が立っていた。

 茶色の長い髪が印象的で、顔を真っ赤にしながら、榛色の美しい瞳でレンリをにらんでいた。


 そこにいたのは、レンリの友人にして、リーファの師匠の女官僚、セレカだった。

 

 若き女官僚セレカはレンリの友人で、かつ皇女リーファの師だった。

 だから、この場に現れることは不思議ではないのだが、間が悪い。


 レンリはリーファと抱き合っていた。

 まるで恋人のように。

 実際、寝室に現れたセレカは、顔を赤くして、レンリたちを問い詰めた。


「リーファ殿下とレンリが殺されそうになったって聞いて、心配して駆けつけたのに! そしたら、二人は……こんな、こんな破廉恥なことをしていたの!?」


「まあ落ち着いてよ、セレカ」


 レンリは曖昧な笑みを浮かべて、セレカをなだめようとしたが、あまり効果はなかった。

 それどころか、セレカはますます興奮した様子だった。


 セレカは幼くして科挙に合格した天才で、いまや帝国指折りの官僚だし、そして美しい女性だった


 ただ、あまり男慣れしているほうではなかったし、この手のことに過剰に反応してしまうようだ。


「ひどいじゃない……! レンリはわたしを抱きしめてなんてくれないのに!」


 セレカはそう口走った後、はっと手で口を押さえた。

 それを聞いて、レンリもリーファも驚き、顔を見合わせた。


「だ……だいたい、レンリは帝都に戻ってきたのに、私に会いにも来ないし!」


「シスム様に呼び出されて、その後にすぐにここに来たんだよ。会いに行く時間がなかった」


 セレカほどの頭の回転が速い人間なら、少し考えればわかる理屈だ。

 が、そんなことにも想像が及ばないぐらい、セレカはうろたえているようだった。


 セレカはちらちらとリーファを見た。


 それに応じて、リーファは俺からゆっくり離れ、そして、くすっと笑った。


「セレカは……レンリさんのことが好きなのですか?」


「そんなこと言っていません!」


「ふうん」


 リーファはレンリとセレカを見比べるように眺めた後、何かを諦めるようにため息をついた。

 そして、目を伏せた。


「レンリさんのことは……仕方ないですね。セレカが気の毒ですし」


「なんで私が気の毒なんですか!? 殿下!?」


 ふふっとリーファは笑った。

 その目は少しだけ寂しそうだった。


「わたしはレンリさんとセレカなら、お似合いだと思いますよ。……わたしが翼人に捧げられた後も、二人は仲良くしてくださいね」


 セレカは虚をつかれたような顔をし、口を閉じた。

 セレカが辛そうに目を伏せる。


「わたしはいつも無力です。レンリが北辺に左遷されたときも、殿下が翼人に人質にされるときも、それを止めることができませんでした」


「いいんですよ。セレカのせいじゃないんですから」


「私は十年に一度の天才だなんて呼ばれて、官僚として出世しました。なのに……大事な友人と、大切な主君のことを助けることができない自分が憎いんです。」


「大丈夫。きっとセレカはこの国の大臣となって、力を手に入れられます。だから、レンリさんと二人でこの国を導いてください。わたしは翼人の地でそれを見守っていますから」


「……殿下を皇帝にするというお約束を、わたしは……」


 そこでセレカの言葉は途切れた。

 セレカは涙ぐみ、次の言葉が出ないようだった。

 セレカは涙もろい性格だった。


 そんなセレカの肩を、リーファは優しく抱いた。


 もしリーファが皇帝となり、セレカが大臣となる未来があれば。

 この帝国はもう少し良い国になったかもしれない。


 けれど、リーファが翼人の犠牲とされることで、その未来は絶たれた。

 リーファは決然とした様子で、レンリを振り返った。


 リーファは黒い大きな瞳で、まっすぐにレンリを見つめた。


「レンリさん、翼人の軍営へ向かう準備を始めましょう。帝国が滅ぶのを止めるために!」

 

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