第42話 ライラの口づけ
その知らせは、リーファの妊娠や、アイカの誘惑を超える衝撃をレンリに与えた。
ライラは先帝の寵妃であり、講和の条件として、翼人の生贄に捧げられる予定だった美女だ。
レンリやリーファたちとともに敵陣へと向かう途中、翼人の襲撃に遭遇し、囮となって捕虜となったはずだ。
翼人に襲われるライラの悲鳴は、今でもレンリの脳裏にこびりついている。
そのライラが逃げ延びてきたのなら、嬉しいことだが、どうやってここまでたどり着いたのか?
罠の可能性もある。
さらに驚きなのは、レンリの婚約者のセレカの妹セリンの生存だ。セレカは殺され、セリンも生きていないか、奴隷にされたものと思っていた。
ともかく、レンリは大慌てで執務室へとライラを通した。リーファも同席している。
話の順番としては、先帝の寵妃だったライラを優先する必要がある。
サーシャに連れられ、ライラが扉を開けて、入ってきた。
ライラは23歳の妖艶な女性で、その美貌に変わりはなかった。栗色の美しい髪が短く切られているのは、逃亡のときの変装のためだろう。
逃亡用の質素な服の上からも、豊満な肢体が見て取れる。はちきれんばかりの胸が、服を押し上げていた。
ただ、もう一つ、明らかに目を引く部分があった。腹部が膨らんでいる。
つまり、妊娠しているのだ。
ライラは力なく微笑んだ。
「誰の子、と思うでしょうね?」
「いえ……」
「あたしにもわからないわ」
その答は予想通りだったが、それでも衝撃だった。リーファも息を呑んでいる。
ライラは肩をすくめた。
「捕まった後、あたしたちがどんな目にあったか想像できるでしょう? 毎日毎日、言葉の通じない翼人の男たちの相手をさせられて……」
ライラは竹を割ったような性格で、捕まる前は翼人の凌辱を受けても平気だと語っていた。
そのライラも、さすがに暗い顔をしている。そんな顔をしても、美しいのは、ライラが絶世の美女だからだろう。
ライラは笑みを浮かべた。
「先帝陛下の皇子を授かることはなかったのに、こんな形で孕むなんて皮肉なことね」
レンリにはかける言葉が思い浮かばなかった。
ライラに降り掛かった運命は、まかり間違えば、リーファやアイカがたどっていたのだ。
リーファやアイカが翼人に辱められ、妊娠するということも可能性としては十分ありえた。
いや、これからも、レンリがもし翼人に負ければ、その悪夢は現実のものとなるだろう。
幸い、捕虜の数が多すぎて管理が雑だったのを好機と見て、ライラは脱出した。その過程でセリンと知り合ったのだという。
レンリは深く頭を下げた。
「私の力が及ばないばかりに、ライラ様に……」
「あなたのせいではないわ。顔を上げて。あなたはよくやっているわ。リーファ殿下を守り通して、帝国最後の砦になっているのでしょう?」
「微力を尽くしていますが、しかし……」
「あたしはね、謝ってもらうためにここに来たわけじゃないの」
「もちろんライラ様にはその身分にふさわしい待遇と御所をご用意いたします」
「そういうことじゃなくてね。あたしには利用価値があると思うの。皇帝陛下も先帝陛下もいないのだから、新たに皇帝を即位させる必要があるでしょう?」
それはライラの言う通りだ。
そして、現状では新たな皇帝候補は、リーファである。皇帝の子女で他に生存している者がいないからだ。
仮に他に皇族がいるとしても、レンリとしてはリーファに皇帝になってほしい。レンリがリーファの夫だからでもあるが、リーファが優秀な少女であるからという理由が大きい。
ただし、それには障害がある。
現在、リーファは帝国監国大元帥を名乗り、実質的な皇帝ではある。
だが、前皇帝が不在の状態では、後継者の指名ができない。リーファは皇位継承者に選ばれていたわけでもないし、正当性が保てないのだ。
だが、目の前のライラは貴妃だ。皇后に次ぐ位を持つ彼女は、皇帝不在時に皇室を代表する立場にある。
「たとえ翼人に汚されて妊娠しても、あたしは皇家の家長を名乗れる。その指名があれば、通常通りの即位の方法を取れるでしょう?」
皇帝が後継者を定めないまま死去したとき、残された妃の最上位者が次の皇帝を指名する。それは慣例に基づいている。
レンリはもう一度深く頭を下げた。
「ライラ様のご協力があれば、これほど力強いことはございません」
「あたしにとっても損のない話だもの」
リーファが即位すれば、ライラはその義母として、皇太后に準ずる地位を手に入れる。
リーファ・レンリ体制の帝国で、揺るぎない地位を築ける。
一方で、踊り子出身の彼女には家族がいないから、ライラの親族が権力を握る心配もない。
レンリはライラの提案に従うことにした。来たるべき翼人との決戦において、リーファを正式な女帝にすることは必須だ。
皇帝を旗頭に戦うことが帝国軍の士気を高めるし、各地の旧帝国勢力を結集する大義名分にもなる。
一つ説明しておかないといけないことがある。
リーファがレンリの妻となったことだ。
予想できていたのか、ライラはくすっと笑う。
「そう。それなら、あとはお世継ぎの問題のみね。リーファ様がレンリの子どもを妊娠すれば、帝国は安泰だもの」
リーファは顔を赤くして、目を泳がせた。レンリも恥ずかしくなり目を伏せる。
二人の反応を見て、ライラは目をきょとんとさせ、それからにやにやと笑った。
「ああ、もうレンリの子種は、リーファ様にたっぷり注がれて……レンリさんの子どもを孕んだのね?」
「は、はい……」
リーファの顔は羞恥に赤く染まり、その大きな黒い瞳は潤んでいた。
ライラはふうんとつぶやくと、リーファの下腹部をそっと撫でた。
「ひゃっ……ライラ様……何を!?」
「羨ましいな、と思って。あなたは愛する人の子を産むのに、あたしは強姦されて誰が父親かわからない子を産むなんて……」
これまでずっと気丈に振る舞っていたライラの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
世の中は理不尽だ。レンリはそのことを痛感した。
ライラにはなんの罪もない。命をかけて、リーファたちを守るため、囮となってくれた。
その代償が、翼人の性奴隷として子を孕むことだったのだから、やりきれない。
レンリは、ライラのために何ができるだろう?と考えた。
ライラはさみしげに微笑む。
「あたしにもあなたのような……あたしを守ってくれる英雄がいれば良かったのに」
「これからは、私がライラ様のこともお守りします」
反射的にレンリはそう答えていた。二度とライラにも……もちろん、リーファにも、アイカにも、サーシャにも、こんな悲しい思いをさせたくない。
ライラは嬉しそうに笑うと、すっとライラはその美しい朱色の唇をレンリに近づけた。
一瞬のことだった。レンリは、ライラに唇を奪われていた。
23歳の先帝の寵妃の口づけは、リーファのものとは違い、まるで熟した果実を味わうかのようで、激しく情熱的だった。
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