第18話 監軍ミラン

 反乱の首謀者ゴワンは、北辺でも比較的肥沃な土地を持つ地主だった。

 しかも大地主といってよく、その広大な所有地のなかには、朱宝と呼ばれる珍しい鉱石をはじめ、貴重な財宝が存在していた。


 ゴワン自身は気前の良い人物で、自身の土地を耕す小作農が苦しんでいれば小作料を減免し、また当面の生活費を工面さえした。


 ところが、土地に赴任してきた官僚がゴワンの財産に目をつけた。

 彼は皇帝に取り入るために、ゴワンの財宝を献じることとし、そのためにゴワンに莫大な賄賂を要求した。


 もし従わなければ、あれこれと理由をつけて無理やりゴワンの所有物を奪い、またゴワンを鞭打ちさえしたのだという。


 ゴワンはこのような屈辱に耐えきれなかった。

 そして、北辺大都督府のかける重税に農民たちも強い不満を持っていた。


 こうしてゴワンを指導者とする大規模な反乱が発生した。


 ゴワンは手始めに、自身を辱めた官僚を血祭りに上げた。そして、近隣の主要な県の庁舎を押さえ、さらに勢力を複数の州に及した。


 帝国政府も事態を憂慮し、討伐軍を派遣したが、ゴワンに大敗する。

 鎮北大将軍ウィンイをはじめ、多くの将兵の犠牲となった。


「そこでオレたち駐屯地の兵の出番というわけですか」


 副校尉ディルクの問いに、レンリはうなずいた。


「そのとおり。本来、北夏討伐に向かうはずの軍の六割が、ゴワンの乱の対応に振り替えられることになる」


 そのなかにレンリ指揮下の兵も含まれる


 ゴワンの一党は当初こそ万民のためという高い理想をかがげていた。が、現在では凄惨な略奪を行って軍を維持する賊となっている。

 流浪を続ける彼らは、北へ北へと移動し、この駐屯地にかなり近い場所まで来ていた。


 だから、レンリたちはゴワン討伐に赴くというより、そのまま駐屯地および周辺の里の警備にあてられた。

 このことで一番喜んだのはアイカだった。


 ディルクとの話し合いを終えたレンリが庁舎から出ると、アイカが出向かてくれた。

 レンリは経緯をアイカに説明すると、アイカは嬉しそうに笑った。


「レンリ様と一緒にいられて良かったです!」

 

「状況が良いというわけではないのだけれどね」


 はしゃぐアイカに、レンリは苦笑した。

 反乱軍が迫ってくれば、アイカの身も危険にさらされるかもしれない。

 

 それに、北夏討伐が予定通り行かなくなったことは明らかで、その点もレンリは不安だった。


 尚書令トーランと翼人の取り決めでは、北夏へ同時に攻め込んで挟撃することになっている。

 そして北夏の領土と財宝を分割し、北夏の王都は帝国が手に入れる代わりに、それ以降の毎年の財宝の支払いを翼人に行う約束となっていた。


 だが、帝国軍は北夏の軍に苦戦しており、ゴワンの乱で兵数を割いたことがそれに拍車をかけていた。


 一方、翼人の騎兵は凄まじい速さで南下を開始。北夏の領土を蹂躙していた。

 このままでは翼人が北夏の全土を征服してしまうのではないか。

 

 そうなれば、トーランの計画通りに事態は進まなくなる。


 レンリはアイカにそう説明すると、アイカはちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめ、うつむいた。


「きっと喜んじゃいけないことだっていうのは、わかっているんです。でも……レンリ様のおそばにいられると思うと嬉しくて」


 レンリは微笑んで、アイカの髪を撫でた。

 アイカがびくっと震える。

 

「まあ、一緒にいれば勉強も教えてあげられるな。そういう意味では悪くないかもしれない」


 アイカを科挙に合格させるというのは、レンリにとっての一つの楽しみだった。アイカ自身もそれを望んで、熱心に聖学の素養を積んでいる。


 レンリはいつもどおりアイカに聖学の講義を行おうかと思ったが、その前にしなければならないことがあるのを思い出した。


 北辺大都督府の監軍が、駐屯地を訪れるのだ。

 監軍は将兵の活動を監視し、適切に軍の運営がなされているかを監督する職だ。

 もし不適当だと監軍が判断して上官に報告すれば、指揮官は解任されうる。


 ある程度の規模の軍に監軍は一人がつくことになり、北辺大都督府の監軍は交代したばかりだった。


 普通であれば北辺大都督府のなかでも最果てにある駐屯地に、監軍が来ることはあまりないのだが、なぜか新任の監軍はこの駐屯地に強い関心を持っているという。


(問題のある人物でないといいのだけれど……)


 レンリはアイカをともなって、監軍の出迎えの準備をした。

 駐屯地の庁舎奥にある広間に案内し、そこでもてなそうと思ったのだ。


 もろもろの指示を終えた後、レンリは庁舎の外に出て風にあたった。

 なぜかアイカも一緒についてくる。


 北辺の平原はいつもどおりで、牛をひく農夫の姿が目に入るほかは、何もなかった。


「平和ですねえ」


「たしかに」


 レンリがアイカの言葉に応じたそのとき、平原の水平線の向こうから人影が現れた。

 その人物は馬に乗っていたが、一騎だけだった。


 その人物は美しい長い髪をたなびかせ、すらりとした体つきをしていた。

 そして、極めて整った顔立ちをしていた。

 

 なにより大事なのは、馬上の人物が緑色の服を着ていることだった。

 レンリと同じ官僚なのだ。


 あれが新任の監軍か、とレンリは思い、それから馬上の人物を良く見て、驚いた。

 馬は凄まじい速さでこちらに駆け寄り、馬上の人物はレンリとアイカを間近で見下ろした。


「やあ、久しぶり。レンリくん」


「久しぶりだな、ミラン」


 朗らかに馬上の人物は言い、馬から降りた。

 新任の監軍が、旧友だとはレンリにとっても予想外だった。


 ミランはレンリとセレカの仲間の一人だ。

 レンリは戸惑いながらも、旧友に手を差し伸べた。


「こんなところによく来たね」


「レンリくんがいるから、来たんだよ」


 ミランは美しい顔に微笑みを浮かべた。


(相変わらずミランは変わらないな……)


 ミランはレンリより少し年上なのだが、ほとんど少女同然の華奢な外見をしている。

 隣でアイカがむくれていたので、レンリは理由を聞いた。


「だって、こんなきれいな女の人がレンリ様の知り合いにいるなんて、知らなかったですから」


 レンリとミランは顔を見合わせた。

 そして、レンリもミランもくすっと笑った。


「なにがおかしいんですか?」


「いや、心配しないでいいよ、レンリの可愛い従者さん。ボクは女性じゃないからね」


「え? 男の人だったんですか?」


「ある意味ではそれも違うね。ボクは宦官なんだよ。男性器を切り落とされた、男でも女でもない存在さ」


 ミランはさらりと言い、ふふっと笑った。

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