第32話 信じること

 皇女リーファは隣にいるレンリをちらりと見た。

 いつも落ち着き払っているレンリが、今は憔悴しきった顔をしている。


(当然……ですよね)


 状況は極めて悪かった、

 帝都は陥落。

 リーファは翼人に人質として差し出される予定だったが、それも講和の可能性があればの話。

 いまとなっては翼人の手に落ちれば、単なる捕虜として嬲られるだけだ。


 リーファはレンリとその従者のアイカの二人に守られ、ひそかに落ち延びていた。

 すでに貴妃ライラをはじめとする女性たちは翼人の手に落ちてしまい、リーファたちがこの地から逃げ出せるかどうかもかなり危うい。


 けれど、南方の副都に逃げれば再起を図れる。

 それだけが希望だった。


 道があるかどうかも怪しいような林のなかを、リーファたちは歩まないといけない。

 翼人の軍勢がどこにいるかもわからないからだ。


 よろめきそうになるリーファを、レンリが支えた。

 そして、手を差し伸べる。


「大丈夫ですか、殿下?」


「は、はい……」


 リーファはレンリの手を握りしめ、そして顔を赤くした。

 こんな状況だというのに、レンリのことを意識してしまう。


(レンリさんはセレカのものなのに……)


 リーファは自分の師匠のセレカのことを考えた。

 セレカはレンリの婚約者で、そして帝都にいる。

 若い女性のセレカがいま、どんな目にあっているか。


 レンリは心配でたまらないはずだけれど、それよりもリーファが逃亡することを優先してくれている。


 それがリーファには心苦しかった。


「伏せてください!」


 レンリが急に鋭い声を上げた。

 身を屈めた直後に、遠く林の向こうから物音がする

 そして、一瞬とはいえ、翼人の兵士たちの姿が見えた。


「困りましたね……。しばらくはあたりに翼人の兵がいそうだ」


 レンリはつぶやくと、リーファたちに向かって小さな洞窟を指差した。


「殿下たちはこの奥に隠れていてください」


「レンリさんは……?」


「私はあたりの地形を探り、翼人の兵がどこにどのぐらいいるか、確かめてきます。その上で、逃走する道筋を決めましょう」


「……大丈夫なんですか?」


「安心してください。俺はこれでも武官なんです」


 レンリはにっこりと笑い、リーファを安心させるように肩に手を置いてくれた。

 

(わたし、よっぽど心細そうな顔をしていたんですね……)


 この絶望的な状況でもレンリはリーファのことを気遣ってくれている。

 それはレンリの強さに由来するものだろう。


「ただ、二人は洞窟から出ず、私が戻ってくるのを待っていてください。絶対に戻ってきて、殿下をお守りいたします……アイカ、殿下のことを頼んだよ」


「おまかせください!」

 

 アイカはそう言って、小さな胸を張った。

 アイカはまだ13歳で、リーファよりもずっと幼い。

 けれど、リーファよほどしっかりしていそうだ。


 改めてリーファは自分の無力を噛みしめた。

 レンリとアイカなしに、リーファが生き残ることはできない。


 やがて、レンリはその場をそっと立ち去り、リーファはアイカに連れられて洞窟のなかに入った。

 

「殿下、怪我はないですか?」


「はい。平気です。レンリさんと……アイカさんのおかげで」


「わたしは何もしていませんよ。すべてレンリ様のおかげです」


 アイカは断言した。

 レンリのことを信じ切っている。

 そんな印象だった。


「アイカさんは……レンリさんのことを……」


「大好きです」


 アイカは屈託なく笑った。

 その笑顔が、リーファには羨ましかった。


「レンリ様がいなかったら、わたしはきっと奴隷にされて、ひどい目にあっていました。でも、レンリ様がわたしを救ってくれたんです。誰からも必要とされていなかったわたしを認めて、必要としてくれました」


 リーファはうなずいた。

 この少女にとって、レンリは何よりもかけがえのない存在なのだ。


 そして、それはアイカだけではなくて、きっとセレカも、そしてリーファも同じだった。


 レンリはなかなか戻ってこなかった。

 あまりにも長い時間が過ぎたようにリーファは思った。


「レンリさん……大丈夫でしょうか」


「大丈夫です、レンリ様なんですから」


 アイカは一瞬のためらいもなく即答した。

 けれど、レンリが窮地に陥っているかもしれないと思うと、リーファは気が気でなかった。

 

 それにこの洞窟のなかにずっといるわけにはいかないし、翼人に見つかる可能性だって皆無ではない。

 

「少し……わたしは様子を見てこようと思います」


「それはダメです、殿下。レンリ様の言っていたこと、覚えていますよね?」


 レンリはたしかに、ここから離れるな、と言った。

 でも、その言葉のとおりにしてもよいのか。


「わたし、心配なんです」


 洞窟の奥から小さな風が吹き抜けた。

 アイカが急にそっとリーファに手を重ねた。

 リーファは驚き、アイカをまじまじと見つめてしまった。


 アイカは静かな声で言った。


「いま、わたしたちが外に行ってもなにもできることはありません。二人では翼人と戦うこともできなければ、逃げることもできないんです。ここから出て、翼人に姿を見られたら、わたしたちは翼人に捕らえられてしまいます」


「そう……ですけれど。でも、何もしないで待っているなんて……」


「わたしはわたしのご主人様を、レンリ様を信じています。だから、殿下も殿下の臣下を信じてください」


 リーファは顔を赤くし、そして自分の浅はかな考えを恥じた。

 レンリは必ず戻ってきて、リーファたちを守ると言った。


 なら、その言葉を信じるのが、リーファが皇女としてすべきことのはずだ。

 リーファがうなずくと、アイカは大人びた表情で微笑んだ。


【後書き】

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