第33話 レンリの妻と妹

 レンリは薄氷を踏むような思いで、翼人たちの動きを見極めた。

 翼人の兵たちは帝都より主に北西側を抑えようと進軍しているようだった。


 もちろん、進軍とはいいつつ殺戮と略奪の繰り返しではあったけれど。

 ともかく、道をうまく調整すれば、ここから脱出し、南の副都へたどり着くことができる。


 レンリはそれを確かめた後、洞窟へと戻った。

 レンリの姿を見るなり、アイカがぱっと顔を輝かせて、レンリに抱きついた。


「レンリ様! お帰りなさい」


 両手でぎゅっとレンリ抱きしめるアイカに、レンリは少し困惑した。


「アイカ……殿下の御前だから」


「わたしは気にしませんよ」


 そう言いながら、皇女リーファはレンリたちをじっと見つめていた。

 そして、小声で言う。


「わたしのことも抱きしめてください」


「そ、それは……」


「ダメ、ですか?」


 リーファが潤んだ瞳でレンリを見つめた。


(俺のことを……心配してくれていたんだろうな)


 そう思うと、レンリも目の前の少女の頼みを断ることはできなかった。

 アイカが離れるとすぐにリーファはレンリに身を寄せた。

 そして、レンリはリーファの体に手を回し、そっと抱きしめた。


 リーファは安心したようにレンリに身を任せていた。

 温かい感触がレンリにとっても心地よかった。


 でも、いつまでもこうしているわけにはいかない。


「さて、逃げましょう。その前に、一つお願いしたいことがあります」


「お願い?」


「殿下には着替えていただきたいんです」


 レンリは袋から一着の衣服を取り出した。

 それは女性用のものだったが、決して皇女が着るようなものではない。


 木綿でできたそれは小綺麗でこそあれ、裕福な平民女性が着る程度のものだ。

 レンリが無人の集落から調達してきたものだった。


「今のお召し物のままでは、高貴な身分の女性だとわかってしまいますから」


「そうなると、逃げるのに不都合ってことですね」


 リーファはうなずくと、自らの衣服に手をかけた。

 そして、小声で「見ないでくださいねと言って着替え始めた。


 レンリは慌てて目をそらす。

 衣擦れの音を意識させられ、レンリは当惑したが自分も着替え始めた。武官であるという証拠を隠さないといけない。


 レンリは普通の服に着替えたが、剣のみは腰に下げたままにした。

 やがて二人の着替えは終わった。


「逃げるにあたって、途中の集落で身分を問われることもあると思います。そうなったら私は商人ということにします」


「わたしはどうすればいいですか?」


「その……皇女殿下にこのような真似をさせるのは心苦しいのですが、私の妻として振る舞ってもらうことになります」


「え……?」


「それが一番、自然だからです。殿下は私のようなものの妻の振りなど、嫌だとは思いますが……」


「嫌なんてことありません! むしろ嬉しいぐらいです。……ね、あなた?」


 リーファが冗談めかして言い、レンリの腕をとった。

 リーファはレンリに好意的であり、信頼してくれている。


 その好意と信頼をレンリは裏切らないようにしなければならない。

 アイカが不満そうに言う。


「レンリ様の妻の役はわたしがやりたかったです」


「年齢的にアイカだと幼すぎるからね」


「わたしは普通に従者ということでよいですか?」


「いや、従者を雇うほど裕福な身分だと思われると、厄介だ。財産を狙われることになるからね。だから、アイカには俺の妹の振りをしてもらう」


「わたしが……レンリ様の妹……」


 アイカはつぶやいて、ちょっとうれしそうにした。

 ただの平民一家が帝都から避難する。

 そういう構図を演じるのだ。


 決してリーファが皇女だと悟られてはならない。


「それでは、行きましょう」


 レンリの声に、リーファとアイカは力強くうなずいた。

 翼人の大部隊はやり過ごせたのか、ほとんど翼人の気配を感じずに進むことができた。


「意外と順調ですね」


 リーファの言葉に、レンリはうなずく。


「こういう感じが続けばいいのですが……」


 レンリは途中で危機的な状況に見舞われることを予想していた。

 はたして、道の向こうから四人の男が歩いてくるのが見えた。


 翼人ではない。

 が、味方というわけでもない。


 その見てくれては荒れていて、流浪の者のようだった。

 盗賊だろう。


 すでに向こうにも気づかれてしまっている。

 彼らは近づいてきて、にやにやと笑った。


「金目のものと……その女たちを差し出せ」


「嫌だと言ったら?」


「命はないな」


 典型的な盗賊のセリフを彼らは吐いた。

 だが、レンリがリーファたちを差し出しても差し出さなくても、盗賊たちはレンリを殺すつもりに違いない。


 レンリはリーファとアイカに目で合図した。

 二人はうなずくと、そっと盗賊たちのほうへと近づいた。


 盗賊たちの顔に歓喜の色が浮かぶ。


「こんな上玉が二人なんて、今日はついてるぜ。高く売れそうだ」


 そして、男の一人がリーファの体に触れようとした。

 だが、男の手は空を切った。


 がはっ、と奇妙な音を立て、男は血を吐いた。

 リーファの短剣が男の胸には突き立てられていた。


 アイカを捕らえようとした男も同様に頸動脈をかき切られている。


 残りの男の一人が目を剥き、「てめえら!」と叫び、リーファに斬りかかろとする。

 しかしレンリの剣のほうが速かった。


 レンリは男の一人の胴を切り伏せる。

 最後に残った一人が絶叫とともに大剣を振り上げたが、レンリの剣に軽く弾き飛ばされた。

 そして、レンリの剣が男の体を捉え、音もなく男は倒れた。


 四人の男の死骸を見て、リーファはため息をついた。


「レンリさん、ありがとうございました。でも、同じ帝国人なんですよね……」


 リーファが憂いを帯びた瞳で言う。

 だが、やむをえない。


 どの時代のどの国にも身を持ち崩す人間はいて、そして他人に危害を加えようとする。

 そして、そういった人間たちから、レンリは大切な人を守らなければならない。


「先を急ぎましょう」


「はい!」


 リーファとアイカは同時に勢い込んで答えた。

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