第四章 新たなる帝都
第34話 副都
レンリたちは長旅を終えて、ようやく南方の副都へとたどり着いた。
ともかく、最も危機的な状況は脱したわけだ。
副都は大昔には帝都となったこともある港町だ。
その規模は帝都の半分ほどとはいえ、他のどの街よりも大きい。
時刻は正午
副都中央の大通りの向こうには、青色の海が見えた。
「きれい……」
うっとりとするようにリーファがつぶやいた。
それを見て、レンリは思わず微笑ましくなった。
「海を見るのは初めてですか、殿下?」
「はい! こんなにすごいものだとは知りませんでした」
年相応の少女らしく、リーファははしゃいでいた。
皇女として過酷な運命を背負わされていなければ、リーファはただの17歳の女の子なのだ。
副都を治める役職の副都総督は、アロサンという人物であり、進士派の人物だった。
レンリよりもかなり年上の五十代の人物だが、何度か親しく言葉を交わしたこともある。
信用に値する人物とみてよいだろう。
総督府の前に立ったレンリたちは、門番たちに声をかけた。
そしてレンリは帝国官僚であると告げる。
もちろん服装はただの民間人だから、レンリは証拠として剣を見せた。
その威力は絶大で、門番たちはうやうやしく一礼すると、左右に別れてレンリたちのために道を開けた。
「やあ、レンリくん。ひさしぶりだね」
アロサンはいくぶんやつれた顔で、しかし親しげに挨拶した。
白髪がかなりの部分を占める毛髪に、年齢に比してもしわの寄った彼の顔は、一方で人の良さそうな雰囲気をまとっていて、苦労人といった雰囲気がにじみ出ていた。
しかし、レンリたちを出迎えたのは副都総督アロサンだけではなかった。
紫色の衣をまとった高官がもうひとり、そこにはいた。
「これはこれは、蒼騎校尉のレンリではないか」
耳障りな声で言う壮年の男性は、吏部尚書のカラムだった。
かつてレンリを北辺の地に追いやろうとした大臣だ。
「なぜカラム様がここに?」
「帝都陥落と同時に逃れてきたのだ。貴殿もそれは同じだろう?」
そのとおり。
レンリはカラムを臆病者として責めるつもりはない。
皇女リーファを守るという目的があったとはいえ、レンリも帝都を落とした翼人から逃亡したのは同じだった。
レンリはセレカの行方をカラムに尋ねてみたが、そっけなく知らないという答えが返ってきたのみだった。
それより、カラムはレンリの隣に立つ皇女のほうが気になるようだった。
「これは……皇女殿下ではありませんか! よくぞご無事で……」
リーファは曖昧な笑みを浮かべてうなずいた。
いまやリーファはおそらく、生存している唯一の皇族だ。
そうなった今、帝国の残存勢力を結集するのに、リーファほど利用価値のある存在はいない。
皇帝の娘で、可憐な美少女を推戴すれば、官民あげて翼人に対する士気を高めることができるだろう。
もっとも、ついこないだまでなら、立場の弱い一皇女など、大臣カラムは気にも止めていなかっただろうけれど。
アロサンが俺とリーファを見比べて言う。
「レンリくん。よくやった。これで我々の反撃の計画にもはずみがつくというもの」
「反撃?」
「そのとおり。ここには尚書令トーラン閣下が翼人との戦いのために召集した軍が集まっている。トーラン閣下は帝都陥落間近の報を受けて、予定よりも早く進撃を開始したから、遠方の部隊は出撃までにこの地に来ることが間に合わなかった。つまり、閣下の遠征に参加しなかった部隊がまるごと温存されているわけだ」
アロサンの語るところによれば、およそ八千の兵が副都には集まっているという。
「ですが、敵は数十万。翼人の兵に対抗するには、明らかに数が足りません」
「それはこれから集めればいい。翼人の軍とて、空を飛べるわけではないからね。遠征のための十分な兵站を確保するのも、難儀しているはずだ」
たしかにそうだろう。
帝国のなかでも南方に位置する副都まで進軍するのは、翼人の軍とて容易にできることではない。
数十万の大軍ともなれば、進路を確保し、食料を調達するだけでも困難を極める。
「当面はここを守りきるのが目標というわけだ」
アロサンの言葉に、カラムが不満そうに鼻を鳴らした。
「しかし、それではジリ貧ではないか。いずれ翼人の大軍に飲み込まれ、副都も堕ちる。帝都の民を解放するためにも、積極的な攻勢が必要なのではないかね?」
「カラム殿の言うことも一理あるが、とはいえ、現に今いる兵数では翼人に勝つのは無理だ。トーラン閣下の大軍ですら、翼人の前にはあっけなく敗れ去ったのだから」
カラムとアロサンは官僚としてほぼ同格だ。
かたや貴族派、もう片方は進士派、という意味でも仲は良好ではないだろうし、今後の軍の展開についても、意見が別れているようだ。
(これは前途多難だな……)
レンリたちはともかく休息をとることが許された。
本来であれば、リーファは皇女としてレンリたちとは別室に案内されるはずだったが、リーファはレンリのそばにいたいと強く希望した。
「わたしが生きているのは、レンリさんのおかげです」
だからこれからもレンリに守ってほしい。
そうリーファは言った。
カラムは渋い顔をしていたが、アロサンはあっさりとリーファの申し出を受け入れた。
アロサンからしてみれば、同じ進士派のレンリと重要人物の皇女が親しくしているのは、都合が良いことに違いない。
そうしてレンリたちは同じ部屋に案内された。
三つの寝床が用意されている。
(本当にいいんだろうか……?)
未婚の皇女殿下と同じ部屋、というのは、あまりにも常識外れのようにも思う。
本来であれば、皇女リーファは雲の上の存在だ。
リーファはそんなレンリの様子を見たのか、くすくす笑った。
「そんなに緊張しなくてもよいじゃないですか」
「そう言われましても……」
「レンリさんとなら、同じ寝床で寝てもいいんですよ?」
「滅多なことは口にしないでください。殿下はいずれ良き夫を迎える身なのですから」
むうっ、とリーファは頬を膨らませた。
いずれ、リーファはふさわしい婿を取らなければならない。
リーファはこのままいけば、次期皇帝だ。
女性の皇帝というのは少ないが、例がないわけではない。
問題はその配偶者も帝国の支配者となるわけだから、かなり気を使って選ばなければいけない。
「あったかいお布団の上で寝れて幸せ……」
レンリとリーファの隣では、アイカが柔らかい声でつぶやいていた。
ともかく、最大の危機は脱した。
副都にいるかぎり、すぐに生命の危機にさらされることもない。
レンリは倒れると、強烈な眠気に襲われ、そのまま意識を失った。
だが、目が覚めたとき、レンリを待っていたのはアロサンの死の知らせだった。
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