第25話 震えるリーファ
内親王府、といっても、皇女リーファのそれは、あまり大きな建物ではない。
中級の貴族程度の屋敷で、大明宮という皇宮の中心的な建物と廊下をとおしてつながっている。
使用人はそれなりにいても、内親王府専属の役人は三、四人だ。
レンリが門をくぐると、冷たい風が吹き抜けた。
建物の外に一人の少女が立っていて、美しい黒髪が風でたなびいている。
少女は赤い簡素な衣しか身に着けていず、寒いのか、少し震えていた。
それは皇女リーファだった。
レンリは慌てて居住まいを正した。
「殿下自らお出迎えいただくとは光栄です」
一方のリーファはレンリを見つめ、弱々しく微笑んだ。
「レンリさん……会いたかったです」
なんと声をかければよいか、レンリにはわからなかった。
この少女は、これから帝国のために、貴族たちの始めた戦争の始末をつけるために、何の咎もないのに犠牲にされる。
リーファは小さくくしゃみをした。
このままだと風邪を引きそうだ。
レンリは身につけていた蒼い衣を外し、リーファに渡した。
リーファはくすっと笑った。
「……ありがとうございます。これでレンリさんと郷兵の皆さんとお揃いですね」
「こんな服で申し訳ありません」
「いいんです。むしろ嬉しいぐらいなんですよ? それに、謝らないといけないのは……わたしのほうですから」
「どういうことですか?」
「レンリさんを護衛にしたのはわたしのわがままなんです。一緒に翼人のもとへと赴けば、レンリさんだって、もしかしたら無事じゃすまないかもしれません。だから……嫌だったら言ってください。わたしがシスムさんに言って、護衛を外してもらいますから」
「嫌だなんて、とんでもございません」
「それは……わたしが皇女で、あなたが臣下だからそう言ってくれているのでしょう?」
「いいえ」
レンリは即座に否定し、リーファは驚いたように目を開いた。
「殿下が私を信頼してくださったからです。これからこの国の命運を背負う殿下が、ただ一つの条件として私を選んでいただいたのですから。私はその信頼に応えたいのです」
レンリが静かにそう言い、そして「怖くありませんか?」とリーファにささやきかけた。
リーファは小さくうなずいた。
「怖くないと言えば、嘘になります。でも……わたしが犠牲となることで戦争が終わるのであれば、それが皇女としての責務だと思うんです。それに、ですよ、もしかしたら、帝国の危機を救った皇女として、歴史に名前を残せるかもしれません。そうなれば、英雄になるというわたしの望みも、少しだけは叶うというものです」
リーファは冗談めかして言ったが、体は小刻みにふるえていた。
それは寒いからだけではなく、これからの自分の運命に恐怖しているのだと、レンリは思った。
リーファはすがるようにレンリに身を寄せた。
軽く体重を預けられ、レンリは少し驚いた。
皇女に抱きつかれた場合、どう対応すればよいのか。
レンリは戸惑ったが、震えるリーファを見て、彼女の肩を優しく抱いた。
リーファはレンリを見上げ、そして微笑んだ。
「レンリさんがいれば、すこしは……ううん、全然怖くない気がしてきました」
「残念ながら、私には大した力はありません」
「そんなことはないですよ、レンリさんは翼人撃退の英雄じゃないですか」
そう言って、リーファは可愛らしく片目をつぶってみせた。
もし、とレンリは考える。
リーファを連れ出して、帝都から逃亡すればどうなるだろう?
どこか辺境を目指して逃げ出すのだ。
そうすれば、リーファは翼人の人質とされず、平穏で幸せな生活を送れるかもしれない。
だが、それは不可能だ。
シスムがリーファとレンリに監視の目をつけていないとは思えない。
シスムはレンリの処罰にも反対してくれたし、恩人ではあるが、全面的に信頼できる相手というわけではなかった。
帝国筆頭大臣の彼が、リーファの逃亡を許すはずがない。
第一、誇り高いリーファが自分の責務を捨てて逃げ出そうと言うはずがなかった。
そうすれば、帝都陥落も現実のものとなりかねないのだ。
だからといって、このまま皇女が翼人の毒牙にかかるのを見過ごして良いのか。
レンリの思考は堂々巡りとなった。
が、突如として思考は打ち切られた。
数人の人影がその場に現れたからだ。
鎧を着た屈強そうな兵士たちと、彼らに守られるように一人の肥満体の中年の男が立っていた。
彼はリーファを舐め回すように眺めた。
「ずいぶんとこの男と仲がよろしいようですな、殿下」
声の主は、元北辺大都督のザルギだった。
リーファは自分がレンリに抱きついているのを見られたせいか、赤面して慌てたようにレンリから離れた。
ザルギはレンリを無実の罪で陥れようとしたが、シスムが政権を得たことでその目論見も外れ、完全に失脚したはずだった。
その彼が、一体何の用なのか。
「私なら、皇女殿下を翼人の犠牲にせず、帝国も滅ぼさずに済む方法を知っておりますぞ」
ザルギはそう言って、にやりと笑った。
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