40●“未完成部分”の謎③……“静止画”は報道写真?
40●“未完成部分”の謎③……“静止画”は報道写真?
とはいえ、“
しかし、それが不自然な欠点に感じられないことには、もうひとつ、理由があるでしょう。
それは、静止画を使って、絵を“あえて止める”ことに、視覚的にプラスの効果が認められる場合です。
盛んに動いていた絵が、ここというキメの瞬間に、バシッと静止する。
その時、単純なセル画でなく、描き込まれたイラストにすり替わっている。
その一瞬の場面が、くっきりと観客の脳裏に刻まれる。
そんな効果を意図的に作り出す場合です。
実は70年代以降のTVアニメに、しばしば使われた手法です。
よく知られているのは、『あしたのジョー』。
ラストの、真っ白に燃え尽きた主人公の静止画は、鮮烈でしたね。
私の知る範囲では、『宝島』とか、21世紀に入ってからは『シムーン』。
また、傾向は異なりますが、小劇場の舞台にも似た雰囲気の中、適宜、シュールな静止画像が登場することで独特の世界を築いたのが『少女革命ウテナ』です。
ある場面を強調し、観客の記憶に強くとどめるために、静止画はプラスの演出手法となりますね。
それゆえ、『ホルス……』の問題の二つの場面は、静止画が集中的に使われたことによって、かえって観客の心に残る効果を上げたのではないでしょうか。
狼や鼠の怒涛のような群れ、恐怖する人々の表情、戦う人々の激しさと厳しさ、戦う人を支える裏方役、逃げ惑う人々のやるせなさ、悲しさ、そういった印象が、静止画であるからこそ、まるで報道写真のように脳裏に焼き付くのかもしれません。
何にせよ、70年代以降のTVアニメに先駆けて、静止画による“ハーモニー技法”を大胆に使いこなした例として、『ホルス……』は歴史に残るでしょう。
さらに加えるならば……
この、狼群と鼠の襲撃シーンを、物語の中の最も適した位置に配したことで、ある意味“手抜き工事”でありながらも、この上なくスマートに内容を強調する効果を実現していることです。
それは、ストーリーのメリハリです。
『ホルス……』のストーリーの魅力のひとつは、物語の流れの
前進と停滞、喜びと悲しみ、リラックスと緊張、平和と戦争、苦悩とその脱却、絶望と希望、それらがくっきりと、コントラストも鮮やかに主人公たちを照らし出し、物語を結末へ向けて迷いなく牽引していきます。
冒頭から、狼との戦いにみる緊張 → モーグ登場にみる期待感の盛り上がり → 太陽の剣を得た喜び → 父の死による悲しみ → 悲劇を乗り越えて旅立つホルスの希望……と、心の明と暗がトランポリンや空中ブランコの如く交互に繰り返され、ストーリーに生き生きとしたダイナミズムをもたらしています。
その一環として、狼群と鼠の襲撃シーンが配置されました。
魚の遡上による大漁と、その恵みを喜ぶ“ホルスのお祝い”の宴。盛大なお祭り。
そのさなかに突如、襲い掛かる狼群。
もう一つは……
ルサンとピリアの婚礼の宴。盛大なお祭り。
そのさなかに突如、襲い掛かるネズミの群れ。
いずれも、明るく幸せな音楽と舞踏に彩られた
この明暗のコントラスト。視覚的あるいは感情的な落差の大きいこと。
いずれも、攻めて来た狼と鼠は悪魔の軍勢であり、いずれ村を滅亡させようとする前哨戦でもあります。
平和な世界が戦争によって一瞬で打ち壊される。
そういう、火急の災厄を描いた場面になります。
平和な祝祭の
アニメの醍醐味はここにあり、といわんばかりに、賑やかに舞い踊る人々。
盛り上がる楽音と歌、太陽の光あふれる世界。
画面いっぱいに理想郷が展開されたとき……
それを、狼が、そして鼠が、破壊します。
これは戦争です。
音楽は恐怖と緊張に張り詰めた楽想に転じ、陽は落ちて闇が迫ります。
そこで、ハーモニー技法。
華やかな動きに満ちた世界から、暗い色調で、描き込まれた静止画へ。
ググッ、と画面の動きが止まり……
狼や鼠のおぞましい姿が一挙に視界を満たします。
ここは戦場。
狼群の襲撃では、戦場カメラマンが撮影したかのようなスチル・ショットが、次々と挿入されます。
闘う男たちだけでなく、“銃後”の女性や老人や子供たちも否応なく動員される総力戦に、村人たちが投げ込まれたことがわかります。
鼠の群れの襲撃では、防ぎようもなく蹂躙され、食糧資源を荒らされる家々の家族の恐怖と怒りが画面に映ります。
いずれの場合も村長は、地面にヘタるか逃げるだけで、何の役にも立っていないことがわかります。
それらが、ほとんど静止画で表現されます。
静止画ゆえ、アニメとしてはずいぶん荒っぽい印象になります。
丁寧に描かれ、滑らかに動いていた平和のシーンと、次の瞬間に現れる、いわゆる“手抜き工事”ゆえにゴツゴツした荒々しい感触の戦場シーンが、強烈な落差のコントラストを伴って、眼前に迫るのです。
静止画であることで、独特のリアリティも与えられます。
これは、戦場の記録写真なのです。
とすれば観客は戦場カメラマンで、今、襲われつつある村の中で、カメラのファインダーを覗いて、この村の様子を撮影しているのです。
これが、先の明るい
しかし静止画のスチル・ショットに変えられたことで、観客は、現場を撮影する“記録者”の位置づけに変化します。
観客も、村の中にいる。
そんな臨場感が、“手抜き工事”の二つの場面に生まれています。
1968年当時、ベトナム戦争はまさに泥沼のさなかにありました。
狼や鼠に襲撃される村のシーンは、もちろんベトナム戦争とは無関係ですが、戦争の現実を伝える映像媒体が、戦場カメラマンのスチル写真に、ほぼ限られていた時代でもあります。
ですから、“戦争”の恐怖とおぞましさを切り取る手段として、“静止画”は非常に効果的だったのです。
二つの“手抜き工事”は、制作スタッフにとって望ましいことではなかったでしょうが、その欠点も一つの特徴として生かし、印象深い場面に転換させたことは、さすが……と感嘆していいのではないでしょうか。
“静止画”は欠点でなく……
伝えるべき内容に即した、最適解、だったのかもしれません。
いわば、“完成された未完成”。
偶然の産物かもしれませんが、これは脱帽もの……だと思うのです。
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