17●十五歳の原罪①……ヒルダは囁く。最後の生存者の正体

17●十五歳の原罪①……ヒルダは囁く。最後の生存者の正体




※本作の結末として、筆者としては、前述した“第三の結末”を妥当とします。

 以降の各章は、“ヒルダは魔女である”という“第三の結末”に準拠して、

 ストーリーを解釈していきます。





       *



 ヒルダは本質的に、魔女でした。固有の魔法力を持っていました。

 というのは、ヒルダの魔法力のすべて100%がグルンワルドの“命の珠”に依存していたとするのは、前章までに述べたように、不自然と思われるからです。


 では、ヒルダはいつ、どのようにして、魔力を身に着けたのでしょうか?

 

 ヒルダの生い立ちを推理してみましょう。


 彼女は、そもそも、いかにして“悪魔の妹”になったのでしょうか?


 物語の前半、ホルスが不思議な廃村で初めてヒルダに邂逅したときのことです。

 ヒルダはこうささやきます。(RAE24頁)


「あたしの村は、悪魔に滅ぼされたわ。そして、あたし一人が助かったの……」

「でも、あたしには悪魔の呪いがかけられている……」


 これらの言葉は嘘ではないでしょう。

 ヒルダは本来、曲がったことの嫌いな、正直な女の子ですから。

 でなければ「笑えないわ、兄さんは!」(RAE42頁)などと、悪魔の兄貴に逆らって正直に忠告し、本気で怒らせることなど、最初からしないでしょう。

 だいたい、ホルスに面と向かって「いまにあたしが、この手であなたを殺すんだって?」(RAE63頁)と、うっかりとはいえ、ブッちゃけてしまうほどですから。

 なぜかホルスを前にすると、妙に意識して意地を張ってしまうところが、可愛いとも言えるのでしょうが、ヒルダは正直すぎるほど正直なのです。

 大胆に嘘をついているように見える場面もありますが、虚言というよりは、沈黙の腹芸であやふやに誘導している感じもあります。


 おおむね、こうではないかと思います。

 内戦工作などの陰謀を進めるための、“お仕事のウソ”はOKで、

 自分の気持ちを明らかにするなどの、“個人的なウソ”はNG、

 そしていずれにせよ、ウソで誤魔化すことは、できるだけ避ける、

 ウソをつくよう求められた時は、沈黙するか、

 “当たらずとも遠からず”という程度の仕草で曖昧化する……

 そんな行動基準を自らに課しているようです。


 実際に私たちも、そんな風にやっているのかもしれませんね。


 ですから……

 ヒルダの言葉は、おおむね正直だ、と解釈します。

 しかし大切な事実は巧妙に伏せられています。

 そして村をネズミの大群に襲わせた直後、ヒルダは村人たちにホルスへの不信感を植え付けるため、こうもささやいています。


「あたしの村にも、一人いたわ。そして悪魔が攻めて来たとき、その人はいなかった。なぜかしら?」(RAE62頁)


 先のセリフにつなげてみれば、素朴な結論が導かれてきますね。


 それって、自分のことじゃないか!?


 悪魔が攻めて来たとき、その場にいなかったのはただ一人。

 で、滅ぼされた村で助かったのは、自分一人……

 とすると、自分の村が滅びるとき、安全な場所に離れていたのは、ヒルダ自身。


 どういうことでしょうか?

 まず、ヒルダの村は「悪魔に滅ぼされた」とヒルダ自身が証言しています。

 ひとまず、今のところは、この悪魔はグルンワルドであると仮定しましょう。

 物語中に、ほかの悪魔の存在が確認されないからです。


 それに、グルンワルド自身が「この地上はオレのものだ!」(RAE13頁)と豪語しているので、ライバルとなる同格の悪魔は長年の間、ほかにおらず、多少の誇張が含まれたとしても、地域的にはグルンワルドが魔族社会の頂点に君臨してきたと思われるからです。


 さて一方、ヒルダには家族がいたはずです。

 ヒルダが綾波型クローン人間であるといった証左は、物語中に確認できないからです。ヒルダは魔女の一種ですが、生物学的な出自はあくまでも人類であり、となると必然的に、親がいます。

 きょうだいも、いたかもしれません。


 ヒルダの村は、グルンワルドが滅ぼした……?

 とすると、グルンワルドによって、ヒルダの一族や友人たちが、皆殺しにされたことになります。

 そこで一人生き残ったヒルダはグルンワルドに拾われ、悪魔の呪いをかけられて、“命の珠”を与えられ、魔法力を身に着けたということになるのでしょうか?


 気にかかるのは、自分の村が滅んだそのとき、ヒルダは何歳だったのかということです。その直後にグルンワルドに拾われたのですが……

 赤ん坊や幼児ではないでしょう。

 なんといっても、グルンワルドに育児能力があるとは思えません。

 といって、森の獣たちが育ての親になったのなら、ヒルダにとって故郷は村でなく森の中になってしまうので、その境遇に淋しさを感じてはいないはずです。

 「それでも淋しくなんかないわ」(RAE13頁)と、本当は淋しいのに、ホルスに意地を張る必要もありません。

 ホルスの前で歌われたヒルダの唄は三曲。みな、寂しい淋しい孤独な小鳥の歌であって、人間界への恋しさや、愛されること、愛することへの渇望が感じられます。チロやトトが友達としてそばにいてくれても、限りなく寂しいのです。

 また、ヒルダは竪琴をつまびいて歌いますが、それを森の獣たちから教わったとは思えません。楽器を奏でるケダモノさんは見られないからです。

 ヒルダはどうやら、もののけ姫タイプではなさそうです。


 となると、

 竪琴と歌をすでにマスターしていた状態で、自分の村が滅びた……

 と考えるのが妥当ではないでしょうか。


 ということは……



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