19●永遠の寓話①……魔女ヒルダの物語①
19●永遠の寓話①……魔女ヒルダの物語①
どれほどの昔なのかわかりせん。
ヒルダはその村でちょっぴり変わり者の少女だったのでしょう。
竪琴で妖しい歌曲をつまびき、人の心を操ったり、いろいろな物を触ることなく移動したり、空間をふらりと移動する……といった魔法力が、備わっていたのです。
ヒルダは「本当は人間」(キネマ旬報セレクション 高畑勲 112頁)ですから、人間の両親のもとに生まれたことは確かです。
しかし「幼い時から「悪魔」の手によって育てられ、自分は宿命的に「悪魔」の妹だと思い込んでいます」(同・112頁)という、特殊な成育事情がありました。
とはいえ、グルンワルドに誘拐されて、森の獣たちに育てられたとするのは、前の章で述べたように、難があります。
グルンワルドの育児能力と、森の獣たちの教育能力が期待できないからです。
特に、ヒルダの唯一の趣味ともいえる竪琴の演奏技術は、森の中で独学するよりは、人間社会の家庭で身に着けたと考える方が自然でしょう。
とすると、ヒルダが育ったのは、ほぼ、普通の人間の家庭、それも、比較的良家の子女だったであろうと思われます。芸術をたしなむ余裕のある家庭です。
幸せな将来を約束された幼女ヒルダ。
そこへ、グルンワルドとその手下たちが、こっそりと接触してきたのです。
どのようなきっかけかわかりませんが、ヒルダの潜在的な魔力に、グルンワルドは気付いていました。
そして、意図的にヒルダと出会ったのです。
後年の、ホルスの時も同じですね。
「見所のあるヤツだと聞いたから、(中略)使いを出したのだ」(RAE13頁)と、グルンワルド自ら、有望な魔族ルーキーのスカウト方法を説明しています。
見所とは、魔法の素養があることです。でないと魔族に採用できません。
ホルスの場合、幼い頃から、グルンワルドが差し向けた銀色狼などが、身近に、かつ日常的に出没していたわけですね。
こちらは男の子ですから、やり方は乱暴。襲いかかって戦わせることで、フィジカルな魔力のトレーニングをしていたわけですが……。
ヒルダの場合でも、幼い頃から、グルンワルドたちが“魔法の早期教育”を試みていて不思議はありません。
とはいえ……
ヒルダはまだ幼い女児ですから、グルンワルドが、すっぴんで顔を見せると、厄介なことになったはずです。
普通、怖くて泣きますし、ご近所に目撃されたら不審者扱いされます。
おそらく、最初は可愛い生き物の姿をした、ちいさな使い魔を寄こすことから始めたでしょう。
蝶や小鳥、子犬や子猫、あるいはフクロウやリス……。
そしてグルンワルド自身は、怪しまれない姿に魔法で変身して、ヒルダの夜の夢に現れたかもしれません。
そして、ヒルダに魔法力を開眼させ、イメージトレーニングに着手したのです。
ある意味、秘密の家庭教師。
森の中に誘拐して育成するのでなく、彼女の家へこっそりとやってきて、教える。
すなわち、“もののけ姫”でなく“セロ弾きのゴーシュ”方式です。
竪琴の演奏を魔法に応用する技術も、問題なくマスターできたことでしょう。
“幼い時から「悪魔」の手によって育てられ”……というのは、だいたい、そういう状況も含められるのではないかと思います。
とはいえヒルダ本人は、それを魔法力の早期教育とは認識していなかったはずです。グルンワルドもあえて、「これは魔法だよ」とは教えなかったでしょう。
最初から“人間を滅ぼす魔法を学ぶのだ”とやったら、たいてい嫌がられます。
だから遊ぶように、楽しく、色々なことができるように……と。
面白いマジックを教えましょう、これで人気者になれるよ……とか。
だからヒルダは、友達もみんな同じことができると思っていたかもしれません。
ヒルダは正直な、良い子だったはずです。
人を疑わない、純真な心。
だからこそ、無防備すぎました。
魔法の力を、隠し損ねたのです。
ヒルダが成長するにつけ……
周囲の大人たちは、気味悪がるようになります。
綺麗な声だけど、どこか不気味で妖しい歌。
そこにないはずのものが、ヒルダの手に現れる。
そこにいないはずの場所に、ふっとヒルダが現れる。
ヒルダの指先に操られるように、ネズミやカラスが群れてくる……
村人たちがヒルダを、悪魔の子と恐れる場面(RAE161頁のイメージボード)が実際に発生しただろうと思われます。
そして誰かが、“ヒルダには悪魔の呪いがかけられている”と囁き始め、それが拡散して、騒ぎになっていきます。リアル炎上です。
村じゅうがヒルダを忌避し、集団いじめの様相を呈するのに、さほど時間はかからなかったことでしょう。
それにしても、ヒルダほど渾身から人間を憎むようになるには、とてつもなく非道で、おぞましい惨劇が彼女の身に起こったであろうと推測されます。
魔法が使える、それだけで、いじめられる。
なにひとつ罪はないのに、ヒルダは石もて追われる身となりました。
近親者に見放され、友達からも排除され……
そしてたぶん、信じていた両親からも、“こんな子にするはずじゃなかった”と虐待されたと思われます。
そんなとき、村を災厄が襲います。たまたまの天災か、飢饉か、疫病とか。
政治責任を問われた村の幹部は、妙手を思いつきます。
あいつのせいにすればいいのだ。
ヒルダの
村人はみな、ヒルダを恐れます。恐怖は、排撃に変わりました。
村の幹部が扇動します。災厄の責任を全部ヒルダになすりつければ、しめたもの。
あいつは魔女なんだ、それならかまわないさ、誰も文句を言わない、それで俺様の地位は安泰だ、悪く思わないでくれよ……と。
「さあ立ちあがるんだ、ヒルダを追放するんだ!」
集団いじめが本格的な冤罪へエスカレートします。
ひとり荒野へ放逐される運命は、もはや死を意味します。
しかし、おそらく、それでもヒルダは完全な孤独ではなかったのでしょう。
自分の兄弟、もしくは兄弟同様に慕う親友の少年がいたのです。
彼は、勇気を奮って、ヒルダをかばってくれました。
「違うよ、ヒルダは犯人じゃない!」
しかしその代償は……彼の死。
ヒルダの追放は、もはや村の政治的決定事項。変更は許されません。
村の幹部に歯向かった少年は、村人集団から石を投げつけられ、殺害されました。
ヒルダの、目の前で。
おそらく、それほど残酷な悲劇が、ヒルダを襲ったことでしょう。
ヒルダはもともと、純真な子です。
それが、心底から人を憎むようになるには、少なくともこれくらい酷い理不尽に直面したのではないかと考えざるを得ません。
ある人が全ての人間を心から憎むようになるには、個人的ないじめや、学校のクラスの仲間外れや町内の“村八分”はまだ悲劇の入口です。
いじめられる自分に非があるのだと、自己を責めて納得する余地があるからです。
もちろんそれだけでも人を自殺に追いやりますから、あってはならぬことです!
しかも、それだけにとどまりません。
人間の社会はもっと非道な責め苦を簡単に用意してくれるものです。
第一に“冤罪”。
濡れ衣を着せられ、必死で弁明しても誰も聞き入れず、中世の魔女裁判の如く有罪が宣告され、そして真犯人はどこかで笑っている、という状態です。
これに加えて、第二に、“信じた人からの裏切り”。
例えば両親から疎まれ、「お前は家族の恥だ」と家を追い出される状態。
尊敬していた教師から、「この子が犯人だ」と警察に突き出されるようなもの。
そして第三に、“信じてくれた人を奪われる”こと。
「君は犯人なんかじゃない」と信頼してくれた最後の人が抹殺されてしまう状態。
この三つが重なれば、どれほど良心的な人でも絶望し、世の中のあらゆる人々を憎むようになるのではないでしょうか。
おそらく、15歳のヒルダの身の上に、それが降りかかったのです。
彼女を排斥し迫害したのは、はるか後の日にヒルダが「間抜けなドラーゴや、疑り深い村長や、すぐに仲間を裏切る村人たち」(RAE64頁)と唾棄することになる人々と、同類の人たちだったのです。
絶望の淵に追い詰められ、もはやどうしようもなく、そこで彼女は反撃しました。
とはいえ、か弱い少女にできることは限られます。
だから全力で魔法力を駆使し、死に物狂いで村人を操ったのです。
互いに殺し合うようにと。
村が破壊され、焼かれ、人がみな死んだところで、悪魔グルンワルドが寒風を引き連れてやってきました。
自然界を荒らしまくる人類を根絶やしにしてやろうと決意し、着手した初期の作戦のひとつが、この村の殲滅だったのです。
その前に、魔法力を育成していた、あの“見所のある”少女に会っておこうか、と……。
しかし一足先に村は事実上滅亡しており、グルンワルドは仕上げに、雪と氷で村の残骸を閉ざすだけで済んでしまいました。
悪魔の仕事を、離れた荒野から静かに眺める少女がいました。
涙はとうに枯れ果て、ただひたすらに、純粋な憎悪だけを、人間に向ける少女が。
グルンワルドは、唯一の生存者である魔女ヒルダを発見したのです。
*
その後、ヒルダが村々に内戦工作を仕掛けて滅ぼしてゆくのは、ヒルダが人間たちから受けた仕打ちへの、自分なりの復讐なのでしょう。
ヒルダの内戦工作はそれぞれの村の内情に合わせてケース・バイ・ケースで作戦を実行したと思われますが、共通して言えることは……
おそらくヒルダの思いとしては“されたことを、やり返す”という“仕返し”なのであり、それならば、内戦工作の実施にあたって、上記の“冤罪”、“信じた人に裏切られる”、“信じてくれた人が抹殺される”の三要素を盛り込もうとしたことでしょう。
そして事実、“東の村”への内戦工作の実施段階である“村民裁判”の場面(RAE38-39頁)には、上記三要素が盛り込まれています。
詳しくは後の章に記述します。
*
以上は筆者の勝手な妄想にすぎない、とおっしゃれば、それまでですが……。
しかし、人間に対するヒルダの根源的な憎しみを理解するための、有力なひとつの仮説とお考えくださればと。
とはいえ、これは私の創作ではありません。
『ホルス……』の本編に散りばめられた手掛かりを集めて、そこから作品の背後設定を推理し、作品の表層に見えている物語では語られていない、“説明不足”の部分を補ってみただけです。
本当に、恐るべき作品だと思います。同時に、凄い作品だと。
●ヒルダの過去は、自分の村を自分の魔法で滅ぼすことから始まった。
●ヒルダの憎しみは、悪魔でなく人間が植え付けたものだった。
少なくとも以上二点が、作品の内容から導き出せるのです。
でも……
こんなことは起こり得ない……と言えるでしょうか。
21世紀の今ですら、冤罪はあり、親からの虐待はあり、被害者に同情する人までもネットで吊るし上げる事案が、無いと言えるでしょうか?
これが、おそらく、ヒルダの出発点なのです。
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