02●はじまりに……秘められた伏線の謎

02●はじまりに……秘められた伏線の謎




 西暦2018年4月、高畑勲監督、逝去。

 2013年に公開された、スタジオジブリ制作の『かぐや姫の物語』が、高畑監督の遺作……生前“最後の”監督作品……となりました。『火垂るの墓』(1988)とともに、高畑監督の代表作とみてよろしいでしょう。


 しかし、もうひとつ、見落としたくない代表作があります。

 それは、高畑勲氏の“最初の”劇場アニメ監督(実質的な監督)作品。

 氏が他界される、ちょうど50年前のこと……

 西暦1968年に公開された、東映動画制作の『太陽の王子ホルスの大冒険』です。


 当時、劇場アニメは“天然色長編漫画映画”などと呼ばれ、小学生以下の子供向けの、マイナーなジャンルでした。

 今どきの、全世代にわたるアニメファンとかアニメオタクといった人口集団クラスターはそもそも全く存在していなかったのです。

 

 そのような社会背景のもと、大人の鑑賞眼にも耐えうる高度な内容を備えて、突如、彗星のように登場したのが、『ホルス……』でした。


 制作スタッフは当初から……

 “「こどもだまし」ではない動画映画”(ロマンアルバム エクセレント148頁の“公開当時、映画館に配布された宣材”より)を目指していたのです。


       *


 21世紀の今からみても驚異的な作画枚数、破格の制作費と製作期間。

 そして、当時30代前半であった高畑勲監督に率いられ、20代であった宮崎駿氏をはじめ、アニメ界のリーグ・オブ・レジェンドが結集し、惜しげもなく注ぎ込んだ、若き情熱。

 それが、わずか82分という上映時間に凝縮されています。


 その制作現場の壮絶な戦いぶりは、下記の書籍から窺い知ることができます。

『「ホルス」の映像表現』(1983)アニメージュ文庫 徳間書店

『太陽の王子ホルスの大冒険』(1984)ロマンアルバムエクセレント60 徳間書店


 壮絶、ではありますが、高い理想を掲げて突き進むスタッフたちの“熱血の誇り”が写真や文の端々からあふれ出てくるのを感じます。

 21世紀の現在とはかなり異なる……そう、おおらかでがむしゃらな、気迫と気骨に満ちた天才たちが、そこにいるのです。



 ですから、アニメの本編を、ぜひ、もう一度、ご覧になってください。

 ただし、なんとなく受身で観るのではなく、頭の中に「なぜ?」という疑問符をつけて。たとえば……


「悪魔グルンワルドは、実は、弱いのではないか?」

「悪魔グルンワルドは、本当の悪なのか?」

「“なりたくないわ、人間なんかに!”……ヒルダはなぜ、そう言ったのか?」

「ヒルダはどのような動機で、“悪魔の妹”になったのか?」

「ヒルダの生まれ故郷は、どこなのか?」

「なぜ、グルンワルドはヒルダを悪魔の側にリクルートしたのか?」

「一瞬、ホルスの男性器を見せたのは、どのような意図が?」

「“太陽の剣”は、何を意味しているのか?」

「岩男モーグは、なぜ人類の味方をするのか?」

「ヒルダとホルス、二人の出会いは偶然だったのか? 初めてだったのか?」

「ヒルダがホルスを“兄妹ね。双子よ”と言った意味は?」

「ポトムはなぜ、一発で“犯人はヒルダなんだ!”と見抜いたのか?」

「ヒルダはなぜ、無抵抗のホルスを殺さなかったのか?」

「ホルスはなぜ、無抵抗のグルンワルドをあえて処刑したのか?」

「ヒルダがホルスへの愛を悟ったのは、いつなのか?」

「ヒルダはなぜ、グルンワルドを“裏切った”のか?」

「ヒルダはなぜ“生き返った”のか? それとも?」

「ホルスは、行方不明となったヒルダの救出に赴いたのか?」

「あの幸せそうなエンディングは、どこか不自然ではないか?」

「劇中の歌に登場する“神様”と“お日様”の意味は?」


 思えば、謎の多い、いや、多すぎる作品なのです。


 さらに付け加えるならば……

 『ホルス……』の中には、その後の、いわゆる“宮崎アニメ”や“ジブリアニメ”……その中でも、特に『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』、そして『崖の上のポニョ』『かぐや姫の物語』に通底する共通要素とは何か? また、チラリとですが、『コクリコ坂から』にも関係する要素が見えるのでは?


 そのようなことを頭のどこかに置いて観れば、おそらく、数多くの新しい発見があり、同時に疑問も生まれることでしょう。


 なぜならば……

 驚異的にして破格の時間と労力と費用を注ぎ込み、超天才級ともいうべきスタッフ陣の、たぎるばかりの情熱を結集して制作された『ホルス……』です。

 それが、月並みな、「ただの子供向けアニメ」であるはずがありません。


 しかも……

 公開当時の1968年、劇場アニメは中短編とりまぜて三~四本立てが普通の時代。

 夏・冬・春あるいはGWの学校のお休み時期に合わせて、小学校低学年のお子様向けに、人気のテレビ番組を30分程度のフィルムに編集したもの二、三本と抱き合わせで、“〇〇まんがまつり”などと銘打って上映するのが普通でした。


 アニメの社会的地位は、その程度のもの。

 まさに“子供だまし”の暇つぶしに近いものだったと思われます。


 現在のように、二時間もの一本でロードショーにかけるような、大作主義の作品制作は、最初から許されない時代だったわけです。

 ですから……

 使用できるフィルムの尺に、過酷なまでの制限が課されたと思われます。

 高畑監督のもと、ストーリー、キャラクター、世界設定が徹底的に練り込まれ、濃厚なまでの完成度を誇る作品が、わずか82分に凝縮されねばならなかったのです。

 当然、徹底的に、内容の無駄が省かれます。

 削れる限り削って、どうしても落とせないギリギリの場面だけを残した作品になったはずです。

 たとえ1秒とて、余分なカットは無いのです。


 それどころか、おそらく1980年代以降の二時間クラスの劇場アニメなら、きっちり丁寧に描き込まれたはずのサイドストーリーを盛り込むことができず、大幅に省略されていると考えてよいでしょう。


 そこに、宿命的な“説明不足”が生じます。

 本来なら目に見える形に描かれるべき巨大な伏線が、一言も触れられないままに、ストーリーの水面下に隠されてしまったのです。


 先に掲げた数々の疑問は、意味のない愚問に見えるかもしれません。

 『ホルス……』が徹頭徹尾、最初から完全に“子供向け”として作られていたら、正義は正義、悪は悪で、単なる勧善懲悪の物語として、シンプルな物語構造になっているはずです。

 それならお話は、当時の他のアニメ作品と同様に、「悪は悪だから最後には滅ぶんだよ」で終わってしまい、そこに大人の疑問を差し挟む余地などないからです。


 しかし、天才の技でつくられた『ホルス……』のストーリーです。

 そんなに単純だったはずがありません。


 しかし、当時の世間の人々が期待する作品は、あくまで、“子供向け”でした。

 “まんがまつり”のためのメイン作品。

 その点、21世紀の今とは、まるで真逆ですね。

 なので、『ホルス……』には、語られなかった秘密のエピソードが山ほどあり、それらは表面上、“子供向け”の作品を装うために、やむをえず隠されてしまったのではないでしょうか。

 迷宮の最も奥深い塔に幽閉された姫君のように。

 ですから……


 先に述べた、さまざまな疑問の答えが、シナリオの行間の、ふと見落としてしまいそうな空白の奥底に、しっかりと用意されているはずなのです。


 作品の中で起こる出来事を「なぜ?」という疑問符の視点でながめれば、この作品の、目に見えない、いわばステルス化されてしまった根幹の部分が、浮かび上がってくることでしょう。



 端的に申しますと……


 “子供向け”の仮面を被った、じつは“大人向け”の、しかも空前絶後の傑作。


 しかもその姿は、水面の上にちょっぴりとしか顔を出していない、氷山です。

 水面下にこそ、巨大な本体が隠されている……



 それが本当の『太陽の王子ホルスの大冒険』なのだと思うのです。





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