03●なぜ、ヒットしなかったのか?
03●なぜ、ヒットしなかったのか?
『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年 東映動画)は、日本のアニメ史を辿る際に、避けて通れない金字塔です。
高畑勲監督のもと、宮崎駿氏をはじめ、神様級ともいえるアニメ界のレジェンドが現場スタッフに名を連ね、声優・音楽・脚本いずれも当代一流の逸材が参集しています。
「ディズニイ流のライヴアクションに全く頼らず」(『ロマンアルバム エクセレント 太陽の王子ホルスの大冒険』1984年 徳間書店:以下RAE、148頁掲載の宣材より )、アニメ独自の動きを追求することで生命感あふれるキャラクターを創造した功績はゆるぎなく、21世紀に至る国産アニメの方向性を指し示す羅針盤になったともいえるでしょう。
しかし公開当時、『ホルス……』は不運に見舞われました。
“子供向け漫画映画”であるはずが、肝心の子供に受け入れられず、「興行的には惨敗に終わった」(RAE146頁)のです。
加えて「会社の合理化と斗いながら、心血をそそいで作り上げた」(RAE145頁)作品であると喧伝されたのが裏目に出ます。
はるか北の遠い昔、悪魔グルンワルドに滅ぼされた村の生き残りである主人公の少年ホルスが、悪魔の妹である不良少女ヒルダを更生させつつ、分裂していた村人を一致団結させて、悪魔を倒す最強兵器“太陽の剣”を完成し、総力を挙げて悪魔を殲滅する……という勇壮な英雄譚が、たちまち、労働の果実を搾取する悪魔的経営者と、それに対立する村人的労働者の革命讃歌へと、いつのまにか印象操作(?)されてしまったようですから。
子供達にはそっぽを向かれ、一部の大人からは真っ赤っかなプロレタリア革命漫画もどきのレッテルを貼られてしまいました。
“親の因果が子に祟る”の
本来、作品の中身とは峻別されるべき“制作事情”が、そのまま“作品内容”と同一視されてしまったがゆえの、おそらく制作者側が全く意図していない、想定外の悲劇だったというべきでしょう。
よく言われる、“手段が目的化する”みたいな現象ですね。
以来、およそ十年後に、『ホルス……』の魅力を忘れなかった若者たちによる16ミリフィルムの自主上映活動(当時まだ、家庭用VTRは普及していません)がブームとなって再評価され、1978年、アニメ情報誌『アニメージュ』創刊号で小特集が組まれるまで、本作の技術的側面はともかく、ストーリーの内容について前向きに語られることは、ほとんどなかったと思われます。
ここで最初の謎が浮かび出ます。
『ホルス……』は、なぜ、ヒットしなかったのだろう?
制作期間は約三年、作画枚数15万枚(予告編による)、これは半世紀後の現在でも、破格です。29年後、1997年の『もののけ姫』で14万枚強というのですから。
製作費は当時の金額で一億三千万円(今なら数倍に相当する?)、これも当時の常識からすれば破格というべきでしょう。
制作スタッフも声優・脚本・音楽も最高レベル、これでヒットしないとは考えられない超大作なのです。
となると、ヒットを逃した要因はアニメーションとしての技術的完成度ではなく、作品を構成する物語の内容や語り方にあると考えるべきでしょう。
『ホルス……』は超大作ゆえ、「小学生から大人まで」(RAE148頁)をターゲットとしていました。大志に燃えるスタッフが心血を注いで、“子供だまし”に終わらない高度なストーリーをめざしていたのです。
そこに興行上の制約が立ちはだかりました。
“まんがパレード(後の“まんがまつり”)”の一環として三十分程度の短編三本を併映するため、本作は最初から、82分という短い時間にまとめ上げなくてはならなかったのです。
この限られた時間に、表向きは子供向けアニメの体裁を保ちながら、大人の鑑賞に堪える内容を盛り込もうとしたら、どうなるのか。
伏線に継ぐ伏線が重層し、しかもその多くが“説明不足”に陥ったと思われます。
制作スタッフが超一流であるだけに、ストーリーは徹底的に吟味され、特上のデミグラスソースの如く煮詰められ、場面展開の贅肉は零式戦闘機のように徹底的にそぎ落とされたことでしょう。
不要な場面は一秒もなく、不要なセリフは一言もない。ぎっしりと回路を詰め込んだ精密機械のように組み上がった作品が、『太陽の王子ホルスの大冒険』だったと考えられるのです。
これがあっさりと、“まんがパレード”の一本として世に出されました。
たとえれば、高級食材を惜しげもなく投入した大人の味のキュイジーヌが、何の説明もなくペーパートレイに載せて、「お子様ランチです」とテーブルに給仕されたようなものです。
作品がようやく公開にこぎつけたとき、それが災いしました。
なんといっても、子供には難しかったのです。
当時の主要な客層は小学生、それも低学年。
思春期前の子供に、ホルスとヒルダの恋愛感情の機微を理解するのは無理難題というもの。子供たちはすぐに退屈し、劇場内を走り回って遊び始めたといいます。
一方、当時の大人にとって、漫画は“小学生以下の子供が読むもの”でした。
「マンガばかり読むと馬鹿になる」などと、洒落抜きで言われたといいます。
(それはそれで、あながち嘘でもないと、謙虚に受け止めたい気もしますが……)
ですから、大人の鑑賞力で『ホルス……』の登場人物に共感しようとする大人の観客は、極めてまれだったと思われます。
さらにその内容は、余分な説明を徹底的に省いており、その結果、随所に観客自身の想像力で行間を補わなければ、理解できない展開が含まれていました。
しかし大人たちの多くは、本作をただの“子供向き”と思い込んで、意味深なストーリーを読み込む努力をスルーしてしまった。
だから、ヒットしなかった……のではないでしょうか。
『太陽の王子ホルスの大冒険』は、そのような作品だったのです。
何も考えずにボーッと表層的に鑑賞すれば、一見して子供向けの、単純な勧善懲悪の冒険譚。
しかしその裏には、大人向けのシークレット・ストーリーが何本も伏線化され、東京の地下鉄のように複雑に絡み合っていたのです。
アナログ時計の文字盤はシンプルですが、文字盤を外すと、そこに複雑にして緻密な歯車機構が層を重ねて姿を現すようなものです。
それは21世紀の現在においてすら、大人の鑑賞眼をうならせる痛烈な文明批判や社会批判、男女の恋愛がからむ宿命的な愛憎劇、そして人類の未来への警鐘と、生と死の狭間に苦悩する少女のための鎮魂歌。
半世紀も昔の若き天才たちが、三年もの月日と巨費と血のにじむような努力を注いで結晶化させた、わずか82分の作品。かれらが、本作を通り一遍の子供向けお伽話にすることで満足したはずがありません。
最初から意図したか否かはともかく、表立って語られない、複雑で重要なエピソードを収めた秘密の部屋が、ファラオの墓のように、ストーリーの水面下に眠っているはずなのです。
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