32●ヒルダの愛と死……ホルスとの剣戟に隠された彼女の決断。

32●ヒルダの愛と死……ホルスとの剣戟に隠された彼女の決断。




 ついに自力で“迷いの森”を脱出したホルス。

 待ち構えていたヒルダ。

 太陽の剣の鍛え方を解明したと、明るく告げるホルスに、彼女は突如、自分の剣を抜いて斬りかかります。

 激しい剣戟。

 ホルスは説得します。「そのヒルダを追い出すんだよ!」(RAE45頁)

 ヒルダは剣を落とします。


 ボーッと観てしまうと、主人公の少年に歯向かうものの、力不足の不良少女は屈服して、真人間になるために心を入れ替えたように見えますが……

 それは“ヒルダの第一の結末”の場合です。


 しかも、そんな説得は“きみは悪い子だから、自分で性格を直しなさい”と上から目線で説教するようなもので、心から納得して反省する人は、まずいないでしょう。


 ヒルダがホルスとのケンカに敗けたから、心を入れ替える……なんてことは、ありえないのです。

 だって、この勝負、実力を考えたら、“命の珠”を首にかけ、不死力を備えた上に魔法力の経験値は数段上回るヒルダが圧倒的優位で、敗けるはずがないのですから。

 その気になれば、いつでもスッパリとホルスの首を落とせるのです。

 しかしこのときヒルダには、ホルスへの殺意はありません。

 先の章で述べました通り、“何があってもホルスを殺すことはできない!”といえるほどに、ホルスを愛してしまっているのですから。


 そう考えると、不可解ですね。

 ホルスを愛しているはずのヒルダが、なぜホルスに斬りかかったのでしょう。


 さらに、“ヒルダの第三の結末”に準拠して……ヒルダはもともと魔法力を持ち、人間から受けた虐待によって人間を激しく憎み、その結果、悪魔の妹になった……と考えるならば、この場面はかなり複雑な、ヒルダの逼迫ひっぱくした想いが交錯する名場面となります。



 わずか数秒の剣戟。

 しかしその中に、ヒルダの生死の選択を決める、最終的な心の葛藤が秘められていたのです。


       *


 この剣戟の前、氷の宮殿の場面で、ヒルダはグルンワルドから命じられました。

「ホルスを倒すのだ、お前自身のために」(RAE42頁)

 この時のヒルダが、“第一の結末”のヒルダのように、悪魔グルンワルドの洗脳によってコントロールされているのでしたら、ヒルダは何も考えずに、すぐさま迷いの森へ赴いてホルスを殺そうとしたことでしょう。

 しかし彼女はそうせず、ホルスが自力で脱出してくるまで待ちました。

 明らかに、ホルスの殺害をためらっています。

 もちろん、“何があっても、あたしはホルスを殺すことはできない!”と言えるほど に、ホルスを愛してしまっているからですね。


 しかしそれなら、さっさと迷いの森へ赴いて、ホルスを助けて森を脱出させ、“あたしは人間になる、一緒に村へいきましょう”と手をつなげばよかったはずです。

 でもヒルダは、そうしませんでした。


 何かに躊躇して迷うかのように、迷いの森の外で待ち、ホルスが脱出してきて「村へ帰るんだ!」と誘ったとき、やにわに斬りかかっています。(RAE66頁)


 なぜ、ヒルダはそうしたのか。


 まだ、グルンワルドとの心の絆を維持していたからです。


“あたしにはホルスを殺せない。でもホルスを迷いの森から助け出したら、彼は必ず太陽の剣を鍛え直して、グルンワルド兄さんを殺すわ! 可哀そうな兄さん、あたしは兄さんを見捨てられない。だって、今まで、ひとりぼっちのあたしに居場所をくれたのは、兄さんだけだもの”


 腐れ縁、と言えばそれまでですが、ヒルダはグルンワルドに対して、今も家族的な心情を持ち続けているのです。見ての通り性格に問題のある悪魔ですが、それでも、たった一人の兄さんだもの……という心理ですね。

 ヒルダはグルンワルドに恩義を感じているのですから。


 グルンワルド兄さんは、“ヒルダ、自分のためにホルスを殺せ”と言った。

 けれどあたしは、グルンワルド兄さんを、やっぱり失いたくない。

 兄さんを守るならば、兄さんのために、あたしがホルスを殺すしかない……


 どうしたらいいの!

 ……と、ヒルダは心が引き裂けそうな思いで呻吟したはずです。


 だから、ホルスが自力で迷いの森を脱出するまで、ヒルダは動けなかった。

 そしてホルスが目の前に現れ、「村へ帰ろう!」と促したとき、ヒルダの心は限界に追い詰められ、とうとう、どうにもできなくなって剣を抜いたのですね。


 ホルスに突きかかる。剣と斧が火花を散らす。

 ヒルダの心の悲鳴。

 “ホルスを殺さなきゃ、兄さんが殺される!”

 でも、一撃でホルスを貫く実力は十分なのに、ヒルダの剣の切っ先が鈍ります。

 ホルスを突く寸前で、刃が逸れるのです。

 “ダメ、殺せない、あたしにはやっぱりホルスを殺せない!”

 激しい剣戟のさなか、ヒルダの心の悲鳴は高鳴ります。

 これを“愛”と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。

 兄の命とホルスの命、その二者択一にせめぎ合う、自分の心。

 あまりにも残酷な選択に、正気を失いそうになるヒルダ。

 この強烈にして悲劇的な葛藤は、この時のヒルダの表情をコマ送りで見ると、切実に感じられます。

“ホルスを殺さねばならない、でも殺せない! 殺したくない! でも殺さなければ、兄さんが殺される!”

 あまりにも過酷な選択です。

 そしてヒルダは、こう願ったはずです。

“それならホルス、いっそここであたしを殺して! あなたに殺されるなら、かまわない。あたしを殺して、あたしの全てを終わらせて!”

 剣を落とし、数瞬、じっとうなだれるヒルダは、そんな思いでいたはずです。

 ホルスを殺さずに剣戟を終わらせれば、ホルスがグルンワルドを殺しに行くことを許すことになります。

“それは、……あたしが兄さんを裏切り、あたしが兄さんを殺すこと同じ! だから、あたしは死にたい、ホルス、あたしを殺して”……とヒルダは願ったのです。


 この時ヒルダは、自分の死が避けられないと悟ったのですね。

 そうでなく、ただケンカに敗けただけなら、すぐさまヒルダはホルスに背を向けてその場を逃げ出し、グルンワルドの魔族軍に合流すればよかったのです。


 しかしヒルダは、死を決しました。

 だからホルスの前にたたずみ、ホルスに刺殺されることを願ったのです。

 しかしホルスは、もちろんヒルダを殺すはずがありません。

 かといってヒルダがホルスに屈服して一緒に村へ帰れば、兄の敵となり、兄を殺す側に回ってしまいます。


 ヒルダは、このように決めました。

“悪魔の自分を捨てて人間になり、これまで多くの人間を殺してきた罪と、兄を裏切って死へ追いやる罪を背負って、ひとりきりで死のう”……と。


 だから彼女は、別れを告げたのです

「さよなら、ホルス」と…… 


 続く言葉で「兄さんが村へ行ったわ」とホルスに教えたのは、ホルスへの愛と、兄グルンワルドの命を諦めたこと、そして、自分への絶望の思いからでしょう。


       *



 ホルスも、このとき悟ったのでしょう。

 グルンワルドは、生きている限り絶対に、ヒルダを手放すことはない。

 ヒルダを人間界に取り戻し、彼女と一緒に平和に暮らしたければ、やるべきことはただひとつ。

 グルンワルドを殺すことだけだ……と。



       *


 ヒルダはホルスの前から姿を消して雪原をあてどなくさまよい、フレップの赤いスカーフを見つけて、遭難したフレップとコロに自分の“命の珠”を譲り、自分はひとりきりで雪原に斃れ、死にゆく道を選びました。


 ホルスとのわずか数秒の剣戟には、凄絶としか言いようのない、ヒルダの愛と死の葛藤と選択が秘められていたのです。


 二人の運命の剣戟シーン。

 『太陽の王子ホルスの大冒険』の全編を通じて最高の名場面だと思います。

 いや、この国のアニメ史を通観しても、最高の名場面でしょう。


 ヒロインをここまで追い詰め、苦悶の果てに真摯な決断にいたる場面、他のアニメには、まず見られません。

 『太陽の王子ホルスの大冒険』が空前絶後の超傑作である、ひとつの証左といえるのではないでしょうか。





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