25●原罪の地、ふたたび②……静かな湖畔の、白き墓にて

25●原罪の地、ふたたび②……静かな湖畔の、白き墓にて



 状況証拠の第四は、ヒルダがグルンワルドに「ヒルダは北の国へ帰ります。そしてじっと厚い氷の下の湖で暮らします」(RAE42頁)と告げていることです。

 ヒルダの故郷は湖のほとりであることがわかります。

 そして、この廃村は湖に面しています。

 厚い氷に覆われているようには見えませんが、ヒルダがその魔力で幻影を見せ、ホルスに対しては、青い氷の天井を青い空に見せ、白い氷の壁を、のどかな水辺の風景に置き換えることは可能でしょう。


 さざ波一つない、鏡のような湖面。 

 太陽光はあるが、風はまったくなさそうです。

 鳥の姿も、トト以外には見られません。

 しかし、さえずりの音だけは聞こえてくる。

 どこかリアリティを欠く、静止した空間。

 不自然さは否めません。

  

 グルンワルドは魔法でヒルダにリアルな幻影を見せています(RAE42頁)。ホルスたちが襲い掛かって、“命の珠”を切られる場面です。

 また、東の村に侵攻するとき、山上に巨大な“俺様イメージ”を映し出して高笑いしていますね。他者に幻影を見せる魔法は、彼にとってたやすいようです。

 またヒルダも、迷いの森でホルスを苦しめるときに、ホルスに妖艶に語りかけながら、グルンワルドの船の船首像になった自分や、バラバラになった自分などの幻影を見せていますね。(RAE43-44頁)

 特定の誰かに、そこには無い幻を見せるのは、この世界の悪魔にとって、さほど難しいことではなさそうです。


 湖畔の廃村の場合でも、じっさい、幻を見るのはホルスひとりでいいのですから、十分に可能なことと思われます。ヒルダやトトやチロにとっては氷の天井と氷の壁、凍てついた湖であっても、ホルスにだけは清々しい穏やかな湖畔に見せることができるでしょう。


 ホルスに、熊のコロがついてきていましたが、ヒルダとホルスが対面する場面には姿を見せていません。ヒルダにとって邪魔なので、廃船の手前で迷わされたか、ひと眠りさせられたのでしょう。ヒルダがホルスと共に走り去る場面で、チラリと姿を見せて合流しています。



 ヒルダにとって、ホルスは大切な客人です。14年ぶりの再会、そして、14年前に滅びた村から見逃してやり、生きて相まみえる唯一の人物です。

 駅前のコンビニで待ち合わせ、という気軽な状況ではありません。やはり自宅に招き、奥の離れの茶室でもてなしてあげよう……といった関係でしょう。


 大切な賓客を招く、ヒルダにとって、最も大切な場所です。


 状況証拠の三と四に着目すれば、この廃村が、魔法の結界で厳重に封鎖し、出入口に鍵をかけた、ヒルダの秘密の部屋に当たる場所だと推察されます。

 これほどに、ヒルダが頑なに他者を遠ざけて、大切に守る奥の間……それはただ、風景が良くて快適なので気に入った……だけの場所ではないでしょう。


 他人に一切見られたくない、ヒルダの重要な秘密を葬った場所。


 例えば、墓。


 だから、おそらく、この廃村は彼女の故郷だったのです。


 家々の木材が白く脱色し、村すべてが白い墓地と化したかのような、無人の廃村。

 ここはヒルダが、かつてはそこに住む村人たちを心から憎み、互いに殺し合わせた忌むべき場所。

 それでも、今は人影が消えたこの場所は、ヒルダにとって、失われた過去の思い出が残された、唯一の聖地でもあります。


 彼女が自分の村を滅ぼした原因のひとつが、自分が迫害されただけでなく、自分を信じてくれて、彼女も心から慕う兄のような人物が村人によって抹殺されたことにあったとしたら……

 彼のなきがらは、この湖に眠っています。

 この廃船は、湖に船尾を向けています。

 もう、湖に船出することはないのだ、と。

 そして、ヒルダが船のともに腰かけて、湖を向いて、竪琴をつまびいて歌っていたのは……

 かつて愛したひとへの鎮魂歌? でしょうか。

 ホルスが耳にしたのは、その歌だったのかもしれません。


 彼女は暇を見つけては、ここへやってきて、愛する人を追悼し……

 とりとめもなく孤独な時間を過ごしていたのでしょう。

 幸せだったころの思い出を拾い集めながら……。


 この場所は、ヒルダの魔法による復讐で、大量殺戮の嵐が巻き起こされた、哀しい戦場でした。

 かろうじて残った家々は、かなり水没しています。

 村の滅亡の後に湖の水位が上がった……それとも、ヒルダが魔法で水位を上げたのか……と思われます。その場合、鏡のような水面に美しい景色を映すことで、その下に何かを隠したのでしょう。

 人々のむくろを。

 そうして、おびただしい数の遺体が湖底に眠り、この地はそのまま風光明媚な墓所になりました。

 ここはまた、ヒルダにとって、罪にまみれた自分の心の墓場なのです。


 そして、ホルスは知らぬ間に濃霧に包まれて、はるかな空間を超えて、この白き巨大な墓所に招かれてきました。

 ヒルダの賓客として。


 なぜでしょう。


 きっと、ヒルダは求めていたのです。

 救いの手を。


 それは、映像から察せられます。

「ぼくらの村へ(中略)行こう!」(RAE25頁)と、明るくヒルダに手をさしのべるホルス。

 

 そして、ホルスに手を差し出すヒルダ。


 このときホルスは、ヒルダにとって……

 しくも、重い原罪の墓石の下に封印した自分の心を、暗いひつぎから救い出してくれる、白馬の王子様になったのです。





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