28●罪にまみれた愛③……ホルスのどこに惚れたのか
28●罪にまみれた愛③……ホルスのどこに惚れたのか
それでも……
ヒルダは予定通り、村の内戦工作を進めます。
ホルスの斧を手に入れ、ドラーゴに与えたことです。(RAE35頁)
これで内戦のスイッチが入りました。
しかし、引き返せない一線を越えてしまったヒルダの心は、自分の予想に反して、強い後悔にとらわれます。
ホルスをおとしめる陰謀を仕組んでしまった自分。
たとえこれから先、ホルスが仲間になってくれても、自分の良心はさいなまれる。
心からの、本当の幸せは、きっとこない……
ヒルダは自分の心が、激しく引き裂かれていくことを自覚したはずです。
この村は滅ぼす。
でも、ホルスは仲間にしたい。できれば仲良く暮らしたい。
けれど、ホルスは村の味方。彼は悪魔を滅ぼそうと考えている。
あたしの正体がバレたら、ホルスは間違いなくあたしの敵に回る。
そうなれば、あたしはホルスを殺すしかなくなる。
どうすればいいのだろう? ……と。
ヒルダの苦悩を深める、さらなるきっかけは、幼女マウニとのふれあいです。
孤独感にさいなまれるヒルダに、「遊ぼう、ねえ、遊ぼうよ」となついてくれる、ただひとりの女の子。
情が移り、「マウニには助けます」と口走ってしまいます。(RAE37頁)
“ヒルダの第三の結末”に準拠しますと、これは
14年前に乳飲み子のホルスを滅びる村から助けた場面に重なります。
ヒルダは思い出したでしょう。14年前のちいさなホルスの面影を。
村は滅ぼさなくてはならない。
生存者は一名たりとも、残してはならない。
そして14年前に助けたホルスも、悪魔に転向してくれなかったら、最後は殺すしかなくなる……
でもマウニ同様に、ホルスは自分に声をかけ、親切にしてくれる。
自分を信じてくれる友達は、ホルスとマウニだけだ。
ホルスとマウニは、友達……!
ここでヒルダは、そのことをはっきりと自覚したのです。
ヒルダの苦悩は頂点に達します。
そのことを示すのが、ヒルダが一人寂しく“あかねいろ……”で始まる“ヒルダの悲しみの唄”(DVDのチャプターより)を口ずさむ場面です。(RAE38頁)
歌い終わったヒルダの左の眼に、キラリ、と涙のしずくが輝きます。
ヒルダの涙が明瞭に示された、作品中おそらく唯一の場面です。
これは、悲しみの涙です。
なぜ、悲しいのか。
もうすぐドラーゴはホルスの斧を投げ、ホルスに冤罪をかける。
あたしは、ホルスを裏切る。ホルスを追い詰める。
ホルスはそんなあたしを徹底的に憎むだろう。
あたしの正体が明らかになる。
そうなれば、もう、ホルスと友達ですらいられなくなる。
ヒルダは、ホルスとの関係が破綻すること、そしてマウニを助けられないことを悟って、涙したのでしょう。
村を滅ぼす意志は固く、そのことは後悔していません。
村は滅ぼす、人間はみんな殺す、全滅。
けれど、特別なホルスとマウニは失いたくない。
この二律背反に、ヒルダはさいなまれ始めたわけです。
そこでヒルダはホルスに告げます。
「この手であなたを殺すんだって?」(RAE38頁)
自分の殺意を告白してしまったのです。
ヒルダの真意はこうでしょう。
“逃げて!”
村を離れてどこかへ逃げてくれれば、あたしはあなたを殺さずに済む!
しかし「怖がることはないんだ、どんな悪魔だって必ず……」と、ホルスは逃げずに戦うことを宣言します。
そうなれば、ヒルダはホルスを殺さなくてはならなくなる。
「ダメよ、必ず人間は死ぬのよ!」
“だから逃げて!”……という、ヒルダの悲痛な叫びです。
ここで、ヒルダが抱えている、人類絶滅の悪魔的正当化論理が推察されます。
自分は悪魔だから、不老不死だ。
しかし人間はいずれ死ぬ。放っておいても確実にいつか死ぬ。
それなら今、みんな殺しても同じ。
どうせいつか死ぬ運命なのだから。
ちょっと早く、亡くなるだけのこと。
ヒルダがグルンワルドとともに人類殲滅を目指す、哲学がそれです。
いずれ死ぬ以上、いつ死んでも同じなのよ、と。
ヒルダはそのように、自分の良心に言い聞かせてきたのでしょう。
殺す側の、殺される側への傲慢で非道な論理であり、人類が人類に対しておこなってきた大量虐殺の言い訳が、それでしょう。
どうせそのうち死ぬのだから、今殺したってかまわない。千年二千年の歴史の中では、あまりにも些細なことではないか……。
殺人者がうそぶきます。「たまたま少し早く死なせてやっただけ」と。
恐ろしい着想ですが、悪魔の論理として、ありえないことではないでしょう。
『太陽の王子ホルスの大冒険』は、そこまで人間の恐ろしさを考えさせてくれる、というのは、筆者の深読みしすぎでしょうか?
ホルスに村長暗殺未遂の冤罪がかけられる“村民裁判”の場面まで、ヒルダはホルスに“好き”の感情を仄かに持ちつつも、断固として殺人鬼であり続けようとしていたのです。
*
さて、それではヒルダは、ホルスのどんなところを“好き”になったのでしょうか?
これはかなり明確に、基準が示されています。
ヒルダが“どんな人間が嫌いなのか”を割り出し、その真逆の人間を想像すればいいのです。
ヒルダが心底嫌いな人間像は、彼女自身の言葉で、こう表明されています。
「まぬけなドラーゴや、うたぐり深い村長や、すぐに仲間を裏切る村人たち」と。(RAE38頁)
ということは、ヒルダにとって、ホルスの魅力は、その真逆にあるわけです。
間抜けな人 → 聡明な人
疑り深い人 → 信じてくれる人
裏切る人 → 裏切らない人
つまり、“聡明で、人を信頼できて、人からの信頼を裏切らない”こと。
ホルスが聡明な人物であるかについては疑義があるかもしれませんが、彼が今後も絶対ドラーゴにならないことは、見て明らかですね。
そしてやはり肝心なことは……
“人を信じ、裏切らない”ことです。
現実離れした理想論的な生き方に見えますが、これを否定したら、人間としておしまいのような気もします。
だから本質的に、ホルスが武骨でも不器用でも、関係なかったのですね。
この点において、ホルスはヒルダにとって、“好き”の合格ラインに達していたわけです。ヒルダの恋人選別眼は、意外と堅実だったのかもしれませんね。
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