30●罪にまみれた愛⑤……“村民裁判”、業苦の既視感《デジャヴ》

30●罪にまみれた愛⑤……“村民裁判”、業苦の既視感デジャヴ




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 さて、以上を短くまとめますと……


 ホルスに「この手であなたを殺すんだって?」(RAE38頁)と、殺意を告白してしまった時点のヒルダは、殺意アリでしたね。

 “ホルス、あなたが好きだから殺したくない。だから逃げなさい。逃げないとあたしはあなたを殺す”というニュアンスでした。


 しかし、続く崖っぷちの場面では、明らかにホルスを殺すべき状況でありながら、実際にはホルスを完全に抹殺することはせず、“迷いの森へ落とす”にとどめました。

 ここではもう、ヒルダのホルスに対する殺意は、消滅しています。

 殺意ナシ、なのです。

 “殺さなきゃいけない、でもあたしにはホルスを絶対に殺せない!”というニュアンスですね。


 ということは……

 上記二つの場面の間に挟まれた“村民裁判”の場面で、ヒルダのホルスに対する殺意を完璧に逆転させる転機が訪れたことになります。



 殺すべき対象が、愛する対象に変貌する瞬間です。


 そこで“村民裁判”の場面を詳しく見てみましょう。



 ドラーゴの陰謀で、ホルスは村長暗殺未遂事件の濡れ衣を着せられます。

 ヒルダはホルスの潔白を証明できるのですが、ホルスに協力しません。

 その点、ヒルダはウソツキになるのですが、終始沈黙を守ったままなので、積極的なウソではなく、ドラーゴがわめきたてる状況のなりゆきに任せた格好です。本当に嘘をついたのかどうか、ここでは定かではありません。微妙な演出です。


 そこで、唐突にポトムが告発します。

「犯人はヒルダなんだ!」

 ホルスは即座に反論。

「ちがう、ヒルダじゃない!」(RAE64頁)


 そして、やにわにトトが飛び立ち、銀色狼の幻影となってヒルダを背後から襲うようにみせかけ、ホルスに斧を投げさせます。

 自分に不利な証言者を殺そうとした……とホルスは誤解され、村人の多くから石をなげつけられて追放となります。


 で……

 どこか、変だと思いませんか?


 どうしてポトムには、ヒルダが犯人であることがわかったのだろう?

 『ホルス……』の七不思議に数えたいほどのミステリーです。

 ポトムには、確たる証拠はないはずです。

 もっとも、“ホルスは犯人ではない”、と確信することは彼にもできたでしょう。

 斧を投擲するホルスの腕前は超一流、村長を狙って投げたら、的を外すはずがありません。瞬殺のキルショット。

 村長は確実に暗殺され、未遂にとどまったはずがないのです。

 それはそうとして、しかし、ヒルダが犯人であると断定することは、ポトムにはできません。

「斧があれば…(中略)…誰にだってできる」と、ガンコ爺さんが検証したところなのです。ガンコ爺さん、見た目はガンコですが、頭の柔らかさは村内随一ですね。のちに火を燃やして悪魔に対抗するアイデアで村を救うなど、物語中で最もクリエイティブな逸材です。


 さて、ヒルダを犯人視するポトムは、たしかに実行犯のドラーゴではないものの、教唆犯のヒルダを一発で言い当てているのですが、直感的過ぎて根拠が皆無です。

 以前、ヒルダの妖しい歌によって、狼の防護柵を建設する工事が中断して以来、ずっとヒルダに不信感を抱いていたことから、“ヒルダ以外に出来ないだろう”という消去法で推理したつもりなのでしょうが……

 名探偵ではありますが、コナン君ではなく毛利小五郎タイプですね。


 もう一つ奇妙な点は……

 ポトムの「犯人はヒルダなんだ!」と、ホルスの反論「ちがう、ヒルダじゃない!」までのカットは、この場面の前後の推移から見ると……

 なくてもいい、余分なカットではないか? と思えることです。

 むしろ、この部分を取り去って、前後をつないだほうが、流れがスムーズです。

 つまり、なんだかわざとらしい、あとから“取って付けたような”カットなのです。


 そこで、疑問が湧いてきます。


 監督はもしかして……

「ちがう、ヒルダじゃない!」とホルスに言わせるために……

「犯人はヒルダなんだ!」とポトムに言わせたのでは?

 ということです。

 演出上、どうしてもここで、ホルスの「ちがう、ヒルダじゃない!」のセリフが必要だったのでは?


 といいますのは……


 “ヒルダの第三の結末”に準拠するならば、ヒルダの内戦工作は、自分の故郷の村の人々に自分が迫害されたことへの、根深い“復讐”です。

 復讐とは、仕返し。基本的に“やられたことをやり返す”行為ですね。

 とすれば、ヒルダは、自分が迫害された時の仕打ちである、“冤罪”を内戦工作に盛り込んでいくでしょう。


 “東の村”の場合、“ホルスへの冤罪”がそうです。

 村長暗殺未遂事件の実行犯の嫌疑が、ホルスに着せられます。

 ヒルダは、ホルスのアリバイ証言を、沈黙によって拒否します。

 ホルスは、信じていたヒルダに裏切られます。


 ヒルダはこの時内心で思っていたでしょう。

 “あたしの時と同じよ、あたしも故郷の人に裏切られた。親や友人たちから裏切られた! あたしと同じ目に遭うがいいわ。村人から迫害され、村人たちを憎むことで、あなたは悪魔の世界へ転ぶのよ!”


 ここでポトムが、「犯人はヒルダなんだ!」と指弾します。

 即座にホルスが、「ちがう、ヒルダじゃない!」と否定します。


 ヒルダは内心、ドキッとしたことでしょう。


 これも、ヒルダが自分の故郷で迫害されたときに起こったことと同じなのだと。


 故郷の村人たちから冤罪を着せられ、「犯人はヒルダだ!」と悪意をもって指差されたとき、おそらく、ひとりぼっちのヒルダを信じてくれた、たった一人の少年が「ちがう、ヒルダじゃない!」と反論し、ヒルダをかばってくれたのです。

 ヒルダもその少年を慕い、淡い恋心を抱いていました。

 しかし、ヒルダに罪を被せて追放するのは、すでに決まったこと。

 村の決定に逆らい、村の幹部に楯突いた少年は殺されました。

 ヒルダの目の前で。


 その少年の記憶がホルスに重なり、ヒルダの心に激しく刺さります。

 ヒルダは激しい既視感デジャヴにとらわれます。

 あのときと、同じ!


 “あたしを信じてくれた、たった一人の彼がいた……あのときと、同じだわ!”


 そしてホルスは石を投げつけられ、追放されます。


 激しい罪の意識と、ホルスに対する憐憫と同情、そして深い悲しみがヒルダの中に渦巻いていきます。もがいてももがいても抜けられない、泥沼の悲しみです。なぜならば……


 罪なき罪でホルスが追い込まれていく状況は、はるかな昔、ヒルダの故郷の村で、ヒルダ自身が経験した悲劇の再現となったからです。


 それは皮肉にも、ホルスを“もう一人のヒルダ”にする行為。

 ヒルダが心底から憎み、軽蔑する“人間”たちが、かつてヒルダに対して行った残酷で醜い仕打ちと、全く同じではありませんか。

 あれほど憎んだ加害行為を、今、ほかならぬ自分が繰り返そうとしている。

 なぜなら、自分自身も、もともとは、自分が軽蔑しきっている“人間”だったのだから……


 ……あたしは、あのとき人間たちから放逐された自分と同じように、ホルスをも放逐し、そして自分の手からホルスを失うかもしれない……


 自分と同じことを、ホルスに起こしてしまった。

 それが“業苦の既視感デジャヴ”となって、ヒルダの良心を崖っぷちに追い詰めていきます。


 ホルスを仲間に引き入れたい一心で、ホルスに対して行なってしまった行為。

でも、それは、あたしを信じて裏切らなかった、たった一人の人物を、あたしが裏切ってしまう行為。

 そのため、ホルスを永遠に失うようなことになってしまったら……

 ヒルダはぞっとするような戦慄を感じ、その時、同時に悟ったのでしょう。


 悶えるほどに、ホルスを愛していることを……


 失った愛が、よみがえります。

 このとき、ヒルダは心の底、無意識に近い領域で、自分の未来を選択したのです。


 あなたはあたしを心から信じてくれている……

 そんなあなたを、あたしは心から愛します!


 ヒルダのホルスへの愛は、ここで完成したのではないかと思うのです。


 しかし故郷の村人たちに迫害されたことの報復として魔法で反撃し、村を滅ぼしてしまったことで、ヒルダは原罪を背負いました。

 その後、グルンワルドに出会って手を結んでから、数千数万の、他の村の人々を殺し続けてきたことで、さらなる大罪を背負いました。


 今、ヒルダは罪にまみれた心で、ホルスを愛すると決意しましたが……

 それはしかし、業苦の既視感デジャヴに包まれた愛。

 ホルスへの愛ゆえに、ヒルダの心は生きながら引き裂かれてゆくことになります。





 

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